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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
五冊目 ウミガメ食堂の夏
32/236

第三十一面 こんな感じなんですか

 どうして夏はこんなにも暑いのか。考えたところでどうにもならないけれど、考えずにはいられない。冬の寒いのも嫌いだから、いっそのこと春と秋だけになればいいと思う。


 ぼくの部屋にはエアコンがないので扇風機が力の限りを尽くして働くことになる。しかし、この扇風機は居間での役目を終えた、よく言えばおさがり、悪く言えば中古品なのである。あとどれくらい持つのかな。使い過ぎによる故障で発火とかはやめてほしい。


 開け放った窓から蝉の鳴き声が部屋に入ってくる。その元気分けてほしいな。でも蝉になったら土の中で一生のほとんどか。あ、それもありだな、他の人に会わないで済むよね。


 蝉に混じって子供達の声が聞こえてきた。お菓子買いに行こう! とか、プール行こうぜ! とか、宿題もうやった方がいいのかな? とか。現在夏真っ盛り、世間一般では夏休みという期間である。一応ぼくが籍を置いている星夜せいよ中学校も一昨日から夏休みだ。とは言っても、不登校なぼくには特に関係のないことだ。夏休みだからと言って友達と出かけるとか、いつもと違うことに挑戦してみるとか、そういうことをするつもりはない。するつもりはないが、昨日やって来た姫野の手によってぼくの部屋には夏休みの宿題というものが降臨した。曰く、後日教えにやって来る、そうだ。


 ぼくを悩ませているのは暑さだけではない。姫野が来たらどうしよう。いつも玄関先で母が対応しているから、会ったのなんて五月頃が最後だ。部屋に上げない方法はあるだろうか。いや、ない。絶対母さんが連れてくる。


 床に寝転がって悩んでいるより、もっと楽しいことをしよう。


 ぼくは姿見に飛び込んだ。





          ◇





 いつも通りアーサーさんの部屋に出る。しかし、いつもとは違う点があった。珍しく部屋の主が目の前にいるではないか。今日はお茶会していないのかな。


「アリス君」


 水も滴るいい男とはよく言ったものだと思う。今、目の前でそれが確かに本当のことであると証明されたのだから。


「すみません、このような状態で」


 ぺたりと貼り付いた金髪から雫が垂れている。見ただけで上等な代物だろうと分かるタオルを首にかけていて、スーツも濡れている。


「何かあったんですか」

「雨に打たれただけですよ」


 そう言って苦笑しながらアーサーさんは髪を拭く。


 窓の外を見てみると確かに雨が降っている。黒い雲が垂れ込めていて森の中は薄暗い。いつも設置されているお茶会セットはテーブルと椅子を残して、ポットやお菓子は撤収済みだ。雨が降っている時になんて初めて来たな。


「みんなは」

「馬鹿猫は自分の部屋です。ルルーとナザリオはひとまずリビングへ」


 アーサーさんはジャケットを脱ぎ、ベストに手を掛けたところでドアの方を指差す。


「すみません着替えるんで」

「あ、じゃあぼくもリビングにいますね」



 リビングに行くと文字通り濡れ鼠なナザリオが絨毯に転がっていた。濡れた体を拭こうという考えはないのかびしょびしょのまま眠っているようだった。こんな状態でも眠れるなんて尊敬するレベルだよ。対してルルーさんは頭の上にタオルを乗っけて何だか温泉に入っているみたいな見た目だ。「おー、アリス君」と言いながら近付いてくる。ベスト着てくださいって言ったじゃないですか、ほら、思いっきりスケスケですよ。


「この時季はさあ、多いんだよねこういうこと」


 ボーイッシュなのは話し方やファッションだけではなく感性もなんだろうか。恥ずかしいとか思わないのかな。


「あ、ニール、遅いよー」

「ほら、これでも着てろ。お、アリス来てたのか」

「こんにちは」


 ルルーさんはニールさんから何かを受け取るとリビングを出て行った。


「全くよー、この季節にいつも通りお茶会しようっていうのが間違いなんだよな。ただ、帽子屋はお茶を燃料に動いてるようなやつだからお茶会はやり続けねえとならないんだがな。わりいなアリス、今日のお茶はないぞ。全部雨に打たれて飲めなくなっちまった」

「大丈夫です。あの、さっきルルーさんも言ってたんですがこの時季は何かあるんですか」

「北東の隣国が変な実験するからしょっちゅう通り雨が降るんだよ」

「北東の国」


 ニールさんの髪からはまだ雫が垂れている。着替えたジャケットに点々と跡を付けているけれどいいのかな。


「北東の隣国は今時季になると雨の実験を始めるんだ。人工的に雨を降らせようってな。湿度とか気温とかが調度いいらしい。それで、ワンダーランドにも飛んでくるんだよ、雲が」

「それって実験成功してるってことですか」

「いや、違うな。本当は天気雨を作りたいらしいぞ」

「何だか魔法みたいですね。北東の国には魔法使いでもいるんですか」


 ニールさんが声を出して笑った。ぼく何か変なこと言ったかな。


「魔法か、そんなことができればいいけどな。生憎ここは物語の中じゃない、残念ながら魔法使いはいないな」

「そう呼ばれている方ならいますけどね」


 きっちりと着こなしたアーサーさんがリビングへ入って来た。ニールさんをびしっと指差し「まだ濡れていますよ」と言うけれど、ニールさんは別に気にしていないようだった。指差してくる手を振り払う。


