第百三十五面 似ている人
暇だったので、リチャードさんに小鳥のおもちゃを貸して貰った。背中のねじを回すとぴこぴこ動く、かわいらしいおもちゃだ。ひっくり返してみるとお腹の部分に文字が刻まれていた。
「イーハトヴ文字だ。小僧には難しいだろ」
作ったところの名前だろうか、「蟹沢機械研究所」とある。カニサワさん、かな。蟹沢さんというのが、リチャードさんの言う若いけれど腕のいいロボット研究者なのだろう。
「この蟹沢さんという人の作った機械って、他にも手元にあるんですか?」
「おっと、読めるのか。たいした小僧だな」
リチャードさんは感心した様子でぼくを見る。ぶっきらぼうな人に見えていたけれど、実は優しいおじさんだったんだな。
漢字、もといイーハトヴ文字をすらすらと読んだぼくを見てランスロットも驚いた様子だった。お茶会のみんなの前以外ではあまり披露しない方がいいかもしれないな。余計な注目は集めない方がいい。
床に置いていた鞄から出てきたのは汽車のおもちゃだった。小鳥と同じように背中にねじが付いている。これも回すと動くのだろう。走るのかな。
「カナタ・カニサワ。彼の作る機械は本当に素晴らしい。いつも肩に鳥のロボットを載せているが、あれもおそらく彼が作ったのだろう。特に素晴らしいな、あれは」
ぼくは汽車のおもちゃを受け取る。ヘッドマークに「ギンガ」と書かれているので、おそらく銀河鉄道を模して作ったのだろう。窓を覗いてみると車内まで丁寧に作り込まれていた。
「おや、ミスター・カニサワの作品だね」
通路から声をかけられた。
見ると、若い男二人組が立っていた。一人は長い金髪をポニーテールにしており、もう一人は黒髪だ。金髪の方はにこにことぼくの方に手を伸ばしてきて、黒髪の方は慌てた様子で金髪を止めようとしている。
「アル、やめとけ」
「いいだろうちょっとくらい。ザックは堅物だな。ね、見せて見せて」
どこかで見たことあるぞ。この長い金髪に、所謂スチームパンク風の格好。
「あぁっ! 王子さ――」
金髪の方――ワンダーランド第一王子アルジャーノン殿下は人差し指を立てて唇に添える。そしてウインクをした。
「ひ・み・つ。ねっ」
お忍びなのだろうか。この目立ち過ぎている長髪、ワンダーランドでは珍しい服装、絶対乗客みんなにばれていると思うんだけど……。リチャードさんもかしこまっているし。
銀河鉄道のおもちゃを差し出すと、殿下は小さな子供のように目を輝かせた。
「っははー! ミスター・カニサワの銀河鉄道だー! 見ろよザック!」
「殿下……。アル、はしゃぎすぎだ。子供か」
お供はクロンダイク公のようだ。公爵は呆れた様子で殿下のことを見ている。
「ったく……。ん? そっちのキミ……」
公爵はぼくの隣、窓側に座っているランスロットのことを覗き込むように体を動かした。ランスロットは窓の方を向いている。
「……気のせいかな」
「ザックー!」
「五月蠅いなぁ!」
主と配下というより、仲のいい友達みたいだな。前にちらっと見た時には公爵は殿下に対して恭しく接していたけれど、こちらの方が素なのではないだろうか。
殿下は銀河鉄道をくるくる回しながらまんべんなく見ている。
「さすがだ……。さすがすぎる……。ありがとう少年、いいものを見ることができた」
「満足か?」
「よし、決めた。ザック、今度イーハトヴに視察に行こう」
「この間行ったばっかりだろ」
「楽しみだなー」
ぼくがおもちゃを受け取ると、殿下は「余は満足じゃ」というように後ろの車両へ向かって行った。疲労困憊といった様子の公爵が後を追う。
二人の姿が見えなくなると、リチャードさんは肩の力を抜いた。
「緊張した……。小僧はすごいな、殿下を前にしてごく普通に会話をするのだから」
「いえ、そんな……」
王様にたてついたから王子様はそれほどでもないだなんて口が裂けても言えない。緊張自体はしていたと思う。今になって心臓がばくばくし始めた。
なんだか震えだしてしまいそうな手を伸ばして、ぼくはリチャードさんに汽車のおもちゃを返す。鞄にしまう際に、他にもたくさん金属製のおもちゃが入っているのが見えた。あれらも蟹沢さんの作品なんだろうな。
窓の外の暗闇ばかりを見ていたランスロットが車内に向き直った。
「こんなところに来てるとは思わなかった……」
