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アリス少年と鏡ノ空間  作者: 月城こと葉
十四冊目 紫煙を纏う蝶
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第百二面 なんだかおかしなもの

 お茶の味がよく分からない。変な夢を見たせいで夜はよく眠れなかった。まだ頭が眠っているのか、味覚が機能していない。


 ぼんやりとティーカップを眺めていると、目の前のお皿からビスケットが消えた。


「アリスー、ぼーっとしてたらお菓子おれがもらっちゃうよー」


 覚醒状態のナザリオがビスケットを頬張っている。口一杯にもぐもぐしている様はヤマネというよりリスかハムスターのようだ。


「あげるよ」

「えっ、いいの?」

「なんか、食欲なくて……」


 みんなの視線がぼくに向けられた。ルルーさんがカップをソーサーに置き、身を乗り出すようにしてぼくに顔を近付けた。うさ耳が揺れる。


「アリス君、お腹痛いの……? お薬飲む?」


 ぼくは首を横に振る。


「変な夢見ちゃって寝不足なんです……」

「おや、心配ですね。夢というものはその人の深い心理を反映することがあるといいます。何か気になることでもあるのですか」

「い、いえ……」


 アーサーさんはすぅっと目を細めた。言葉の裏側を探るかのようにじっとぼくを見つめている。誤魔化そうと曖昧な笑みを浮かべて対応すると、アーサーさんがにこりと微笑んだ。穏やかな微笑の奥深くから放たれる威圧感にぼくは小さく身震いした。目が覚めた気がする。


 ニールさんに小突かれてアーサーさんは貼り付けたような微笑を解く。ずれた帽子を直しながら不服そうに兄を見る。


「アリスびびってんだろ。オマエの笑顔怖いから」

「失礼な馬鹿猫ですね……。怖くありませんよね、アリス君。ね?」

「あ、あははははは、素敵な笑顔です……」

「無理しなくていいんだぞアリス」


 ニールさんはもう一度アーサーさんを小突こうとした。しかし、手を払いのけられてしまった。負けじと手を伸ばす兄に対し、アーサーさんもしつこいと言わんばかりに抵抗する。そして、兄と弟はばしばしと手の攻防を始めてしまった。


 しばし互いの手を払い合っていた二人だったが、互いに左手を右手で、右手を左手で掴み組み合ったところで動きが止まる。素の膂力で押され気味になりながら、アーサーさんがニールさんを睨みつけた。


「馬鹿猫! 貴方もう二十八でしょう! もう少し大人になってください!」

「うるせえ。猫はいくつになっても遊んでんのが楽しいんだよ」

「あぁっ、大人げない! 私は貴方のような人が兄でとても悲しいです」


 喧嘩するほど何とやら。この兄弟は本当に仲がいいというか、いつもいつも戦っていてよく飽きないよね。


 覚醒状態が終わりを告げてしまったナザリオは地面に這いつくばりながら、散らかって割れたクッキーを拾って食べている。眠くなって噛むことすら放棄してしまったのか口からぼろぼろ零していて、しばらく力なく口を動かしてから丸くなって眠ってしまった。


 ぼくは紅茶を飲み、ルルーさんの方を向く。眠ってしまった眠り鼠と、まだ揉めている帽子屋とチェシャ猫は役に立たなさそうだ。


「あの、ルルーさん。ちょっと訊きたいことがあるんですけど」


 シュークリームを頬張っていたルルーさんは動きを止める。


「んー、何?」

「芋虫……。蝶々さん、いますよね」

「風来坊の? たまにブリッジ公のお屋敷の前にいる人でしょ?」

「はい。イーハトヴの着物を着ている……」


 指に付いたクリームを舐めとり、ルルーさんは頷く。


「あの人ってどんな人なんですか」

「うーん、僕もよく知らないんだよね。友達ではないから……。って、ちょっと! そこの二人五月蠅いよ!」


 アーサーさんとニールさんは一瞬こちらを見たけれど、すぐに戦いを再開してしまった。テーブルの下にいるナザリオは蹴飛ばされているけれど深い眠りから覚める気配はない。ルルーさんは苦笑いを浮かべながらぼくに向き直る。


 元気の有り余っているようなルルーさんだけれど、落ち着いている時は一番まともなのかもしれない。


「確か、名前は……。ヤマト……。ヤマト・カワヒラ」


 名前までイーハトヴの人のようだ。しかし、イーハトヴに(ドミノ)のような姿の人はいないと聞く。ヒトと、ヒトと同じ言葉を話す他の動物と、ぼくの世界にあるよりも高度な機関で動くロボットが北東の国に住まう花札達だ。


 昨日下校途中に会った男の人はヤマトさんに似ていた。これまでもニールさんに似ている人やカザハヤ兄弟に似ている人達を見たことがあるから、おそらく今回もそっくりさんなのだろう。体調を崩していそうなところが気になるけれど、見ず知らずのぼくが心配することでもないのかな。


