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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
二十二冊目 歪な子守歌
182/236

第百八十面 これからたくさん

 ある日のことである。


 すっかり赤と緑に彩られている商店街を抜けて、絵本に出てくるような街並みに踏み込む。


「いらっしゃい、アリス」


 リロンリロンとベルが鳴る。骨董品店を訪れたぼくを出迎えてくれたのは白ずくめの女だった。店主のおじいさんの姿も、鬼丸先輩の姿も見当たらない。


 純白のワンピースを纏って鍔の広い帽子を被った白ずくめの女は、ぼくのことを見て微笑んだ。血のように赤い瞳が白の中に浮いている。


「待っていたのよ、貴方のこと」


 彼女はぼくの手を掴んで自分の方へ引き寄せた。白くて冷たい手でぼくの顔を包むようにして顔を近付ける。


「アリス、私は――」





「いってぇ……!」


 ベッドから落ちた。


「うぅ。痛いよう……」


 やけにリアルな夢を見ていた気がする。誰かに何かを言われたような気がするけれど、目が覚めると同時に曖昧になってしまった。なんだろう。なんだったっけ。


 階段を昇ってくる足音が聞こえて、ドアがノックされる。


「有主、今すごい音がしたが大丈夫か」

「大丈夫」

「そうか」

「あっ、待って待って。待ってお父さん」


 タオルケットを引き摺ったまま、ぼくはドアに歩み寄った。そっと開けると、階段を降りようとしていた父がこちらを振り向いて待ってくれていた。手には新聞を持っている。読みかけだったのか、雑に畳まれている。


「おはよう、有主」

「おはよう。ねえお父さん、訊きたいことがあるんだけど」

「ん? それなら下で聞くよ。早く着替えて降りておいで」


 じゃあ、と言って父は階段を降りて行った。今日は土曜日だから家にいるのかな。それなら急がなくてもよさそうだね。朝ご飯を食べてから訊いてみよう。


 タオルケットを引き摺りながらクローゼットを開ける。


 ぼくが父に訊ねたいのは、寺園人形店の息子についてである。すなわち伊織さんだ。いきなり本人に色々質問するのが怖いなあ、などと怖気づいてしまいそうなので先に外側から話を聞いてみようと考えたのだ。


 知ってるかな。どうだろう。


 知らなければ知らないで、それはそれで情報の一つになるから問題はない。


 パジャマから着替え、ぼくは一階へ下りた。顔を洗ってから居間に向かうと、食卓に着いて新聞を広げていた父が改めて朝の挨拶をしてきた。ぼくも改めて、そして母へ同時に挨拶をする。


「おはよう」

「おはよう、有主」





 食後、ぼくは父の書斎を訪ねた。踏み込んだ途端床に落ちていた何かを蹴飛ばしてしまった。


「あわぁ、ごめんなんか蹴った……。うぎゃひぃ」


 拾おうとして屈んだぼくの視界に飛び込んできたのは首の抜けた着せ替え人形だった。大きくて睫毛がたくさんついた目が悲し気にぼくのことを見上げている。体の部分には淡い緑色のワンピースを着ている。


 段ボール箱をひっくり返していた父がぼくの来訪に気が付き、四角くて茶色い山からひょこっと顔を覗かせた。


「いやぁ、ごめんごめん。ちょっと片付けてて」

「話があるって言ってあったでしょ。あとこれ怖いんだけど」

「あぁ、試作品のやつだねー」


 ぼくは着せ替え人形を拾って近くにあった段ボール箱に入れる。箱の側面には『AIZAWA』とロゴが描かれている。


 星夜市に本社を置く大手おもちゃメーカー相澤コーポレーション。街の小さなおもちゃ屋さんだった頃の名残と親しみを込めて相澤玩具の名前で呼び続けている人も多い。そんな相澤玩具で働く父の書斎には試作品やら完成品やら、色々とおもちゃが段ボールに詰められて置かれていた。ぼくも小さい頃は試作品のモニターをやらされていたらしいけれどほとんど記憶にない。おもちゃよりも絵本に熱中していたし。


 父は段ボールをよけてクッションを床に置いた。これもおそらく相澤の商品だろう。何やらかわいらしい動物のキャラクターが描かれている。動物さんの上にお尻を置くのは申し訳ないけれど、クッションなのだから彼らは敷かれる定めなのだ。


