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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
七冊目 大富豪イレブンバック家
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第四十六面 お帰りなさいませお嬢様

 イレブンバック邸は街の中心部、赤のハート三番地に鎮座ましましている。住所もトランプなんだな。住んでいる人と紛らわしいんじゃないですか、と訊くと公爵夫人は笑いながら「住所の番号は番地って付くから大丈夫なのよ」と教えてくれた。確かに人を呼ぶときは何色の何の何、と言うから番までは言わないのか。


 馬車に揺られていると、見覚えのある鳥が歩いているのが見えた。黒縁眼鏡で真面目そうな学者風の男。


「すみません、停めてもらえますか」


 そう言うと、ラミロさんが御者さんに合図してくれた。急に停車した豪奢な馬車を見て、学者風の男はぎょっとする。


「ハワードさん」


 ドアを開けて声を掛ける。コーカスレース参謀、梟のハワードさん。


「ああ、君は確かナオユキ君、だったね」

「こんにちは。あの、イグナートさんはもう大丈夫なんですか」

「ははは、いつの話をしているんだ。とっくに復帰しているよ。心配してくれてありがとうね。彼にも伝えておくよ」


 ひらひらと手を振り、ハワードさんは歩き出した。向こうで手を振っている人影が数人見えたけれど、翼はないみたいだ。ということはトランプ? そもそもドミノである彼が街にいるということも不思議だけれど、トランプに手を振られているというのは一体どうしてだろう。


「ハワードは大学に出入りしているので学生との交流があるのですよ」


 考えを読まれた? 違う、きっと顔に出ていたな。ドアを閉めると、ラミロさんの合図で馬車が動き出した。座り直してからアーサーさんに続きを促すと、車窓を指差しながら教えてくれた。


「あちらに時計塔が見えますか?」


 石や煉瓦で組まれた家々の先に背の高い時計塔が見える。見た目はビックベンっぽいかな。大きな時計の文字盤に何やら赤と黒がごちゃごちゃしているのが見えるけれど、おそらくスートが描かれているんだろう。視力はAだけどさすがにはっきりとは見えない。


「あの時計塔がテニエル学園大学部のシンボルです。ハワードは特別生として入学した結果、同期のトランプをことごとく蹴散らし主席卒業したので今でも出入りしているのですよ。教授にも人目置かれているみたいですし」


 学者風なのではなくほぼ学者だったのか。学生時代にそんな結果を出しているのならそのまま大学で研究を続ければいいのに、どうしてコーカスレースにいるんだろう。コーカスレースがしょぼいとか、そういうわけではないけれど。それとも、ドミノは残れないのかな……。


 座席に身を預けると、柔らかさに背中から包まれていく感じがした。油断するとやっぱり眠ってしまいそうだ。とても気持ちいい。ナザリオはいつもこういう気持ちなのだろうか。あれはちょっと寝すぎな気もするけどさ。


 アーサーさんと公爵夫人は何やら会話をしているようだった。誑かすな、とか、貴方も猫なんでしょう、とか言っているからニールさんの話かな。ぼんやり耳を傾けていると、ラミロさんの緑色が何だか遠くに見えてきた。





 座席の柔らかさに負けて眠ってしまったらしい。「着きましたよ」とアーサーさんに肩を揺さぶられて目を覚ました。その時に「ふぇぅ」という変な声が出た。アーサーさんは視線を逸らして帽子の鍔を押さえていたから笑っていたんだと思う。笑われた、恥ずかしい。


 先に降りていたラミロさんに手を引かれて馬車を降りる。


「わぁ、すごい」


 そんな言葉が自然と出てしまった。ブリッジ公のお屋敷もテレビで紹介できそうな立派なものだったけれど、これは立派というより大きいと言った方がいいだろう。唐草模様に似た形の門扉の向こうにお屋敷が見える。門から玄関まで少なくとも十数メートルはあるだろう。それほど離れているにもかかわらずお屋敷の大きさがよく分かるのだから相当なサイズだ。これが公爵夫人もといミレイユさんの御実家か。ブリッジ公爵家に嫁いでも玉の輿ではないという理由が分かった気がする。


 門番さんが公爵夫人を見て「お帰りなさいませお嬢様」と言った。そうか、ここでは公爵夫人はお嬢様なのか。


 唐草模様の門扉が開かれる。ぎぎっという音がして、開く様すら荘厳な雰囲気を纏っているようだった。すたすたと進んでいく公爵夫人に続いてぼく達も門をくぐる。門番さんが変な顔をしていた気がするけど、気のせいかな。


 庭は整えられたまさにイングリッシュガーデンといった感じだ。水瓶を抱えるヒレの付いた女神らしき人物の形をした噴水や、動物の形に刈り込まれた木、美しく咲く花々。見惚れながら歩いているうちに玄関に辿り着いた。そこにはカエル頭の人が立っていた。ラミロさんの親戚かな。


「お嬢様、お久し振りです。ラミロ、お疲れ様」


 カエルさんが扉を開く。どうぞ、と言われたので中に入ると、そこにはきらきらが広がっていた。柔らかな絨毯、細かな装飾がされている壁、シャンデリア。ラミロさんがぴょんっと前に出て来て、案内してくれる。


