第百面 おれは敵いそうにないよ
「今日も変わらずお茶会……と」
暖かくなってきたので、お茶会の場所はリビングから庭へと移された。外でお茶を飲めるようになってアーサーさんはご満悦な様子だけれど、外でお茶会をすることにやはり意味があるのだろうか。
ケーキを頬張りお茶を啜るぼく達を眺めながら、エドウィンはいつもと変わらない観察内容をメモしている。
「ねえ、エドウィン」
疲れているのか眠いのか、大きな欠伸をしたエドウィンの目には薄っすらと涙が浮かんでいた。拭ってからぼくを見下ろす。
「……何」
「訊きたいことがあるんだけど」
エドウィンはペンとメモをポーチにしまうと、ナザリオの前にあったお皿からクッキーを奪い取った。小さな悲鳴を上げるナザリオを全く気にすることなく、無表情を保っている。
「アニスって人のこと知ってる?」
「……アニス?」
「王宮騎士らしいんだけど……。でも、騎士さんもいっぱいいるし、全員のこと知ってるわけじゃないよね」
しょんぼりとするナザリオに、ルルーさんが自分の分のクッキーを数枚差し出した。嬉しそうにナザリオはそれを受け取りもぐもぐと咀嚼する。が、そのうちの一枚をニールさんが奪ってしまった。大人げないなあ。
エドウィンは口元に右手を当てて視線を彷徨わせる。左足にやや体重を掛け、左手はフランベルジュの柄に添えられていた。アレキサンドライトのペンダントが光っている。屋外なので今は緑色だ。
「アニス……。……ライオネル・アニスのことだろうか」
「知ってるの!?」
「去年の秋から入った一年目の騎士で……。確か、王宮の大図書館の警備をしているはずだ。王女に付き添って図書館へ行った時に見たことがある」
あの人は王宮騎士で間違いないみたいだ。では、なぜあの人はあんなところにいたのだろうか。
「ナオユキ、なぜオマエがこんなことを訊ねる? ライオネルに会ったのか」
ぼくが王宮騎士に会った。それが事実の場合、何が起こったかというとぼくが街へ出たか、王宮騎士が森に入ったかのどちらかだ。アレクシス・ハーグリーヴズを名乗るようになって多少は以前より自由が効くようにはなったけれど、街へ行くことは極力避けている。油断してぼろを出すかもしれないからとニールさんに言われたからだ。
王宮騎士は王宮にいるのが基本なのだから、森にいてはおかしいのだ。
「オマエは街へ、ましてや王宮へは行かない。それならばライオネルが森にいたのだろう」
「うん」
「やつは持ち場を離れたのか……。それとも非番だったのか?」
「制服着てたよ」
何事も微動だにしない無表情がぴくりと動いて眉間に皺を寄せる。
「なんてことだ……。勤務時間中に森へ行っていたなど騎士団の評判にも関わる。団長に報告しておかないと……」
踵を返して街へ帰ろうとしたエドウィンのことをアーサーさんが呼び止める。さっきからいないと思っていたら、家の中にいたらしい。ティーポットとカップを持って外に出てきた。
「エドウィン、一杯飲んでいきませんか」
「今日はいい」
「疲労回復に効くハーブティーですよ。お疲れのようなので」
「疲れてなんか……」
アーサーさんは穏やかに微笑む。優しい笑顔からは恐ろしいほどの威圧感が放たれていた。ヒトにも動物的本能はある。危険を感じたのか、エドウィンはテーブルの方へ戻ってきた。カップを受け取り一口飲む。
すぐ近くにいたため、ぼくのところまでハーブの香りが漂って来た。今年の春から家の横の花壇でハーブの栽培を始めたそうで、これでハーブティー代が少し浮くのだと先日アーサーさんが言っていた。このままだといずれ茶葉の栽培を始めそうだ。
ごくごくと飲み干してカップをアーサーさんに返し、エドウィンは今度こそ帰ろうと踵を返した。
「動くなっ!」
「えっ」
ニールさんの声に僅かに振り向いたエドウィンの顔の前をフォークが飛んで行った。驚きに目が見開かれているけれど、表情は無のままだ。
飛んで行ったフォークは茂みの中に飛び込み、何かに当たったカツンといういい音が聞こえてきた。金属の音だろうか。
席を立ったニールさんがエドウィンを押し退けて茂みに近付く。手が鋭い爪を持つ獣の形に変わった。と思った瞬間、勢いよく踏み切って茂みに飛び込んだ。
「ぎにゃああああっ!」
「隠れてこそこそ何をしていやがる!」
「ひぃっ!」
乱暴に茂みから引き摺りだされたのは青いマントを纏ったクラウスだった。手には自慢のエストックが握られており、細い剣身にフォークが引っ掛かっていた。咄嗟にフォークへの対応ができたのだから腕はいいのだ。さすが王宮騎士。
クラウスはニールさんに首根っこを掴まれて半泣き状態だった。騎士の威厳はどこにもない。前言は撤回しておこう。
「クラウス」
「あうう、兄貴……」
