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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
二十冊目 鏡の外側童話集
151/236

第百四十九面 最も美しく醜い部分

かぐや姫の話。

 私は月に帰ります。


 かぐや姫の言葉に、おじいさんもおばあさんもびっくり仰天。


 姫を連れ去られてたまるか。帝も動きますが、月の人々の前では全く歯が立ちません。





 姫は、地球で過ごした日々を忘れてしまう。


 ああ、なよ竹のかぐやよ。貴女は、地球で暮らした過去と月で暮らす未来の、どちらがより幸せだったと感じるのだろう。月から見える地球に、思い出せない誰かの姿を見るのだろうか。





          ○





 寝苦しさにうなされて目を覚ました。飛び起きると、肩からタオルケットがずり落ちた。


 棚に並ぶ人形達が微笑みながらこちらを見ている。


 背中が重い。


 足に引っ掛かっているタオルケットを引き摺りながらベッドから降り、鏡台に歩み寄る。掛けてある布を捲ると鏡面に自分の姿が映り込んだ。月明かりを反射した青い光が背後で揺らぐ。





「……ちゃん。……お兄ちゃん」


 肩を叩かれ、目を開ける。床に座る僕のことを小柄な妹が見下ろしている。


「ここにいたんだ」

「おはようつぐみちゃん」

「おはよ。朝ご飯できたよ」

「後で食べるよ」


 夜中に目を覚ましてから、気分が優れなくてアトリエここへやって来た。人形達に囲まれているうちに眠っていたようだ。膝の上に乗っている白亜ハクアに自分の髪が掛かっている。


「新作のアイデアでも考えてたの?」

「そんな感じ」

「次はどんな子を見られるのかな、楽しみ! じゃ、ご飯後でってお母さんに言ってくるね」


 サイドアップにした髪を揺らしながら妹がアトリエを出て行った。


 節句人形を主に製作している歴史ある寺園人形店の半地下には西洋人形が並ぶアトリエがある。父に無理を言って、物置として使用していたスペースを改造したものだ。ここは僕の仕事場であり、秘密基地であり、心に安寧をもたらすことのできる場所である。


 自分の髪を払って、白亜を抱き上げる。その名が示す通りの白い肌に、深い海を思わせる青い瞳が浮かんでいる。銀色の髪はゆるくウェーブしており、鳥の子色のヘッドドレスで飾られている。レースとフリルを惜しげもなく使いながらも、鳥の子色や生成、卯の花色など白系の色のみを用いてうるさくない見た目に仕上げてあるドレスは自信作だ。紺色の靴だけが浮き出ているように見える。


 繭の中で眠る蛹のように、球体関節の少年少女と一緒に花やフリルに埋もれていると幸せな気持ちになれた。


 いつ頃からだろう、人形に興味を持つようになったのは。


 幼い頃、女友達が持っていた着せ替え人形を見た時にはかわいらしいという感想しか抱かなかった。しかし、店に並ぶ節句人形や市松人形を眺めているうちに他の種類の人形についても知りたいと思うようになったのだ。


 何体もの球体関節人形やその部品が並ぶ棚に白亜を座らせる。彼女の隣に座る、天鵞絨ビロードの青いドレスを纏い蝶の翅を生やした人形こそが伊織少年を動かした存在である。彩り乙女シリーズ参・蒼蝶ブルーパピヨンのミユ。父の仕事にくっ付いて都心へ行った時に、立ち寄ったドールショップで彼女の背負う青い翅に一目惚れした。しかし、当時小学五年生だった僕には人形を買える財力はなかった。棚の前で立ち尽くす僕に「買ってやろうか」と声をかけてくれた父の言葉に甘えて、僕はミユを星夜に連れ帰ることとなる。


 それから僕は彼女達の虜になった。


 思い返せば、父が僕を連れて出かけたのは気分転換をさせたかったからであり、人形を買い与えたのも「何かしらほしい物を買ってやれば元気が出るかもしれない」と思ったからであると考えることができる。父なりに、息子との信頼関係をより盤石なものにするための方法を考えた結果だったのだろう。


 ドアがノックされ、僕は返事をして振り返る。想定していたよりも勢いがついてしまい、肩甲骨の周辺に鈍痛が走った。


「伊織君、おはよう」


 ドアを開けて顔を覗かせたのは母である。


「おはよう母さん」

「私買い物行ってくるから。ご飯台所にラップして置いてあるからね」

「分かった。……あぁ、そうだ。買い物のついでに頼みたいことがあるんだけど」

「何?」


 母がアトリエに入ってくる。


「手芸屋さんで糸を買ってきてくれるかな」

「いいよいいよー。伊織君のお願い、お母さん張り切って聞いちゃうから」

「今メモ書くから」


 作業台の片隅に置かれているペン立てから万年筆を抜く。黒を抜いたつもりが店頭のポップを書く際に使用している緑色の洋墨インクのものだったが、問題ないだろう。


 必要な色を記入して渡すと、母はひらりと手を振って出て行った。


 この年になっても母はまだ僕のことを甘やかし足りないようだった。特別扱いなど不要である。しかし母がそれを望んでいるのならば、僕はそれを受け入れて答えるだけだ。ミユを連れて帰った日、母は「伊織君少し元気出た?」と訊いて来た。妹を妊娠していたことを理由に落ち込んだ様子の僕への対応を父に押し付けてしまったと、どこか負い目を感じているようだったのを覚えている。その反動がじわじわと現在まで続いているのである。


