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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
二十一冊目 溺愛ティータイム
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第百六十四面 面倒臭い小僧だな

 学校祭を二日後に控えた今日。クロックフォード兄弟の激しい戦いに終止符が打たれた。


「んああぁ!」


 威圧し続けたニールさん、そしてそれを支援するぼく達にアーサーさんは敗れたのだ。


「馬鹿猫の人でなしぃ!」

「ヒトじゃねえもん」


 心が痛むけれどアーサーさんのためだ。ここで助けに入ってはいけない。


 ソファに倒れ込み頭を抱えてうんうん唸っている帽子屋を前に、チェシャ猫は人の悪そうな笑みを浮かべている。本来ならばこんな下卑た笑いは彼が弟に向けるものではない。すごい演技力だと思う。


「酷い、あんまりです。兄さんだけならまだしもルルーやナザリオ、アリス君までがこのような……。そこまでして私を追い出したいのですか」

「ご、ごめんよ! 僕だって苦しいけど君のためなんだよ!」

「死んでしまいます……」


 ニールさんから相談を受けた公爵夫人が次の日には部屋を見付けてきてくれたので、ぼく達は行動に移った。これは最早最終手段と言っても過言ではない作戦である。驚くなかれ、ぼく達はアーサーさんから紅茶を取り上げたのだ。


 効果はてきめんだった。ドミノが怖いと言っていたのがまるで嘘であるかのように、リビングへ乗り込んできて「お茶を出せ」と訴え始めたのは始まりに過ぎない。怒り、嘆き、喚き、そして今日、ついに泣き崩れた。


 いじめているみたいでなんだか罪悪感があったけれど、「これでいいんだ」と言うニールさんの真剣な顔を見て何も言うことができなかった。こうやっていじめは続いて行くんだなあ……。いやいや、話が脱線しかけているな。今回に限ってはこれでいいんだもん。ここに留まっていても、待っているのはもっと恐ろしい結果なのだから……。


「うわーん! お兄ちゃんの意地悪! 馬鹿馬鹿馬鹿ぁ!」

「……オマエそんな訴え方して後悔しても知らねえぞ」

「うぎゃあーん!」

「落ち着け、落ち着くんだ帽子屋」

「うぅ……」


 ニールさんはアーサーさんの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。


「オマエから紅茶を取り上げるのが禁じ手だってのは分かってるし、こんなになるまで何日も苦しめて悪いとは思ってる。でも、こうでもしねえとオマエは動かねえだろ」

「ほんとに……本当に、街へ行けば紅茶を飲めるの……?」

「部屋はミレイユが手配してくれた。家財道具も一式揃えてあるし、もちろんお茶だって飲めるさ」

「街へは行きたくないけれど、紅茶のためだ……。兄さんに抗ってこれ以上苦しくなるのならば僕は街へ行くよ……」

「俺の言うこと聞けるな?」

「うん……。不安だよ。でも、森にいてチェスに襲われるのよりはいいのかもね……。もう限界だ、紅茶が飲みたい……」


 嗚咽を漏らすアーサーさんは、まるで小さな子供のようだった。彼がなぜそこまで紅茶に執着しているのかぼくは知らない。それでも、これまでのあれやこれやで紅茶というものがアーサー・クロックフォードという男にとってかけがえのない存在であることは確かである。


 紅茶が燃料とか、紅茶中毒末期患者とか色々言われてるけれど、その実態は何なのだろう……。


 ぐすぐすと泣きながら、アーサーさんはニールさんの手を払いのける。


「触らないでください。怖い、ので……」

「悪い」

「と、取り乱してしまい申し訳ありません。この数日よく考えたのですが、馬鹿猫の言う通り街へ行こうと思います。森と比べれば、街の方が人間トランプのような姿の私にとっては安全でしょう。……兄さんに、本気を出させるわけにもいきませんし。紅茶も飲みたいので……」


 こうして、街へ行くか行かないかの騒動は幕を閉じたのである。





 悲しみにくれながらも落ち着きを取り戻したアーサーさんがココアの入ったマグカップを傾けた。ドミノはやっぱりまだ怖いので、ソファでテーブルを囲むぼく達から距離を取って食卓テーブルに向かっている。


「ココアにも飽きて来ましたね」


 コーヒーは選択肢にはないのだろうか。


 紅茶禁止令を喰らっている目の前で紅茶を飲むのも悪いので、ぼく達もここ数日ココアやコーヒーを飲んでいる。ブラック無糖のコーヒーを飲んでいたニールさんの猫耳がぴくりと動き、ココアを飲んでいたルルーさんの兎耳もぴょこっと動いた。枕に顔を埋めているナザリオは眠ったままだ。


