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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
二十四冊目 胡蝶
209/236

第二百七面 もっと顔を見せてくれ

芋虫の話。

 五日間方々を探し回った。北東の森を半分以上見て回ったので俺はかなり偉い。しかし俺が確認できた範囲など微々たるものである。


 伊織はどこにもいなかった。ここまで北東の森を探して見付けられないということは、目標地点から随分と離れた位置に飛ばされたのだと考えられる。


 クロヴィスとランスロットの言っていた人間トランプはおそらく伊織なのだが、チェスの秘密基地がどこにあるのかなど皆目見当がつかないため有力であって有力ではない情報だ。


「お疲れ様。探し物は見付からないみたいね。ところで何を探してるの?」

「大切な物」


 カウンターに置かれたグラスを手に取り水を飲む。今宵の宿はマスターのパブである。昨日は川原の隠れ家でナンパした女の子と夜通し語らったが、彼女から有益な情報を得ることはできなかった。一昨日の女の子もそうだった。世間話も普段は大事な情報なのだが、今はそれよりも伊織の手掛かりがほしいのだ。


 煙管に火を点けて燻らせていると、ブランデーの瓶を持ったヒルデが店に入って来た。既に随分と酔いが回っているらしく、コートの中は盛大に着崩した役場の制服姿である。コートを着ているだけまだマシだ。以前、どこかで脱いで置いてきたとか言い出して、放り投げられた鞄やコートを探してやったことがある。


「ちょっと! 持ち込み禁止よ!」

「堅いこと言わないでよマスター。お! おぉー。カワヒラさんがいるじゃないですかぁ。えへへぇ、ヤマトぉ、会いたかったぁー……」


 ヒルデはだらしない顔で俺に抱き付いて来た。ものすごく酒臭い。


「ねぇヤマトぉ、今日は私のこと離さないでねぇ……」

「そんなに人肌恋しいならシュナプセンにでも行けばいいだろ。蜂とかに相手してもらえば刺激的で仕事の疲れも吹き飛ぶんじゃないか」

「む。あそこは非合法なお店がわんさかあるので、役場の職員としては認めるわけにはいきません。有毒種が溜まった毒を抜く対象や、吸血種が血液を得る対象等に生身のトランプ及びドミノを使うことは禁止されているんですよ。分かってますか? 昔々、本能に抗えなかった彼ら彼女らによって亡くなる人が多発したことがあって、それ以降やってはいけないこととなってるんですー。駄目なんだぞー。だめぇっ。こらぁ!」


 真面目に講釈を垂れるのかと思ったら、徐々に呂律が回らなって来た。挙げ句、抱き付いたまま俺の後頭部をぺちぺちと叩き始める。力の入っていない攻撃は痛くも痒くもないので、俺はおとなしく叩かれながらヒルデのことを抱き返す。


 他の客からの視線が気になるが、ここで俺が手を離すとヒルデは向こうに絡み始めてしまうかもしれない。ボックス席で談笑している高貴なおじ様達に迷惑をかけては役場職員の沽券に関わるだろう。しかし、こんな醜態を晒している時点でもう駄目なのかもしれない。そもそもおじ様達も常連なのでこの景色は見慣れている。役場に行って窓口がヒルデだった時、おじ様達はこの醜態を頭に過らせながら手続きをするのだろうな。お仕事中は真面目だなと思うのか、酒を飲めば駄目になるくせにと思うのか。


 後頭部を叩く手が止まったと思うと、ヒルデは俺の腕の中で眠ってしまっていた。常日頃酔っ払ってはいるものの、眠ってしまうとは珍しい。


「あら、寝ちゃったのね。よっぽど疲れてるのかしら」

「マスター、飯は後でいいよ。こいつのこと寝かせてくるわ」

「後でいいよって、貴方まだ何も注文してないわよ」

「あー。じゃあコテージパイ。ごめん、これ熱くてしまえないから置かせて」


 煙管をカウンターに置き、俺はヒルデを抱き上げる。


「そういえばヤマト、ヒルデちゃんに勧めてたけど貴方も最近南南西に行ってないんじゃないの?」

「探し物が大事だから遊んでる暇ないし……」

「あそこには情報が集まるって言ってたの貴方じゃなかった? 探し物についてもないか分かるかもしれないわよ。あまり大声で行けって言える場所じゃあないけれど……」


 なるほど。どこだどこだと近場から虱潰しに探していたが、あらゆる場所からあらゆる者が集まる歓楽街での情報収集をするという選択肢が欠落していた。情報屋が聞いて呆れる。


 明日は南南西に向かってみよう。





 バタートーストとハムエッグに葉物野菜のサラダで朝食を済ませ、俺はパブを出た。マスターは俺の朝食を作り終えると再び眠ってしまったし、ヒルデも俺の借りている部屋でぐっすり眠っている。太陽が昇り切っていない冷たい朝である。


