第十八面 ここは人間の来るところじゃあないよ
回れ回れ、歪な歯車。
迷え迷え、時の中で。
踊れ踊れ、繋がれたまま。
歌え歌え、古の詩。
動き出すのは何?
♣
時々振り向いてちゃんとぼくが付いて来ているか確認はしているけれど、エドウィンはずんずん進んでいってしまう。ぼくが一緒に行く意味あるのかなあ。
「エドウィン」
「どうした。休むか」
「……ナザリオがそんなに遠くに行くかな。ずっと寝惚けてるみたいな感じなんだよ?」
エドウィンは大岩の上に飛び乗って遠くを見る。ぼくから目を逸らしたようにも見えた。
フランベルジュの柄に手を載せ、遠くを眺めている。夏の日差しを浴びて軍服の装飾がきらきら光っている。柄から手を離すと軍帽を深く被り直し、大岩から下りてくる。感情を移さない緑の瞳が鍔の陰で鈍く光った。
そのまま何も言わずに歩き始める。
何だよー、今の。
睨まれたような気もするけど、睨まれるようなことしたかな。
エドウィンと公爵夫人はワンダーランドの中では数少ないぼくと交流のある人間だ。ブリッジ公は一回会っただけだから交流があるとは言えないかな。
エドウィンはよく猫と帽子屋の家に来るから結構会うし、公爵夫人と比べると歳が近いこともあってそれなりにいい関係だと思っている。友達ってわけではないと思うけれど、ほら、タメ口で話せてるし。
ストレートで士官学校を卒業して王宮騎士として頑張っているって、結構エリートだったり、いい家の出だったりするのかな。それに、帽子屋やチェシャ猫の管理をしているらしいけれど、具体的にどういうことをしているのかはぼくの知るところではない。人間としては獣はチェスへのほぼ唯一の対抗手段であるし、適当に放り出しておくわけにもいかないのかもしれない。ただ、管理って言い方が気になる。ラミロさんやマレクさんは管理されているのではなく仕えているし、公爵の屋敷の前で会った蝶は風来坊だという。管理されているのはクロックフォード兄弟とルルーさん、そしてナザリオ、というわけなのかな。他にもいるのかもしれないけれど、管理されるのとされないのとでは何が違うんだろう。
木が少なくなり、岩がごつごつとしてきた。ちょっと足場が悪い。
「森と言っても、街ではない地域はまとめて森と呼ばれているんだ。例えそこが岩場でも、地域的には森なんだ」
「何だか紛らわしいね」
「文句は国の上層部に言ってくれ。……無理か」
「ナザリオがこんなところまで来るかなあ」
エドウィンは再び黙る。この質問はしてはいけないのだろうか……。
「うわ!」
「うおっ?」
急に立ち止まったのでぶつかってしまった。
「うう……」
「すまん」
「大丈夫……」
エドウィンは屈んで何かを拾う。
何だろう?
