第二十八面 オレは王妃が苦手だ
今回の視点はとあるトランプです。
時間の進み方が通常に戻ります。
ユニコーンは偉そうに座って、やや躊躇うような素振りを見せてから口を開いた。その言葉が信じられなくてオレは聞き返す。ユニコーンは神妙な面持ちだ。
「ウィルフリッド殿下がジャバウォックに襲われた」
「殿下は大丈夫なのか」
「詳しいことは俺にも分からない」
オレは剣を手に取って部屋を出る。出ようとした。
「待て、どこへ行く」
「どこって、殿下の所へ」
「どこにいるのか分かっているのか」
そう言われると、確かに分からない。ドアノブに伸ばしかけていた手を引っ込める。
「ところでジャバウォックって何だ?」
鉄仮面が呆れ気味にほんの少し歪む。足を組み直して、改めてふんぞり返る。おそらくこの馬はオレを貴族として敬おうとは微塵も考えていないのだろう。一体オレはコイツに何だと思われているのだろうか。
「そんなこともご存じないのですかクロンダイク公!」
ムカつくやつだな。
「アイザック、爵位を得たのだからこれくらいは知っておくべきだと思う」
「だから何なんだよ」
「怪物だよ。この国に潜んでいる」
ユニコーンはやれやれと両手を上げる。そのムカつく反応は正直どうでもいいから早く教えてほしい。
「俺も詳しいことは分からない。現れたという記録はいくつも残っているが、どれも曖昧なものでな。なぜか、それは襲われた人間が、いや、人間だけではない。ジャバウォックを目撃したどの生物も、その姿や生態をしっかりと確認する前に薙ぎ払われてしまうからだ」
現れた、と気付いた時には既に遅いということか。それほどまでに恐ろしい存在がこのワンダーランドにいたとは初耳だ。チェスとはまた違うのだろうか。
オレの考えを読み取ったかのようにユニコーンが話を続ける。
「チェスとの違いは誰もが気にするところだ。しかしな、分からないものは分からないんだ。分かっていることは、昼夜問わず行動すること。周囲の動物を襲うこと。大まかな容姿と、バンダースナッチなどを引き連れていることがあること、くらいだな」
「そんなやつに襲われて、殿下は無事なのか」
「だから分からないと最初に言っただろう。俺も芋虫のやつから話を聞いただけで、とにかくオマエに伝えるのが先だろうと思ってここまで来たんだ」
「芋虫? そいつの情報は合っているという確証はあるのか」
ユニコーンが頷く。この馬がそれほど信頼を寄せているということは、そいつはできる芋虫なのだろう。
しかし、どうすればいいのだろうか。殿下が危機ならばすぐにでも駆け付けるべきだが、如何せん居場所が分からない。殿下は国境付近の基地設営を視察しているはずだが、そこで襲われたのか、それとも別の場所で襲われたのか。これは上に報告すべきか? いや、オレが上の人間だな。
とりあえず国境まで行ってみるべきだろうか。などと考えているとユニコーンは席を立ってドアの方へ歩いてくる。ずっとドアの前にいたオレの目の前まで来て、無言でドアノブを掴む。
「え、帰るのか」
「報告は終わったからな」
知ってるよ、オマエがそういうやつだって。報告だけして、それでオレが困ってしまっても仕事は終わったと言って帰ってしまう。
「それじゃあ」
「待て」
ドアを開け、廊下に出ようとしたところでポニーテールをむんずと掴む。
「やめろ離せ」
「少し付き合ってくれないか」
鉄仮面が実に嫌そうにほんの少しだけ歪んだ。
ユニコーンと別れ、オレは王宮へ来ていた。ウィルフリッド殿下のことは報告した方がいいだろうという結論に至ったので、ここまでやって来たのだ。来たのはいいが門の前で突っ立ってしばらく経つ。なぜ入らないのか。第一王子アルジャーノン殿下が留守だからだ。オレが普段謁見しているのはアルジャーノン殿下であり、それなりに仲は良いと思う。その殿下がいないのであれば、誰に謁見することになるのか。
「今の時間空いていらっしゃるのは王妃様しか……」
「マジすか」
門番は二人揃って頷く。
赤のハートのクイーンを冠する王妃様は、国王よりも強いという噂を常に蔓延らせているかかあ殿下である。滅多に謁見することのできないお方なので、こんな突然やって来てお会いしてくださるというのは普通ならば踊り狂ったっておかしくはないことなのだ。だがしかし。
オレは王妃が苦手だ。
