第二十三面 馬鹿にしてるだろ
今回の視点はとあるトランプです。
スペード、ハート、クラブ、ダイヤ。スートを身に着けた人々が硬い表情で部屋に入ってくる。
石造りで、まるでこれこそが宮殿のようだと評される建物。まさに城壁、といった壁にはところどころ穴が開いていて大砲が筒先を覗かせていた。周囲を囲うように立つ四つの塔には、それぞれスートが描かれた旗が靡いている。
ワンダーランド王国軍総本部。
王宮で王族の警護や王宮の警備を行う王宮騎士に対して、国軍人は国境の警備や国防に関わっている。士官学校に入学しなくとも一般軍人になること自体は可能であり、また、番号はジャック固定ではない。平和なワンダーランドにとって軍備の増強というものはほぼ不要であり、軍人達も普段はカードゲームなどをしながら片手間に任務に就いているというのが現状である。時に平和ボケともいわれるが、争いというものを経験したことのある人々がだいぶ少なくなってきている現在、緊張感を持てと言う方が難しいだろう。
今回、本部の会議室にそうそうたる面々が集められた理由は、とある王宮騎士の失態だった。
彼の騎士の失態とは、対象の管理不行き届き、危険生物の取り扱い方法確認不足、管理対象を負傷させた、というすさまじきものである。
「さて、と……」
全員集まりましたね、と机に置いた軍帽に赤いハートがちゃんと付いているのを確認してから言う。左腕に着けた腕章にはしっかり「♥J」とある。長机を囲む他の面子と比べるとオレは随分と若い。外部にも内部にもオレが一同を仕切っている姿に疑問を覚える者が多い。しかし、軍部を管轄するのは古来より、赤のハートのジャックを継ぐクロンダイク公爵家と決まっている。先代が若くしてこの世を去った二年前、当時まだ十代だったオレが家督を継ぐこととなった。それ以来、オレは結構奮闘している。頑張っている。それでもやはり、まだまだこんな青二才、と馬鹿にされてしまう。
視線が集まる。これにはまだ慣れないな。
「今回の騎士の失態についてですが、何かご意見のある方はいらっしゃいますか」
次々に出てくる意見を書き留める。議事録の作成はオレの仕事ではないが、帰ってから内容を振り返りたいのでできる限り漏れがないように書いていく。
「彼はまだ若いのだろう。将来有望な騎士を失うわけにはいかないな」
「バンダースナッチに挑もうとは無謀な」
「怪我をしたのは鳥会議のオーナーだそうだな」
「あの大烏がなあ」
「深手を負っているとしても街まで下ろして問題なかったのか」
「先の大戦のこともあるしな」
「しばらく鳥共は使いものにはならないな」
「エドウィン・カザハヤは謹慎処分でいいだろう」
「自宅でおとなしく、だな」
「そもそもは眠り鼠が首輪を持ち出したからだろう」
「管理不行き届きだな、全く……」
「居合わせたにもかかわらず管理対象である大烏を負傷させてしまったのもよくないな」
「大丈夫なのか彼は」
「あんな若造に管理を任せて大丈夫なのか」
「帽子屋にいつも手玉に取られていると聞くが」
エドウィンとは個人的な交流がある。あの鉄仮面に相応しい真面目なアイツがこんなことになるとは。コーカスレースから届いた報告書を見た時、オレは自分の目を疑った。オレの言えることではないが、アイツはまだ若い。帽子屋達の管理なんてできているのだろうか。いや、できていないからこうなったのだ。そもそも、正式に騎士になって二年目に入ったばかりの去年、帽子屋達の管理を任されたということがおかしいのだ。
軍と王宮騎士団の上層部会議。もちろん、というのも少し変だが、エドウィンへの意見は厳しいものばかりだ。
国軍本部へわざわざ出向いていただいた王宮騎士団上層部には申し訳ないが、これ以上話してもどうにもならないだろう。お帰りいただくとするか。正直なところ、オレが飽きただけというのが理由である。どうせ話したって碌な答えは出ない。おっさんやじいさんのぐだぐだした意見の出し合いを聞いていたってつまらないのだし。
「新しい管理役を任命した方がいいのかもしれませんな」
「謹慎が解けたところで復帰させるのも心配だからなあ」
エドウィン・カザハヤ。今回の責任を取って一か月の謹慎処分。管理の任については後日詳しく検討会議。
イグナート・ヴィノクロフ。重傷のため特別措置として街の病院に入院。経過観察。
閉会の合図で、お偉いさん達はぱらぱらと退席していく。
「心配ですな」
「気が気でないでしょう」
「相談に乗りますよ」
数人に声を掛けられている将校がいた。騎士ではなく軍人の服装。
「親の顔が見てみたい」
「それでは、しっかりご指導を」
「今後同じことが起きないように」
「監督義務があるんですから」
「ねえ、カザハヤ中将」