 小学五年生の伊織少年の懊悩の原因は自信の出自に関することであった。両親の血液型と自身の血液型が一致していないことに気が付き、自分が寺園家の人間ではないことを知ってしまった。瞳の色が異なる点も元々疑問ではあったのだが、そのことにも納得してしまった。そしてそれとほぼ同時に、家、学校、道路、ところかまわず突然眠るようになった。


 自分の秘密と体の不調に怯える僕を心配する両親に、血液型のことを訊ねた。すると、両親は躊躇する素振りを僅かに見せたものの、隠さずに答えてくれたのだ。当時から見て六年前、五歳の僕を施設から引き取り養子として迎えたのだと。確かに、施設で過ごしていた記憶は朧げだが残っていた。幼稚園だと思って覚えていたのは施設だったのだ。しかし、施設にいた一年間よりも前のことが全く分からないのだという。幼過ぎて自身の記憶から消えているだけではなく、施設にも分からないのである。


 曰く、捨てられていたと。酷い怪我をして意識を失った状態でいるところを施設の前で発見されたそうだ。発見が後少し遅ければ今の僕は存在していない。大事そうに抱きしめていた『かぐや姫』の絵本に誕生日のお祝いのメッセージが書かれており、そこから名前が伊織であるということと、満四歳であるということが分かった。しかし分かった情報はそれだけであり、両親の手掛かりになるものは何もなかった。


 身元不明の幼児として施設に籍を置いて暮らしていたところに、子供を求めていた寺園夫妻が訪れて両者が出会うのはそれから二ヶ月後のことである。定期的に訪れる夫妻に非常に懐いている僕を見て、施設側は夫妻に養子縁組を勧めることとなる。四歳よりも前の記憶は黒く塗りつぶされていた。寺園夫妻のことをなんの疑いもなく元からの両親であるかのように認識する僕に対して、二人は嬉しく思うと共に憐憫の情を抱いた。


 小学生の伊織少年は両親から聞かされた話を受け入れた。これからも変わらずに自分はこの家の子供であると、これからも自分は二人の息子であると、そう、宣言した。自分にあるのはこの家で暮らした、今の両親との思い出だけだったのだから。


 それでも、少しは元気がなかったようだった。父に連れ出されて人形を買ってもらって、元気を取り戻した。しかし、悩みはまだ残っていた。


 頻繁に睡魔に襲われるようになった少年は、ある日、自分のもう一つの秘密に気が付くのだ。


「……うっ」


 人形達の様子を確認しながら自らを回顧していた僕は、背中に走った鈍痛に足を止める。シャツの背中がじんわりと濡れているのが分かった。暑さの所為で汗をかいているのではないということは自分が一番知っている。振り向いて床を見ると、歩いて来た所に点々と赤い雫が落ちているのが見えた。


「えぇ……。めっちゃ血ぃ出てるじゃん……」


 作業に没頭して籠ることもあるため、アトリエの隅に僅かだが着替えや食料を置いている。


「着替えよ……」


 箪笥に向かって歩き出した僕だったが、そこで世界が暗転した。





「……ん」


 どうやらまた寝ていたようである。箪笥の目前で倒れていた。


 血に濡れた服を脱ぎ、仕事を放棄しかけている包帯を解く。箪笥の横の三面鏡を使用して背中の状態を確認すると、肩甲骨の周辺が赤く染まっているのが見えた。それ自体はいつものことである。しかし、今日はそこから血が滴っていた。上手く外れなかったことにいら立ちを覚え、強引に毟り取ったことが原因だと思われる。夜のうちに止血はしていたが、母の声に振り向いた際に傷が開いてしまったのだろう。


 改めて処置をしてから、箪笥の中にあった服に着替える。まだ痛みはあるものの耐えるしかない。


 引き出しを押し入れると、箪笥と鏡の隙間から蝶の翅が倒れて出て来た。青色の光沢が美しく、仮装に使用できそうな大きな翅である。


 夜、僕の背から毟り取ったものだ。


 頻繁に眠るようになってからしばらく経った中学一年生のある朝、目が覚めると背中に翅が生えていた。状況を理解することはできなかったが、家族に見られてはならないと思った。虫に容赦のない子供が蝶の翅を毟っているのを見たことがあった。これも外れるのではないだろうか、そう思って引っ張ったり揺らしたり、物で挟んだりして試行錯誤の末抜き取ることに成功した。激痛に悶え出血もしたが、ヒトの形を取り戻すことはできた。


 自分が人間ではないかもしれないということは、養子であるということ以上にあまりにも衝撃的すぎることだった。しかし、最愛のミユと同じであることに対する興奮の方が勝っていたためかなり危ない子供だったのだろう。


 それ以来、一~二ヶ月に一度目を覚ますと翅が生えているようになった。翅の生える前後に倒れる頻度が増すことから、二年前から襲われている睡魔が蛹に似た状態であると考えた。そして背中を隠すために髪を伸ばすようになり、人前で背中を晒さないよう気を付けるようになった。


「いてて……」


 前傾姿勢になると痛いな。


 毟ったばかりの翅を掴んで、引き摺りながら作業台へ向かう。


「あっ、ご飯」


 作業は朝食を終えてからにしよう。翅を作業台に載せて、僕はアトリエから退出する。


 削ぎ落とした鱗粉は髪飾りに。切り落とした翅脈はドレスの骨に。抜き出した膜も小さくして散りばめよう。翅を作品に利用して、僕はさながら恩返しにやって来た鶴のようだと思うこともある。この手から生み出される人形こども達は文字通り僕の子供にんぎょう達。僕の最も美しく醜い部分をその身に宿した我が子かたわれ達。


 すぐに戻るよ。だから、また今日もちちと共に踊っておくれ。









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