第三十面 もしかして知っていたのですか
今回の視点はとあるトランプです。
淹れたての紅茶がカップに注がれる。いい香りね。貴方の紅茶を淹れる腕前だけは褒めてあげるわ。
何も言っていないのに、私の考えを読み取ったかのようにアーサーは顔を顰めた。貴方はいつもそう。どうして私を嫌っているくせにわざわざログハウスまで来てお茶を淹れているの。
「それで、王子様は無事だったんですよね」
両手でマグカップを持ったアリス君がアーサーに尋ねる。なぜマグカップなのかというと、マミがココアを買って来たのでそれを飲ませてあげているから。両手で持っているなんてかわいいわね。
「無事は無事でも、あれは長くかかりますよ」
「そうなんですか」
アリス君はマグカップの中に揺れるココアを見つめている。ジャバウォック、と口が動いた気がするけれど、もしかして知っているのかしら。異世界人であるアリス君があの化け物のことを知っているなんておかしな話だけれど、アリス君の世界にもあの化け物に似た存在がいるのかもしれない。
国境整備及び警備の長期視察に訪れていた第二王子ウィルフリッドが、基地建設現場に現れたジャバウォックの襲撃を受けた。多くの兵士や作業員が命を落とし、負傷者の数も相当なものとなった。王子自身も重傷を負い、完治するのはいつになるか分からないという。公には足場の崩壊事故としているけれど、これほどまでの被害の出る足場崩壊なんて少し無理があると思うわ。王子を発見し応急手当てをしたコーカスレースには褒美が出るそうだ。しかし、迎えが来るまで家に置いていたクロックフォード兄弟に対しての礼というものは特にない。
褒美なんていらないし、そもそも貰えるだなんて思っていない。と、ニールは言っていた。
「どうしてすぐに街まで連れて行かなかったんですか。ここからならすぐ街ですよね」
「馬鹿かアリス」
私の腰に腕を回しながら体を寄せていたニールが言い放つ。
「ええ、馬鹿ぁ?」
「俺達が大怪我したウィルフリッドを街まで運んでみろ、あらぬ疑いをかけられるに決まっているだろう」
「あ、そうか」
「獣っていうのはそういう者なんだよ。特に、あの王子様は普通の動物でさえアウトな筋金入りの動物嫌いだからな」
「普通の動物もなんですか。それは相当なものですね」
ああ。とでも返事をしようと思ったのだろうけれど、私が首元を撫で始めたのでニールの口から出たのは「んあ」という変な音だった。嬉しそうに私に擦り寄る。アーサーが嫌悪感丸出しの顔でこちらを見ていた。そんなに嫌なら来なければいいじゃないの。ルルーはいつも通り楽しそうだけど。
「ヒューヒュー、今日も昼間っからお熱いですねー! 公爵夫人!」
テラスの外から声を掛けられたので見てみると、相変わらず露出の多い格好をしたライオンが立っていた。今日はユニコーンも一緒のようね。
「私達はそういう関係ではないっていつも言っているでしょう」
「いやいやいや、恥ずかしがることないって! いいんだよ、誰かを好きになるって大事なことだもんね! アタシもジェラルドのこと好きだよ」
さらっとすごいこと言ったわね。
えっへんと胸を反らすライオン――キャシーの横で、ユニコーン――ジェラルドは小首を傾げている。言われた意味が分かっていないのか、喜んでいるけれど鉄仮面のためにこちらからは分からないだけなのか。どちらにせよジェラルドは無表情を保っている。
「ユニコーンさんがジェラルドさんなんですね」
「あら、アナタ前に夫人と一緒にいた子ね。親戚の子って言ってたよね、それでも駄目だよ、こんな森の中で。ほらー、帽子屋なんかもいるしさあ」
「なんかとはどういう意味でしょうか、キャシー」
「う。えーと。がおー!」
指を軽く曲げて猫の手にしながらキャシーは両手を上げる。威嚇のつもりなのだろうけれど、困ったからといってすぐそういう行動に出るのはどうなのかしら。ほら、ジェラルドも呆れているわよ、無表情だけど。
「キャシー、行くぞ」
「うえー、もう行くの」
まだ行きたくないよう! と言うキャシーの腕を引いてジェラルドが立ち去ろうとする。
「ジェラルド」
アーサーに呼び止められ、ジェラルドは鉄仮面を微妙に歪める。
「先日は突然の頼みにもかかわらず国境沿いまで行っていただきありがとうございました」
「いや、構わない。足は速いからな」
「偶然アルジャーノン殿下とクロンダイク公がいらっしゃってよかったです」
「……そうだな」
早くこの場からいなくなりたい。そう言わんばかりにジェラルドはぐいぐいとキャシーの腕を引っ張っている。
「私は誰か国境に生き残りがいるかも、としか考えなかったのですが、急いでいるクロンダイク公を目撃したと貴方が言ったのでクロンダイク公を探して貰ったのです。ウィルフリッド殿下の危機なので第一王子たるアルジャーノン殿下への御報告も必要ですね、と言ったら彼までも連れてくるのですからすごいですね貴方は」
ジェラルドはアーサーから目を逸らす。
「もしかして知っていたのですか、クロンダイク公が国境へ行ったこと」
「行くぞキャシー」
「うあ、ちょっとー、痛いってばあ!」
引き摺るようにキャシーの腕を引き、ジェラルドは茂みの向こうへ去って行った。仲良しさんな二人は私とニールのことをからかっている場合ではないと思うわ。貴方達こそお熱いわね、いつもいつも。
