第三十四面 僕の攻撃受けてみろ!
神経衰弱は二勝二敗となり、五戦目突入直前にナザリオが起きたので三人で七並べをすることになった。結局トランプをしながら二時間近く過ぎたわけだけれど、そこでようやく声がかかった。
「青い空! 青い海! 白い砂浜! かわいい僕! 最高のシチュエーションだね!」
眩しい日差しを受けながらビキニ姿のルルーさんが両手を振り上げる。ビキニとは言っても、下はズボンっぽい形だ。
「水着の僕に見惚れた男達が群がってきても嫉妬しないでね、ニール」
「嫉妬なんかしねえし、そもそも誰も寄ってなんか来ねえよ。ほら、オマエまな板だしよ」
「はあ? それちょっと失礼じゃない? まあそうだよね、ニールはいっつも公爵夫人の超絶柔らかそうな胸に抱かれてるもんねぇ……」
「変な目で見るな!」
ニールさんは尻尾の毛を逆立てる。猫ゆえに泳ぐつもりはないのか、水着ではなく雑誌に載っているようなシャツとハーフパンツというイカしたアウトドアファッションだ。半袖シャツの中に着ているTシャツがボーダーだったのでぼくの頭にはかの有名な笑い猫が思い浮かぶけれど、ご本人みたいなものだから不思議な感じだ。
ビニールシートに座って海を眺めていると、クラウスに背中を突かれた。海パン姿なのに傍らにしっかりと剣を置いている辺りやっぱり騎士さんなんだなと思う。けれどなんか変だ。
「アリス君、何だかおじいさんみたいだよ」
「え」
「折角海に来たんだから何かして遊ぼうよ。ほら、三月ウサギさんもやる気みたいだし」
ルルーさんはぼくが持ってきたビーチボールを早速膨らませて一人でぽんぽんして遊んでいる。すると、完全な覚醒状態という貴重な姿を晒しているナザリオがボールに飛び付いた。ナザリオは海パンにパーカータイプのラッシュガードを羽織っている。
「ふはははは、やるかナザリオ! 僕の攻撃受けてみろ!」
「うわーい! 楽しいー!」
砂浜にはシートを広げた海水浴客がぼく達の他にも数グループ見える。けれどどれも人間ばかりで、獣の姿は見えない。ホテルにいたドミノさん達はどこにいるのかな。それに、みんなこっちを怪訝そうにじろじろ見ている。
「ドミノだぞ」
「何で獣風情がこんなところに」
「汚らわしい」
「折角の海が台無しだ」
わざと聞こえるように言っているようだった。ニールさんが苛立たしそうに低く唸る。
「あははは! 待て待てぇー!」
子供がこちらへ駆けてきた。どうやら小さなカニを追い駆けているらしい。そしてぼく達の目の前で盛大にすっ転んだ。うわ、大丈夫かな。
ナザリオにボールを投げ付けて、ルルーさんは子供に駆け寄る。
「君、大丈夫?」
「ふええ」
怪我はないみたいだ。
「走ると危ないから気を付けようね」
「ん。ありがとうお姉ちゃん」
そこへ親らしき人がやって来て、子供の手を引く。ルルーさんに向かって小さく「ありがとうございます」と言ったのが聞こえた。けれど目を合わせることはなく、そそくさと去って行ってしまう。
「うんうん、感謝されると嬉しいね!」
「避けられてたじゃねえか」
「もう、僕が満足してるからいいんだよ! ニールは気にしすぎなの! そんなんじゃ猫耳もげるよ」
「もげるわけねえだろ。どういう原理だ」
これももげるのか、とニールさんはルルーさんのうさ耳を掴む。「ひんっ」という音がルルーさんの口から漏れた。その直後、じゃれ合っている二人の間に割って入るようにしてアーサーさんが戻って来た。この弟も泳ぐ気はないのかよくあるアウトドアファッションだ。いつものおしゃれなシルクハットではなく、鍔広のおしゃれな麦藁帽子を被っている。
「ナザリオが言っていた食堂、見付かりましたよ」
「おー! じゃあ行こうよー! わくわく!」
「珍しく元気ですね」
「おれはいつも元気だよ。元気に寝てるでしょ」
元気に寝てるってどういうことだ。突っ込みたいのはきっとぼくだけじゃないはず。
荷物を軽く纏めて、ぼく達は件の食堂へ向かう。
砂浜を少し進んだ先ににそれは建っていた。せり出した岩場の上に建つ、豪華な海の家と言った感じだ。岩を丁寧に積み上げた石垣のような外見で、斜面を利用した二階のテラスが張り出していた。テラス部分と屋根だけが木製なので浮き出て見える。
『Sea turtle's Cafeteria』