幼い頃、まだ元気だった父にくっ付いて王宮まで来たことがあった。長くて広い廊下で父とはぐれてしまったオレは甘い匂いに誘われて厨房に迷い込んだ。そして、そこに置いてあったタルトに手を伸ばした。あの美味さは今でも思い出せるレベルだ。しかしそのタルトは王妃が楽しみにしていた一品だったそうで、彼女は激怒した。子供のしたことだということで叱責されただけで済んだが、今やったら確実に首が飛ぶ。失職するという意味ではなく、物理的にだ。
その一件以来オレは王妃が苦手なのだ。今でも王妃の姿を見ると変な汗が噴き出てくる。小さな男の子にとって憤怒の形相の女というのは非常に恐ろしい存在だった。
「クロンダイク公、どうなさいますか」
「アルジャーノン殿下はいつ戻られるのか」
「さあ……?」
門番は二人揃って首を捻る。いつものことだが息ぴったりだな。喋っているのは向かって右側の方だけだが。しかし、この前は左の方が喋っていたな。
「分かった。ではまた来るよ」
「殿下がお戻りになられたらお伝えしておきましょうか」
「いや、いい」
ひらりと手を振って、踵を返す。
「クロンダイク公」
「うん?」
「失礼ながら、何の御用で……」
左側が口を開いた。
「何でもないよ、世間話さ」
アルジャーノン殿下に謁見できないのなら、報告なしにウィルフリッド殿下の元へ直行した方がいいだろう。車貸しのところで蒸気自動車を借り、思い切りアクセルを踏み込む。
自動車は馬がいなくても動くうえに、速くて非常に便利だ。しかし、この速さでも国境へ着くにはかなりかかるだろう。失策だったか、何か食料でも買ってから出発すればよかった。野宿になるのはほぼ確定なのだから、チェスの襲撃を防ぐためのテントなども必要ではないか。オレの馬鹿! 街から国境までどれくらいかかると思っているんだ。
街を抜け、森に入る。道なき道を強引に走っているが、枝葉が飛んできて危ない。だがそんなことに文句を言っている場合ではない。
森の中には普通の動物達だけではなく獣と呼ばれる者達が住んでいる。彼らが人なのか人でないのかは難しい問題であり、動物の顔をしている者や物言う動物に過ぎない者など形態は様々であるため何を以てしてドミノだと定義しているのか、それはオレの専門分野でないので分からないというのが正直なところである。結局人間も動物なのだが、おそらくドミノというのは普通の動物ではない者達のことなんだとオレは思っている。だから人っぽくない人はドミノであるし、猫っぽくない猫もドミノなのだ。うーん、違うのかな。
ユニコーンを連れてくればよかった。アイツがいてくれればチェスに怯えることもないし、話し相手に……なってはくれなさそうだな。何を言ってもあの鉄仮面に流されてしまうことは普段の経験からよく分かっている。というかアイツが普通のユニコーンだったら乗り回すのにな。車よりは馬の方が乗り慣れているし、おそらくユニコーンというものは普通の馬よりも速く走るだろう。きっとそうだ。けれどアイツはドミノだから人を乗せて走るようなことはしないし、ふざけておんぶをねだったら確実に後ろ蹴りを喰らうことになる。そして表情を全く変えずに言うのだ、「馬鹿なのか」と。
くそっ、何でユニコーンのことなんか考えているんだ。今はウィルフリッド殿下だろ! アイツの鉄仮面を思い出すくらいならエドウィンレベルの無表情のほうが遥かにましだ。というかかわいい女の子が見たい……。
車をかっ飛ばしていると、鳥や虫など小さな生き物たちが慌てて逃げていくのが見えた。森には歩く植物もいると聞くが、微妙に道ができている風に見えるこれがおそらくそうだろう。時々進行方向が開けてくる。
街を出たのは昼過ぎだったが、次第に日が傾き始めていた。しかし日没まではまだだいぶある。もうしばらく走ったところで休むことにしようなどと考えていたオレは、そこでようやく気が付いた。
「どこだここ」
ウィルフリッド殿下が訪れている国境を目指して走っていた。そのはずだったのだが、自分の走っている方角が分からなくなってしまった。なぜか、実に簡単なことである。車に備え付けられている羅針盤が壊れたからだ。オマエ、なぜここで壊れる。いつから壊れていた。
草の少ないところに寄せて車を停める。軽く叩いてみると、羅針盤はぐるぐるとその針を回した。完全に壊れている。
どうしたものかと思案していると、蹄の音が近付いてきた。
「ザック、ここで何をしている」
白馬に乗って現れたのは若い男だ。袖や裾に意味のないベルトを巻き付け、首からゴーグルを下げている。歯車を模したピアスが耳元で揺れた。
「アル」
何を隠そう、ワンダーランド第一王子アルジャーノン・ストレート・ポーカー殿下その人である。お供が何人かいるようだが、少し後ろで控えている。
「殿下こそ何を」