会議室に残ったのは件の騎士・エドウィンの父親であるテオバルト・カザハヤ陸軍中将と、書類をまとめていたオレだけだ。中将は神妙な面持ちで溜息をついている。
「カザハヤ中将、ちょっといいですか」
「ああ、クロンダイク公。何ですかな」
「今は誰もいないのでアイザックでいいです。中将に爵位で呼ばれるのはまだちょっとむずがゆくて」
「ははは、慣れは大事だぞアイザック」
ごつごつした武人らしい手で背中をぽんっと叩かれる。痛い。ぽんっではなくバシンッの方が正しかったか……。
中将は巻煙草に火を点けて口に咥える。先端からゆらゆらと紫煙が昇っている。煙草の煙で輪を作れる人とかいるけれど、あれはどうやっているのだろう。喫煙者ではないオレには未知の技だ。中将もできないみたいだが。
「エドウィンの様子はどうですか」
オレが訊ねると、中将は大きく息をついた。一気に煙が吐き出される。オレは目の前にいたので、少し目に染みた。けれどまあ、これくらい問題ない。いつものことだ。分かっているのにこの位置に立っているオレが悪い。
「元気ではないな。失敗したことだけではなくて、見たものもちょっとな」
「見たもの」
「大烏がバンダースナッチに喰われているのを見たらしい。影で隠れてはいたらしいが、その後の大烏の状態もな……」
報告書には首元と肩口を食い千切られたとあった。文面からの想像だけでもかなりのインパクトがある。実際に目の当りにしたら相当なものだろう。それでも平気な顔をしていたというのはさすがコーカスレースオーナーと言うべきか。
うーむ。確かにそれを見てエドウィンが鉄仮面を保っていられるとは思えないな。
「帰ってきてからずっと寝込んでいてな。部屋からもあまり出てこなくてな」
「そうですか」
「心配してくれてありがとうな」
煙草を燻らせながらカザハヤ中将は会議室を出て行こうとする。オレは軍帽を被り、書類をかき集めて後を追う。
「あのっ」
「どうしましたクロンダイク公」
周囲に人がいたため中将の対応が変わる。
「オレ、様子を見に行ってもいいですか」
「お気持ちは嬉しいですが、もう少しそっとしてあげてほしいですな」
「あ……。はい、分かりました」
すまんな、と言って中将は廊下の角を曲がって姿を消してしまった。オレは一人会議室の前に立ち尽くす。親に来るなと言われたのだから子供に会いに行くわけにはいかない。
……どうしたものかな。
書類を抱えてオレは廊下を歩く。
「クロンダイク公」
部屋へ急ぐオレを呼び止めるのは誰だ。
見ると、夏物の薄いコートを羽織った長身の男が立っていた。袖を通していないため、タンクトップから細いけれど筋肉質な腕が覗いている。やあ、と言って上げられた手には指のない黒手袋が嵌められていた。ポニーテールにしてある長い髪が背後で揺れているのが見えるが、何よりも目を引くのは男の額から伸びる一本の角だろう。
「ユニコーン」
「ごきげんよう」
「どうしたんだこんなところまで来るなんて」
廊下にいた軍人達がちらちらとオレ達の様子を見ていた。
「ここは獣が来るところじゃない」
「屋敷に行ったらここにいると言われた。だから来た。何か問題あるのか」
「問題はないけど」
きょとんとしてユニコーンはオレを見つめている。違う、オレを見つめるユニコーンはきょとんとしているように見える。この馬はエドウィンを凌ぐ鉄仮面だとオレは思う。濃い紫色の瞳が無表情な光をちらつかせる。
「今月の報告」
「ここで話すな!」
軍人達がついにこちらを振り向く。ちらちらではない。がっつり見られている。クロンダイク家当主であるオレがこんな獣と一緒にいるところを不思議がっているようだ。
来い、と言ってユニコーンの手を引く。片手で書類を抱きしめて、落とさないようにしながら部屋を目指す。
「クロンダイク公は軍本部に個室を持っているのか。さすがクロンダイク。素晴らしいクロンダイク」
「馬鹿にしてるだろ」
手を離し、ドアを開ける。
「適当なところに座ってくれ」
ある程度分けて重ねていた書類をきちんと仕分けて机に並べる。書類はエドウィンについてのものだけではない。この量を確認するとなると、今日は泊まり込みだろうか。
振り向くと、何を思ったのかユニコーンは部屋の中で一番立派な椅子に座っていた。いや、何も考えていないんだな。そこはオレの席なんだが……。
廊下では落ち着いた態度を取っていたユニコーンが足を組んでふんぞり返る。
「アイザック、話がある」
「何だよ。報告じゃないのか」
「月末でもないのに報告するわけないだろう。馬鹿なのか」
「わきまえろよなー、公爵様だぞー」
「ふん」
周りに誰もいなくなるとすぐこうだ。まあ、昔からの仲だし、仕方ないか。帽子屋達にいいようにされているエドウィンのこと、あれやこれや言えないな。




