第二十六面 作り方教えて下さい!
今回の視点はとあるトランプです。
鞄に財布が入っているのを確認し、わたしは外に出ます。
「それでは奥様、行って参ります」
「はーい。いってらっしゃーい」
テラスを下りたところでラミロさんに呼び止められました。
「マミ、頼みたいことがあるのだが」
「何ですか」
「如雨露を買ってきてくれないか」
「お花でも育てるんで」
ラミロさんは首を横に振ります。
「自分用だよ。水浴び用のやつ、壊れてしまってね」
何だかんだでカエルさんなんですよね、彼は。乾いてしまうのが嫌いらしいのですが、実際乾くとどうなるのでしょう。見てみたいですが、大変なことになってからでは遅いので乾燥は大敵です。分かりました。如雨露ですね。買ってきます。
頼んだよー! と手を振るラミロさんと坊ちゃんを抱いている奥様に見送られて、わたしはログハウスを後にしました。
わたしはミレイユ・コントラクト・ブリッジ様に仕える料理番。彼女とピーター坊ちゃん、召使のラミロさん、そして自分の四人分の食事を作ることがわたしの仕事です。けれど、時々胡椒を掛け過ぎてしまうようです。その度に奥様には苦笑いをされてしまいます。奥様にあのような顔をさせてしまうとは、大変申し訳ないといつも思っています。お菓子は上手くいくんですけどねえ。
森を抜け、街に出ます。今日のご飯は何にしましょうか。シチューかな、それともミートパイですかね。ふふふ、奥様喜んでくださるでしょうか。わたしには料理をすることしかできないから、できることでみんなを笑顔にしたいといつも思っているのです。
ぶたのしっぽ商店街を歩いていると、肉屋さんの前に見覚えのある少年が立っていました。何だか元気がないようですね、大丈夫でしょうか。
「クラウス君」
「ふえぇっ!」
そこまで驚く必要はないと思うのですが。うーん、ごめんね。
「なんだ、マミさんか。びっくりしたじゃないですか」
「ごめんなさい。お買い物ですか?」
「はい」
クラウス君はえへへと笑いました。少年というより男の子ですね。かわいい笑顔です。彼は王宮騎士ですが、あまり向いていないと思います。陸軍中将であるお父様や、フランベルジュの名手であるお兄様と比べるとまだまだというか、弱いというか、のんびりしすぎというか。あ、わたし個人の感想ですよ。
「兄貴に何か食べさせてあげようと思って。ずっと部屋に引き籠ってるんで」
そうか、エドウィンは確か自宅待機中でしたね。今日のお昼からの会議で対応が決定されるとのことでしたが、おそらく謹慎処分でしょうね。
クラウス君はお兄様思いの優しい子ですね。どこかの猫と帽子屋とは大違いです。あの兄弟だったら、片方が熱を出して寝込んだとしても指を差して笑っていそうです。あ、わたし個人の感想ですよ! 本当は仲良しってルルーが言っていました。ただ、それも彼女がそう思っているだけの可能性もありますけどね。
「エドウィンは何が好きなんですか」
「えーと、スターゲイジーパイとか」
「それなら肉屋さんではなくて魚屋さんですね」
「あ、そっか」
クラウス君の手を引いて、肉屋さんを後にします。少し進んだところに魚屋さんがあるので、そこで立ち止まります。港から今朝届いたばかりと思われる魚介が並んでいますが、お店の人の姿がありません。どうしたのでしょうか。
「あれれ? 人がいませんよ」
「おかしいですね。いつもは店表にいるのですが」
掲げられた看板には『踊る魚屋・営業中』とあります。
「カドリーユ、いますかー」
声を掛けると奥の方から「きゃあー」という悲鳴と物音がしました。何か落ちたようですが大丈夫でしょうか。クラウス君が驚いて目をぱちくりしています。
程なくして、エプロン姿のロブスターが姿を現しました。
「すみませーん! いらっしゃいませ! お、マミさん! 今日も新鮮なの揃ってるよー」
「おはようございます、カドリーユ。すごい音がしましたが大丈夫ですか」
「積んであった箱が崩れただけ。大丈夫」
やっちゃったー! とカドリーユは頭を掻いています。
「よかった……。えーと、鰊か鰯、ありますか」
「両方あるよ」
そう言って彼女は両手の鋏で魚達を指し示しました。なるほど、どちらも新鮮そうですね。
「へえ、ここの魚屋さん、本当にエビが切り盛りしてるんですね。いつも通りすぎちゃってて、来るのは初めてですよ」
