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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
二十六冊目 本の虫の積読
232/236

第二百二十九面 だって気になるんだもん!

 公爵夫人はピーターを抱き上げて、目の前の人物がぼくであることを確認するようにもう一度ぼくを呼んだ。


「アリス君。貴方、アリス君」

「はい」

「どうして……。と、とりあえず中に入りなさい。こんな時間に外にいるなんて危ないから」


 久方振りにクロックフォード家に踏み入ったぼくは、玄関に鍵をかけた夫人の後に続く。夫人の肩越しにピーターがにこにこと手を振って来たので手を振り返してあげた。しばらく見ないうちに大きくなったな。なんだか親戚のおじさん……お兄さんの気分だ。もう二歳くらいなのかな。


 リビングの方からは美味しそうな料理の匂いが漂っていた。思わず「いい匂い」と呟いてしまう。


「マミがビーフシチューを作っているのよ」


 そう言って、夫人はぼくをリビングへ案内した。「奥様!」とぴょんぴょんやって来たラミロさんがぼくを見てあんぐりと口を開ける。キッチンから顔を覗かせたマミさんもぽかんとしている。家の主たるニールさんはソファで横になって眠っているようだった。微かに猫耳が動いたが起きる気配はなさそうだ。


 公爵夫人達が総出で家へやって来て夜ご飯の支度の真っ最中だ。……なんで?


「奥様! 奥様! どうして小僧がここにいるんですか」

「アリス君が外から帰って来ることってあるんですか……?」

「私に訊かれてもねー。外に出しておくわけにもいかないから入れてあげたけれど……。貴方、もしかしてアリス君を装った何かで、私達に危害を加えようとかそういうのじゃないわよね?」

「ほ、本物ですよぉ!」


 夫人はピーターを床に下ろす。すると、ピーターは自分の足でてくてくと歩いてラミロさんに抱き付いた。そして食卓テーブルのところまで抱っこで連れて行かれて椅子に座り、テーブルに置いてあった絵本を読み聞かせるようにラミロさんにせがんだ。随分大きくなったんだな。


 鍋の様子を見にキッチンへ戻って行ったマミさんと絵本の読み聞かせをしているラミロさんが離脱し、ぼくは夫人と一対一で向き合う形になった。夫人はちらりとニールさんを見てから、ぼくを見る。


「何があったのか訊きたいけれど、それならニールがいた方がいいわよね。でも、もう少し寝かせてあげて。彼、今日は酷く疲れているようだから」

「ぐっすりですね」

「アリス君も一旦お家に帰った方がいいでしょう? ご家族が心配するわ。夕食後にでもまた来てちょうだい」


 腕時計を確認すると、どうやら今は午後六時半頃らしかった。確かにそろそろ帰らないといけない。どこへ行っていたのかと問い詰められてしまう。


「分かりました。じゃあ、後で」


 リビングを出て、ぼくはアーサーさんの部屋に向かう。人気がないからか、五月にしては少し涼しすぎるくらいの空気が部屋に満ちていた。姿見に触れると、鏡面が微かに波打って波紋が広がった。ここから帰ることができる。少し、ほっとした。





          ◆

          ◇





 午後八時過ぎ。ぼくは再びワンダーランドへやって来た。


 リビングへ向かうと、ソファに座っていた夫人と目が合った。その膝枕でニールさんが眠っている。ラミロさんとマミさん、ピーターの姿はない。


「こんばんは、アリス君」

「こんばんは。あの、ラミロさん達は」

「ピーターを寝かしつけに行ったわ。ニールの部屋に」

「ニールさんの部屋に?」


 飼い主は飼い猫の頭を撫でる。


「一昨日からね、私達ここにいるのよ。……ログハウスが、壊れてしまって」

「えっ」


 豪商のお嬢様でありブリッジ公爵夫人たる彼女が使用人達と共に暮らすログハウスは、見た目からは想像もできないほどの強度を持っている。狼の息で吹き飛ぶ次男の家みたいな見た目なのに、実際には強固な三男の家並みかそれ以上の堅牢さである。そんなログハウスが、壊れた。


 まさか、ジャバウォックが現れたのだろうか。


 ピーターが眠ったと報告に来たラミロさんがキッチンへ向かい、お湯を沸かし始めた。緑色の従者がキッチンでうろうろしているのを軽く目で追いながら、夫人はニールさんのことを撫でている。今のニールさんみたいな状態を泥のように眠るというのだろうな。


「壊れたと言ってもボロボロになってしまったわけではないのよ。ただ、修理をしている間は住めないから……。窓が割れて、壁にも穴が開いてしまって……」

「ジャバウォックに襲われたんですか」

「あら、アリス君そんな怖い顔ができるのね。心配してくれてありがとう。でも大丈夫よ。違うの。一昨日の昼、愚かな強盗が家に来たの。白昼堂々窓を割って」

「大丈夫……だったんですか?」

「丁度ニールが来ていて、彼がやっつけてくれたのよ。壁ごと」

「壁ごと……。壁、壊したんですか……ニールさん……」


 以前「ちょっぴり」本気を出した時にこの家とその周辺が大変なことになっていたけれど、強盗を撃退するために「ほんのちょっと」程度本気を出したのかもしれない。強すぎる。全力だとどうなってしまうんだろう。