ぽいっと放り投げられて、クラウスは芝生に転がった。その弾みでエストックからフォークが抜ける。
「何しに来たんだ」
無表情のままエドウィンは弟を見下ろす。クラウスは兄に対してもびくびくとした様子だった。ニールさんの投げたフォークが与えた精神的ダメージはかなり大きいらしい。あの速さでフォークが飛んで来たらぼくだって怖いし、しばらく心臓がばくばくいって収まらなさそうだ。
「ブランドン団長が兄貴を探してたよ」
「団長が?」
「頼みたいことがあるって」
エドウィンは溜息をつくと、緑色のマントを翻して街の方へ駆けて行った。一緒に帰るつもりはないのか、クラウスはにこやかに手を振って見送った。そして、テーブルに近付いてアーサーさんを見る。
「おれにもお茶ください!」
空いていた椅子に腰を下ろし、ナザリオのお皿の上に乗っていたマフィンを奪い取る。かわいそうなのでぼくがクッキーを分けてあげると、ナザリオは嬉しそうにそれを受け取った。
クラウスの前には水色のティーカップが置かれた。側面には青いスペードが描かれている。カップが用意されているということは、クラウスもかなりの頻度でお茶会に参加しているのだろう。奪いとったマフィンを半分こにしてナザリオに差し出し、もう半分を頬張る。あれ、これじゃあぼくだけクッキーを損したみたいになっちゃうな。
「おい、クラウス」
「ひやぁっ!」
「怖がらせるのは良くないと思いますよ馬鹿猫」
アーサーさんの言葉をさらりと聞き流して、ニールさんは苛立たしげにクラウスを見遣る。
「堂々と現れればいいだろう。こそこそするから不審者だと思ったんだからな」
「かわいい僕を襲いに来たのかもってね!」
「うるせえ黙れ馬鹿兎」
クラウスは俯いている。
「あ、あまり人目に、人間にも獣にも見られないようにしろって団長が……。ああっ、これ言っちゃ駄目なやつだ!」
エドウィンへの頼みというのはそれほど大事なことだったのだろうか。クラウスに伝令を頼んだのは団長さんの人選ミスじゃないかな。ドミノに囲まれて内容を聞き出されそうになっている。
威圧感増し増しで睨むニールさんと、穏やかな微笑を浮かべるアーサーさんと、お菓子を餌にしようとするルルーさんと、味方のふりをしているナザリオ。恐ろしい布陣だ。両手でカップを持ちながらクラウスは小さく震えている。
助けを求めるようにぼくの方を見ているけれど、ぼくにそんな力はないし、ぼくも気になる。
ちびちびとお茶を飲んで、クラウスは観念したように溜息をついた。
「団長が兄貴に頼みたいことが何なのかはおれには分かりません。でも、最近兄貴忙しそうなんです。王女様にもあまり会えてないみたいだってジャンヌさんが言ってました。王女様付きの騎士は他にもいるし、兄貴がいなくても大丈夫ではあるんですけど、『エドウィンはどうしたの?』って心配されてるらしくて」
仕事を任されるのは信用されてる証なのかもしれないけれど、多忙すぎるのは心配だな。疲れているようだったし。
「……チェスの動きが目立つんです。何か関係があるんでしょうか」
ナザリオと半分こにしたマフィンを食べ終え、クラウスは席を立った。
「おれは後輩に舐められるくらい下っ端だから、知らされる情報は多くありません。兄貴の力になりたいのに……」
「調べてみましょうか、ここ最近のチェスの様子」
「え。あ、ありがとうございます、帽子屋さん。お茶、ごちそうさまでした」
キャシーさんやジェラルドさんを捕まえて訊いてみよう、と相談を始めた一同に一礼して、クラウスは街へ向かって歩きだした。ぼくも席を立つ。
「クラウス」
「ん。何?」
「後輩に舐められるって、大丈夫? 花札だっていじめられてる、の……?」
「そんなんじゃないよ。大丈夫。おれへっぽこだからさあ、後輩の方が仕事できるんだよね。ちょっと恥ずかしいなあ」
「大丈夫なのそれ」
クラウスは「えへへ」と笑う。大丈夫じゃなさそうだ。剣術については兄と同じく優れたものだというけれど、このふわふわした感じが騎士というには頼りない感じで、それに加えていわゆるドジっ子なのが舐められる原因だろうな。いじめられているわけではないのならぼくがそんなに気にすることではないのかもしれないけれど、ちょっと心配だ。
「おれはまだちゃんとした所属というか配属というか、兄貴みたいにやることが決まっているわけじゃないから色々なところを任されるんだよね。それで、今月から王宮図書館の警備をしてるんだけど、そこにいる一年目の人がてきぱきしててさあ」
「図書館?」
「ライオネル君って人なんだけど、おれは敵いそうにないよ……。まるで図書館の番人みたいだもの」
まあ頑張るよ、仕事だからさ。と言うと、クラウスはマントを翻して茂みの向こうへ歩いて行った。
ライオネル・アニス。図書館の番人、か……。




