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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
二十三冊目 届けたい気持ち
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第百九十四面 この表紙を捲ることはできない

 ぼくは今日、倒れているニールさんを見付けて、慌てて公爵夫人の元へ知らせに向かった。その際、玄関のドアはしっかりと閉めて鍵を掛けたはずである。しかし、激しい戦いの末に歪んだ家はドアのことを受け入れてくれなかったらしい。鍵は掛けた。ところが、ドアが閉まっていなかったようだ。


 その結果、風によってドアが大きく開いてしまった。そこへ大和さんが通りかかって家の中に入る。


「風が吹いたと思ったらドアが閉まって、押しても引いてもうんともすんとも言わねえんだよ。鍵は掛かっていなかったはずなのに、いつの間にか掛かってたんだよ。窓から出てもよかったんだけど、凍ってるのか歪んでるのか窓も開かねえし、かといって人の家の窓を割るわけにもいかねえし。なんか、被害の甚大さがよく分かる……」


 大和さんが家に入った直後、ドアはぴったりと家に嵌まった。そして無事に施錠もされてしまった。


 ぼくは壁に立て掛けてある外れたドアを見遣る。ドアだけではなく窓も歪んでいるとなると、いよいよ家のことが心配になってくる。このことは早急にニールさんとアーサーさんに伝えるべきである。書置きを残しておけばいいだろうか。


「このままじゃ寒いし、とりあえずドアは閉めたいです」

「そうだな。……よっと、こんなもんでいいかな」

「歪んでるから隙間風は仕方ないです。えっと、ありがとうございます。……あの、それで? 何か用事があったから家に入ったんですよね。まさか本当に泥棒……!?」

「んなことするわけないだろ。人の物は盗らねえよ。それこそ、信用に関わるからな」


 大和さんは煙管を取り出してマッチで火を点けた。ぷかぷかと燻らせながら廊下を歩いて行く。青く煌めく翅を追ってぼくもリビングに入った。


 暖炉に火は燃えていない。ひんやりとした空気で満たされている。


「可能ならば、そして、アイツ自身が望むならば……。伊織をこちらに連れてくることはできないだろうか。まだアイツに少しずつ話を伝えている段階だろうから急かすつもりはないけど」

「訊いてみますね。……でも、あの、ちょっと難しいかもしれません」


 大和さんは煙管から口を離す。紫煙がふわりと漂った。


「ぼくが、こっちに来られないかもしれなくて……。危ないからしばらく来ないようにってアーサーさんに言われたんです」

「……それは君の事情だろう。有主君と帽子屋さんの間の約束だ。伊織には関係ない。もしもアイツがこちらへ来れば、俺が片時も離れずに守ってやるのだから心配はいらないさ。……正直、会いたいかと言えば会いたいけどそこまで熱心じゃあなかった。けどよ、伊織が生きてるってことを伝えた時の父さんの喜んだ顔を見たら、会わせてやりたいと思っちまって」


 お父さん思いなんだな。


 確かにワンダーランドに来るなと言われたのはぼくだけだし、ぼくとアーサーさんの間で交わされた個人の約束だ。他の人のことをぼくがこちらに送り込むことは構わないのかな。いやいや、人を危険な場所に放り込むやつがあるか。


「うーん……」

「強引に連れて来いとは言わない。アイツが行きたいと言ったらそれに答えてやってほしい」

「んー。分かりました善処します」


 大和さんがいつ何時でも守ってくれるならば安心してもいいのだろうか。そもそも伊織さんは半分(ドミノ)なのでチェスの攻撃対象ではない。アーサーさんのように人間トランプに間違われる可能性はかなり高そうだから、そこだけが心配だ。それと、バンダースナッチ。


 もしも伊織さんがワンダーランドへ行きたいと言ったら、ぼくは彼のことをこちらに案内していいのだろうか。そうするべきかも、と思っていたけれど今は状況がよろしくない。慎重に考えなければ。


「君は何かしらの手段でこちらに来ている。自分が来なくても、手紙とかメモとかを投げ込むことは可能だろうか」

「たぶん」

「それじゃあ、何かあったら文にしたためて送ってくれ。出入口を時々確認するようチェシャ猫さんに伝えておけばいいだろう。手紙が来ていたら俺に届けるように、って。マスターのパブに届けてくれればいいよ」

