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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
十四冊目 紫煙を纏う蝶
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第百七面 認めてもらえて嬉しいよ

 寺園さんは小首を傾げてぼくの質問の続きを待っている。


「寺園さん、お兄さんいる?」

「お兄ちゃん……。あ、はい、一応……」

「髪の長い」

「はい」


 じゃあ、あの男の人はやっぱり……。


「神山先輩、兄と知り合いなんですか?」

「知り合いってわけじゃないんだけど、この間道に倒れてるのを見たんだ。大丈夫かなって思って」

「また……倒れたんだ……」

「また?」

「あ! いえ、ちょっと貧血気味なんですよ。いつものこと……なので……」


 体が弱いのかな、琉衣みたいに。同じ事を思ったのか、辺りを物色していた琉衣が手を止めてこちらを見た。ぼくと目が合うと、手にしていたラミネートフィルムをそろそろと机に置く。


 寺園さんのお兄さんらしき人物、整形外科でも見たんだよな。そのことも訊いておこうかな。


「その、お兄さん? 整形外科で見たんだけど」

「手首痛めてて……。ああ! そうだ。神山先輩、鬼丸先輩に聞いたんですけど、アンティークなものとかお好きなんですよね」

「え? う、うん」


 寺園さんはシャープペンと消しゴムを筆入れにしまい、図書局便りの原稿をクリアファイルに挟んだ。筆入れとクリアファイルをスクールバッグに詰め込んで席を立つ。座っているところばかり見ているから新鮮だったけれど、結構小さいんだな。ぼくより少し小さいくらい。璃紗も含めて自分よりも背の高い女の人ばかり目にしている所為か、感覚が麻痺しているのかもしれない。普通の女の子はこれくらいの大きさなのか。


 後輩ちゃん、ちっちゃいんだな。と、琉衣が小声でぼくに言った。やっぱりちっちゃいのか。


「原稿は家でも書けますし、今日は当番じゃないので……。場所を借りていただけなんです。えっと、それで、ですね。神山先輩、もしよかったらわたしのお家に来ませんか?」

「へ?」

「鬼丸先輩も呼びたかったんですけど、今日は図書室来てないみたいなので……。宮内先輩もどうですか?」


 ぼくと琉衣は顔を見合わせる。何か見せたいものでもあるのかな。





 司書さんと先輩に挨拶をしてから、ぼく達は図書室を後にした。


 ぼくよりも背の低い……いや、差はあまりないのかもしれない。そんな寺園さんがとてとてと前方を歩いている。サイドアップにされた髪がぴょこぴょこ揺れていてちょっとかわいい。


 十数分歩いて、ぼく達は寺園さんの家に辿り着いた。お店をやっているらしく、看板とショーウインドウがある。ショーウインドウにはふわふわのドレスに身を包んだ等身大のビスクドールが飾られている。


「『寺園人形店』……」

「はい。わたしの家です。お人形屋さんなんですよ。どうぞどうぞ」


 ボタン式の自動ドアが開く。店内の大半は雛人形や五月人形といった日本人形で埋まっているものの、何体か西洋風の人形も並べられていた。元々日本人形を扱っていて、ドールにも手を出した、といったところかな。


 レジと思しきカウンターには赤い軍服を着て歯をむき出しにした人形が置かれていた。足元にクルミが転がっている。


「おかえり、つぐみちゃん」


 そして、カウンターの奥で椅子に腰かけているのは件のお兄さんだった。手には頭部のない人形を持っている。お兄さんはぼくを見て、少し驚いたように小さく声を漏らした。


「あれ? 君は……」

「図書局の先輩と、そのお友達。先輩、アンティーク雑貨とかに興味があるって言うから連れてきちゃった」

「へえ。いつも妹が世話になってるね。……兄の伊織いおりです。寺園……伊織」


 ぼくと琉衣が名乗ると、伊織さんは「自由に見ていっていいよ」と微笑んだ。


「お、お兄ちゃん。お人形いじるのしばらくやめろってお医者さんに言われてたよね。駄目だよ」

「大丈夫大丈夫」


 カウンターの上に人形の頭部が置かれていた。眼球が付いていないので、目を入れてからあの体にくっ付けるのだろう。しかし、伊織さんは人形の頭部を取り落としてしまった。咄嗟に駆け出したぼくが頭部を拾い上げる。床に落ちなくてよかった……。例え人形でも、目の前で頭が割れるのは見たくない。