「俺は狩りだ。兎や鳥を数羽」
そう言って後方のお供を振り向くと、お供は麻袋を掲げた。
「ザック……。クロンダイク公は何を」
「道に迷いました」
「どこまで行くつもりだったんだ」
「北東の国境」
奇遇だな、とアルジャーノンは言った。
「俺も今から行くところなんだ。ビルの様子を見にな」
「ああ、その、ウィルフリッド殿下なんですが」
「うん?」
アルジャーノンは馬上からオレを興味深そうに見下ろす。
「ビルがどうかしたのか」
お供達がざわつく。
「ウィルフリッド殿下がジャバウォックに襲われたとの情報が入りまして、オレも今それを確認に行こうと」
「ジャバウォックって何」
「は」
「……。ビルは大丈夫なのか」
「ですから確認に行こうとしたのですが、羅針盤が壊れてしまって」
「車は壊れてはいないんだな。ならば付いて来い」
手綱を引き、馬を動かす。オレは車に飛び乗り、走り出した馬達を追った。
北東の国境に辿り着いたのは二日後。そして、もう日も暮れた頃だった。あと少しで日没だ。
オレ達を待っていたのは整備中の道路でも建設中の基地でもなく、ただただ荒れた土地だった。陸軍の兵士や作業員達が物言わぬ状態となって幾人か転がっている。
「何だこれは。ビル! ビル! どこだ!」
馬から降りて、アルジャーノンが駆け出す。オレも車から降りてすぐに後を追い駆ける。オレの更に後ろにお供が続いた。
仮設の宿舎は突風に煽られたのか、一方向からの力によって抉り取られたような崩れ方をしていた。見たところウィルフリッド殿下の姿はない。
「ビル。ウィルフリッド! どこにいる!」
生存者はいないのか。それともどこかに避難したのだろうか。壊れた宿舎を見て回っていると、倒れた棚の下から物音がした。
「誰かいるのか」
アルジャーノンのお供に手伝ってもらい棚をよけると、中年の作業員が一人這い出てきた。オレの姿を確認して頭を下げる。
「王宮騎士様、お助けいただきありがとうございます」
「構わん。人助けは当然のこと」
「ははあっ」
地面に額を擦り付ける作業員に顔を上げさせる。そのタイミングでアルジャーノンが駆け寄ってきたため、彼はもう一度額を地面に擦り付けることとなる。
「王子様っ」
「面を上げよ。クロンダイク公、彼は何と」
「今聞くところです。おい、ウィルフリッド殿下はどちらへ行かれたのか」
作業員は額を地面に強打した。
「申し訳ありません! 腰が抜けて動けなくなり、吹き飛ばされて棚の下敷きに。殿下の行方は、あっしには……。ただ、何人かは逃げ延びているはず。そいつらに聞きゃあ何か分かるかも……」
と言われてもここまで来る途中でそれらしき集団は見かけなかったな。どこかに隠れているのだろうか。
「おい、この方を」
アルジャーノンに指示され、お供が作業員を背負う。
「生存者の隠れている場所は分かるのか」
「へぇ、おそらくあっちの洞穴に。もしもの時に使おうと殿下が仰られていたので」
作業員の案内でオレ達は洞穴に向かう。確かに生存者はそこに隠れていた。しかし、ウィルフリッド殿下の姿はない。兵士も作業員も、何人か足りないそうだ。まさか遥か彼方まで吹き飛ばされでもしてしまったのだろうか。街まで助けを求めるために数人が出発しているそうだが、徒歩のためまだ着いてはいないだろう。来る時すれ違わなかったので別のルートがあるのかもしれない。
アルジャーノンは動揺を隠せないようで、おろおろとして威厳が消え去っている。
「アル、大丈夫だ。きっと」
「……ザック。ああ、そうだな。無事だと信じてやらなければな」
「アイザック!」
聞き覚えのありすぎる声が洞穴の出入口の方から聞こえてきた。
「ユニコーン、なぜここに」
「やはり来ていたか。ウィルフリッド殿下の居場所が分かった」
「な」
「それは本当かドミノ!」
アルジャーノンに詰め寄られて、ユニコーンは後退る。
「第一王子……。ええ、本当です」
「本当に本当に本当か」
鉄仮面が一瞬ぶれた。コイツ面倒臭いやつだ、という顔だな。
「殿下、このジェラルド報告において嘘を吐くなどということは致しません」
「よし、すぐに連れて行け! 行くぞザック!」
馬に駆け寄り、ひらりと飛び乗る。お供達に生存者達のことを任せて、アルジャーノンは今にも駆け出しそうだ。
「ユニコーン、オマエはオレの車に乗れ」
「クロンダイク公は普段アレの相手をしているのか」
「オマエが言うな」
ユニコーンに言われるまま車を走らせる。後ろから白馬の王子様が付いてくるが、案内しているというよりは何だか追われているような気分になった。




