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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
十八冊目 混沌鉄道
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第百三十八面 異世界から来た人間

「毛、せめて羽毛のある生き物になりたかった」

「急に自己否定するのやめてください」


 サンドイッチにがっつきながらヤマトさんは言う。


「せめてせめて、マスターみたいな透明な翅ならよかったんだけどな」


 仮に蛹のような休眠状態になって損傷部分を治すんだ。と、先程のクロヴィスさんと同じような説明をした後に突然自己否定をし始めた。零れてきたマヨネーズを舐めとり、溜息を吐く。


「例えばカブトムシの角が折れるだろ? 『やべえ! 寝よう』って思って蛹モードになれば治るんだよ。でも、俺みたいな蝶、あと蛾だな。鱗粉を持っている場合、知らないうちに日常的にばらまいて生活している。剥がれすぎると生活に影響が出るんだけど自分じゃなかなか気が付けないんだよな。そうすると本能が『寝ろ』って言ってくる。本人の意思に関係なく」

「だからさっきみたいに倒れてしまうんですか」

「不便だよなあ。まあマタタビに踊らされてる帽子屋みたいなのもいるし本能には抗えないんだよな。ヒトだってそうだろ?」

「そうですねぇ」


 レタスをもしゃもしゃ食べているのを見ていると、キャベツにへばりついている青虫の姿が連想された。


「ぼくくらいの歳の時は本当に蛹だったんですか?」

「……その話はやめよう」


 サンドイッチを平らげ、「そんなことよりも」とぼくを見る。


 ヤマトさんは右目を隠す長い前髪に触れた。その手は微かに震えていた。


「……アレクシス君はここの人間じゃあないんだな」


 彼に対して隠すことはもうできないだろう。認めるしかない。


 ぼくが頷くと、ヤマトさんは薄く笑った。懐から煙管を取り出して咥え、一緒に手に取った小箱を開ける。あの中に刻み煙草が入っているのだろう。しかし、何もしないで閉じてしまった。煙管も口から離す。どうやら煙草が空だったらしい。


 喫煙具を全部しまい、改めてぼくを見る。


「アレクシスって本名じゃないんだな、じゃあ」

「有主です。神山有主。神の山に、有る無しの有無の有に主」

「有主君、か。へえ、格好いいじゃん」

「……イーハトヴ文字分かるんですね」

「漢字もひらがなもカタカナも読めるし書けるぜ? お兄さん勉強得意なんでね」


 近くにあった枝を拾って彼が地面に書いたのは、「河平大和」という文字列だった。名前だ。この人の名前で間違いない。


「俺の名前だ。いつもはローマ字表記でヤマト・カワヒラの順で名乗ってるけどな、これが俺の本当の名前」

「どうして漢字表記が」

「君は伊織のことを知っているのか」

「……大和さんの言う伊織さんがぼくの知っている伊織さんかどうかは分かりませんが、そういう名前の知り合いはいます。大和さんに似てるんです、その人。だから訊いてみたくて。落とされるほど驚かれるとは思いませんでしたが」


 地面に書いた名前を消して、前髪を押さえる。


「俺に似てんなら間違いねえよ」


 遅くなるから続きは飛びながらにしよう。と大和さんはぼくのことを抱き上げた。今度は雑に抱えるのではなくいわゆるお姫様抱っこの形だ。ぼくの頭は大和さんの右側にあり、長い前髪で彼の表情を窺うことはできない。


 ぼくが衿にしがみ付いたのを確認すると、大和さんはひらりと飛び立った。


「昔あるところに、それはそれは美しい蝶の男がいました。ある日、彼は一人の人間の女と出会い、恋に落ちました。ドミノとトランプの結婚は、禁止されているわけではありませんがお互いに避けるべきものとして考えられています。しかし、二人の愛は種を越えて育まれ、かわいらしい双子の男の子が生まれたのでした。数年の時が過ぎたある日、母は息子達に秘密を打ち明けます。『自分は異世界から来た人間なのだ』と。弟の方を連れて、母は元の居場所に戻って行きました。『もうこちらへは来られないんだよ』と父に聞かされながら、兄は見えなくなった母と弟の背をじっと見つめていました」


 昔話はこれでおしまい。と大和さんは言う。


 そんな……。じゃあ、つまり……。


「伊織は俺の双子の弟だ」


 それならば、寺園つぐみと寺園伊織は兄妹ではないということなのか。寺園兄妹が似ていないのも、伊織さんの目が青いのも、大和さんと伊織さんが似ているのも、全部。兄弟なのは、大和さんと伊織さんの方だったから。


