第十二面 公爵がいるのはまだ先なんですか?
さすがカエルというべきか、ラミロさんはぴょこぴょこ跳ねるように進んでいく。ルルーさんの跳ね方とは少し違うかな。ラミロさんの方がジャンプしてそう感が強い。
「小僧、もっとしゃきしゃき歩けないのか。その見た目で意外と歳なのか。歩けないのか」
「見た目通りの十三歳です」
「何? ワタシはてっきり十くらいかと思ったよ。ははは」
ははは。じゃない。失礼な。日本人は海外で若く見られるとは言うけれど、異世界に来てもそうなんだろうか。エドウィンは結構日本人っぽい顔してたけど、彼も若く見られているのかな。
公爵夫人のログハウスを後にして、だいぶ歩いた。ラミロさんは疲れないのか、全くペースを落とそうとしない。普段部屋に引き籠って本ばかり読んでいるぼくは、当たり前だけど運動神経とか体力とか、そういったものを持ち合わせていない。
「公爵がいるのはまだ先なんですか?」
段差に飛び乗ったラミロさんが振り返ってぼくを見下ろす。
「まだ歩くよ」
「そうですか」
明日は筋肉痛確定だな。
道すがら、ラミロさんと色々お話しした。
ワンダーランド、というのはこのトランプの国を指す言葉であって、この世界全体のことではないそうだ。ワンダーランドの他にも国家的なものは存在しているという。ただ、ワンダーランドの領土がとても広いため外国へ行くのはかなり大変らしい。何日もかかるそうだ。
学校制度は存在している。六歳になる年度の秋から義務教育が始まり、六年間の初等教育、そして四年間の中等教育を経て、十五歳になった年度の夏に十年間の義務教育課程を修了する。ぼくは今年十三歳になったから、当てはめるなら中等過程の二年生だ。義務教育を終えたら、後は就職するなり高等教育機関に進学するなり、専門学校で何かを極めるなり、その人の自由だ。
ワンダーランドの法律では日本と同じように二十歳で成人だけれど、お酒は十八歳かららしい。元々成人も十八だったのが、近隣の国の影響で二十に伸びてしまったそうだ。具体的に誰というとエドウィンが今年二十歳になるのだという。王宮騎士になったのは昨年度で、まだ二年目だそうだ。士官学校は二年制らしい。エドウィンについてラミロさんは「あの若造には荷が重すぎる」と少し心配しているような素振りを見せた。重すぎるって? と訊くと話を逸らされてしまった。管理だとか、そういうことかな。
ミレイユ・コントラクト・ブリッジさんは赤のハートのエース。エースはお金持ち、と以前ルルーさんが言っていた。貴族ではないのかな、と思ったら、ぼくが訊ねる前にラミロさんが教えてくれた。公爵夫人の実家は大富豪だけれど爵位を持たない家で、社交パーティーの時に公爵に目を付けられて今に至るらしい。いわゆる玉の輿というやつですね、と言うと否定された。公爵夫人の実家は大商家であり、その資産は年度によってはブリッジ公爵家を僅差で越える互角なものだという。ワンダーランドの市場を掌握する大富豪イレブンバック家のお嬢様にとっては公爵家ですら玉の輿ではないそうだ。そんな彼女を娶ったブリッジ公爵、これから会いに行くわけだけれど一体どんな人なんだろう。
ラミロさんは元々イレブンバック家の使用人で、お嬢様のお嫁入りに従者として付いて来たのだという。
「ラミロさんはトランプ……ではないですよね」
「見れば分かるだろう」
「通り名ってどうなってるんですか」
「カエルの召使。ワタシの家は代々良家に仕える使用人を輩出しているんだ。誇りある名だよ」
召使とは言うけれど、代々そうなら本当に誇れるんだろうな。凄腕の使用人カエル軍団に違いない。
小川が流れていた。水は透き通っていて、川底が見える。色とりどりの小石があって幻想的な雰囲気だ。
ここで休憩しよう、とラミロさんが大きめの石の上に腰を下ろした。ぼくもちょっとだけ離れたところで石に座る。
公爵夫人のログハウスを出てからどれくらい時間が経ったんだろう。腕時計でもしてくればよかったな。
「あの、今何時か分かります?」
「何時かなー。家を出てから四十分くらいかな」
時間を聞いたのに……。
ラミロさんは川の水に手を突っ込んでばしゃばしゃやって楽しそうだ。子供っぽいなあと思ったけれど、この人はカエルなんだから水に喜んで当然か。
「ぼくはもう大丈夫です。心配してくださったんですよね……?」
「おう。それなら行こうか」
「公爵がいるのはまだ先なんですか?」
「もう少しかな」
「ラミロさんにお遣い頼めばいいのに……」
「ワタシはあくまで道案内だから。奥様は小僧がひいひい言ってるのを楽しみたいんだろ。あの方は楽しければ何だって喜ぶから」
趣味の悪い人だな。
顔に出ていたのか、ラミロさんは「そんな顔するんじゃないよ」と言ってぼくの肩を叩いた。
「性格はちょっとあれだけど、ワタシにとっては最高の御主人様だからな。あれでいてかわいいところだってあるんだよ」
このカエル、できるやつなんだろうな。
「さあ、あともうちょっとだからさ、頑張んな」
しかも優しい。
「よう人間、ブリッジ公に用事か?」
開けた所に出た。
声のした方を見ると、馬鹿でかいキノコの上に男が座っていた。この世界では初めて見る和服風の着物を纏っている。着物の裾は足を組んでいるため捲れ上がり、すらっとした足が伸びているのがよく見える。手には煙管を持っていて、紫煙がぷかりぷかりと上がっていた。
「カエルは、夫人の所のだな」
肩に掛けているだけの羽織りは羽に押しやられてかろうじてくっ付いているような感じで、なぜ落ちないのか不思議だ。そう、羽があった。いや、翅と言った方が正しいかな。男の背から生えているのは美しい蝶の翅だった。モルフォ蝶の翅のように青く光っている。
「芋虫じゃない……」
「ん? 何だ? 俺は蝶だ。芋虫なんて醜い子供時代は遥か昔。蛹から一皮むけて、立派な大人さ。この美しい俺に向かって芋虫とは失礼な子供だな」
蝶は煙管を咥えてぷかぷかやる。
「ブリッジ公なら屋敷にいる」
「教えてくれてありがとうございます」
「カエルをお供にやってくるなんて、夫人に何か言われたのか? まあ、せいぜい頑張ることだな」
ふうっ、と紫煙を吐き出して蝶は飛び上がる。青い翅をきらきらさせながら高く舞い上がっていく。
小さく遠くなっていく蝶を見送って、ラミロさんは歩き出す。
「アイツは森をふらふらしている風来坊だよ。またどこかで会うかもな」
さて、いよいよ眼前にお屋敷が姿を現した。テレビの海外を旅する番組で見た貴族のお屋敷そのまんまの立派なお屋敷だ。
角の生えた悪魔みたいな怪物のノッカーを鳴らすと、扉が開いて魚頭の男が顔を出した。
「ラミロじゃないか」
「ミレイユ様のお遣いだよ」
水族館の魚は自由気ままに泳いでいる。お店で見るのは動かない魚達。死んだ魚の目とは言うけれど、生きた魚の目に見つめられるのは初めてだった。