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(7)

 歩き出したはいいが――


 寒い。


 上空の激しい風雪から逃れ、森の中に降りたばかりの時は暖かいとすら感じていたのに、それは幻想だった事にもはやアスタロトは気付いていた。


 歯の根が合わず、奥歯が勝手に打ち合ってカチカチと音を立てている。


 歩き出して四半刻足らず……


「さぁ~むぅ~いぃ~!」


 と冒頭の通り叫ぶ事になった。


「レオアリス、どこぉ~!?」


 何度か叫んでみたが、雪の音以外返る音は無い。


「うっ……」


 歩き出した事が間違いだったと、やはりアスタロトは気付いていた。


 じっと待っていれば、カイが捜しに来てくれたのではと、ちらりと思う。


 多分、いや、きっとそうだ。


 レオアリスなら先ず、確実に二人を見つけられるカイを捜しに向けるだろう。


 少し待っていれば――暖かい温泉もそう遠くは無かったのだ。


 そう思うと寂しさと情けなさと温泉の温もりを求める気持ちはアスタロトの中でぐんぐん膨れ上がった。


「温泉……温泉どこぉ~!」


 湯けむりがもうもうと立ち上がり、身体の芯まで暖めてくれる奇跡の泉――


 豪華な食事などいらない。


 凍えきった身体を温かなお湯に心行くまで浸せるなら――


「温泉……」


 立ち上る湯けむり。


 幻を見るようにアスタロトは瞳を細め、それを手繰り寄せようと手を伸ばした。


「温泉……。……あれ、何か段々あったかくなって来たよね~」

「? そうですか?」


 アーシアは訝しそうに周囲を見回した。吹雪は吹き止まず、寒さは一向に和らいだ気配もない。


「そうだよ。あー、何だかあったかくて眠くなってきた……あ! 温泉見っけ!」


 アスタロトが指差した方向には、当然温泉など無い。


「……アスタロト様?」

「あったかそう~」


 アスタロトは遠くを見る眼差しで、前方の吹雪の幕を見つめている。


「あ! アーシア見て見て~。熊が温泉入ってるよ、うぷぷ」

「ア、アスタロト様ぁー!!」


 ここら辺でもう一度、お断りしておくべきかもしれない。アスタロトは見た目相当な美少女だ。


 とにかく真っ青になったアーシアがアスタロトを揺さぶり、アスタロトだけに見えていた目の前の情景がふっと消えた。


 アスタロトは小首を傾げ、長い睫毛を瞬かせた。


「……あれ?」

「しっかり! しっかりなさってくださいー!!」

「アーシア、どうしたの……?」

「アスタロト様っ」


 アーシアの青い瞳には涙が溢れている。


「僕が……、僕が不甲斐ないばっかりに……!」

「……、アーシア、あれ」

「アスタロト様!」


 まだ朦朧としているのかと、アーシアはアスタロトの肩に縋りかけたが、アスタロトはそっとアーシアの手を取った。


「しっ――隠れて」


 既にアスタロトの面には、普段の――いや、厳しい表情が戻っている。今日一番の、厳しい面差しだ。


 アスタロトはアーシアを引っ張り、手近な大木の陰に隠れた。


「アスタロトさ……」


 さっとアーシアの口を塞いだ時、揺れる木立の間を漂うように、細く高い咆哮が沸き上がった。


 上空で聞いた咆哮と同じ。


 ヒィィ……と高く、空気を切り裂いて届く。


「――アスタロト様」

「大丈夫、けど……」


 近い。


 音は聞こえないが、重く、大きなものが動く気配がある。空気が揺れる感じだ。


 吹き荒れる吹雪が、質量を増す。樹々の枝が突風に折れそうなほどたわんだ。


 アスタロトは正面の樹々を睨んだ。


 咆哮は長く尾を引いていたが、雪の音に紛れるほど小さくなってやがて消えた。


「アスタロト様、今のは……」

「さっきのヤツだな。この辺りにいるんだ――。いいや、とにかく行ってみよう」

「行くって……、それは駄目です! 危ないですよ!」


 アーシアは青くなってアスタロトの腕を引っ張った。


 黒森の魔物や獣といえば、危険なものが多いと聞く。いくらアスタロトとはいえ、不用意に近付くべきではないはずだ。


「できるだけ離れなきゃ」

「ん、でも気になるし。何となくだけど、この状況の改善方法はあれにある気がするんだ。あの咆哮が聞こえたら吹雪が強くなったしね」

「ですが……」


 アスタロトは勘が鋭い。


 確かに、あの咆哮の主がこの天候に関係があるのかもしれないが、しかしアーシアとしてはわざわざ危険に近付いて欲しくはなかった。


