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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
二十二冊目 歪な子守歌
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第百七十七面 ガキが見ていいもんじゃない

 ドミノ人間トランプにはない戦闘力を持っている。それはヒトの体に他の動物の特徴を宿しているからである。武器を持って戦うことのできる自由な手と二足歩行できる足、そこに加えて瞬発力や持久力、跳躍力を生み出す人間離れした組織を持つドミノは時としてトランプの脅威となる。


 鋭い牙や爪、空を飛び回る翼。哺乳類や鳥類の特徴を持っている者は数も多く、特に強力だ。その他の脊椎動物の特徴を持つドミノはヒトの形を持っていない者も多いが、その分体に大きく現れている動物の能力が非常に高い。敵に回せば厄介な相手になるだろう。


 そして、虫のドミノ。戦闘力をやや抑えた分、彼らが手にしたのは生命力だった。翅や角の負傷は眠れば治る。


 青い光が秋空に散った。


「大和さんっ……!」


 ぼくを庇ってジャバウォックもどきの前に躍り出た大和さんは、振り降ろされた爪に翅の端っこを持っていかれた。千切れた部分から鱗粉が舞う。


「オマエ、あの時のやつじゃないな」

「ギャアアアアアアアァス! アリス! アリス! アリスぅぅぅぅ!」

「なんだか知らないけど錯乱してるみたいだな。長居は無用!」


 羽織を翻し、ぼくのことをひょいと小脇に挟んで飛び立つ。このまま逃げ切れるかと思った矢先、ぼくは川原に落とされた。超低空飛行だったため怪我などはしていない。


 へぶう、とかいう格好悪い声を上げて落ちたぼくはすぐに起き上がった。風に煽られたわけでも、ジャバウォックもどきに攻撃をされたわけでもない。大和さんがぼくのことを離してしまったのだ。なぜ離したのか、なぜ落とされたのか。それはすぐに明らかになった。


 三メートル程先に大和さんが蹲っている。やはり目が痛いのだ。痛くて痛くて、ぼくを抱えて飛び続けることができない。


 ジャバウォックもどきがまだバンダースナッチの破片をいじって留まっているのを確認し、ぼくは大和さんに駆け寄る。


「わ、悪い……。怪我してねえか……」

「ぼくは平気です」

「そうか……。うっ……ぐぅ……」


 指の隙間から血が伝っている。


 蹲って小さく震えている背中をさすってあげることしかぼくにはできない。こんなことで痛みが和らぐとも気持ちが落ち着くとも思えないけれど、他にできることなんてない。


「やっこさんがいつ動き出すか分からねえ。離れないと……。あぁ……っ」


 立ち上がろうとした大和さんがバランスを崩した。自分の背負っている翅の重さにすら振り回され、川原に倒れ伏す。呻き声を発することさえも重労働のようだった。途切れ途切れの呼吸と声にならない音だけが聞こえてくる。


 そこへ、赤黒い塊が飛んで来た。ぼく達のすぐ目の前に落ちたそれは、先程よりも原型を失くした肉塊だった。不快極まりない音を伴って、次から次へとこちらへ破片が飛んで来る。ジャバウォックもどきが動き出したのである。


 もしも、それがただの動物だったらどうだったのだろう。もしも、ヒトの部分を持っていなかったらどうだったのだろう。


「うっ……」


 血の臭い。目の前の物。そこにある死。形を失った生。


 むしろ今までよく耐えたと思う。ぼくは、こみ上げてくる恐怖に従って体を蹂躙する不快さを全て吐き出した。


「う……ぇ……」

「っ、有主君……!」


 強引に体を起こした大和さんが、今度はぼくの背中をさすってくれた。


「何も見るな。忘れろ。ガキが見ていいもんじゃない」

「ひっ……う……」


 風が小石を転がしていく。


「アァ、アリス! アリス! ギャアアア! アリス、アリス。どこにいる。アリス。あぁ、あぁ、そこか。そこにいるのか、アリス。アリス! かわいいアリス!」


 腕が伸ばされる。血の付いた爪がぼくの肩に触れた。


 触られた。


 頭の中が真っ白になった。「怖い」という感情以外が全て消し去られたかのような感覚だった。十分な思考ができない。


 なに。なにこれ。なんだ。なんだ。なに。なんなの。これは、何。怖い。これ怖い。嫌だ。食べられる? 何? 怖い。怖い。


 大和さんが声をかけてくれているようだけれど、それを聞き取ることができなかった。


 吐き出しても吐き出しても恐怖と不快感が体中を埋め尽くしていく。


「アリス! 見付けた。アリ――」

「見付けましたよジャバウォック!」


 誰かの声がして、ぼくから奇怪な手が離された。大きな音の後に不気味な竜の姿が質量のある影へと変わり、弾けて消える。何が起こったのか分からなかったけれど、危機はどうやら去ったらしかった。転がっていた破片も影になって消えていく。


