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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
二十一冊目 溺愛ティータイム
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第百六十九面 逃げ足の速い男ですね

「おいおいおいおいっ! 何だってんだよ!」


 ニールさんの尻尾の毛が逆立つ。姿の見えぬ迫りくる何かを警戒しつつ、ぼく達の方へやってくる。


「ドアを閉めに身を乗り出したら吹き飛ばされるな……。開けたままだと家の中に風が入ってくる気がするんだが……。おい、馬鹿兎大丈夫か」

「うーん。耳がいいのも困るよね。奥の方がガンガンするよ」


 開け放たれたドアの向こうで、警察官達が体勢を立て直しているのが見えた。徐々に風は強くなっており、家は軋み、警察官達は互いに支え合い、葉や枝が宙を舞った。このままでは家が壊れてしまうのではないだろうか、そう思った時だった。ふいに風が止んだのだ。


 警察官達は拳銃を抜き、何かに向かって発砲しているが効果はないようだ。狼狽える彼らに向かって大きくて真っ黒な、鋭い爪を持った爬虫類めいた手が伸ばされる。そして……。


「アリス、見るな!」


 ぼくはニールさんの手によってリビングに放り込まれた。絨毯に尻餅を着いたぼくのことを、ナザリオが引っ張り起こしてくれた。さすがのナザリオもあの風の音に目を覚ましたようである。何があったのか尋ねられたけれど、ぼくにも何が起こっているのか説明はできない。


 外からは悲鳴と、何かが千切れるような、捩れるような、そんな音が聞こえていた。


 様子を見ていたルルーさんが口元に手を当てて蹲る。青い瞳は意識的に他の物を捉えようときょろきょろ動き、その青に負けないくらい顔色が悪くなっていた。体も震えている。


「惨いな……。オマエも見ない方が……って、もう遅いか」


 自らも屈んでルルーさんの背中を優しく撫でつつ、ニールさんはじっと外を見つめていた。


 外で何が起こっているのか。


 荒れ狂う風。特徴的な咆哮。人々の反応。また、あれが現れたというのか。


「ナザリオ、ルルーを頼む。絶対外見るんじゃねえぞ」


 そう言ってルルーさんから離れると、ニールさんは家の奥へと駆けて行った。ナザリオがルルーさんのことをリビングに連れてきたところで、小銃を抱えて戻ってくる。


「見ず知らずの人間トランプを助けるなんて柄じゃねえけど、見捨てるわけにはいかねえだろ。おいこら化け物、人の家の前汚すんじゃねえぞ!!」


 やはり、家の前にいるのは……。


「ギャアアアアアアオオオース……!」

「そのクソ五月蠅うるせぇ音を鳴らす喉笛狙い撃ってやる」

「ア……アァ、アリス……ゥ……!」


 ジャバウォック……!!


 発砲音と共に地の底から響くような低く重たい叫び声がして、それを最後に咆哮は聞こえなくなった。十数秒の沈黙の後、警察官達の声と小さな発砲音が聞こえて来る。


「また家の前が汚れた……」


 戻って来たニールさんは何かの返り血を大量に浴びていた。黒くねっとりとした液体を袖で拭う。


「俺の銃で倒せたってことは、もどきなんだろうな。あぁ……この後が大変だぞ……」

「ニールさん、何が……。ジャバウォック、ですよね……?」

「警察が何人か喰われた。弄ぶように息の根を止められたやつもいる。生き残ったやつらで念のため追撃してるみたいだが……」


 ソファの横で蹲ったままのルルーさんはまだ震えていた。説明を聞いただけでもあまりにも惨たらしくておぞましくて具合を悪くしてしまいそうなのに、彼女は直接見てしまったのだ。前にジャバウォックもどきが現れた時にはアーサーさんがダウンしていたし、見るのと聞くのとでは受けるダメージが違うのだろう。


