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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
十九冊目 映して覗いて
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第百四十三面 行けるところまで行ってみたい

 廊下に出たぼくは、立ち止まっていた琉衣にぶつかりそうになって慌てて足を止めた。背の高い琉衣の所為で前方が見えない。何かあるのかな。誰かいる?


若松わかまつ先生」

「宮内君、丁度良かった。はいこれ。部活の時でいいかなとも思ったんだけど、なるべく早い方がいいかと思って」

「ありがとうございます」


 琉衣の横に出る。そこに立っていたのは美術教師の若松先生だった。


「あぁ、えっと……神山君……?」

「どうも」

「宮内君のことよろしくね」


 そう言うと、彼女は画材を抱え直して美術室の方へ向かって行った。特別教室を使う芸術科目の授業にはあまり出席できていないので、顔を覚えろと言う方が無理かもしれないな。しかし、ぼくが琉衣の友人だということは把握しているようだ。


 琉衣は一枚の紙を手にしていた。『星夜大学祭! 今年もやります! 芸術学部大美術館!』とある。


 十月に行われる星大祭のチラシだ。星夜市の中心部に広大なキャンパスを構える星夜大学には文学部、法学部、経済学部、理学部、工学部、医学部、芸術学部といった学部がある。学祭の時にはサークルや部活の出店だけではなく、学部ごとの展示やお店もあるんだよね。


「芸術学部大美術館?」

「芸術学部棟を美術館にして、学生の作品をたくさん展示するんだ。毎年すごい賑わいなんだよな」

「前売り入場券って書いてあるけど」

「当日券だってあるんだ。でも枚数に限りがあるからな、確実に見に行きたいのであれば前売り券を買うべきだ。だって星大の芸術学部だぞ? 著名なアーティストだって何人も輩出してるんだ。展示されている作品を作った学生が何年か後には超有名になってて、気軽に作品を見ることができなくなるかもしれない」


 確か、伊織さんも星夜大学の芸術学部卒だって言っていたな。


「前売り券の発売は二週間後か……。予定空けておかないと……」


 美千留ちゃんの話をしている時のように琉衣の表情は明るい。先程、トイレで見た目の印象通りの儚げな様子でいたのが嘘のようだ。


 うきうきしている琉衣を見ていると、若松先生の言葉がちょっぴり引っ掛かった。「宮内君のことよろしくね」とはどういう意味だろう。やっぱり、体のことかな。コンクール用の絵に悩んでいるのは顧問の若松先生なら知っているはずだ。


 琉衣は折角貰ったチラシをエナメルバッグの中に雑に突っ込んだ。クリアファイルを使えと何度も言っているけれど、「有主が何度も言うからな」と買った真新しいファイルに美千留ちゃんの写真を入れて、プリントを乱雑に扱っているのを見た時にぼくは諦めた。


「影響受けちゃうだろうから、星大祭までにコンクールの絵をどうにかした方がいいかもな……」

「根詰め過ぎないでね」

「あぁ」


 心配だなあ。


「有主君、琉衣君。待っててくれたの?」


 おさげをいじりながら璃紗がやってきた。「なんでトイレの前で?」と首を捻っている。


「会議お疲れ様。別に待ってたわけじゃないんだけど……。帰ろっか」

「うん」


 ぼくと璃紗は歩き出す。しかし、琉衣は立ち止まったままだった。空中に指を走らせながらぶつぶつと呟いている。


「琉衣、行くよ」

「いや、違う……。じゃあこういう……。うーん。もっとあんな感じ……」

「琉衣君」

「こうか? 違うな。あれをこうして……?」

「琉衣、戻って来い」


 ぼくの呼びかけにはっとして、琉衣は手を止めた。集中し始めると周りを見なくなってしまうのはぼく達三人の悪い癖だ。本を読んでいる時のぼくと、文章を書いている時の璃紗と、絵を描いている時の琉衣はちょっとやそっとじゃ動かない。


「帰ろう」

「あ、あぁ、うん」


 似ているから、一緒にいて楽しいのかな。


 二学期の学校行事について話す璃紗と並んで歩きながら、前方を行く琉衣の背中を見遣る。ぶつぶつとまだ何か考えているようだ。


 校門を抜けたところで、ぼく達は塾のチラシを配っていた人にクリアファイルを押し付けられた。中のチラシには『二学期生募集中』とある。今のところ塾に行くことは考えていない。学校にできるだけ出ることで精いっぱいなのだ、塾になんて行けるわけがない。