「ヤマトさんってドミノなんですよね。ドミノがイーハトヴ風の名前を名乗ることってあるんですか」


 ルルーさんは首を横に振る。動きに合わせてうさ耳が揺れた。


「ドミノは異邦人バックギャモンと結婚しちゃいけないんだよ。だからあのファミリーネームは不思議だと思う。……というか、外国の人からしたらドミノってだいぶ気味悪がられているみたいでね。好んで寄ってくる事なんて滅多にないだろうし、逆に……その……。アリス君にはまだ早いか……」

「ん?」

「その、さ……。ドミノがバックギャモンのことを執拗に追い駆けたのだとしたらそれは犯罪でしょう? 逆もまたしかりだけどさ」

「ああ、確かに」


 それならば、どうしてヤマトさんはそんな名前なのだろう。


「気になるの、ヤマトのこと」

「色んなドミノさんに会いましたけど、彼とはあまり交流がないなと思って」

「不思議な人とは関わらなくてもいいんじゃない?」


 それをあなたが言いますか。


 三月ウサギの庭で行われるお茶会に集まる面々はおかしな者達。おかしなお茶会。狂ったお茶会。そう呼ばれている集団と一緒にいるぼくのことを気にする人間トランプは少なくない。もしかして普通ではないという自覚はないのだろうか。


 普通ではない、不思議、という点で見たらこの国自体ぼくにとってはなんだかおかしなものなのだけれど。


 ルルーさんが食べていたのと同じシュークリームを手に取り、ぼくは頬張る。中のクリームは苺味らしく、甘酸っぱい香りが口いっぱいに広がった。お茶会のテーブルに並ぶ茶菓子は購入したものだけではなくアーサーさんお手製のものもある。このシュークリームはどちらなのだろう。訊きたいけれどアーサーさんはまだニールさんと戦っている。


 むしゃむしゃとシュークリームを食べていると、テーブルに影が差した。コーカスレースの誰かかと思って空を見上げると、影の主は件の芋虫だった。


「おー、噂をすれば、だね」


 ルルーさんの声に気が付いたらしいヤマトさんが庭に降りてくる。美しく光を反射する青い翅がきらきらしていて眩しい。場を明るくする反射板のようなものが現れたことで、驚いたアーサーさんとニールさんがおとなしくなった。怪訝そうな目をしてニールさんがヤマトさんを見る。


「何の用だよ風来坊」

「別に用事はないけれど、そこの兎さんが俺のことを見ていたからどうかしたのかと思って」


 お皿からクッキーをくすねて、ヤマトさんは一同をぐるりと見る。そして、ぼくに目を留めた。切れ長の目が見開かれる。いつも飛んでいる空を映しだしたような綺麗な青い瞳だ。クッキーを齧りながらぼくに顔を近付ける。


「ぼ、ぼくに、何か」

「君、前にブリッジ公の屋敷の前で会ったな。カエルと一緒にいた」

「あ、はい」

「ここは坊やみたいな人間のいていいような場所じゃあないぜ。怖いドミノはいるし、夜になるとチェスが闊歩する。さっさと街へお帰り」


 クッキーを飲み込むと、ヤマトさんは懐から煙管を取り出した。マッチを擦って火を点ける。


「帽子屋ぁ、この子供どうしたんだ。街から連れてきたのかい?」

「失礼な人ですね。彼は我々が預かっているかわいそうなみなしごなのです。国王陛下からも許可を得ています」


 煙管から紫煙が昇る。


「へえ、じゃあ坊やは意外とすごい子なのか。こんなにちっちゃくて弱っちそうなのに」


 吐き出された紫煙に、ぼくは噎せてしまう。煙の外へ連れ出すように、ルルーさんに引き寄せられた。咳き込むぼくを見てヤマトさんは愉快そうに笑っている。


 涙で滲む視界ははっきりとしないけれど、見れば見るほど昨日の人とそっくりだ。ぼくのそっくりさんもどこかにいるのかな。


 苛立った様子のニールさんが立ち上がり、テーブルを叩いた。


「おい、茶も菓子も不味くなるだろ。煙草吸うな」

「煙草じゃない、煙管だよ。イーハトヴの喫煙具でね……」

「うるせえ」

「……チェシャ猫さんが怖いから帰ろう。クッキーごちそうさま」


 ニールさんのカップに灰を落とし、ヤマトさんは飛び上がった。美しい翅を優雅に動かしながらひらひらと飛んでいく。


「あっ、くそ! 何しやがるアイツ!」


 なんだか自由な人だな。


 灰塗れのティーカップを見てニールさんの猫耳が力なく垂れる。


「アリス、オマエさ、アイツのこと気になるのか」

「聞いてたんですか? 喧嘩してたのに」

「喧嘩などしていませんよ。しっかり聞いています」


 お茶を一口飲んでアーサーさんはぼくを見た。先程まで兄と揉めていた弟には見えない。いつも通りの落ち着いた穏やかな顔だ。


「彼は……あまり他の誰かといるところを見ませんね」

「だから、アイツのことを詳しく知るやつは少ないんだよ。変な奴だけどエドウィンの管理対象じゃねえみたいだしな。まあ、管理の基準なんて知らねえけどよ」

「怪しい人物には近付かない方が良いですよ」


 アーサーさんの言葉にニールさんが大きく頷く。この二人にも自身がおかしいという自覚はないらしい。










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