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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
十七冊目 ドール・ドリーム
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第百二十一面 もし暇ならボクと出掛けない?

 ぼくは無事に一学期を生き延びた。


 えっ、すごくない? すごいな。ぼくすごいぞ! 偉い! やったぁ!


 ぼくはやったぞ!


「やったぁっ!」

「有主、あんた何してるの」


 声のした方を見ると、母がドアを開けて立っていた。自室で一人喜びに手を振り上げていたぼくはそろそろと手を下ろす。


「ノックしてよ!」

「しました。返事しないから開けたの」


 母は畳まれた洗濯物をベッドに放り、部屋を出て行く。恥ずかしいところを見られた気がする。


 カレンダーは二〇二〇年七月。明日の終業式で一学期は終わりだ。もう勝ったも同然だ。明日頑張れば終わりだ。





 終業式の後、ぼくは図書室へ向かった。夏休みの長期貸し出しを今日まで受け付けているので、図書局員には最後の仕事が残っているのだ。


 カウンター内に座る鬼丸先輩は、ぼくに気が付くとぱあっと顔を輝かせた。眼鏡の奥で目がきらきらしている。


「神山君!」

「は、はい!」

「夏休みボクと出掛けないか」

「……はい?」

「ひとまず仕事だ。詳細はそれから」

「は……はぁ?」


 ぼくは司書室にリュックを置き、カウンターに入った。


 夏休みに入るということで、普段はあまり図書室を利用しない人もちらほらと見かけた。読書感想文の宿題に使う人というもいれば、この休みに何か読んでみようという人もいるだろう。


 バーコードを読み込んだり本棚の整理をしたりしているうちに時間は過ぎて、図書室の閉館時間となった。いつもよりちょっと早い閉館だ。


 司書室で帰る支度をしていると、改めて鬼丸先輩に声をかけられた。


「神山君」


 先輩は手にパンフレットらしきものを持っている。


「夏休み、もし暇ならボクと出掛けない?」

「特に予定はありませんけど……。お盆に親の実家に行くくらいです」


 机に置かれたパンフレットには『グランピングを楽しもう!』と書かれている。グランピングとは何だろう。聞いたことがあるようなないような。掲載されている写真から考えると、キャンプのようなものだろうか。


 先輩はちょっと困ったように笑ってみせた。


「おじいちゃんが商店街の福引きでグランピング体験チケットを当てたんだ。けれど何日も店を留守にするわけにはいかないだろう? で、『栞にあげるからお友達と行きなさい』って」


 友達と行けばいいのでは。


「でも友達いないしさ……」

「え」

「あ……」


 先輩は咳払いをした。


「か、神山君はいつも図書局の仕事頑張ってくれてるしさぁ」

「ぼくほとんど休んでますけど」

「あぅ」

「先輩……」


 眼鏡の奥の目が動揺しているのが分かった。先輩は机に手を付いて首を横に振る。ぼくのような不登校を極めようとする生徒と違って、先輩はこの三年真面目に登校しているはずだ。図書局長を任されるということはそれなりに信頼があるということだし、穏やかな物腰は大変人当たりがよさそうな印象を受ける。


 しかし……。


 先輩は机の天板を見つめている。


「クラスの人に声とかかけられないし……」


 ぼくは図書局にいる時の鬼丸栞しか知らない。骨董品店のおじいさんの孫だということはしっているけれど、学校で普段どのようにしているのかは全く知らないのだ。ぼくに見えているのは図書局長としての鬼丸栞であって、星夜中学校三年生の鬼丸栞ではないのかもしれない。


 グランピングか。外で遊ぶのは苦手だけれど、折角先輩が誘ってくれたのだし行ってみようかな。


「ぼく行きます」

「本当かいっ! おじいちゃんに報告できるよぉ。毎日毎日訊かれて大変だったんだよね」


 先輩はぼくの手を握って満面の笑みになる。おじいさん、先輩が喜んでくれると思ってチケットを渡したからその後どうなったか気になっていたんだな。まさか悩ませているとは思いもせずに。


 しばらく手をにぎにぎされていると、寺園さんが司書室に顔を出した。


「先輩達まだ帰らないんですか? 電気消しちゃいますよー。……何か盛り上がってます?」

「おっ、丁度いい所に。寺園さんもよかったらどうかな。うちのおじいちゃんに貰ったんだけどね」

「ぐらんぴんぐ? って、たまにテレビで紹介してるやつですよね。えっ。いいんですか? はい! わたし行きたいです!」

「で、でも先輩、ぼく達だけじゃ駄目ですよ。誰か大人の人について来てもらわないと」

「あぁ、そっか」


 ぼくは改めてパンフレットに目を落とす。グランピング体験のできるキャンプ場はどうやら隣町の昼日あけび市にあるらしい。星夜市内ならともかく、市外に出るならば子供だけで行くのはよろしくない。ぼく達はまだ中学生だ。