「璃紗には必要ないよねえ」

「ちょっと考えてるんだ、でも」

「えっ」

「もう二年生の二学期だから、そろそろ受験のことも考えて行かなくちゃ。塾に行った方が模試とか問題集とかをより充実させられるかなって」


 真面目だなあ。


 スクールバッグにクリアファイルをしまってから、璃紗は続ける。


「行けるところまで行ってみたいんだ、わたし。自分の力を試したいんだよね」

「じゃあ、星夜高校じゃなくて? もっと上の?」

樫ノ原かしのはら、とか」


 西地区にある樫ノ原高校。星夜市で一、二を争う進学校だ。争っている相手は北地区の雅野みやびの高校。どちらも星夜高校を上回る学力を持っている。星夜高校も街の名を冠していて実力は充分だけれど、あの二校には敵わない。


 空ヶ丘に住んでいるだいたいの中学生が、何も考えずにとりあえず星夜高校を志望校にして模試を出すんだよね。近いから。ぼくもそのつもりだ。


「でも、樫ノ原だと遠くない?」

「樫ノ原中から星夜高校に来てる人もいるんだから逆もまたしかりでしょ」


 市内なら大して変わらないよ。と璃紗は言う。


 違う高校になったら一緒に学校行けなくなるんだな……。ちょっと、寂しい。


「琉衣君は?」

「えっ、何?」


 塾のクリアファイルを持ったままの琉衣が振り向く。中身が美千留ちゃんの写真ではないファイルなんてくしゃくしゃにしてバッグに突っ込むところを、今日はそのまま手にしていた。大方ずっと絵について考えていたのだろう。塾の人からも、差し出されたから無意識に受け取ったのだろうな。


 手に持ったファイルに気が付くと、ぐしゃぐしゃとエナメルバッグに突っ込む。


「ごめん、何の話してたっけ」

「琉衣君、道で周り見てないと車に轢かれるよ」

「気を付ける。で、何だっけ?」

「高校どこに行く? って話」

「星夜高校」


 即答だな。


 琉衣はヘアピンを付け直すと、えへんと胸を反らせた。


「なんてったって、星夜高校の美術部は市内で敵なしと言われるほどの実績がある。格好いいじゃないか。オレもその一員になって美千留に『お兄ちゃん格好いい。イケメン。大好き』って言われるんだ。『素敵。お兄ちゃん愛してる。自慢のお兄ちゃん』」


 イタリアから留学生が来て、より磨きがかかったという話を聞いたことがある。


 璃紗も琉衣もちゃんと目標があるんだな。二人の話を聞いて、ぼくは自分が何も考えていないことを改めて知った。とりあえず星夜高校、では駄目なのかもしれない。近いから、という理由を押し出していけばいいのだろうか。


 何かやりたいことってあるのかな、ぼくは。


「わ、わたし……。あくまで目標なんだけど、旧帝大とか、気になる……」

「マジかよ」

「すごいね」

「あくまで目標だもん。そんな目で、そんな期待の眼差しで見ないでよぉ」

「さらっとそんな目標言えるのがすげえよ」

「うんうん」


 なんか恥ずかしい。と璃紗はおさげを握りしめて顔を覆ってしまった。とてもかわいい。


「オレはやっぱり星夜大学の芸術学部だな。オレの絵も名だたる先輩の絵と並んじゃったり何か受賞しちゃったりしてさ、美千留に『お兄ちゃん大好き』って言われるんだ」

「何をするにしても美千留ちゃんだねぇ。……有主君は?」

「えっ、ぼく……?」


 地元の学校だからという理由で、星夜高校、星夜大学のことしか考えていなかった。本が好きだから文学部かな、なんて考えるけれど、それもなんとなくで、はっきりとした目標や夢があるわけではない。


 信号待ちで立ち止まった二人の視線が左右から突き刺さっている。


「ぼくは、とりあえず……無事に中学校を卒業したい……」

「あー、まあそれもそっか。あと半分無事に過ごしたいよな」

「わたし達サポートするからね」

「うん、ありがとう」


 やりたいこと、なりたい自分、将来の夢、か。次のページが白紙では、進むことはできないものね。


 ぼくが丁度今考えたことと同じようなことを琉衣が呟いた。「夢、夢……」と繰り返し、大きく頷く。


「そうだ。夢だ! 夢の世界! チルチルとミチルや、アリスや、ドロシーが冒険した夢の世界だ!」


 忘れないように、とぐちゃぐちゃのバッグからメモを出してペンを走らせる。


「琉衣君、スランプから抜け出せそう?」

「あぁ。いいアイデアが思いついた。そうだ、そうだよ。オレ達にぴったりじゃないか」

「よく分かんないけど、琉衣がそれでいいならいいと思うよ」


 信号が青に変わる。笑い合いながら、ぼく達は一歩踏み出した。








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