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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
四冊目 神経衰弱
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第二十五面 今日もきっと変わらない

今回の視点はとあるトランプです。

 好きなこと、面白いこと楽しいこと。嫌いなこと、退屈なことつまらないこと。


 昔から欲しいものは何でも手に入るし、やってほしいことは周りの人間が何でもやってくれた。


 つまらない。つまらない。退屈。退屈。


 今日もきっと変わらない。


「はぁ」


 何回目の溜息かも分からない。


 背凭れに寄り掛かると、おんぼろ椅子はぎぎっという不安になる音を立てた。古さゆえにしなる背凭れに体重を掛け、上体を反らす。変わり映えのない灰色の天井が広がっている。昨日も今日も明日も同じ天井。


 帰りたいな……。


 帰れば父上も母上も、兄弟達もいる。きっと皆がいれば少しは楽しい。僕の退屈を紛らわせてくれるはず。


 こんな辺境で毎日毎日同じことの繰り返し。


 勢いを付けて椅子から立ち上がり、窓に歩み寄る。相変わらずそこに広がるのは鬱蒼とした森であり、ちらと向きを変えてみるとそこに広がるのはごつごつとした岩場である。そして、その先に薄っすらと街らしきものが見える。


「殿下」


 この広い広い大地に向かって僕達は一体何をしようというのだろう。開拓? 開発? 侵略?


 楽しくない。楽しくない。


「殿下」


 森にいるのは汚らわしいドミノばかり。夜になれば影の兵団チェスなんてものが蔓延るのだ。早く街に帰りたい。


「返事をしろ、ウィルフリッド・ペアツ・ポーカー!」

「ひい」


 驚いたな。いつの間にか窓の外に人がいたようだ。考え事をしていると周りが見えなくなるのは僕の悪い癖だ。自分でもよく分かっている。直せ直せといつも兄上に言われているではないか。全く、成長しないな、僕は。


「ごめんごめん、気が付かなかったよ。何か用かな」

「申し訳ありません、殿下を呼び捨てにするなど……」

「話を聞いていない僕が悪いのだから謝る必要はない。要件を」


 窓の外にいた兵士が下げていた頭を上げる。


「皆が待っています。ご挨拶を」

「面倒臭いなあ。そうだ、君、代わりに頼むよ」

「は、私ですか。いえいえそんな、殿下の代わりなんて私には務まりません」


 僕は好きなことだけをしていたいのだ。


 兵士は困ったように眉根を下げる。見覚えがあるな、と思ったら、城で飼っている犬だな。あれは姉上が気に入っているようだが、僕はあの困ったような模様の毛が気に入らない。畜生のくせに何を一丁前に表情を作っているのだ。あれは表情ではなくああいう模様なのだと姉上は言っていたが、僕が畜生を嫌うことに変わりはないのだからどうでもいいことだと思う。


 僕が黙っていると、兵士は更に困った顔になる。何だその顔は。僕に対して何を訴えようというのだ。さっきの呼び捨ては水に流してやるが、その顔は何なんだ。


「もういい、下がれ」

「は、しかし」

「僕の言っていることが聞こえないのかい」


 語気を強めて言うと、兵士は一礼をして逃げるように引き下がった。


 僕は来たくてここへ来たのではない。父上に行けと言われたからやって来たのだ。しかし父上も酷なお方だ。畜生嫌いの僕を森へ送り込み、面倒臭がりな僕に仕事を与え、人付き合いの苦手な僕に皆を纏めるように、なんて。


 早く城へ戻ってお茶でも飲みたい。


 いつになったら戻れるのだろう。ここへ来てからどれくらい経った?


 向こうに見える異邦人バックギャモン達の国はどのような国なのだろう。


 ああ、そうだ。


 きっとそれは面白い。見たことのないものがたくさんあるに違いない。


 僕は異国へ行ってみたい!


「殿下」


 異国にはどのような者達が住んでいるのだろう。兄上は父上と共に訪れたことがあると言っていたが、僕は今のところワンダーランドから出たことはない。人間トランプはいるのだろうか。それとも、皆が獣なのだろうか。トランプでもドミノでもチェスでもない、そういう者が住んでいるのだろうか。


「殿下」


 ここは国境の近くなのだから、行こうと思えば行けるのではないだろうか。しかし、街は薄っすら見えるものの随分と遠くにありそうだ。国境を越えたところで街へ着く前に畜生共に追われて終わる気がする。


