第百七十四面 ちょっと寄り道していきませんか?
「あー! いたいた! 鬼丸先輩っ!」
図書室に駆けこんできた寺園さんは、襲い掛かるのではないかという勢いでカウンターに詰め寄った。パソコンで入力作業をしていた鬼丸先輩は手を止め、貸出手続きをしていたぼくもそちらを見てしまう。バーコードを読み取り「返却期限は二週間後です」の決め台詞を放って男子生徒を見送ってから、ぼくは二人の様子を窺うことにした。
寺園さんの動きに合わせてサイドアップが揺れている。
「遅刻だよ。本来の当番はキミだ。あと図書室では静かにね」
「う、ううー! 先輩! お兄ちゃんに何を吹き込んだんですか!?」
「人聞きが悪いなぁ。それにみんなが注目するから大声出さないでね」
不穏な気配しかしない。
図書室では静かにしましょう。という図書局員ならば見本となって守らなくてはならない約束を破り捨ててまで訴えたいことがあるのだろう。寺園さんは地団駄を踏んだり手を振り回したりするのを堪えるかのように、ぐっと拳を握りしめて小さく震えた。
先輩はパソコンのマウスに手を添えたままだ。涼し気な、否、冷たい目でカウンター越しの後輩を見ている。
「先輩、昨日うちの店に来ましたよね」
「うん、行ったよ。寺園さんは出かけていたみたいだけど」
「お兄ちゃんに何かしたんですか」
「何もしていないよ。ただ話をしただけ」
「ううー……!」
膨れる寺園さんを一瞥して、先輩は席を立った。
「寺園さんも来たことだし、助っ人のボクはこの辺で。それじゃあ二人共頑張ってね」
ひらりと手を振り、リュックを置いている司書室へ向かう。
今日の図書局の当番は寺園さんとぼくなのだ。学校祭が終わって、先輩は他の部活の三年生がそうであるように局を退いた。図書局員ではなくなった先輩は、それでも暇があればみんなの様子を見に来てくれている。今日もぼくがカウンターに一人でいるのを見て手伝ってくれていたのである。
寺園さんはスクールバッグを下ろしてカウンターに入って来た。
「お疲れ様です、神山先輩」
「お疲れ様。こっちをお願いしてもいいかな。ぼくはデータ入力をするから」
「……あの、先輩。すみません、遅れてしまって。教室まで行ったんですけど鬼丸先輩が見当たらなくて、ちょっと、探して校内うろうろしてました……」
ちょこんと椅子に座り、がくりと肩を落とす。見るからに元気がないこんな状態でカウンターにいては、図書室へ来た生徒に心配をかけることになってしまうな。
「具合が悪いんだったら今日は休んでもいいよ」
「いえ、わたしは平気です。具合悪いのはお兄ちゃんなんで……」
寺園さんは先輩に怒っている。探し出して直訴するほどに。内容は伊織さんに関してだ。もしかして、学校祭の時の話の続きをしたのだろうか。
お願いします、という声と共にカウンターに本が差し出された。貸出手続きを済ませて女子生徒を見送ると、寺園さんは俯いてしまう。このままにはしておけない。少し雑談でもすれば元気がなさそうな雰囲気を和らげられるかな。テンションがものすごく低いことより、局員同士で何やら会話をしていることの方が逆に他の生徒の注意を引くことがないだろう。
「寺園さん」
「昨日、鬼丸先輩がうちの店に来ていたらしいんです」
ぼくが話題を逸らそうとするのよりも早く話し始めてしまった。
「職人さんが言うには、お兄ちゃんを訪ねて来ていたからアトリエに……。えっと、店の奥にお兄ちゃんのアトリエがあるんですけど、そこに案内したんです。お兄ちゃんも『ようこそ』って出迎えていたので、職人さんは店の方に戻りました。それで、先輩が帰ってからわたしが家に戻って……」
顔が上げられ、ぼくの方を見る。寺園さんは今にも泣き出してしまいそうな顔になっていた。
「その間にお兄ちゃんは自分の部屋に戻っていたらしいんですけど、夜ご飯の時間になっても出てこなくて。様子を見に行ったら、カーテンも閉めずに、電気も点けずに、真っ暗な部屋でうずくまってて……。風邪をひいているわけじゃないし、熱もないし、お腹が痛いわけでもないんです。でも、とにかく具合が悪いって……。『僕はなんて恐ろしい化け物なんだ』と……。鬼丸先輩が何か言ったんです。きっと、そうです……」