 獣道を進んで街へ向かう。街の外側を回るよりも、街を突っ切った方が速い。


 誰が街にいて、誰が森にいるのかを把握するため。そしてバンダースナッチ等の侵入を防ぐため。その他諸々の事情で森と街の境界には軍や警察の関係者が配置されていた。街と森を行き来するならば名を名乗れとのことだが、俺が名乗れば即捕まるだろう。この間ヘンリーに出くわした時も、軍人に追い駆け回されながら上手く撒いて街に入ったのだ。一応、ぶたのしっぽ商店街や歓楽街シュナプセン大通り等のドミノが多く出入りする場所に関してはまだ自由な往来が許されているのが救いである。


 とはいえ、街を突っ切って向かうとなると話は別だ。ぶたのしっぽ商店街を抜ける際には名を名乗れと言われてしまう。シュナプセンに入る際も同様だ。また今日も軍人を撒く作業をしなければならない。


「ま、ほどほどに頑張りますかね」


 準備運動として手足と翅を軽く動かして慣らしてから、俺は夜勤明けと早番の軍人二名の前に躍り出た。





 かくして、俺はシュナプセンに辿り着いた。途中で辻馬車を拾ったり、「貴様ヤマト・カワヒラだな!」と警察に追われたりしながら、休憩を挟みつつ移動を続けた。


 懐中時計を確認すると、現在の時刻は午後九時半を過ぎた辺りである。だいぶ頑張った。


「あら、ヤマトじゃない」

「ねえ、今日は私のお店に来てくれるんでしょう?」

「違うわよ、わたしのところよ」

「兄ちゃんは俺の店に酒を飲みに来たんだよな」


 客引きの間を潜り抜け、有毒種や吸血種の集まる店に向かう。受付に座っていた青年が俺に気が付いて笑みを浮かべた。


「やあ、カワヒラさん。久々だね。目の傷は癒えてきたかな?」

「もう大丈夫だと思うけど、あと少し様子を見ようと思う」

「駄目だぜ顔に傷を付けたら。折角の色男が台無しになっちまう」

「俺の美しさはその程度で失われるものじゃない。マーカラは空いてるか」


 ちょっと待ってね、と言って青年はファイルを確認し始めた。


 好き好んで毒を浴びたり血を吸われたりするやつが訪れる店である。非合法な店で勤務している従業員に関しての情報は大事にしまわれている。そのファイルを奪えたらとても使い道がありそうだとは思うが、大事な情報収集の場であるこの店との関係を崩したくはないので今のところ手は出していない。


「うん、今日は来てるけど……」

「けど?」

「新人研修をしてる」

「……は? あー、まあ新人は大変だよな。そうだよな、教えてやらないと……殺すかもしれないし……」

「あ! マーカラさんいたよ。ほらほら、あそこに。新人君も一緒みたい。声を掛けても大丈夫だと思うよ」


 受付の青年が廊下を指し示す。


「マーカラさん! ご指名だよ!」

「はーい! よし、じゃあアンタも一緒に行こう」


 廊下の向こうから歩いて来たマーカラは、客が俺だと気が付くと目を輝かせた。紙束と筆記用具を抱えた男を連れている。顔を伏せている男はおとなしそうな雰囲気であり、歓楽街にいるのが場違いのように感じられる。


 俺は受付に軽く礼を言って、向かって来る二人に歩み寄る。


「よう、マーカラ」

「いらっしゃい」

「新人研修だって? その男、あまりこの店っていうかこの大通りに縁がなさそうないい子に見えるけど」

「まあ、事情があってね。アンタの言う通りお客の相手はできないけれど、代わりに経理を手伝ってもらってるんだ。今は店内を案内してたところ。ここ結構広いだろ? 少しずつ見せててさ」

「……めちゃくちゃ見たくなさそうにしてるけど大丈夫なのか。いじめじゃないか? アンタも何があったのか知らないけど、好きじゃないならこういう店には……」

「ね、イオ。この人がうちの上客だよ。アタシの大事な常連さんだ。とっても美味しいんだから」


 イオ?


 マーカラの後ろに隠れるように立っていた男が、背中を押されて一歩前に出た。艶やかな長い黒髪を肩の辺りで纏めている。青い瞳がおっかなびっくりといった様子で俺のことを見る。


「あ……。あの……初めまして、イオ、です……」


 俺と同じ顔をしている。髪型や服装は違えど、目の前の男は手紙に同封されていた写真の男とそっくりだ。


 自分がどんな表情になっているのか分からない。嬉しいのだろうか、驚いているのだろうか、喜んでいるのだろうか。感情すらも分からなくなりそうだ。


 思わず、俺はイオと名乗る男の手を掴んでこちらに引き寄せた。男の抱えていた帳簿の写しが床に落ち、マーカラが驚きの声を上げる。


 もっと顔を見せてくれ。


 オマエは……。


「伊織……!」






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