第二百二十一面 嫌いですけど
大型連休が迫って来た頃。
挙動がおかしいままの大和さんが骨董品店へ納品へ行くと言うので一緒に行くことにした。あの調子じゃボロが出てもおかしくないから一人にしておけない。大和さんに人形を作ることはできないけれど、伊織さんが作ってそのままにしてあるものがある。四月の納品分として箱に詰められていたそうだ。
寺園人形店の前で待っていると、お店のロゴが付いている車が横から出て来た。助手席の窓が開き、運転席にいる大和さんがぼくを見る。口元には飴の棒が覗いていた。
「よう人間、おはよう」
「車! 車運転できるんですか!」
「蒸気自動車とは勝手が違うけど、まあどうにかなるだろ。伊織の免許あるから乗れる乗れる」
それはつまり、どうにかならなかった時に被害を受けるのは伊織さんなのでは?
昨夜も全然眠れませんでした! というような目をしている大和さんの運転する車に乗るのは不安だけれど、ここにいる「寺園伊織」は何ら問題なく元気という設定なのでその運転は安全という設定になっている。安全ならば乗るべきだ。本当に安全なのかな。
「街に不慣れだから手伝ってくれるんだろ? 早く乗れよ。取引先を待たせたらアイツの沽券に関わる」
「えっと……。い、伊織さん……今日はよろしくお願いします。お仕事のお手伝い頑張りますね」
「……うん。よろしくね神山君。お兄さん頑張っちゃうぞ!」
「それは伊織さんは言わないですね」
「あぁ、そっか。失敗失敗。気を付けないとね。さ、神山君乗って」
促され、ぼくは恐る恐る助手席に乗り込んだ。座席にはアンティークな柄のクッションが敷かれていた。節句人形を手掛ける人形店の車とは釣り合わなさそうだけれど、社用車ではあるものの主に伊織さんが乗っていたと聞いて納得した。差し込まれている車のキーには蛾のキーホルダーがぶら下がっていて、ダッシュボードの端には空ヶ丘神社の交通安全の御守りが吸盤でくっ付いている。
大和さん、運転できるのかな。というぼくの不安とは裏腹に本人は上機嫌そうにハンドルに手を掛けている。楽しそうにしているけれど絶対に空元気なので信用してはならない。
「シートベルトした?」
「しました」
「よし、じゃあ出発!」
いきなりスピードを出したらどうしよう。ワンダーランドの獣道を走り抜ける感覚で運転されたらどうしよう。身構えているうちに、車はゆっくりと動き出した。大和さんの運転は意外と落ち着いていて、交通ルールもしっかりと確認したらしく安心して乗れるものだった。曲乗りになりそうだなとか考えていたぼくは謝らなければならない。
何件か回ることになっている取引先のメモを確認しながら、ぼくは道案内を務めている。あっちだこっちだと言われると少し運転に迷いが生じているようだけれど特に問題はないだろう。
「上手ですね、車運転するの。もうちょっとこう勢いがあるのを想像していました」
「ふふ。大和はそうかもしれないけど、僕がそんな乱暴な運転するわけないだろう? 君が乗っているし、何より大事な人形達も乗せているんだから」
「や、大和さんは運転ヤバいんですか」
「そりゃそうだろ盗んだ車で警察撒くんだからな」
ここが日本でよかった。ワンダーランドでは絶対に乗りたくない。
大切に運んでいる人形達の行先は皆それぞれである。喫茶店のインテリアになる子や、ドールショップの店頭で持ち主を待つことになる子、新たな契約に繋げるためにおもちゃ屋さんにサンプルとして向かう子。そして、骨董品店でアンティークに囲まれながら持ち主を待つことになる子。
他の配達を無事に終えてから、ぼく達は骨董品店へやって来た。小銭を載せたカエルの置物が座っていて、ピエロの格好をした人形が『OPEN』のプレートを抱えている。このピエロも伊織さんが作ったものらしい。
ドアを開けるとリロンリロンとベルが鳴った。段ボールを抱えた大和さんと一緒に店内に入る。
「いらっしゃいませ。錦眼鏡へようこそ」
出迎えてくれたのはおじいさんではなかった。
「神山君と……伊織、さん……?」
並んでいる骨董品の間から姿を現したのは鬼丸先輩だった。茶色を基調にした雅野高校のおしゃれで落ち着いた制服姿である。日曜日なのに制服?