 硬くて無機質な感じなのに、頬の柔らかさが感じられた。薄く開かれた唇が今にも笑い出しそうだ。眼窩の向こうに床が見える。


「瞳を入れると表情が出てくるよ。貸して」


 こちらに伸ばされた伊織さんの右手首にはサポーターが巻いてあった。整形外科で会った時も右手をいたわっているようだったし、痛めているのはこちらの手なのだろう。


「お兄さん、手ぇ大丈夫なんですか」


 ぼくの後ろから覗き込むようにして琉衣が言った。伊織さんは「平気平気」と言ってぼくから人形の頭部を受け取ると、裏側から眼球をはめ込む。そして、こちらに見せてくれた。


 白い肌の中にピンク色の瞳が浮かぶ。星を散らしたような虹彩は見ていて飽きさせない感じだ。髪の毛が付いて、ドレスを着たらきっともっと素敵になるんだろうな。


 まだ作業を続けようとした伊織さんだったけれど、手を止めてしまった。製作途中の人形をカウンターに置いて右手首をさする。手足を投げ出して横たわる人形を見下ろして溜息をつくと、椅子の背もたれに身を預ける。


「参ったな……」

「もう。しばらく安静にしてなきゃ駄目。お人形は我慢してよ」

「あの、どうしたんですか、手首。病院、行ってるみたいですけど」

「腱鞘炎だよ。同じ作業を繰り返していたら、手首が馬鹿になってしまった」

「だからやめろって言ってるのに、この人やめないんですよ。先輩も何か言ってやってください」


 何か言ってやれるほど親しい仲ではないので遠慮します。


「先輩達、自由に見ていってくださいね。何かあったらお兄ちゃんに訊いてください。わたしは図書局便りの原稿をやるので」

「頑張って」

「はい!」


 寺園さんはスクールバッグを肩にかけ直し、奥のドアに引っ込んだ。あちら側が居住スペースなのだろう。ぼくと琉衣は店内を見て回ることにした。


 どの人形もそれぞれ個性があって、まるで生きているようだった。雛人形の凛とした顔も、五月人形の勇ましい顔も、個体によって僅かに違う。


「細かいね」

「オレにはよく分かんないけど……。有主は人形とか好きだよな」

「好きっていうか、見ていて楽しい。元々本が好きでしょ? 作品の中に出てくるようなアンティークな家具とか、人形とか、読んでいるうちにそういうものにも興味を持つようになってさ」


 そういうことってきっとたくさんあるんだと思う。作品の中に出てくる食べ物が気になったり、動物を知りたくなったり。


 琉衣は球体関節人形を見下ろす。


「ちょっと、不気味っていうか、怖いっていうか、人形って独特だよな。美千留が小さい頃に遊んでた着せ替え人形とかはかわいいなって思ったけど……。美千留の方がかわいいんだけどさ」

「でも、琉衣もおじいさんのお店の雰囲気好きでしょ?」

「あれはわくわくする」

「おじいさんって、骨董品店のおじいさん?」


 いつの間にかぼく達の背後にいたらしい。伊織さんはサポーター越しに右手首を撫でながらぼく達を見る。先程は座っていてカウンターの影になっていたからよく見えていなかったけれど、作業用なのだろう、くたびれたエプロンをしていた。長い髪はくるくると巻くようにしてまとめられていて、女の人用らしき簪が突き刺さっている。