 玄関から警察官の声がした。


「非常事態だ。帽子屋についてはまた後日話を聞かせてもらうぞ」

「はいはい、お仕事ご苦労さん。……俺ちょっと外見てくるな」


 歯車がたくさんついた銃を肩にかけたまま、ニールさんはリビングを出て行った。前回も、今回も、周りと比べてニールさんが随分と落ち着いている。それは単に年長者だからみんなを安心させないと、とか、そういう雰囲気でもなさそうなんだよね。あの人は目の前が赤く染まってもきっとにやにや笑えるのだ。おそらくそういう現場に耐性が付いている。……なんて、ぼくの考え過ぎかな。


 にぎにぎと手を握りしめていたナザリオのことを引き離すと、ルルーさんは自分の頬を両手で包むようにして軽く叩いた。青褪めていた顔に、いつもの何も考えていなさそうな笑顔が戻る。


「大丈夫大丈夫! ちょっと、おじいさまのこととか思い出しちゃっただけだし……。えぇと、家の前で人が化け物に食い殺されたわけだから、もっともっと警察は来るし、軍も来る可能性あるよね。アリス君は引っ込んでた方がいいかも。……ナザリオ、ありがとう。ちょっと元気出た」

「えへへ。おれはいつも寝てるだけだし、こういう時くらい友達を元気づける仕事したいよねぇ」

「うんうん。もう少し起きていられるようにしようねー」

「それは難しいと思う……。そういう体質の家系だしね……」


 ふあ、と欠伸をするナザリオを見ていると多少は気分も和らぎそうだ。ルルーさんも柔らかく微笑んで、寝癖まみれのナザリオの髪をなでなでし始めた。


「あぁ!? なんだテメェ!」


 直後、不安感を誤魔化そうとしているぼく達の耳にニールさんの怒声が届く。何事かとぼく達は顔を見合わせ、開けっ放しになっているリビングの窓から外を覗いた。ここからならば凄惨な現場はほとんど隠れ、普段お茶会セットを出している一部分しか見えないはずである。


 僅かに見える赤い地面に立つニールさんと、壁の影になっている警察官達のどよめきが聞こえて来た。突然の来訪者に、ニールさんは小銃を構える。


 茂みから飛び出してきたのは一人の男だった。いや、女かもしれない。この距離だといまいち分かりかねる。謎の人物は大振りの弓矢を背負っていて、ロング丈のジャケットを羽織り、ど派手な装飾が施されたシルクハットを被っていた。そこにさらに日傘と思われる傘を差している。


「その格好、キサマが帽子屋か!」

「一緒に来てもらうぞ!」


 警察官達の言葉も、ニールさんが威嚇する唸り声も気にしていない様子で、その人は上機嫌な様子で石畳に踏み込んできた。周囲の生者には全く目もくれずに、ジャバウォックもどきの残骸と警察官の亡骸の辺りをぐるりと一周してそのまま走り去っていく。


「おい、おまえらはあれを追え!」

「はっ!」


 そして、そんな不審者とそれを追い駆けて行った数人の警察官と入れ替わるように猫と帽子屋の家の前に現れたのは、フードを深く被って大振りの銃を引っ提げた男だった。ルルーさんが小さく声を漏らしたのが聞こえた。


 フードの男はものすごい勢いで飛び込んできたが、ニールさんと警察官、真っ赤に染まった地面を見てスピードを緩める。


「はぁ!? 仕留めて……ある……!?」

「クロヴィス」

「あぁ、待ってくださいよチェシャ猫さん。そんな怖い顔しないでください。今日はアナタ達に構っている余裕なんてないんですからね。ここに帽子屋さんに似た風貌の男は来ませんでしたか」


 クロヴィスさんは銃を下ろして戦意がないことを伝え、ニールさんに先程の不審者について訊ねた。どうやら彼は不審者を追ってここまで来たらしい。


「教えると思うか」

「まあ言わないでしょうね。くそっ、逃げられたか! 逃げ足の速い男ですね全く。あの子もいないし! はぐれるとかガキじゃないんですから! 昼間からこんなに働きたくないのに……」


 あの子……?