『OPEN』
看板には亀の絵が添えられていた。営業中らしいけれどお客さんの姿はなく、お店の中も暗い。
「本当にここなの」
「おれの目を疑うの、アリス」
「いや……」
意気揚々とナザリオはドアを開ける。ルララン、とドアに着けられたベルが鳴った。
「こーんにちはあー!」
返事はない。
店内はドアが開いたにもかかわらず暗いままで、料理の匂いも全くしない。本当に営業中なのだろうか。お昼はここで食べるつもりだったのに。看板を出したまま廃業とかではないと思いたいけれど。
店内へ飛び込んだナザリオが何かに躓いて、さっきの子供並みに盛大に転がって行った。
「いたーい! 何これぇ」
見ると、一メートル以上はありそうな亀の甲羅が落ちていた。
「亀?」
クラウスが剣の鞘で甲羅を突く。すると、甲羅はもぞもぞと動き出した。生きてはいるみたいだ。
「お客さんです?」
甲羅から海亀の前びれと偶蹄類の後ろ脚が出てきた。そして、牛の頭と尻尾。
「おおおおおおお客さんだあああああッ!」
「うわああああああ!」
身を翻した亀に飛び付かれそうになってクラウスが後退る。
「ようこそウミガメ食堂へ! 久し振りのお客さん、しかもこんなに大勢で! 嬉しくて嬉しくて」
わんわん泣き出した亀だったが、すぐに真顔になる。いや、これは多分亀じゃないな。
「店主兼料理長のウミガメモドキ、パーヴァリです。どうぞどうぞ、あちらの席へ」
そう言ってウミガメモドキは厨房と思われる方へ歩いて行った。
ぼく達は顔を見合わせる。大丈夫だろうか、このお店。暗いだけで掃除はされているみたいだけれど、店長さんが床に落ちていたなんて普通じゃない。このワンダーランドにぼくの常識を当てはめるのは間違いだ、というのはよく分かっていることだ。しかし、みんなも変な顔になっているのだからこれはワンダーランドでも普通ではないということだ。
転がっていたナザリオがようやく起き上がり、ぼく達の方を不安そうに見る。ここで食べるって言い出したのはナザリオだよ、言い出しっぺがそんな顔しないで。
メニューはテーブルにありますのでー、という声が厨房から聞こえてきた。
無言で視線を交わし、席に着く。もうここまで来たら食べていくしかないだろう。
「何にする?」
クラウスが小声で言う。何でひそひそ話する感じになってるの。
三人ずつで座った。大人と子供に分かれた感じになったけれど、まあいいか。
「おれパスタがいいなあ」
メニューを捲りながらナザリオが言う。見た感じよくあるファミレスのようなメニュー構成だろうか。スパゲッティ、ハンバーグ、グラタン、などなど。そして、イーハトヴ料理というページに蕎麦とうどんが載っている。これらを全てあのパーヴァリさんが作るのだろうか。他に店員がいるような気配はないけれど。
「じゃあおれはドリア。アリス君は?」
「冷やしたぬきうどん」
「え?」
クラウスはメニューを覗き込み、頷く。
「イーハトヴ料理だね。へえ、これも美味しそうだな。ドリアやめて蕎麦にするよ。すみませーん、注文したいんですけどー」
「こちらもお願いします」
厨房からパーヴァリさんが出てくる。やっぱり他の店員はいないんだ。
「おれパスター。トマトソースね」
「かけ蕎麦ください」
「冷やしたぬきうどんお願いします」
「僕、夏野菜のドリア」
「きまぐれオムライスにします」
「特製ソースのハンバーグ頼む」
パーヴァリさんはぼく達の注文を聞いているのかいないのか、ふんふんと頷いているだけでメモなどは取っていない。
「すみません今日はきまぐれ野菜サラダとうどんしか作れないんですよ」
今なんて言いました?
それならばなぜメニューを見せたのか。
悪気なんて全くないという雰囲気でパーヴァリさんは「みなさん冷やしたぬきでいいですか」と確認を取る。それしかないなら全員そうするしかない。ごめんね、ぼくだけ食べたいもの食べちゃって。
厨房へ戻ろうとしたパーヴァリさんが振り向く。そして、アーサーさんに詰め寄った。
「なんっ、何ですか」
「きみ、ボクを手伝いませんか」
「は」
まさか料理人の勘か何かで、アーサーさんが料理のできる人物だと見破ったのだろうか。パーヴァリさんは真剣そのものだ。
「顔がいいから看板になってください。滞在期間だけでいいので」
「……え?」