 パンフレットを眺めていた寺園さんが顔を上げた。そして、問題に答えるように手を挙げる。


「はい!」

「はい、寺園さん。どうぞ」

「先輩達がよかったらなんですけど、うちのお兄ちゃん、とか、じゃ、駄目でしょうか」





 学校を出て、ぼく達は寺園人形店へ来ていた。ショーウィンドウに置かれた等身大のビスクドールは青を基調としたマリンモチーフのドレスを纏っている。季節に合わせて衣装を変えているのかな。傍らにはかぐや姫を模した人形が座っていた。


 ボタン式の自動ドアが開く。寺園さんはこちらを振り向き、ちょっと笑顔になった。どうぞ、と、鬼丸先輩を案内する。ぼくはその後に続いた。店内にはどんな時期でも宣伝を忘れない五月人形や雛人形、少し不気味な雰囲気を放つ市松人形などが並んでいる。その奥、レジカウンターの上には赤い軍服を纏って歯をむき出しにした人形が佇んでいた。足元にはクルミが散らばっている。


 カウンターの奥の椅子にはエプロン姿の男の人が座っている。作業に集中しているようだったけれど、ぼく達に気が付いて顔を上げる。手には球体関節人形の胴体が握られていた。


「おかえりつぐみちゃん。……と、神山君と……」

「うちの図書局長!」

「鬼丸栞です。初めまして」


 伊織さんは人形の胴体をカウンターに置く。


「伊織だよ。……鬼丸君って、もしかして、角田(かくた)さんの所の?」

「おじいちゃんのこと知ってるん……あっ! そうか。おじいちゃんが言っていた若い人形職人って、アナタですね?」

「角田さんにはいつもお世話になっているよ。よろしく伝えておいてくれるかな」

「はい」


 角田さん?


 先輩と伊織さんは初対面らしいけれど、角田さんという人が共通の知人のようだな。先輩の口ぶりからするともしかして骨董品店のおじいさんのことだろうか。


 会話の盛り上がっていた先輩と伊織さんがこちらを向く。


「神山君、もしかして知らなかった?」

「おじいさん、ですか?」

「そう。うちのおじいちゃん、角田大悟だいごね。うちの店に置いてある新しい人形はここから仕入れているんだよ。古いものじゃなくても、人形は纏う雰囲気がいいからね」


 あのおじいさん、そういう名前だったのか。お店にいる人の名前なんてそんなに気にならないし、「店主のおじいさん」として認識していたから今の今まで全く知らなかったな。そうか、角田さん。ということは、先輩から見ると母方の祖父なのだろうか。それとも父親が母親の姓を名乗ったのだろうか。いずれにしても、先輩とは苗字が違うようだ。


 ところでぞろぞろと何の用かな。と言って伊織さんはカウンターを立った。腰に付けたポーチに何やら道具がたくさん入っていてはみ出ているのが見える。あれで人形の調整をするのかな。そして、今日も長い髪はぐるぐると丸められている。簪の先から垂れる飾りは青い色の蝶だ。


 先輩はリュックをごそごそといじってクリアファイルを取り出すと、グランピングのパンフレットを伊織さんに見せた。


「おじいちゃんが福引でグランピングの体験チケットを当てたんです。それで、図書局の後輩を誘うことにしたんですけど子供だけじゃ行けないので」

「昼日市か」

「はい」

「それで、お兄ちゃんに引率してもらおうかなって! で、連れてきたの!」


 伊織さんはパンフレットを眺めている。ぐるぐる巻いた先から、それでも零れ落ちてしまう髪が肩にかかった。ぱらぱらと捲って中身をぼんやりと確認していた伊織さんだったが、とあるページで手を止める。そこには、モデルとしてキャンプ場を紹介している女性が望遠鏡の傍らに立っている写真が掲載されていた。作業中に怪我でもしたのだろうか、絆創膏の貼られている指が写真を撫でた。


 もしかしてタイプの女の子? という寺園さんの質問には答えずに、写真を見つめている。


「……天体観測ができるのかい」


 そう訊かれて、先輩はパンフレットを覗き込んだ。


「そうですね。プランの中に含まれているみたいですよ」


 指先が女性と望遠鏡を辿り、その上の月に辿り着く。


「そう……。……うん、分かった。いいよ。付いて行ってあげる。けど、つぐみちゃんは父さんにちゃんと確認を取ること。神山君もお家の人にちゃんと言ってね」

「ありがとうお兄ちゃん!」

「あぁ、でも、三人かい? つぐみちゃん女の子一人で大丈夫?」

「はわっ! 本当だ! せんぱーい、誰か女子の先輩誘ってくださいよー」


 寺園さんは先輩を見上げる。一年生は残りは男子ばかりだものね。


 考えておくねと言って、先輩は伊織さんに向き直った。隣で見ていたからはっきりと見えたわけではないけれど、一瞬先輩の目が鋭くなったように見えた。まるで伊織さんを睨むように、見定めるように、疑うように。白ずくめの女のことを話していた時と似ている気がする。


「では、よろしくお願いします伊織さん」


 ふんふん頷いただけで返事を済ませ、伊織さんは再びパンフレットに目を落とした。先輩の鋭い視線に気が付いた様子はなく、愛おしそうに月の写真を見つめている。人形職人の性別不明な細い指先は、人形の滑らかな顔に触るように優しく写真の月を撫でた。








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