「ウィルフリッド殿下」

「ん」


 また知らないうちに人が来ている。


「殿下、とりあえず外に出て来て下さい。皆が殿下を待っています」


 先程とは別の兵士。イライラしているようである。


「さっき面倒臭いからって断ったのだけれど、聞いていないのかな」

「殿下のお仕事です」

「えー」

「子供みたいなこと仰らないでください」

「いいよ子供で」


 子供なら仕事をせずにいられるからね。


「殿下、いい加減に」

「五月蠅いなあ」


 やれやれまったく、仕方ないな。この僕がいないと何もできないのか。


 窓枠に飛び乗り、ジャンプして外に出る。物語に登場する王子様のようではないだろうか。ひらり。格好いいだろう。


 どうだ。と兵士の方を見ると、彼は「さっさとしろ」と言わんばかりの怒りに満ちた顔をしていた。この僕にそんな顔を向けるとは無礼なやつだ。


「殿下が外へ出たー!」

「殿下ー!」

「やっと出てきたのかー!」


 何だ何だ一体……。


 兵士や作業員達がわらわらと集まって来た。やめろ、そんな土塗れで僕の近くに来るな。


「本日も引き続き基地造設と道の舗装作業だ」


 欠伸をしながら隊長の声を聞き流す。


「安全第一! 作業の進行度よりもおまえ達の体が大事だ。体を壊しては作業ができないからな。それでは殿下から何か一言」

「んー。よし、今日も一日頑張ろう!」


 皆が野太い返事をする。はいはい、分かった分かった。せいぜい頑張ってくれ。


 ワンダーランドと周辺の六ヶ国は現在穏やかな関係を維持している。かつて大きな戦いがあったらしいが、僕の知ったところではないし、父上もまだ生まれていなかったそうだから詳しいことは分からない。いや、別に知りたくないし。


 もしもの時のために、ここには軍の基地を作るそうだ。岩場と草原で車などが走りにくいため舗装もするのだという。よくやるな、こんな面倒臭そうなこと。ご苦労様。


 さて、挨拶もしたことだし、僕の仕事は終わりだろう。宿舎に戻って退屈な時間を過ごすとするか。


 ここに来てから毎日同じことの繰り返し。全然楽しくない。最初の頃はあまりにも退屈すぎて死んでしまいそうだと思ったが、死なずに今日まで生きてきた僕は偉いと思う。


 ぼんやりと窓の外を眺めていると、兵士が一人窓辺に駆けて来た。随分と慌てているようだ。軍帽に付いた茶色のダイヤが傾いてしまっている。


「殿下、殿下、申し上げます。大変です」

「何」

「化け物が」


 化け物?


 何を言っているのだろう。もしかして、僕が畜生を嫌っているから獣のことを化け物と言って教えてくれているのだろうか。そうか、この辺りにも獣がいるのだな。それならば早急に対処をしてもらいたいのだが。


 しかし、兵士の慌てっぷりを見るとどうやら獣ではなさそうだ。たかが獣で、国軍人がこれほどまでに大慌てをするだろうか。いや、しないだろう。では、彼の言っている化け物とは何のことだろう。そういえば、先日王宮騎士がバンダースナッチへの対応をミスしたと聞いたな。今日の昼頃に会議をするという情報は得ているが、もしかするとここにもバンダースナッチがいるのだろうか。それならば彼の様子にも納得がいく。


「バンダースナッチの一匹や二匹、これだけの軍人がいるのだからどうにかできるだろう。狼狽えるな、情けない」

「い、いえ、違うのです……」



「ギャアアアアオオース」



 何だ今の音は。


 土煙が上がり、舗装用のレンガや石が飛んで来た。木材が宙を舞う。兵士や作業員達の悲鳴が響く。


 すさまじい風が吹いている。そう気が付いたのは宿舎がみしみしと悲鳴を上げ始めた時だった。仮設のためこの宿舎はあまり頑丈ではない。


 窓辺にいた兵士が真っ青になって逃げだした。おい、待て、僕を置いていくのか。



「ギャアアアアオオース」



 屋根が吹き飛んだ。


「うわっ……。え」


 そこにいたのは黒い影の塊だった。殺気に満ちた赤く大きな瞳。鋭い無数の牙。気味悪く揺れる髭のような、柔らかい角のような何か。探るように空気を掴む長い指。くねくねうねる長い首。太い尻尾。膜のような大きな翼。そして何故かぼろぼろのベストを纏っている。


「殿下、お逃げください。早く……ぐわっ」


 駆け寄って来た兵士が尻尾に弾き飛ばされる。



「ギャアアアアオオース」



「殿下ー!」


 化け物だった。これは化け物だ。他に呼び方が思いつかない。


 黒い化け物は風で周囲を吹き飛ばし、尻尾で兵士達を弾き飛ばし、腕で作業員達を放り投げる。


「ああっ、あ……。く……」


 足が動かない。逃げようとしているのに、動けない。くそっ、動け、動け、僕の足! 逃げるんだウィルフリッド! 兵士なんて、作業員なんて、皆置いて行ったっていい! 自分だけでも助からなくては!


「お、おい化け物! 僕に手を出してみろ、父上の命でたくさんの者達が貴様を退治しに」

「ギャアアアアオオース」

「ひっ」


 楽しくない! 楽しくない! こんなの全然面白くない!


 僕が求めていたワクワクドキドキなスリルは、こういうのじゃない!


 嫌だ、来るな! こっちに来るな!


 化け物は僕のことを見下ろしている。血塗られたような深紅がじっと僕を見ていた。





 化け物は大きく口を開け、今まさに僕に襲い掛か――







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