 立ち姿を見るとその雰囲気はやはりヤマトさんに似ていた。こちらの世界での彼の姿なのかもしれない。


「君達、あの骨董品店を知っているのかい」

「たまに行きます」

「……へぇ、そうなんだ。あそこにいくつか僕の作品もあるんだよ」

「お人形は全部伊織さんが作ってるんですか?」

「いや」


 伊織さんは日本人形の置いてあるスペースを指し示す。


「雛人形とか五月人形は店長……父さん、とか、あと職人さんが何人かいるんだ。僕は特別に許可をもらってドールの制作をしてる。ようやく認めてもらえて嬉しいよ。まあ、頑張りすぎて手首壊れたんだけどね」


 人形の話に特に深い興味を持っていない琉衣はぶらぶらと店内を見ていたけれど、レジカウンターの前で足を止めた。そこには先程からとてつもない存在感を放つ赤い軍服の人形が置かれている。


「これってあれですか。えーと、なんだっけこれ。ほら、バレエとか絵本の」

「くるみ割り人形、ですよね」

「そうだよ。見てみるかい」


 ぼくは伊織さんにくっ付いてカウンターに向かう。


 丁寧な金色の装飾が施された人形だ。人形の足元に置かれていたクルミを口に挟み、伊織さんは一歩退く。


「神山君、やってごらん。背中のレバーを押して」

「こうですか?」


 ぎゅっと押すと、ぐしゅっと割れた。すごい、としか言葉が出ない。語彙力が吹き飛ぶくらい感動した。


「は、はわぁ……!」


 変な声が出た。


 『くるみ割り人形』というとチャイコフスキーのバレエが有名だけれど、原作はホフマンの『くるみ割り人形とねずみの王様』だ。その小説を読んだ時から、一度でいいから人形でクルミを割ってみたいと思っていた。帰ったら読もう。


 『くるみ割り人形』の主人公であるマリーは人形の国を訪れる。アリスやドロシーは夢のような世界から帰ってきたけれど、マリーについてははっきりと描かれていないため解釈は読み手によって異なってくる。人形の国に行ってしまったのではないかな、とぼくは思っているけれど、どう感じるかは人それぞれだよね。夢の世界から帰ってこないという選択肢もあるということだ。


 ぼくはもう一度レバーを押す。


「はわぁあ」

「有主気持ち悪い」

「だってすごいよこれ」

「ペンチみたいなニッパーみたいなやつでやった方が速そう……」

「琉衣も夢を見なよ」


 ぼく達のやり取りを見て伊織さんはくすりと笑う。


「仲良しなんだね」

「オレ達マブですからね」

「っふふ、友達は大事にね」


 日本人離れした青い瞳が光を揺らす。寺園さんは茶色い目をしていたけれど、ハーフの兄妹で目の色が違うことってあるのかな。お父さんが人形職人ということは、お母さんが外国の人なんだろう。


 その後しばらく店内を見て、ぼく達は帰ることにした。一足先に外に出た琉衣に続こうとして、伊織さんに呼び止められる。


「ねえ、神山君」

「はい?」

「ここではない場所って、あると思う?」

「……ぇ?」

「……あ。ああ、いや、なんでもない……。今のは忘れて。よかったらまた来るといい。つぐみちゃんのこともよろしくね」


 琉衣に呼ばれ、ぼくは店を出る。


 ショーウインドウに置かれた等身大のビスクドール。その脇にもう一体人形があるのが見えた。雛人形かと思ったけれど、違う。竹の飾りが添えられている。


「……かぐや姫」

「有主ぃ、喫茶店寄ってこうぜ」

「あ、うん」


 綺麗な人形だな……。顔立ちや瞳の感じからして、おそらく伊織さんが作ったのだろう。


 早く早く、と言う琉衣に返事をして、ぼくは人形店を後にした。










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