 長い廊下を進んでいると、壁にいくつか額縁がかかっているのが見えた。そのうちの一つに目が留まる。茶褐色の猫を抱きかかえた小さな女の子の絵だ。綺麗な銀髪と琥珀色の瞳が丁寧に塗られている。


「私とダイナよ」


 絵の前で立ち止まっていたらしい。戻ってきた公爵夫人にそう言われる。


「かわいい猫でしょう。とてもいい子だったわ」

「じゃあ、この猫が」

「ええ、死んでしまったわ。悲しかったけれど、それをきっかけにニールに出会えた。今でもダイナは大切だけどね」


 行きましょう、と言われて歩き出す。そして、あるドアの前でラミロさんが立ち止まった。


「旦那様ぁ、お連れしましたぁ」


 ドアが開かれる。応接室だろうか、テーブルを挟んでソファが置かれている。猫と帽子屋の家のリビングもこんな感じだけれど、ここには生活感がない。客と会う為だけの部屋のようだ。


「ミレイユ、久しいな」

「お父様、お久し振りです」


 ワンダーランドの市場を掌握する大富豪イレブンバック家の当主。公爵夫人のお父さんがソファを指し示した。座れ、ということかな。公爵夫人、アーサーさん、ぼくの順に席に着く。ラミロさんは後ろに立っている。


「私がイレブンバックだ。君達がティーセットを注文したいという兄弟かね」


 イレブンバック氏はこれでもかとふんぞり返ってこちらを見下すように見下ろしている。氏は赤のハートの三なのだという。大商人は通常エースなのだけれど、イレブンバック家は代々ハートの三を継いでいるそうだ。なぜなのか、というのは家の名前を見れば何となく分かる気がする。ジャックバックの働いている環境下においては三が一番強いもんね、大富豪は。


 メイドさんによってお茶が出され、アーサーさんの目が輝く。猫じゃらしを見た猫みたいだ。ティーカップに掴みかかろうとして、わざとらしく咳払いをする。


「本日はお時間頂きありがとうございます。私はマーリン・キングスレー。こちらは弟のアレクシスです」


 さらっと言ったけどすごい偽名ですねアーサーさん。というか偽名にしなくちゃ駄目なのか。名乗ったら帽子屋だとバレてしまうのかな。


「ミレイユはこの男とどこで知り合ったんだ?」

「え? えと、商店街、ぶたのしっぽ商店街で。だってお父様、この前のお手紙に『何か注文して』って書いていらっしゃったでしょう? だから困っていた二人に声をかけたのです」


 イレブンバック氏は顎鬚をもしゃもしゃ触りながら疑うようにぼく達を見ている。ぼくは緊張で壊れてしまいそうだけれど、アーサーさんは涼やかな顔をしている。大人の余裕と言うやつだろうか。違うか。


「こちらをお願いできますでしょうか」


 アーサーさんが差し出したのは依頼書だ。テーブル、ティーカップ、ソーサー、ティーポット、ケーキスタンド、お皿、諸々の必要数と、それらが健在だったころの写真を添えてある。


「ふむ、八割くらいは同じ見た目のものを作れる」

「お願いします! 特に、特にこのカップを……!」


 依頼書を眺めていたイレブンバック氏が顔を上げる。身を乗り出していたアーサーさんと目が合った。いたってクールな顔を保ったまま、アーサーさんはそろそろと座り直す。


「お願いできますでしょうか」

「考えておこう」

「ありがとうございますっ!」


 イレブンバック氏は後ろに控えていた使用人に何やら言ってからぼく達に向き直った。使用人が応接室を出て行く。胡乱な目を向けられている気がするけれど、大満足な笑顔を浮かべているアーサーさんはどうやら気付いていないらしい。


 折角だからいただこう。カップを手に取り、お茶を一口飲む。


「ぅあ、熱っ」

「ははは、気を付けてくれ。大丈夫かな」

「すみません。大丈夫です」


 ふうふうと冷ましてから飲み直す。うん、美味しい。少し酸味があるかな。


「ア、じゃない。マーリン兄さんも飲んでみてくだ、飲んでみてよ」


 氏からの視線が痛い。やらかしたかもしれない。


「うんうん、美味しいですねぇ~」


 やっと理想のお茶が飲めたからだろうか、アーサーさんはとろけんばかりの笑顔を浮かべている。こんなにがばがばな姿は初めて見た。公爵夫人に撫で繰り回されているニールさんでもここまでの顔にはならないんじゃないだろうか。お茶中毒末期患者だ。


 先程お茶を持ってきた人とは別のメイドさんがケーキを持ってきた。パウンドケーキかな。


「よければこれも食べていってくれ」

「お父様、そんなに悪いわ」

「いやいや、大切なお客様だからな」


 フォークを刺し込むと、パウンドケーキ特有のさっくりとした感触が伝わってきた。一口大に切り、口に放り込む。柑橘系の果物を入れているのだろうか、ほどよい酸味と果肉の食感がある。


「あら、美味しいわね。お父様、レシピをいただけて? マミに作らせたいの」

「後で料理長に頼んでおこう」


 パウンドケーキを突くぼくと公爵夫人の間で、アーサーさんは幸せそうにお茶を飲んでいた。









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