「あぁ、もう疲れましたよ。薬切れそうだし最悪……。あのぉ、そこのトランプ共。警察だと思うんですけど、邪魔しようものならこの銃がアナタ達のこと吹き飛ばしますからね。私は急いでいるんですから」


 警戒する警察官達に銃を向けて威嚇すると、くるっと踵を返してクロヴィスさんは茂みの中に飛び込んでいった。


 クロヴィスさんの言っていることから推測すると、先程の不審者とジャバウォックもどきを追い駆けて来たけれど、不審者のことは見失い、ジャバウォックもどきはニールさんに仕留められてしまった。一緒に来た仲間ともはぐれてしまったから、一時撤退しよう。……ということだろうか。


 警察官がまた数人、今度はクロヴィスさんが去って行った方へ駆けて行った。食べられた人、殺された人、不審者を追い駆けた人、クロヴィスさんを追い駆けた人。残っているのは二人ほどだろうか。


「アリス君、ナザリオ、お遣い頼んでいいかな」


 ルルーさんはぼく達を窓から引き剥がすと、ジャケットから財布を取りだした。紙幣を何枚か手に取って、ぼくの手に握らせる。


「辻馬車往復分の運賃としては十分だと思うけど……。警察が家に来たってことをアーサーに伝えて来てくれるかな。ふらっと帰って来たら大変だからね。ジャバウォックもどきの件でニールは警察と話をしなきゃならないし、僕はそんなニールが暴れないように見てなきゃいけないからさ」

「ルルー、クロヴィスが来てたけど平気?」

「事情はあるんだろうしね……。話をしたいけど、そういう状況でもなさそうだし。じゃ、よろしくね」


 見送られて廊下に出たぼくは、いつもの習慣で玄関へ向かおうとしてナザリオにパーカーのフードを引っ張られた。


「待ってアリス。正面から出たら変な物見ちゃうし警察に不審に思われるよ」


 ちゃんと起きている時は結構しっかりしているんだよね、ナザリオって。


 どこへ行くのかなどと訊ねられても困るので、ぼく達は廊下の突き当りにある明かり取りの窓から外に出ることにした。若干高い位置に辛うじて通り抜けられそうな大きさで設置されている。どうやって抜けるのだろうと思っていると、ナザリオは背伸びをして鍵を開け、ひょいと身軽にジャンプして窓から上半身を外に出した。足だけが家の中に残されており、ばたばたともがいている。


「うあぁ。アリスー、アリスー、えいって押して」

「押していいの? 落ちない?」

「いいから押して」

「えいっ」


 んぎゃあ、という声と共にナザリオが家の外に落ちて行った。


「よし、じゃあ今度はおれがアリスのこと引き上げるからね。んしょ、んしょ……」


 ぴょんっと上半身が家の中に入ってくる。ナザリオはぼくに手を伸ばした。


「掴まって。アリスくらい引っ張り上げられるからさ」

「起きてると頼りになるよね。体動かすの本当は得意なんでしょ」

「へへへぇ、そのための体力温存だよねぇ。それっ」

「うわわ」


 結局落ちて二人で地面に転がってしまったけれど、一応外に出ることはできた。表の獣道ではなく、裏の道なき道を抜けて街へ向かうとしよう。





 そろそろ街が見えてくるかな、というところで前方を歩いていたナザリオが立ち止まった。


「あわ……。こ、この人……前にアリスと一緒にいた人だよね……? おれを探してくれたっていう……」


 指し示されたのは木の根元だった。剣を抱いた少年が座っている。


「……ランスロット?」


 眠っているのか、ぼくの呼びかけに反応はない。銀色に鈍く光るローブには赤がべったりと付着しているのが見えた。






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