 ぼくがクッションに座ったのを確認して、父は椅子に腰を下ろした。


「有主、話って? 学校で何かあったのか」

「ううん、学校は楽しいよ。合唱コンクールも上手くいったしね。随分と慣れてきたと思う」

「そうか、頑張ってるんだな」


 じゃあ何? と父は問う。


「寺園人形店のことを訊きたくて」

「あぁ、図書局の後輩が寺園さんのところの娘さんだって言ってたな」


 相澤玩具は小さなおもちゃ屋さんだった頃、同じ星夜市で古くから続いていた寺園人形店から人形を仕入れたり、商品開発のアドバイスを受けたりしていたそうだ。全国で名を知られる大企業になった今でも相澤と寺園の良好な関係は続いている。ぼくが父に伊織さんについて訊ねようとしたのは、これが理由だ。


 父は崩れてきたおもちゃの山を積み直している。


「息子さんの方について訊きたいんだけど」

「息子さん? ドール作家の伊織君だったよね。さっき有主が蹴った着せ替え人形の製作にも実は関わってもらっててね。あっ、これはオフレコで頼む。伊織君、まだまだ若いのにとてもいい人形を作るから社内にもファンがいるらしいけど……」

「その伊織さんのこと、詳しく知ってる?」

「詳しくとは? 有主も会ったことあるんだろう。ほら、夏休みに引率してくれたんじゃなかったか」


 ぼくは床に転がっている飛行機のおもちゃを段ボールに入れる。


「えっと、昔のこととか? んと、いつ頃からお人形をいじり始めたのかな、とか……」

「なんだ、そんなことなら本人に訊けばいいじゃないか」

「ちょっと訊くの恥ずかしいというか……」

「そういう話はあまりしたことないけど、小学校高学年くらいの頃から店の手伝いをしていたよ。その頃から既に人形には興味があったんじゃないかな。……そういえば中学生くらいから時々店番をしながらうたた寝するようになったけれど、勉強やら何やらが忙しくなったんだろうね。有主も勉強頑張るんだぞ」


 流れで勉強するように言われてしまった。勉強自体は嫌いではないし成績はそこそこを維持しているからこのまま頑張ろうとは思っている。


 ぼくが頷くと、父は満足気に微笑んだ。両親は「いい成績を取れ」と圧力をかけてくるようなタイプではない。純粋にぼくのことが心配だから「勉強しようね」と声をかけているのだ。去年不登校を重ねた期間はもう戻らない。遅れた勉強を追い駆けて追い駆けて、今はみんなと一緒に授業を受けることができている。置いて行かれて、うんうん唸りながら璃紗と琉衣に勉強を教えてもらったのを知っているからこそ、また置いて行かれては困ると、それが原因でいじめられたらどうしよう、もしそれでまた引き籠ってしまったらどうしようと、怯えているのだ。


 本当に心配と迷惑をかけてしまった。お母さんにも、お父さんにも。これからたくさん恩返しをしていかないと。


 そう思いつつも今こうして父を利用しているので、この分は今度コンビニスイーツでも買って貸し借りなしにしてもらおう。


 おもちゃの山から再び転がり落ちた飛行機を父は拾い上げる。


「他に何かお父さんに話はあるのかな」

「今日はとりあえず伊織さんのことを訊きたかっただけ。えっとね、このお礼に新作のコンビニスイーツを買ってきます」

「はは、大層なお礼だな。いいよそんなの。こっちこそ着せ替え人形の口止め料に有主に本を買ってあげたいくらいなんだから」

「へえ、そんなに気合入ってる人形なんだ。いいのができあがるといいね」


 仕事が上手くいったと喜ぶ父を見ることができたらぼくも嬉しい。素敵な着せ替え人形ができますように。……けれど父は製作部の人間ではないはずだ。なんというか、色々な部に顔を出しているな父は。本当の所属はどこなんだったっけ?


「……両方兼ねて今度一緒にお茶にでも行こうか」

「おー。わくわく!」

「お母さんには内緒でな」

「えへへ楽しみ」


 動機は不純だけれど、父とゆっくり話せてよかったな。次は何かもっと別の、ぼく自身の話をしよう。母とは平日でもよく話すけど、父は土日くらいしか長時間会えないし、休みの日でも忙しいことがあるから……。


 父はおもちゃの片付けを再開した。次の休みの日、それともその次だろうか。まだ見ぬ父との休日を想像しながら、ぼくは書斎を後にした。




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