「伊織さんのことは心配だけど、どうして鬼丸先輩がやったって言いきれるの?」
「……神山先輩。今日ちょっと寄り道していきませんか?」
寺園さんはちょっぴりいたずらっぽく笑って見せる。寄り道をするやんちゃさを醸す笑顔だったけれど、その目の端には薄っすら涙が浮かんでいた。
図書局の仕事を終え、ぼく達は帰路に着く。未だに成長期が来ていないような気しかしないぼくよりも小柄な後輩がとてとてと前方を歩いている。いいや、ぼくだって去年より七センチも伸びたんだ。寺園さんだって璃紗や亀倉さんくらい伸びるかもしれない。伸びしろがあるということだ。追い越されたら嫌だけれど……。
動きに合わせてぴょこぴょこ揺れるサイドアップ。今日は水色の花柄のシュシュで留められている。
寺園さんに連れられて辿り着いたのは喫茶店である。蔦が這う石造りの壁に、三角屋根、煙突。店先に置かれた黒板には『ようこそ物語の中へ カフェ・マジカル』とある。星夜中学校や星夜高校の生徒のたまり場になっているこの店には琉衣や璃紗と何度も訪れたことがある。
ここで話をするのかな。
寺園さんがドアを開けると、上部に付けられたベルがリロリンリンと鳴った。メイド服姿の店長が「いらっしゃい」と出迎えてくれる。ベルの音と店長の声に気が付いた星夜高校の生徒と思われるバイトのお兄さんがぼく達の前にやって来た。
「二名様ですね! こちらへ……」
「あっ、待って。待ってください。えっと」
寺園さんは制服のブレザーの内ポケットから生徒手帳を取り出した。挟み込んでいたらしい何かのカードを手に、バイトのお兄さんの横を過ぎて店長のいるカウンターに近付く。カードを手に自分のことを見上げる寺園さんのことを店長は少し驚いたように見ていた。
「奥の部屋空いてますか」
「貴女、伊織君の何?」
「い、妹です。一応……」
「……そう。奥は空いてるよ。今開けるから、連れの……。あぁ、君か。知り合いなんだね。まあいいや、二人共おいで」
「行きましょう、神山先輩」
気になる部分が多すぎる。とりあえず店長の後に付いて行こうか。
テーブル席の間を縫って少し進むと、店の角に『Reserved』という札が掛けられたドアがあるのが見えて来た。観葉植物やついたてで綺麗に隠れていて、普通にカウンターやテーブル席に着いているとほとんど気が付かないだろう。店長はそのドアの鍵を開けると、ぼく達のことを招き入れてくれた。
部屋の中はいたって普通のテーブルと椅子が置かれたスペースで、テーブル席一組分だけ店から切り離したような感じである。壁には名も知らぬ画家の名も知らぬ絵が飾られている。
「ご注文の際は呼び出しボタンを押してね。お冷はそこのサーバーでセルフサービスだから。ではごゆっくり」
メイド服のスカートをふんわりと広げて店長が去って行く。
「先輩、お冷飲みますよね」
「あ、うん。ありがとう」
寺園さんがグラスに水を注いでテーブルに置く。ぼく達は向き合って座って、メニューを開いた。何を注文しようか、と悩む前にぼくは謎のカードと謎の個室のことが気になって仕方がない。それを察したのか、寺園さんは先程のカードを見せてくれた。
店名と共に『優待サービス会員証』という文字が書かれている。名前欄には伊織さんの名前がある。
「一定の条件を満たした常連客だけがこのカードを手にすることができて、この個室を使うことができるんです。家族も使えるって裏に書いてあります。お兄ちゃんに借りて来ました」
「一定の条件」
「詳細はわたしも知りません。ここのお店、本当に色々な人が来るから謎が多くて。噂では店長さんは魔女だとかなんだとか。まあ噂ですけどね。……話をするなら、ここがいいと思って。ここなら誰にも聞かれないし」
寺園さんはカードをしまい、メニューに目を落とす。
「神山先輩は、もしかしたら……」
メニュー表のページが捲られ、見えているのがパンケーキからパフェに変わる。
「先輩は、お兄ちゃんの味方でいてくれますか?」