 玄関でノッカーが鳴らされる。


「来たみたいだな」


 ニールさんが立ち上がり、リビングを出て行った。ほどなくして公爵夫人を連れて戻ってくる。ラミロさんも一緒だ。


「ごきげんよう、みんな。今日もお茶……じゃ、ないみたいね。アーサー生きてる?」

「死にそうです」


 秋を感じさせる落ち着いた色合いのドレス姿。茶色が多いのに、ふわふわのフリルとレースがいつものようにたくさんあしらわれていて華やかな印象を受ける。美しい銀色の髪は今日は纏め上げられていて、大きなボンネットを被っていた。もこもこの袖で覆われた細い腕は元気のないアーサーさんの前でも容赦なくニールさんに絡みつく。


 この雌狐! と罵ることもなく、ぼんやりとココアを飲んでいるのをいいことにこれでもかと絡み始めた。ルルーさんがナザリオをぐいぐい押しながらぼく達二人の座っていた方のソファへ移って来たので、窓側のソファが空席になる。その空白目掛けて、猫と飼い主は絡み合いながら倒れ込んだ。覆い被さる夫人のフリルとレースで、ニールさんの姿がほとんど隠れてしまう。


 何度でも思うし何度でも言うけれど、子供の前でそんなにいちゃいちゃしないでほしい。猫と飼い主の触れ合いと思えばかわいいものだ。でも、猫は人の形をしているのだ。


「奥様。奥様、小僧と遊ぶのはいいですが、目的をお忘れなく」

「えぇ、えぇ、分かっているわ」


 ラミロさんは手にしていた大判の封筒をごそごそと漁って、紙束を食卓テーブルに置いた。ごろごろと鳴いている兄に冷たい目を向けていたアーサーさんの視線がそちらへ移る。


「小僧、これがオマエがしばらく暮らすことになる新居だ」

「プリミエラ広場が近いですね……。つまり、王宮の徒歩圏内」

「不満か?」

「いえ、随分と中心部なのだなと思いまして。ぶたのしっぽ商店街の周辺程度だとばかり」

「俺が頼んだんだ」


 夫人を乗せたままニールさんが軽く体を起こす。


「なるべく森から離れたところで、地下鉄の沿線でもねえところって。運行は停止してても、トンネルはそこにあるわけだしな。ひょっこり何かが出てくるかもしれねえから」

「候補自体はいくつかあるのよ? 別の所がいいのであれば、まだ選び直すことはできるわ」


 それだけ答えて、二人は再びもつれあい始めた。


 ラミロさんが紙束を捲る。


「どうだ小僧、こっちは?」

「ふむ……」

「これも不満か」

「家を選んだことがないので、なんとも……。いまいちよく分からなくて」

「面倒臭い小僧だな」


 ぴょんこ、とルルーさんが立ち上がって食卓テーブルの方へ向かう。気になるのでぼくも後を追った。


 アーサーさんを悩ませている物件リストには住所と近隣の施設等が記され、写真が添えられていた。街のことにはぼくも全く詳しくないけれど、写真を見た感じだとどれもそれなりにいい家に見えた。古くてぼろぼろだとか、そういう風には見えない。アパートもあれば、小さな一軒家もある。


 ルルーさんは紙束を手に取ってぱらぱらと捲る。北東の森に広大な敷地を有する三月の家。その庭にはチェシャ猫と帽子屋だけでなく様々なドミノ達が家を借りて生活をしている。大地主の娘たるルルーさんは、もしかすると住居に詳しいのかもしれない。


 熱心に物件リストを見るルルーさんにぼく達は注目する。アーサーさんは期待の眼差しを向けるが、ラミロさんは怪訝そうに見ている。


「ふむふむ」

「どうですルルー」

「どれも綺麗な建物だね!」

「……あぁ、そうですね」

「なんで残念そうなの」


 ルルーさんも特に詳しいわけではないようだ。


「小娘、ほら返せ」

「ねえねえアーサー。どんなお家がいいの?」

「私は別に……。しばしの間過ごすだけですし。ただ、なるべくトランプに囲まれたくないなと……」


 ラミロさんから渡された紙束を改めて捲りながら、アーサーさんはううむと唸る。そして、ちらりとラミロさんのことを見た。


「貴方ならどこがいいです?」

「ワタシか? ワタシならここかな」

「ではここにしましょう」

「おいおい、それでいいのか」


 写真はもちろん白黒のため、建物の本来の色は分からない。見た目はこじんまりとした一階立てのお家で、添えられている情報によると住宅街のすみっこにあるらしい。近隣の住民は基本的にドミノに対して好意的な人が多いため、万が一ドミノだと知れても問題はなさそうだ。


 文章は全部英語ワンダーもじで書かれている。内容はアーサーさんが読み上げてくれた。


「いつまでも悩んでいられません。私は早く移動して紅茶を飲まねばならないのです」


 この人は本当に紅茶のために動くんだな。


 紙束を受け取って、ラミロさんが「分かった」と頷いた。




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