ほっとしたように胸をなでおろす。ぼくと目が合うと、瞬時に愛想笑いが顔面に貼り付けられた。
職人街で降りるぼく達を、リチャードさんは優しい顔で見送ってくれた。
「あれっ、そういえばぼく達無賃乗車なんじゃ……」
「気が付かれてないからいいんだよ」
よくないと思うけどなあ。でもぼくはワンダーランドの通貨を持っていないし、そのことを彼に知られるわけにもいかないだろう。仕方ない、か。とても罪悪感を覚えるけれど。
「ランスロット」
「ん?」
「ボールスって名乗ってたのは何で?」
腰に巻ているジャケットが風を孕んで広がる。
そして、そのことを訊いてしまっていいの? というように口元が歪められた。
「スートを覚えられては困る。名前も同じだよ」
「どうしてぼくには名前を……?」
「……ランスロットというのが本名だとは一言も言っていないよ?」
友達と待ち合わせをしている場所はどこなんだい? とランスロットは訊いてくる。
仲良くなってきたかなと思っていたけれど、信用はされていないんだな。仕事の事情もあるのだろう。むしろ彼の素性を把握している人はいるのだろうか。
「えっと、鍛冶屋さんなんだ、行くの」
「鍛冶屋? 友達って、中等学校の友達とかじゃなくて?」
「えっとね」
「それとも前に探していた獣の?」
「騎士なんだ」
騎士と聞いてランスロットの表情が強張った。愛想笑いが若干引き攣る。
「へえ、キミ顔が広いんだね。ブリッジ公爵夫人とも知り合いなんだろう?」
「まあ色々ね」
「もしかしてアルジャーノン殿下とクロンダイク公とも?」
歩き出したランスロットが振り向きながら言った。ぼくはすぐに追い駆ける。
「ううん、初対面だよ。ランスロットこそ、あの二人と面識あるの? 顔見られないようにしてたみたいだけど」
「とある人に雇われた時にちらっとね。見られないに越したことはない」
もういっそのこと仕事の時には仮面を被ってしまってはどうだろうか。しかしそれでは逆に目立って印象に残りやすくなってしまうな。顔を覚えられないように毎回仮面を変えないといけないし。いい案だと思ったけれどこれでは駄目だ。
難しい仕事なんだろうな、傭兵って。
前方を行くランスロットの左耳でピアスが揺れている。ピンク色の四つ葉のクローバー。
「ねえ」
「何?」
「……ライオネルって人のこと知ってる?」
ランスロットが立ち止まった。軽くピアスに触れてから振り向く。しかしすぐに前を向いてしまった。振り向いた一瞬見えた顔はやはりライオネルと似ていた。
「知らないなぁ」
くるりともう一度振り向き、笑う。口元だけが優しく笑っていた。目は全く笑っていない。
「そ、その人、ランスロットにそっくりなんだ。親戚かなあって思って」
「……似ている人っていうのは三人はいるものだよ」
今度は目も笑った。にこりと笑うと、ランスロットは踵を返して歩き始めた。
ただのそっくりさんなのかな。それにしては似すぎているように思えた。昔会っただけで覚えていない親戚や、存在を知らない親戚だっているものだ。今度ライオネルに会ったら彼にも訊いてみるとしよう。
なんだかあまり楽しくない空気がぼく達の間には流れていた。もしかするとライオネルとは知り合いで、とても仲が悪いのかもしれない。ぼくがライオネルのことを訊いてから、ランスロットは無言で歩き続けていた。
「あれが鍛冶屋だよ」
一緒に歩いていたのに、彼の声を聞くのは何分振りだろうか。
ランスロットの指差す先には一軒の建物がある。その店先にはベンチが置かれており、一人の青年が腰かけているのが見えた。本を読んでいるようで、道行く人達のことは眼中になさそうだ。もちろん、ぼく達のことも。
「あっ、あれエドウィンかな」
「エドウィン……?」
「友達だよ」
「王宮騎士の?」
「うん」
ぼくは鍛冶屋さんへ向かって駆け出した。
「おーい! エドウィン!」
本を読んでいた青年が顔を上げる。無表情な緑がぼくを捉えた。無にちょっぴり驚きが混ざったように見える。
「ナオユキ……! オマエ、どこに行っていたんだ。何時間経ったと思っているんだ」
「色々あって……。でも、この人が案内してくれて……あれ?」
振り返るとランスロットの姿はなかった。そこには、黒いジャケットが丸めて置かれているだけだった。