 ラミロさんがテーブルにお茶請けを置いてキッチンへ戻る。夫人はクッキーを一つ摘まんだ。ぼくも一ついただこうかな。


「屋敷に行こうかとも思ったのだけれど、主人が『チェシャ猫のところにでもいなさい』と言って来てね。そんなに遠いわけではないけれど、屋敷に行く途中で何かあっても困るものね。今の森は本当に物騒だから」

「物騒」

「強盗が出たのだってそう。みんな不安なのよ。不安だから、普段はしないようなことをしてしまうのだわ。……あら」


 猫耳と尻尾がゆるりと動き、ニールさんが目を開けた。ゆっくり体を起こして、伸びをする。そして流れるような動きで夫人に擦り寄った。背中に腕を回して抱き締めようとするが、夫人に引き剥がされてしまう。


「んだよ……。オマエのために」

「アリス君が見てるから」

「あ? アリス? おぉ、来てたのか。……は? いや。いやいやいや。なんでいるんだオマエ」


 夫人から飛び退いて、ソファから立ち上がって、ニールさんはぼくに詰め寄る。寝起きとは思えない俊敏さだった。


「アリス君、外から帰って来たのよ」

「はぁ?」


 ラミロさんがキッチンからお茶を持って来た。夫人と、ぼくと、ニールさんの分を置いて自身はリビングから退出する。


 どこから説明しよう。ランスロットとクロヴィスさんとの細かいやり取りは話さなくてもいいかな。とりあえず、今日起こった出来事の要点を纏めよう。


 歌を口ずさんだら姿見に引き摺り込まれたこと。辿り着いたのは知らない場所だったこと。居合わせたランスロットとクロヴィスさんが三月ウサギの庭まで連れて来てくれたこと。暗くなった森にチェスが現れて襲われかけたこと。ランスロットが家の前まで送ってくれたこと。おおまかなできごとをニールさんと夫人に話す。


 座り直して話を聞いていたニールさんの眉間に皺が寄って行った。紅茶を一口飲んで、ソーサーにカップを置く。


「さっぱり分からん。どうしてそんなことになった」

「ぼくにも分かりません」

「アリス君が行き来する道は彼の家とこの家を繋いでいるのよね」

「そうだ。他の場所に出るなんて通常ならありえないはずだ。あの鏡は対になっていて、各々を繋ぐ道になっているはずだからな。別の鏡があったとして、それとも繋がっているのなら行ったり来たりなんてできねえだろ。毎回アリスはどこかに飛ばされるし家に帰れなくなる」


 いつもと違うのは、やはり歌だろうか。


「ニールさんと夫人は、この歌を聞いたことありますか」


 ぼくは歌を口ずさむ。骨董品店で白ずくめの女が歌っている歌。くるくるくるり、きらきらら……。姿見に引き摺り込まれてランスロットの元に飛ばされた時の共通点はこの歌だ。


 二人は顔を見合わせた。夫人が首を横に振る。


「ごめんなさいね、聞いたことないわ」

「知らねえ歌だな。その歌を歌ったら姿見が狂ったのか?」

「はい」

「親父の遺した資料に何か書いてあるかもしれねえから少し調べてみるか。メモするからもう一回教えてくれ」


 適当な紙とペンを持って来て、ニールさんは歌詞を書き留める。そしてペンを置くと、小さな声で復唱してから「知らんな」と改めて呟いた。


 ぼくはお茶を飲む。美味しいな、ここで飲むお茶は。クッキーももう一個食べちゃおう。


「何か分かったら……ううん、分からなくてもぼくにも教えてください」

「まぁ教えてやるけど……。待て。ってことはオマエここに来るつもりなのか。アーサーとかなりやり合って負けて引っ込んだんだろ。前にヤマトがなんとかかんとかって言ってた時はオマエがぎゃんぎゃん泣くから連れてってやったけど、もう駄目だぞ」

「だ、だって気になるんだもん! もん! お願い! お願いします!」

「ガキみたいに駄々こねても駄目だ。今のワンダーランドはオマエが思っているよりもずっと危険なんだ」


 ニールさんはにやにや笑いを潜めて言う。


 そうだ。今のワンダーランドは危険な場所だ。武術に長けているわけでもなく、身体能力の高いドミノでもない。そんな非力なぼくがうろうろしていていいような場所ではない。だから、アーサーさんはぼくの身の安全のために「来るな」と言ったのだ。 


 分かっているんだ。みんなが「来るな」と言うのは、ぼくを思ってのことなんだ。


 でも……。


 おかしなジャバウォックはアリスのことを呼ぶし、不思議なチェスもアリスのことを探しているようだ。彼らの様子を見ていると、ぼくの存在が何らかの影響を及ぼしている可能性がある。知りたい。アリスとは何なのか。ぼくは彼らにとって何なのか。それが分かれば今のワンダーランドを押し潰さんとしている不安や恐怖をどうにかできるのかもしれないし……できないのかもしれない……。


 ぼくの好奇心は、閉じられた表紙を前にして今にも抑えられなくなりそうだ。ページを捲って行きたい衝動が止まらなかった。

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