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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
十五冊目 海獣の歌は教訓である
110/236

第百八面 自信持とうよ

 アリス、キミはどこにいるんだい?


 ねえ、アリス。アリスはどこ?


 ……。


 兎さん、どうして答えてくれないの?


 このままじゃあ、練習時間がたっぷりできて乗馬も得意になってしまうよ……。


 アリス……。





          ♠





 紅茶屋さんで水出しの紅茶とピッチャーを買った。六月も下旬になってくるとそろそろ暑い。冷たい飲み物が欲しくなる季節だよね。


 ピッチャー一個と茶葉一袋を台所に置き、もう一組を手に自室へ向かう。そして、ぼくは姿見を潜った。





          ◇





 窓の外を見ると、お茶会セットのところには誰もいないようだった。ピッチャーと水出し紅茶の袋を手に廊下を進む。


「こんにちはー、有主ですー」


 リビングの方から返事があった。この声はルルーさんかな。


「やっほーアリス君」


 リビングに入ったぼくをうさ耳が出迎える。ルルーさんはぼくが手にした袋を見て、小さい子のように目を輝かせた。ぴょんっと立ち上がって近付いてくる。


「ねえねえ! 何それ!」

「水出しの紅茶なんです。美味しいアイスティーが作れますよ」

「お水で作るの? 氷を入れるんじゃなくて?」

「はい!」


 特に目当ての本もなかったので、お小遣いをはたいて二つ買って来たのだ。いつもお世話になっているからそのお礼だ。


「茶葉と水を入れたピッチャーを冷蔵庫に一晩入れておくだけでいいんですよ」

「へー。せっかく淹れたのに氷を入れるなんて! ってアーサーは言うけど、最初から水なら文句言わないかもね」

「アリス君のところにはよいものがあるのですね」


 声がしたので振り向くと、本を手にしたアーサーさんが立っていた。どうやら書庫にいたらしい。探し物でもしていたのかシャツは埃まみれだ。髪もぼさぼさで、目の下には隈ができている。かなり疲れているらしく、歩み寄ったルルーさんに支えられてやっと立っているという感じだ。


 アーサーさんはぼくの手から茶葉の袋を手に取る。


「イーハトヴ文字……。えーと、わん……わんだー……」

「ワンダーパーティーです。『不思議の国のアリス』をイメージしたブレンドらしいですよ」

「あぁ、アリス君の好きなお話でしたよね。我々に似た登場人物がいるという」


 似ているとかのレベルじゃないんだよなぁ。


 僕が置いてくるね! とルルーさんは茶葉とピッチャーを持ってキッチンへ向かった。アーサーさんはふらふらと進んで、倒れるようにソファに崩れ落ちる。


「大丈夫ですか」

「ええ、少し、物を探していて……」

「アーサー! お水飲む?」

「……はい」


 ゆるりと起き上がり、アーサーさんはずれ落ちていたサスペンダーをかけ直す。テーブルに置かれた本は随分と古いものらしくページが黄ばんでいた。その本の横にたっぷりの水で満たされたグラスが置かれる。一気に飲み干し、アーサーさんはページを捲る。


 本に書かれているのは当たり前だけれど英語だった。ぼくには内容を読み取ることができない。挿絵があるみたいだ。これは帽子かな? デッサンされた帽子の脇に小さな文字で書き込みがしてあるのも見える。


「それなの?」

「ええ、おそらく。しかし状態が悪いですね……」

「それを探していたんですか?」

「はい。父上が使っていたと思しき資料なのですが」


 なるほど確かに帽子の設計図のようだ。


「父上が駆け出しの頃手本にしていたものだと思われます。しかし、使い込まれている上に書庫の片隅にあったのでかなり傷んでいますね」

「引っ張り出してどうするんですか」


 アーサーさんはソファに寄り掛かる。


「超絶素晴らしい帽子を作ってほしい。と、頼まれてしまいましてね。断ろうとも思ったのですが、馬鹿猫が報酬を見て頷いてしまって……。作るのは私なのに……」


 アリス君が風来坊さんに会った日だよ。とルルーさんが言う。あの時出かけていたのは依頼があったからだったのか。


「人に仕事を任せておいて、自分は公爵夫人のところでいちゃいちゃいちゃいちゃと……。許さん、許さん馬鹿猫……」

「誰からなんですか」

「……王室です」

「え」


 次の言葉が出なかった。王室から依頼を受けたなんて、すごいことじゃないか。それを断ろうとしたアーサーさんもすごいけれど。すごいじゃないですか! とか、頑張ってくださいね! とか、そういう声をかけた方がいいのだろうか。


「父上は腕の立つ帽子職人でした。ドミノを娶った以外は上流階級にも認められていたと聞きます。実際イレブンバック氏との交流もあったようですしね。しかし、私のような者が王家の方に帽子を作ってよいのでしょうか」