「彼女はカドリーユです。獣ですが、お店を構えているのでここに住んでいるんですよね」
「そうだよー。まあ、あたしみたいなドミノはいっぱいいるからさ。ぶたのしっぽ商店街は特にね」
現在わたし達がいる、ぶたのしっぽ商店街。森から近く多くのドミノが訪れるため、ドミノが経営しているお店も多いのです。彼ら彼女らはしっかりと届け出をしているので特別に店舗兼住宅に住むことが許可されています。城下を回って国民達との交流をしていらっしゃる第二王子ウィルフリッド殿下がこの商店街に訪れない理由はおそらくそれでしょう。あの王子様はドミノも普通の動物も、とにかくトランプ以外のものをことごとく嫌っていらっしゃるので。
クラウス君は興味深そうに魚を見ています。
「鰯下さい」
カドリーユに鰯を渡されると、お遣いに成功した小さな子のように大喜びです。代金を渡し、上機嫌でわたしの方を見ました。
「マミさん! スターゲイジーパイ、作り方教えて下さい! おれ、頑張りますから!」
こんなにかわいく言われたら断ることなんてできるでしょうか、いいえ、できませんね。
「分かりました。お家に玉ねぎはありますか」
「あると思います! さ! 行きましょう行きましょう!」
クラウス君に手を引かれ、わたしはカドリーユに軽く手を振って魚屋さんを後にしました。
黒のクラブ三番地。カザハヤ邸に辿り着きました。
クラウス君が「どうぞー」と言うのでわたしも中へ入ります。お邪魔しますね。
さすが陸軍中将のお家と言うべきか、大きな家です。
「えっとー。パイ生地と、玉ねぎ、ベーコン、ジャガイモ、さっき買って来た鰯。よし、これでいいですよね」
キッチンに着くと、クラウス君は手早く準備をしてしまいました。意外とこういうのに慣れているのでしょうか。男三人で暮らしていて、料理はお父様がやっているのだとばかり思っていました。
「おれ、準備だけはできるんですよ」
……そうですか。
「缶入りのホワイトソースだってちゃんとあります! これ、父さんがグラタン作るって買ってきたやつなんですがたぶん大丈夫です」
「大丈夫なんですか」
「たぶん!」
パイに包む中身を作り、形を整えたパイ生地に広げます。生地を重ねてから鰯を突き刺して、後は焼くだけですね。
「クラウス」
「あ、父さん」
カザハヤ中将がキッチンへやって来ました。
「貴女は確かブリッジ公のところの」
「マミ・ピミエンタです。スターゲイジーパイを作ってほしいと言われまして」
「おれ頑張ったよ! 上手にできた!」
無邪気なクラウス君を見て中将は顔を綻ばせました。
「そうか、よかったな。できあがったら食べさせてくれよ」
「お出掛け?」
「おいおい、言ってあっただろう。エドウィンのことについて会議が開かれるんだ」
「あ、そうか」
クラウス君はしょんぼりした顔になりました。くるくる表情が変わってかわいらしいですが、問題は深刻ですよね。
「兄貴、あまり酷くならないようにして」
「善処するが、他の方達がどう判断するかだな」
いってきます、と言って中将は出かけて行きました。おそらく行先は国軍本部ですね。
「マミさん、パイの作り方教えてくれてありがとうございます。きっと兄貴も喜んでくれます」
「お力になれてよかったです」
カザハヤ邸を後にしたわたしは、ぶたのしっぽ商店街へ戻ります。八百屋さんでジャガイモとニンジン、香り付け用のオオカブリグサモドキを買い、肉屋さんで牛肉を買います。玉ねぎは家にありましたね、確か。よし、今夜はシチューです。ラミロさんに頼まれていた如雨露をお花屋さんで買います。そして、パン屋さんに寄ってお昼ご飯のサンドイッチを買います。これでお買い物終了です。
街から出て、森の中へ入ります。
まさに獣道、という道を歩いていると、前方からすらっとした若い男が歩いてきました。
「ジェラルド、こんにちは」
「マミさん」
「街へお出掛けですか?」
「ええ、まあ、ちょっと」
それじゃあ、と言ってジェラルドは街の方へ駆けて行きました。何だか急いでいるようですね。そういえば、今日はキャシーと一緒ではないようです。そういう日もあるのでしょう。
ログハウスに帰って来ると、テラスに奥様がいました。坊ちゃんの姿が見えないのでラミロさんに任せているのでしょう。
「ただいま戻りました。あ、ニール様、いらしていたのですね」
奥様とニール様は本当に仲良しですね。ふふ、素敵な関係です。あ、わたし個人の感想ですよ。