チェスハンターとも言える二人が去って行った方をアーサーが見ていた。銀に近い水色の瞳が何の表情も映すことなく虚空を彷徨い、私にとまる。目が合うと、嫌悪感を醸しつつもいつも通りの微笑を湛える。何よ、今の。少し不気味だったわね。
アーサーに限らず、ニールも時々そう。不気味なような、怖いような、そういう空気を纏うのよね。でも、貴方達のそういうところ好きよ。危険な男っていいじゃない。猫と遊んでいて、甘噛みだと油断していたらがぶりとされてしまう。それも愛情表現の一つだと私は思っている。
ずっと撫でていたニールから「やばい」という声が漏れた。私を抱きしめる腕から力が抜けていく。
「あら、どうしたの」
ごろごろと喉を鳴らしながらニールが私を押し倒した。甘えん坊ね。
がたたん、と音を立ててアーサーが立ち上がった。捨てられたボロ雑巾を眺めるような目で私を睨みつける。
「帰ります」
「もう行ってしまうの?」
「馬鹿猫と雌狐の戯れを見ていても全く楽しくないので。美味しいお茶も不味くなります」
マグカップを両手で持ったアリス君が私とアーサーを交互に見る。楽しそうにショートブレッドを食べていたルルーも表情を強張らせている。変わらないのは冷静さを失っているニールと、さっきからずっと眠っているナザリオだけ。追加のお茶菓子を持って出てきたラミロが無言のまま戻ってしまう。
しばらく沈黙が続く。それを打ち破ったのは焼きたてのアップルパイのようにとろける柔らかな声だった。いい声だというわけではなく、かわいい子供みたいな声ね。漂っていた緊張が掻き消され、一筋の光がテラスに差し込んだようだった。
「こんにちは!」
やって来たのは軍服姿の男の子。その格好とは不釣り合いなバスケットを持っている。
「兄貴が謹慎中なので、おれが代理です。兎の庭まで行ったんですが留守だったので、もしかしたらこっちかなー、と」
にこやかにやって来たクラウスは私とニールを見てぎょっとした。顔を赤らめて目を逸らす。かわいい子ね。
「え、えーと。マミさんいますか」
「マミは買い物に行っているわ」
「そうですか」
「マミさん?」
アリス君が疑問符を浮かべる。そうか、この子にはマミの名前は言っていなかったかもしれないわね。
「公爵夫人の料理番さんいるでしょー? その人がマミさんだよ」
隣にいたルルーに説明され、アリス君は「なるほど」と頷く。今度はそんなアリス君を見てクラウスが目を丸くした。アリス君はいつもと同じようなパーカー姿で、左胸の所に黄色のダイヤをくっ付けている。誤魔化しが効くように、とニール達から貰ったものらしい。
「きみ、どうして子供がこんな森の中に? コーカスレースの時もいたよね」
「あ、ぼくはですね、えーと」
「私の親戚の子よ。時々こうして遊びに来るの。アリス君、知ってるみたいだけど一応。彼はエドウィンの弟のクラウス」
「アリス君だね。改めてよろしく!」
「よろしく」
帰るタイミングを完全に逃したアーサーがクラウスの持っているバスケットを指差す。
「それは何です」
「あ、これはですねー。そうそう。マミさんに教えてもらって、おれ、スターゲイジーパイちゃんと作れるようになったんですよ。兄貴も喜んでくれて、ちょっと元気になってくれたかなって。それで、これお礼に。皆さんで分けてください!」
テラスへ上がって来たクラウスはバスケットの中からパイを取り出してテーブルに置く。パイ生地から空を見上げるような形で鰯が顔を突き出している。それなりな出来栄えに皆が感嘆する中、アリス君だけが「うえ、何これ」と言ったのを私は聞き逃さなかった。アリス君の国にはこのパイはないのかしら。美味しいのに。
「ラミロ! ラミロ! 切り分けてちょうだい」
「はあい、ただ今」
ルルーは目を輝かせ、帰ろうとしていたアーサーもパイを見て何だか楽しそう。私の腕の中で骨抜きになっていたニールもわくわくとした様子でテーブルの上を見ている。ただ、ナザリオは眠ったまま。
「マミや帽子屋のと比べるとまだまだだが、なかなかだな。でも魚の躍動感がねえな」
「魚の躍動感? アーサーさん、今度教えて下さいよ。いろんな人の作る料理研究したいです」
「料理の腕は王宮騎士に必要な能力ですか」
「父さんにばかり任せてられないので」
場の空気が和やかになっていく。いい子ねー、クラウスは。ピーターもこんないい子に育ってくれると嬉しいわ。
しかしそんな中アリス君だけが得体の知れないものを恐る恐る見る目になっている。怖がることなんてないのに。
「クラウスもお茶飲むでしょ? アーサー、クラウスの分も」
「私に命令しないでください雌狐のくせに」
そう言いつつもカップにお茶を注ぎ、クラウスの前に置く。
「わーい、ありがとうございます」
お茶会はまだまだ終わらない。
四冊目 神経衰弱 は
先攻
一枚目 赤のハートのジャック アイザック
二枚目 赤のハートのエース ミレイユ
後攻
一枚目 黒のクラブのキング ウィルフリッド
二枚目 ピンクのダイヤの4 マミ
先攻
一枚目 緑のクラブのジャック エドウィン
二枚目 赤のハートのジャック アイザック
ジャック二枚獲得
三枚目 黒のクラブのキング ウィルフリッド
四枚目 赤のハートのエース ミレイユ
獲得枚数二枚。先攻の勝ち。
という感じに神経衰弱をしていました。