 ということは、伊織さんは本当は河平伊織なのだろうか。どうして寺園姓を名乗っているんだ。


「大和さん、半分日本人なんですね」

「国に素性を知られたくない理由が分かっただろう? 異邦人バックギャモンどころか異世界人だぜ?」

「伊織さんは、大和さんのこと覚えていないって言ってました。名前は知っているのに、誰だったのか思い出せない……って……」


 長い前髪が風に舞い上がる。ぼくは思わず悲鳴を上げてしまった。綺麗な顔の右半分、そこには大きな傷痕があった。


「あっ、やべ。抱く向き間違えたなこれ。いやこんな風じゃどっちでも駄目か」


 額から頬にかけて走る傷痕に貫かれた右目は全くこちらを見ていない。鈍く光る灰色の瞳は真っ直ぐ前だけを見ていた。


「右目が……」

「触ってみるか? 上質なガラス玉だぜ」

「遠慮しておきます。……義眼、ですか?」

「見るの初めて?」

「そうですね……」


 ちょっと事故に巻き込まれてな、と大和さんは言った。髪が下りてきたので、灰色の瞳は見えなくなった。


「伊織が俺のこと覚えていないのも、あの事故が原因かもしれない」


 元の世界へお母さんと帰る時に何かあったのだろうか。見上げた顔は長い前髪に隠されていて、彼の表情は分からなかった。その後はずっと無言で、ぼくもおとなしく抱えられていた。


 家に着いたぜ。という声を聞いて下を見ると、三月ウサギの庭の中に建てられた一軒の家が見えた。庭先のティーセットは片付けられており、夕食の準備をしているらしい美味しそうな匂いが漂って来ていた。


 大和さんは家の上空に留まっている。


「チェシャ猫と帽子屋は有主君の正体を知っているのか」

「……さて」

「何らかの移動手段を君は持っている。そうだろう」


 鏡の存在を知られるわけにはいかない。口外するなと言われている。王様も気にしているような代物だ。


 ぼくが黙っていると、大和さんはひとまず観念といったところで溜息を吐いた。降下し、石畳の上にぼくを下ろす。そして、前髪を押さえながらにひひっと笑った。


「行き来ができなくなると父さんは言っていたが、まだ繋がっている。ここと、そっちは。その扉、見付けてやるよ」

「会いに行くんですか、伊織さんに」

「……それとなく俺のこと訊いてやってくれないか。思い出すかもしれないし」

「分かりまし……あっ。あの、かぐや姫が好きだって言ってました。大和さんも好きなんですよね、かぐや姫。諳んじているのを聞きました」


 懐手をしながら浮かび上がった大和さんは、かぐや姫という言葉に一旦翅を止めた。石畳に下駄の歯が当たり、からんと音が鳴った。


 日が沈み、月が昇る時間。暗闇が溢れる逢魔が時。青い瞳がぼくを見つめている。


 触覚のように跳ねている髪が風に揺れた。それを合図に大和さんは口を開く。


「母さんがよく読み聞かせてくれた絵本だ。夜寝る前とかによく話してくれた。『これがもとのお話。大きくなったらきっと読める』って渡されたのが『竹取物語』だな。そうか、伊織も……」


 懐から取り出されたのは『竹取物語』の文庫本だった。カバーは破れ、ページも黄ばんでいる。表紙を優しく撫でてから懐にしまう。


 そしてぼくに向けられたのは、顔面の綺麗さをいかんなく発揮した憂いを帯びた微笑だった。伊織さんもそうだけれど、まるで月を見上げるかぐや姫のようだ。


 大和さんはぼくの頭を雑に撫でまわすと、ひらりと舞い上がった。その時にはすっかりにやにや笑いに戻っていた。


「それでは有主君、またね」


 前髪を押さえながら飛び立ち、宵闇に消えていく。


 青いきらきらが見えなくなるまで眺めていると、玄関のドアが開いた。


「どなたかいらっしゃるのですか? あっ……。アリス君っ!」

「アーサーさ……」

「どこまで行っていたのですか! 貴方は……。こんなっ……! 心配したのですよ!」


 白い手袋に覆われた手がぼくの頬を撫でた。シルクの肌触りがとても心地いい。


「怪我等はしていないようですね……。よかった……。よかった、よかった。何か事件に巻き込まれたのではないかと心配で心配で。エドウィンのことをみっちり何時間もかけて叱ろうかと……ん? エドウィンは一緒ではないのですか?」