後ろから覗き込むと、ほら、と見せてくれた。大きな茶色い羽根だ。大きいというか、大きすぎる。目分量で三十センチはありそうだ。こんな羽根を生やした巨大な鳥がこの世界にはいるんだろうか。
立ち上がり、羽根を空にかざす。風に煽られてエドウィンの指先でひらひら揺れているけれど、やっぱり大きい。ひらひらというより寧ろばさばさか。
「近くにいるみたいだな」
「ナザリオが?」
エドウィンは答えずに大岩に上り、ぼくに手を差し伸べる。引っ張られるまま岩に上る。
「わあ……」
岩に囲まれた広場があった。広場には申し訳程度の草が生えているだけで、あとは土だ。そして、そんな広場に人影がちらほら。
眼鏡をかけた学者風の男の人。杖を携えたおじいさん。日傘を差したマダム風の女の人。元気のよさそうな少女。お嬢様風の大人しそうな女の人。痛そうに腰をさすっているおじいさん。RPGの勇者のような格好をした男の子。封筒のはみ出たメッセンジャーバッグを肩に掛けている女の人。中央で偉そうにふんぞり返っている金は持っていそうな嫌味な感じの男。
おかしな集まりだと思う。けれど、もっとおかしいのは彼らが揃いも揃って翼を生やしていたことだ。茶褐色。灰色。白。緑。黄色。茶色。茶色。灰色。黒。色とりどりの翼が彼らの背に畳まれている。
小さい頃から本ばかり読んでいた。そんなぼくが何度も何度も読んだのが『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』で、だいたいの内容は頭に入っている。さすがに全部の台詞を言えますとかそういうレベルには達していないけれど、この面子を見ればあるシーンが思いつく。誰が何かはよく分からないけれど、こんなに鳥がいるんだからおそらくコーカスレースだ。水に流されたアリスと動物達が会議を始める場面。鳥を始めとしたたくさんの動物が参加するのだけれど、ここにいるのは鳥だけのようだ。
「エドウィン」
黙っていた鳥達の中でぼくらに気が付いた嫌味な感じの男が声を出した。周りの鳥達も揃ってこちらを向く。鳥の目ってちょっと怖いなと思うけれど、みんな顔は人だったからそういう怖さはなかった。その代わり、大勢の人に見られるという人間的な怖さがあった。
嫌味な感じの男が輪を抜けてこちらに歩いてきた。
男は細い銀色の刺繍が入ったスーツ姿で、金色の腕時計をし、指輪をいくつも嵌めていた。まさに嫌味な金持ちといった風貌だ。日光を反射して青にも緑にも見える黒い翼が煌めく。
「どうしたんだい。ここは人間の来るところじゃあないよ」
エドウィンは岩の上から鳥達を見下ろしている。フランベルジュの柄に手を載せ、右足に重心を乗せて立つ。
「会議中すまないな。眠り鼠を知らないか」
知っているかい? と嫌味な男が他の鳥達を振り向く。鳥達は首を横に振る。
「知らないってさ。ん。んん? 一緒にいる子は? クラウスではないようだけれど」
「知り合いの子供だ。将来騎士になりたいと言うから森の案内も兼ねてな」
キャシーさんに会った時、公爵夫人はぼくのことを親戚の子と紹介した。そして今、エドウィンに知り合いの子で将来騎士と紹介された。世を忍ぶこの世界のぼくは一体この先どうなってしまうのだろう。
嫌味な男は興味深そうにぼくをじろじろ見る。
「そうなんだ。ま、そういうことにしておいてあげるよ」
「レイヴン、本当のことを言った方がいい。オレをあまりじらすなよ」
「うーん、君はとても鋭いよね」
でも、と言って嫌味な男は目を細める。翼が広げられ、次の瞬間嫌味な男はエドウィンの目の前にいた。左足だけを岩に乗せ、上体をぐっとエドウィンに近付ける。
「私のことも侮らない方がいい」
「な……」
エドウィンが後退ろうとするのを翼で妨げ、肩を掴む。
「誤魔化そうとするなら、スートくらい着けさせた方がいい」
嫌味な男はちらりとぼくを見る。
「君、人間だけどトランプじゃないだろう」
「え……」
「黙っててやるから安心してくれたまえ」
岩を蹴り、嫌味な男は広場に舞い戻る。着地すると翼を畳み、他の鳥達を見回す。
エドウィンの方を見ると、渋い顔をしていた。ぼくの視線に気付くとすぐにいつもの冷静そうな顔になる。
「エドウィン……」
「アイツは大烏、イグナート・ヴィノクロフ。鳥達の組合のオーナーだ。詳しいことは後で説明する」
鳥達が改めてぼく達を見る。
イグナートさんが恭しく頭を下げた。
「ようこそ、羽繕いの広場・鳥会議へ。君達からのご依頼は何かな?」
まるで特撮ヒーローのように鳥達がポーズをキメた。




