第十面 オマエらの管理はオレの仕事だからな
役場の中はぼくがよく知るものとさほど変わらなかった。椅子があり、書類の書き方見本が貼ってあり、「これどうすればいいの?」と職員に尋ねている人がいて、カウンターがある。
「住民課は……あそこだな」
エドウィンに手を引かれ、住民課のカウンターへ連れて行かれる。生真面目そうな雰囲気の眼鏡女子という感じの職員が顔をあげて、御用は? と聞いてくる。眼鏡の柄部分にはピンクのダイヤが描かれていた。
エドウィンは空いている方の手でぼくを指差した。
「森で迷子になっているのをパトロール中に見付けた。スートをド忘れしたらしいから確認してやってくれ」
「お名前は?」
女性職員は眼鏡のブリッジを軽く押し上げる。
「コイツはナオユ……」
「わっ、ぼぼっ、ぼくはですね!」
「エドウィン!」
大きな声に言葉をかき消される。役場にいた人々は声のする方を見て声の主を確認すると、すぐに目を逸らす。相変わらずボーイッシュなというか、男装をしたルルーさんがずかずかと近付いてきた。エドウィンとぼくの手を引き剥がす。
「こんにちは! エドウィン!」
「三月ウサギ……」
「ちょっとお話いいかな!」
むんずとエドウィンの手を握り、女性職員にごめんね! と言って歩き出す。
「ルルーさん、どうしてここに」
「お買い物だよ! そしたら君の姿が見えたからね! あ! これヤバいやつだ! って思って」
「三月ウサギ、コイツはオマエの知り合いなのか? ヤマネのやつは知らないと言っていたが」
引き戸をえいやっと開けて、ぼく達は役場の外に出る。ルルーさんに連れられるまま、商店街を過ぎ、どんどん森に戻っていく。
「ええ~? じゃあ、アーサーったら、ナザリオには何も言ってなかったってわけ? もー」
「おい、どういうことだ。ナオユキは帽子屋とも面識があるのか」
街を抜け、森に少し入った辺りでルルーさんは立ち止まる。手を振りほどいたエドウィンが詰め寄ると、ルルーさんはちょっと後退る。
「女の子を威圧しないで!」
「都合のいい時だけ女ぶるな」
「いや、女の子なんだよ僕」
「知っている。そんなことはどうでもいいんだ。コイツはオマエらとどういう関係なんだ」
ルルーさんは何かを言おうとして口を開くが、声は出ていない。何回かぱくぱくした後、ぼく達の手を掴み歩き出す。
「おい、おい三月ウサギ、答えろ」
「だって、僕の独断で言うわけにはいかないよ。アーサーかニールに聞いてみないと……」
「ますます分からない。この子供は一体何なんだ」
前方を行くルルーさんのうさ耳がぴょこぴょこ揺れている。
草木を掻き分け、進む。進む。進む。途中、カエルのような頭をした人影が見えた。あの人さっきも見たな。人間以外は森に住む、という決まりでもあるのだろうか。街には人間ばかりだった。
ぴょんこぴょんこ、跳ねるように進むルルーさんに引き摺られるようにして、ぼく達は兎の庭を目指す。
視界が開けて来て、庭に辿り着く。相変わらずお茶会セットの脇に眠り鼠が横たわっている。ルルーさんのさっきの話によると、彼はどうやらナザリオというらしい。
「あれー? 二人共いないや!」
「ぼくが来た時もいなかったんです。その、そこで寝ているナザリオしか…」
「どこ行っちゃったんだろう? もしかしたら公爵夫人のところかな」
公爵夫人という名を聞いて、エドウィンの表情が強張る。心なしか、少し顔色もよくないように見える。それに気づいているのかいないのか、ルルーさんは公爵夫人ともう一度言う。さらにエドウィンから生気が消えたようだ。
「行こうか」
「行かなきゃ駄目か」
「王宮騎士がそんなんじゃ、国の一つも守れないよ。何を弱気になっているのさ。こ・う・しゃ・く・ふ・じ・ん・だよ?」
「やめてくれ……」
じゃあいいもん。と言ってルルーさんはエドウィンから手を離し、ぼくだけを引っ張る。
「エドウィンのこと連れてかない。だからこの子のことも教えてあげられない」
「ちょっと待ってくれ……」
置いてっちゃおうか。ルルーさんがぼくを引っ張って歩き出す。歩くのに合わせてうさ耳がぴょこぴょこ揺れる。
「待て、オレも行く!」
森の中をしばらく歩いていると、少し開けた場所に出た。小屋と言うのがふさわしいログハウスが建っている。テラスには控えめに椅子とテーブルが置いてあり、テーブルにはティーポットとティーカップが並んでいた。そして、椅子には優雅にお茶を飲む帽子屋の姿。
アーサーさんはぼく達に気付いたらしく、ティーカップをソーサーに置いて手を振る。
「こんにちは。エドウィン、今日も精が出ますね」
「オマエらの管理はオレの仕事だからな」
風が止まり、空気がぴりぴりした。睨み合っているわけではないのだけれど、薄く笑うアーサーさんと無表情なエドウィンとの間に火花が一瞬散ったようだった。
間にルルーさんが入り、わっと手を上げる。場を和ませようとしたのか、それともただ単にそういう動きが出たのか、どっちだろう。
「アーサー! 大変! エドウィンに見付かっちゃった! 言っても大丈夫かな!」
「致し方ないでしょう」
「分かった! あのねエドウィン、この子は異世界人なんだよ」
エドウィンはちょっときょとんとしてから、ぼくを凝視する。眉間に皺が寄り、だんだん人相が悪くなってくる。
「異世界ぃ?」
「聞いたことありませんか。空間を飛ぶ鏡のこと。彼は鏡の向こうから来たのです」
「コイツがぁ?」
「そうそう、アリス君なんだよ!」
「アリス……?」
眼球が零れるのではないかというくらい目を見開いて、エドウィンはぼくをさらに凝視する。
「アリスって、あの」
「エドウィン」
全ての感情を捨てたような冷たい声だった。テラスという少し高い位置に座っているアーサーさんがこちらを見下ろしている。銀に近い水色の瞳は何も見ていないように虚ろな光を揺らしている。
「このことは、内密に」
でも、と言いかけたエドウィンが口籠る。アーサーさんとルルーさんの冷たい目が彼を射抜くように見ていた。
彼らの管理が仕事。とエドウィンは言った。人間でない住人を管理する。というのは分からなくもないけれど、管理する側がこんなんでいいんだろうか。完全に押し負けている。
あのアリスって、どういうことだろう。けれど、こんな状況では聞けそうにない。
「さあ、今日はこちらでお茶にしましょう。ルルー、アリス君、こちらへ。エドウィンもどうぞ? 夫人も喜びますよ?」
「アーサー、ナザリオが家で待ってるよ」
「では彼とは帰ってから。ささ、どうぞ」
促されて、ぼくとルルーさんは席に着く。ワンダーランドに来るようになってから、毎日お茶会をしている気がする。ずっとティータイムの終わらない帽子屋が相手なんだからどうしようもないか。
テラスへの階段の下でエドウィンは踏み止まっている。ケーキスタンドに載ったスコーンらしきお菓子を見つめているのが丸わかりだけれど、何か意地でもあるんだろうか。帽子屋と三月ウサギのお茶会に参加すべきかしないべきか、クラブのジャックは生唾を飲み込んでケーキスタンドを見つめる。
「オ、オレは……」
ログハウスの中から赤ちゃんの泣き声が響いてきた。おぎゃあという一声で、階段に一歩踏み出していたエドウィンの動きが止まった。