「分かりました」


 よろしくな、と言って大和さんは煙管を咥えた。


 帰る前に、家のことを書置きしておかないと……。





          ◆





 冬休みが明け、三学期になって数日が過ぎた。ワンダーランドに行けない日々を悲しみに満ち溢れながら送っているけれど、なんとか耐えていてぼくは偉いと思う。


「有主、今日放課後空いてる?」

「今日は図書局の当番がある」

「お、そっか。じゃあまた今度にしようかな」

「ん。何? 何かあるの?」


 昼休み。読書中のぼくを妨害してきた琉衣は細長い封筒のようなものを手にしていた。ギフトカードなどが入れられているものだろう、おそらく。


「懸賞でカード当たったから本でも買いに行こうかと思ってさ。おまえと一緒に買いに行こうかと」

「んと……。じゃあ今週末、土曜日でどうかな」

「土曜日な! ぐへへ、美千留にも何か買ってやろうっと。ふへへへ」


 上機嫌な琉衣が自分の席に戻っていく。


 放課後だって、休日だって、暇さえあればワンダーランドへ行っていた。璃紗や琉衣と出掛けることは稀にあったけれど、それもほんの僅かな時間に過ぎなかった。これからしばらくの間はそちらの時間の方が増えるんだろうな。幼馴染と過ごす時間は大切なもので大好きだ。でも、どこか寂しさを感じる自分がいた。


 自分の中でワンダーランドが占める割合は随分と大きくなっていたらしい。きっとこの寂しさは、ぼくが閉じ籠っていた時に璃紗と琉衣が感じていたものと似ているんだろうな……。


 ぼくは栞を目印に閉じていた本を開く。





「神山先輩、何読んでるんですか?」

「『オペラ座の怪人』」

「ミュージカルで有名なやつですよね。へえ、それが原作……」


 寺園さんはぼくの手元を覗き込んだ。動きに合わせてサイドアップが跳ねるように動く。今日はかわいらしいピンク色の花柄のシュシュで纏めているようだ。


「ぼくの読んでいる本が気になるのは分かるけれど、仕事をおろそかにはしないでね」

「もちろんです!」


 そろそろ返却棚に本が溜まってきた頃だろうか。ぼくは本を閉じ、カウンターの外に出る。返却棚から本を取り出し、その情報をパソコンに入力するのが今日の仕事だ。まだまだ鬼丸先輩のようにてきぱきとはこなせないけれど、少しずつパソコンも上達してきている気がする。


 貸出手続きを行っている寺園さんをちらりと見ると、目が合った。えへへ、と笑う彼女も随分と成長したよね。すっかり頼れる図書局員だ。なんて、自分も今年から図書局のくせに生意気かもしれないけれど。


「それ、そのデータ打ち込み……本と貸出カードのバーコードと連動させて管理できないんですかね……」

「ぼくにはよく分からないな……。でもその方が楽だとは思う。けど、局員いらなくなっちゃうよ?」

「うーん、そうなんですよねー」


 返却された本の中に『不思議の国のアリス』を見付け、ぼくは思わず手を止めてしまった。


 あの後、みんなはどうしているのだろう。家の状態は悪化していないだろうか。ニールさんは退院したのかな。コーカスレースもチェスハンターも仕事に追われて大変そうだよね。街に被害は出ていないのだろうか。アーサーさんは大丈夫かな。


「先輩……。先輩っ」

「はわぁっ」

「どうしたんですか、ぼーっとして……」

「ちょっと考え事を」

「仕事をおろそかにしちゃ駄目、ですよ」

「うん」


 後輩への忠告が自分に返ってきてしまった。気を付けなければ。


「寺園さん、当番が終わった後話があるんだけどいいかな」

「いいですよー。じゃあ、それまではお仕事頑張りましょう!」


 寺園さんと伊織さんが秘密を打ち明けてくれた日から、時間を見付けてはちょこちょこと寺園人形店を訪ねていた。一気に情報を伝えると伊織さんがパンクしてしまうから、少しずつ話をしてきた。次はいつ訪ねるか、この後寺園さんと話をしよう。ワンダーランドのことをはっきりと言うことはできないけれど、大和さんが少し危ない場所で仕事をしているということは早めに伝えた方がいいかもしれない。


 図書室の開館時間はまだ少しある。残りの時間もしっかり仕事をしないと。


 データを入力し、『不思議の国のアリス』を入力済みの他の本達に重ねる。今はまだ、この表紙を捲ることはできない。次に捲る時に覚えるであろう喜びを想像しながら、ぼくは本からそっと手を離した。






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