「呼ばれてる人がいるんですか」

「ええ、南の隣国に。エメラルドキングダム、そこを治めるのは伝説の魔法使いと呼ばれる人物ですからね。何でも、遥か昔に異世界からやって来たとも言われていて」

「異世界? 異世界って、ぼくの住んでいる世界ですか」

「さあ、私には……。他にもあるのかもしれませんしね」


 異世界からやって来て、魔法使いと呼ばれている。そして、エメラルド。それらの条件によってぼくの頭に導き出されるのは一つの物語だった。『オズの魔法使い』。この世界はもしかすると、様々な本からできた世界なのではないだろうか。それとも、小説家というのは実は異世界を見て来た人達で、それを描いているのではないか。考えすぎかな。後者はちょっと行き過ぎか。


 いつの間にかルルーさんが戻って来ていた。ニールさんの服を着ているのかちょっと大きそう。所謂彼Tとかそういうのなのかもしれないけれど、彼氏じゃないしそもそもTシャツじゃない。「なにー? 何の話ー?」とぼくとアーサーさんの間に割って入って来ようとする。が、ニールさんに襟首を掴まれて踏み留まった。


「花札の実験の話だ」

「あー、それね。僕もアリス君に説明しようと」

「俺がしておいたから」

「わーい! ニール頼りになるよね!」


 首根っこを掴まれたままルルーさんはにこにこ笑っている。


「花札って」


 質問しようとしたら、アーサーさんが手を上げて遮って来た。


花札ハナフダは北東の隣国に住む人々の自称ですよ。人間も獣も機械さえも、あの国に住む者は全て花札です。我々からすればトランプとドミノなのですが、彼らからすれば全部花札なのです」

「厳密には花札のけものとこっちのドミノは違うんだけどな。あいつらはただの物言うけものに過ぎないからな」

「ん、よく分からないです……」

「大丈夫大丈夫、そのうち分かるようになるよー!」


 分かるようになるのかなあ。知らず溜め息が出ていた。すると、三人は声を揃えて笑った。変なことは言ってないよな。


「あー、もうさー、お花の人達もいい加減にしてほしいよね。毎年毎年雨降りなこっちの気持ちも分かってほしいよ」

「分からねえんだろうなあ。花札はトランプに変なライバル意識あるだろ。聞く耳なんか持ってねえよ」

「困ったものですね。お茶会ができないのは毎年のことですが……」


 アーサーさんの顔からみるみるうちに生気が抜けていく。


「紅茶……」


 ルルーさんを掴んだままのニールさんに背後からしがみ付く。


「紅茶をください」


 前に三月ウサギ、後ろに帽子屋なチェシャ猫は天井を仰ぐ。ルルーさんは楽しそうだけれど、アーサーさんは今にも倒れるんじゃないかというくらい辛そうだ。本当にお茶を燃料にして動いているんだろうか。


「分かった、分かったから、今日は部屋で飲もうな」

「う」


 外は相変わらず雨が降り続いている。室内でだってお茶はできるし毎年この時季はそうしているんだろうけれど、何だか心配になるレベルだな。


「アーサーさんは毎年こんな感じなんですか」

「子供の頃からこんな感じだ。雨の季節が終われば元に戻るけど、外でお茶をすることに意味があるんだろうな」


 なるほど。


 実に愉快そうなルルーさんがニールさんの手を振りほどき、ぴょんことテーブルの上に飛び乗る。ニールさんが「んあああああああ」と叫び声を上げているけれど、ルルーさんはてくてくテーブルの上を歩いている。雨が降っていたのだから、靴には泥が付いている。拭きはしたんだろうけれどそれでもやっぱり汚れている。というかテーブルに立つってどういうことだ。


「アリス君も来るようになって楽しくなったからさ、今年はぱあっと海にでも行っちゃおうか!」

「はあ!? いきなり何言い出すんだ」

「ええー? ニールも行こうよー」

「オマエは行く前提なんだな」

「ねねっ、アリス君も行こうよ」


 街にすらあまり行くなと言われているぼくが海になんて行っていいんだろうか。


「行きましょう。南東なら外でお茶できます。行きましょう」

「オマエも何なんだよ」

「お願い、お兄ちゃん」

「気持ち悪いやつだな!」

「さあ、アリス君も一緒に」


 アーサーさんが来いって言ってるんだから行ってもいいのかな。


「ったくしゃあねえな。アリス、何日かかかっちまうんだが予定空いてるか。親御さん心配するだろうから無理にとは言わないが」

「あ、大丈夫です」






          ◆





 九州に住む親戚の何回忌かがあるということで、両親ははるばる出向くことになっていた。九州なんて滅多に行けないからついでに観光もしてやると不謹慎なことを言っていたけれど、それはある意味チャンスだった。両親が家を空けるのだ。


「ぼくは行かなくてもいいんだよね」


 夕食時に尋ねてみると、法事自体はぼくからすると遠い親戚みたいなものなので出なくてもいいという。そして、大分を見なくていいのなら留守番していていいそうだ。大分観光なんて今度いつできるか分からないけれど、知らない親戚の中に放り込まれるのは御免こうむりたい。


 かくして、ぼくは一人での留守番を四日間。いや、みんなで海へ小旅行をすることとなったのだ。







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