 事情を話すと、アーサーさんはさあっと青褪めた。いつの間にやらやってきていたニールさんも険しい表情をしている。


「帽子屋、オマエ絶対夜に外出するな」

「め、命令しないでください馬鹿猫のくせに!」

「今張り合ってる場合じゃねえだろ。俺の言うこと聞いてくれ、帽子屋」

「兄さん……」


 ニールさんはがしがしと頭を掻きながら大きく大きく息を吐いた。「頼むからさ……」と呟いて家の中に入って行く。


 革靴の底が石畳に擦れる音がした。アーサーさんは不安そうな顔のまま廊下を見つめている。その細い首筋に痣のようなものがあるのをぼくは見逃さなかった。ぼくの記憶違いでなければ、昼間のお茶会の時にはあんな痕はなかったはずだ。


 ぼくの視線に気が付いたのか、アーサーさんは首に手を当てる。


「あっ……」

「どうしたんですか、それ」

「えぇ……っと……」


 視線が泳ぐ。泳ぎまくっている。


「……すみません、夕食の準備があるので。アリス君もさっさと中に入ってください」


 ぼくの質問に答えることなく、足早に家に入ってしまった。泣いているように見えたのは気のせいだろうか。


 戸締りを確認してから廊下を進み、帰宅することを伝える。キッチンからは小さくアーサーさんの返事が聞こえたけれど、ニールさんの声は聞こえなかった。部屋にいるのかな。


 しかし、彼がいるのは自室ではなかった。アーサーさんの部屋のドアを開けたぼくの目の前に立っていたのだ。思わず「うぉっ」と声が出る。


わりぃな、驚かせたか」

「驚きますよ!」

「……見ただろ。帽子屋の首のアレ」

「どうしたんですか、あれ」


 ニールさんは険しい表情になる。


「オマエらが出かけた後、ナザリオも帰ってから、街まで買い物に行ったんだよアイツ。買い物を終わらせてから、オマエらが乗ったのが気になるからって地下鉄の駅の傍まで行ったらしい。そうしたら、後ろの方から悲鳴が聞こえて来てな……。何だろうって思っているうちに首引っ掴まれて押し倒されたって」

「えっ」

「首を絞められたって言ってた……。必死に抵抗したら買って来たものだけ盗られて解放されたらしいんだけど……。ものすごく怖い思いをしたはずだ……。俺が、俺が一緒に行っていれば……」

「誰がそんな」


 鋭い犬歯が煌めいた。獲物を逃がさない捕食者の顔になっている。その対象は絶対に自分ではないのに、見ているだけで恐怖を覚えるほどだった。


 ニールさんは首を横に振り、発動しかけている呪いを抑えた。


「バンダースナッチが地下鉄の沿線に現れたんだ。オマエの言っていたのと同じだな」

「こっちの駅にも出たんですね」

「……帰って来た時、アイツ真っ青で、震えてて。『お兄ちゃん、お兄ちゃん』って言ってぎゃんぎゃん泣いてたガキの頃みたいだった」


 だからぼくを見てあんなに安心した様子だったのか。気が気でなかっただろうな。


「アリス。今抑えてるから、今のうちに帰った方がいい。俺もう、たぶん、ヤバいから。ガキに見せられねえから、帰って……。ごめん。また明日、話そう……」


 ニールさんの瞳に危ない光が宿った。口角がチェシャ猫の名に恥じないほど吊り上がる。


 ぼくは逃げるように姿見を潜る。聴覚によって捉えられる情報がワンダーランド側からぼくの住んでいる世界に切り替わる直前、聞こえてきたのは形容しがたい猫の鳴き声だった。あれは咆哮だ。


「弟を傷付ける者、全部……!」


 そこで声は途切れて、ぼくの耳は静かな自室に小さく聞こえる時計の針の音を聞き始めた。午後七時半。学校からは七時を目安に帰りましょうと言われている。


 ランスロットが買ってくれたペンを机に置く。地下鉄に乗りに行っただけのはずなのに、今日は色々ありすぎて疲れたな。早く寝よう。


 遅い帰宅の言い訳を父と母にどうやってするか考えながら、ぼくは部屋を出た。






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