「自信持とうよー! お姫様きっと喜んでくれるって!」

「……お姫様って、エドウィンが護衛してるっていうお姫様ですか?」


 アーサーさんはゆるゆると首を横に振る。


「そちらは第一王女のファリーネ殿下ですね。依頼主は第二王女のカレン殿下です」


 結構人数がいるんだな。何人兄弟なんだろう。


 王女様の要望に応えるためにはいい商品を作らなくてはならない。だからお父さんが参考にしていた本を引っ張り出したのか。アーサーさんは十分すごいと思うけれど、本人的にはまだまだなんだな。向上心が高いんだね。


 ぼくももっと上を目指したいな。何の上かは分からないけれど。なりたいものとか、目指したいものとか、夢とか、そういうものもそのうち見付けられるのかな。


 ぼくは向かいに座る。三人分のお茶を淹れてルルーさんがキッチンから出てきた。テーブルにカップを並べてぼくの隣に座る。


 二人して並んで様子を見守っていると、アーサーさんは本を持ち上げて顔を隠してしまった。


「なぜそんなに見るのです」

「他にすることないじゃん? ニールはいないし、ナザリオも来てないしさ。僕とアリス君がおしゃべりしてたら気が散るだろうし」

「お気遣いはありがたいのですがじろじろと見られている方が気になります」

「そうなの? ……あ」


 ぴょこぴょこ動いていたルルーさんのうさ耳がぴくりと動きを変えた。その直後、ノッカーが鳴らされる。


「おや、思っていたよりも早かったですね」


 本を置き、アーサーさんが玄関へ向かう。


「エドウィンにね、王宮図書館に資料がないかどうか探して貰ってたんだよ」


 しかし、玄関の方から聞こえてきた声はエドウィンのものではなかった。少し驚いた様子のアーサーさんの声も聞こえる。知らない人かな。ぼくとルルーさんは顔を見合わせた。


 そして、アーサーさんに連れられて一人の少年がリビングに入って来た。王宮騎士団の制服。軍帽に付けられたスートは水色のクラブ。裏地が青緑色のマントを羽織っている。少し長めの金髪が揺れ、気だるげな青紫色の瞳はぼくを捉えて薄く笑った。


 少年騎士は背負っていたリュックを下ろす。随分と中身があるらしく、ずしんという振動があった。


 アーサーさんはリュックから出てきた本を見て嬉しそうに微笑む。


「ご苦労様です」

「ねえねえ! 君は誰?」


 ルルーさんに訊かれ、騎士は居住まいを正す。


「王宮図書館所属のライオネル・アニスです。カザハヤさんの代わりに本をお届けに参りました。カザハヤさん忙しそうだったので」


 ライオネル……。


 アーサーさんに本の説明をしながら、ライオネルはちらりとぼくの方を見た。図書館の番人……か。


 リュックから取り出されたのはいずれも帽子やファッションを扱った様々な本だった。ワンダーランドの服飾の歴史や、最近の流行など、ありとあらゆる時代を網羅しているように見える。さすが王宮の図書館といったところだろうか。ぼくも行きたい。


「帽子屋さんも大変ですね。顔色悪いようですが大丈夫ですか」

「王女様の期待に応えて見せます」

「しかしまあ、どうしてドミノに……。ああ、失礼しました。すみません」

「いえ、慣れてますから」


 貸出の冊数は決まっているので、この中から五冊選んでください。とライオネルは言う。残りはその五冊を返却した時に貸し出すそうだ。どの本を選ぶか、少し時間がかかりそうだな。


 ルルーさんがお茶を淹れてきた。軽くお礼を言ってライオネルはカップに口を付けた。


 王宮図書館にドミノが出入りすることは禁止されているらしい。王宮の敷地内に入ることは人間トランプだって許可が必要なのだから当然と言えば当然だ。けれど、ドミノはその許可を取ることさえ難しいのだという。街にだって自由がないのだから、それも当然と言えば当然なのかもしれないけれど、そもそも住む場所を区切られているのがおかしいんだよな。国政についてぼくが口を出すのもおかしいのでそれは置いておくとして、そういう理由のためアーサーさんはエドウィンに本を探すよう頼んだのだ。


 本当にありとあらゆる書物を漁りたいのであれば、南西の国・ネルケジエに行くのが確実なのだとライオネルは言う。


「ネルケジエは国そのものが巨大な図書館だと言っても過言ではありませんからね。知識の集積庫ですよ。ボクはいつかネルケジエの図書館に行ってみたいです」

「それぼくも興味あります」


 青紫がぼくをじっと見る。


「アレクシス君……だったっけ……。へえ、帽子屋さんと知り合いなの……」

「アリス君この子と知り合いなの?」

「前にちょっと」


 ルルーさんの言葉を聞いてライオネルの顔が驚きに包まれた。ような気がした。それはほんの一瞬で、ぼくが視線を合わせた時には何事もなかったように気だるげな表情を浮かべていた。本が好きだと語っているけれど、好きなものについて話をしているわりには関心のなさそうな顔をしているな。


「アレクシス君……アリスって呼ばれてるんだ……? ふぅん」


 ライオネルは垂れてきた髪を掻き上げる。金色の中に紛れて、右耳に四葉のクローバーらしきピンク色のピアスが揺れていた。









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