「へぇ、今月も休日に納品ですか。神山君はお手伝い?」
「お仕事見せてもらってるんです。先輩はこれから学校ですか? 部活?」
「いや、休みだよ。それに帰宅部だし。店番の時に着てる服のボタンが取れてしまったから、代わりに。雅野の制服なら色合いも店に合うからね。……おじいちゃんが物置から戻って来ないのでボクが受け取っておきますね」
先輩は骨董品の間を縫ってこちらへやって来た。段ボールを持ったままぼく達の会話を眺めていた大和さんに両手を伸ばす。箱をくれという催促に大和さんが箱を差し出すと、先輩は箱を持つ手ごと掴んで大和さんのことを引っ張った。ぐっと顔を近付けて先輩は大和さんのことを睨み付けている。
先輩と伊織さんの間には何らかの軋轢がある。詳しいことはどちらからも聞かされていないし、訊く勇気もない。「人殺し」だとか「化け物」だとかの単語が飛び交うので近付かない方がいい。先輩は伊織さんの作る人形が好きだと言っていた。だから作り手にも憧れているのだと。でも、先輩が伊織さんの話をする時はいつもどこかに敵意があるような感じがしていた。
「伊織さん、雰囲気変わりました? ラフなポニーテール珍しいですね。ゴムもシンプルなやつですし」
「えっ……。えっと、ちょっと、イメチェン?」
「髪も全然ケアしてないみたいですけど自慢の綺麗な髪はどうしたんですか?」
「そ、そんなにぼさぼさに見える……? 今日は色々動いたから広がって見えるんじゃないかな」
「あとちょっと目付きが悪いですね」
「寝不足で……。……えっ、悪口?」
赤ずきんとおばあさんのような問答をしばらく繰り返していた二人は寸の間黙って見つめ合う。訝し気に睨み付ける先輩と、押し負けそうな大和さん。修羅場をたくさん潜って来たと思われる大和さんが押され気味なのは伊織さんを演じきっているからか、先輩について詳しくないからか、挙動がおかしい状態だからか。
ぼくは大和さんを助けなければならない。そのために付いて来たのだから。他の取引先では向こうが職人本人よりも人形を見ていたのでどうにか誤魔化せた。けれど、今は違う。ぼくは先輩と伊織さんの軋轢の内容を知らない。下手に口を挟んでぼくがやらかしても困る。
先輩は大和さんの手を離さない。逃れようとする手と逃すまいとする手の間で段ボールが小さく揺れた。
「アナタ伊織さんじゃないですよね」
「ぼ、僕じゃなかったら何だって言うんだい? というか、随分僕に詳しいんだね。そんなに観察するほど好き?」
「は? 嫌いですけど」
「辛辣」
「神山君、この人誰」
「いっ、いいい伊織さんです!」
先輩はじっとぼくを見ている。とても怖い。
「伊織さんです!!」
「そうだよ僕だよ」
「アナタ何者なんですか? 神山君を巻き込んで何を企んでるのか知りませんけど、ボクをあまりからかわない方がいいですよ。ましてやその顔で」
「僕は僕なんだけどな。納品に来ただけなのにこんなに警戒されると思わなかったよ。最近少しスランプ気味で精神的に結構ダメージ来てて、ちょっとくたびれてるんだよね。人間疲れすぎると風貌にも多少の変化が現れるものだよ。君が僕を僕だと信じてくれないのなら、それはそれで仕方ないよね。そう思ってくれて構わないよ。僕は気にしないから」
とてつもなく気持ち悪いものを見た、という顔で先輩は大和さんから手を離した。数歩後退って様子を窺ってから、戻って来て段ボールを掴む。そして大和さんが手を離したのを確認すると先輩は飛び退くように距離を取った。眼鏡の奥の目は警戒を解かないままだ。
先輩が次の動作に移ろうとしたところで店の奥から声がかかった。先輩の名前を呼びながらカーテンを開けて現れたのは真っ白なお姉さんである。白ずくめの女は愉快そうに笑みを浮かべてこちらへやって来た。長い髪が動きに合わせて広がり、別の生き物のように蠢く。骨董品の間に巣食う奇妙な怪物のようにも見えた。
「ねえ栞。おじいさん、まだ探し物が見付からないんですって。私ももう少し一緒に……。あら、アリスが来ているなら声をかけてくれてもいいじゃない」
「アナタに知らせる義務はボクにはありませんが」
「あら、かぐやも来ていたのね」
「レイシー……」
大和さんが呟いた名前に、白ずくめの女は首を横に振った。
「ごめんなさい。本当に知らないの。……それとも、貴方は私のことを知っているの? 私が忘れてしまった私のことを、貴方が」
白い靴が床を蹴る。白いワンピースが広がる。白い髪が揺れる。真っ赤な瞳が残像を描く。
勢い余る形で飛び付いた白ずくめの女のことを大和さんはしっかりと受け止めた。たおやかという言葉すら似合ってしまうようなかぐや姫にそんなことができるわけがない。先輩からの疑いの眼差しはより強くなっているように見えた。
「かぐや。かぐや姫、貴方、私のこと何か知っているの?」
「知りたいのは僕の方なんだよね。貴女のこと、僕に教えてくれる?」
「私は私。……あら? かぐや、貴方……」
白ずくめの女が左手を伸ばした。前髪で隠されている大和さんの顔の右側に白い手が触れる。びくっと身を縮めて半歩下がったのは大和さん本人の動きだろうか、それとも伊織さんとしての演技だろうか。先程の先輩よりもずっと近くに顔を寄せて、白ずくめの女は大和さんの顔を覗き込む。あそこまで近付かれてじろじろ見られたらさすがに人違いだと気が付かれてしまう。義眼が見えてしまうかもしれない。
何か声をかけて二人を離そうか。それとも、先輩に話しかけてみんなの意識を先輩に向けさせようかな。
「貴方、ここに……」
白ずくめの女は探るように手を動かして大和さんの顔を撫でた。
「ここに、何かあるの……?」