 軽く咳き込みながら呼吸を整える。口の中には苦いような酸っぱいような味が残っていた。


「……痛みが引いてる。有主君、何もされなかったか」


 安堵感からだろうか、ぼくの目からはぼろぼろと涙が零れだした。もう顔中ぐしゃぐしゃだ。


「怖かったよな。もう大丈夫そうだから安心しろよ。大丈夫、大丈夫」


 大和さんに頭を撫でられる。そうしてそのまま抱きしめられた。


「うぅ、うぅ、怖かったです……。怖くて、気持ち悪くて、もう分からなくて……」

「よしよし……。特別にお兄さんの胸を貸してやるからたくさん泣きなさい」


 川原を歩いて近付いてくる足音があった。着物に顔を埋めているぼくにはその姿は見えないけれど、大和さんが動く気配はないから危ない相手ではないのだろう。


 道具か何かを地面に下ろす音がした。


「これでまた黒の陣の力を削ぎ落すことができました。よかったよかった。っふふ、そんなに怖い顔しないでくださいよォ、芋虫さん」

「三月ウサギ……」

「おやおや、ついに男の子にまで手を出すようになったのですか。見境のない破廉恥漢ですね」

「そんなわけねえだろ」


 三月ウサギの名と、聞き覚えのある声。


「クロヴィスさん?」

「げぇっ!? 猫兄弟のところの坊やじゃないですか」


 ぼくが抱かれたまま軽く振り向くと、クロヴィスさんは心底驚いた様子で少し後退った。足下にものすごく大きな銃が置かれている。


 ぼくはハンカチで顔を拭いて大和さんから離れる。


 猫と帽子屋の家の前にジャバウォックもどきが現れた直後にもクロヴィスさんは姿を見せていた。おそらく、今日アレにとどめを刺したのはクロヴィスさんだ。


「クロヴィスさん、あなたは一体何なんですか」

「ワタシはただの怖いウサギさんですよ」


 ピエロのようなメイクが施されている目元がにやりと笑う。


 一瞬の沈黙の後、小石を蹴飛ばす音がして岩かげからひょっこりと人影が現れた。その姿を見てぼくは言葉を失った。


「クロさん! クロヴィスさん! ジャバウォックはどうなりましたか」

「あぁ、ランス君。遅かったね。奴はワタシが消し飛ばしておいたよ。……やはりまだ足が痛むのか?」

「いえ、足は全然問題ありません。それは夏のことですし……。それよりも」

「この間の方か。ばっくりやられていたもんな。あれは陛下も動揺していたし」

「すみません、足を引っ張ってしまって……。……あれ? 誰か一緒にいて……」


 クロヴィスさんの方ばかり見ていた彼がこちらに気が付く。日光を受けて鈍く光る銀色のローブを纏った少年である。気だるげな青白い目がぼくのことを見て大きく見開かれる。


「アリス! アレクシス君!」

「ラ、ランスロット……」

「アリス、よかった。また会えたね。この間は邪魔が入ってしまったから……。大丈夫、今は眠っているみたいだしずっとこのままだからね。キミとたくさん話をしたくて」

「ランス君。坊やが怖がっているだろ」


 ぼくに駆け寄ろうとしたランスロットだったが、クロヴィスさんにローブを引っ張られて踏み止まった。銀色の傭兵は不服そうにフード姿のウサギを睨む。


 なぜこの二人が一緒にいるのだろう。


 祖父を手にかけ失踪したクロヴィスさんはチェスと繋がりがあるらしいとされている。ランスロットもまたチェスと関係が深いとぼくは睨んでいるし、ニールさんもそう言っていた。そんな二人が一緒にいて親しげにも見える様子でいる。


「離してください。アリスと話をしたいんです」

「帰ってジャバウォックのことを報告するのが先」

「でも」

「薬が切れそうなんだ。一緒に帰ってほしい。頼む、ランスロット」


 道化じみた笑顔を封じて、深刻そうにクロヴィスさんは言う。


「……分かりました。またね、アリス。今度会った時にはたくさん話ができると嬉しいな」


 ランスロットはクロヴィスさんが持ってきていた大振りの銃を代わりに担ぐ。そして、少し辛そうな様子で歩き出したウサギの後を傭兵は追い駆けていった。





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