 炎を操る力も万能ではない。


「平気平気、いつまでもこうしていられないし。行こう」


 アスタロトがそう言った時、それを咎めるように鳥の鳴き声がし、目の前を黒い塊が(よぎ)った。


「きゃ」


 アスタロトは思わず腕を上げて顔を庇ったが、何かに髪の毛を引かれ、おそるおそる眼を開けた。


 見覚えのある黒い鳥が、もう一度クワァ、と声を発した。


「あー! カイ! お前、やっぱり来てくれたの?!」


 カイはアスタロトが伸ばした腕にふわりと降りた。


 黒い羽も雪で真っ白になり、さすがに全身でカタカタ震えている。


 金色の丸い瞳が三角ぎみになっていて、どことなく、恨みがましい光が浮かんでいるようだ。


 アスタロトはカイの瞳をじっと見つめた後、そおっと聞いた。


「――もしかして、すんごく探した?」


 カイがばさりと羽を広げる。


「ゴメンゴメン! ほら、ただ待ってるのは悪いかなーって」


 吹雪のせいで気配が辿りにくく、しかもアスタロト達が移動していた為、カイはかなり苦労をしてようやく二人に辿り着いたのだ。


 カイは口を開き、レオアリスの伝言を伝えた。


 勝手に動くなよ、とレオアリスの声がアスタロトに釘をさす。


 アーシアはほっと胸を撫で下ろし、アスタロトに諭すような笑みを向けた。


「アスタロト様、動いちゃダメですって」

「――判ったよ」


 むう、とアスタロトは唇を尖らせ、腕を組んだ。カイも主の命を果たせ、ほっとした様子で辺りを見回している。


「でもさぁ、アイツちょっとえらそくない? 自分だけ何か物事判ったような感じでさっ」

「充分判ってると思います」

「――アーシアひいきだ」

「違いますよ」


 そんなやり取りを横目に、カイは近くに風を避けられる場所が無いかと辺りを見回していたが、不意に翼を広げ高い声で鳴いた。


 耳を打つ、警告の響きだ。


「何……」


 アスタロトがカイを見つめ、その原因を尋ねようとした時、低い唸り声が聞こえた。


 遠くで轟く雷鳴のような――、肉食動物を思わせる。


 アスタロトが身構え、周囲に意識を向ける。


 唸り声と、雪を踏む重い足音。


(近い――)


 足音の主はもう数本の木立を隔てた向うに来ている。


 吹き荒れる雪と風に紛れて判らなかったのだ。


「アスタロト様」

「しぃっ……さがってて」


 片手でアーシアを庇うように押しやり、アスタロトは周囲に視線を巡らせて声の主を探した。


 唸り声はゆっくり、移動している。


 最初は背後、次に右、そして正面――


 次々と位置を変えていく。二人を中心に回っているようだ。


 ジリジリと包囲を狭め、唸り声は次第に大きくなってきた。


 アーシアがぐっと息を潜める。


「――アスタロト様」


 吹雪の向こうの暗がりから、彼らを睨み付けて輝く二対の瞳が見えた。


「アーシア、私の後ろに」


 いつでも迎え打てるように集中し、アスタロトはもう数歩アーシアをさがらせた。


「アスタロト様、お気をつけて」


(来る……)


 雪を踏む音――息遣い。


 牙の間から荒く洩れる呼吸音。


 強靭な両脚のたわむ筋肉まで想像できそうだ。


 両脚を屈めて力を張り巡らせ、まさに、アスタロト達に飛びかかろうとしている――


 アスタロトは笑みを浮かべ、唸り声の方向を睨み付けた。


「来るなら、」


 ――ズボ! というような大きな音がすぐ後ろでして、アスタロトは驚いて音のした方を振り返った。


 彼女のすぐ後ろにはアーシアが居たはずだ。


「……アーシア?」


 視線の届く限り、アーシアの姿が無い。


 忽然と消えた。


「アーシア! アーシア?!」


 アスタロトの頬から血の気が引き、背後の獣の気配すら構わず、アスタロトはアーシアの名を呼んだ。


「アーシア、どこ?! アーシアァ!」


 ふっと背後に圧迫感を感じ、アスタロトは左へ飛んだ。強烈な突風が駆け、たった今アスタロトがいた場所を、白い影が過る。


 影は吹雪を切り裂き、反対側の木立に消えた。


 アスタロトは左腕を見つめた。外套で済んだものの、すっぱりと鋭い刃物で断たれたように裂けている。


 再び、唸り声が迫った。


「――うるさい、邪魔するな!」


 アスタロトが腕を頭上に掲げる。


 手のひらから炎が流れ、放射状に飛散するとアスタロトの周囲に炎の壁を作った。


 壁の向こうに迫った何かが、たたらを踏んで立ち止まったのが判る。


 ただ、それ以上アスタロトは構っていられなかった。


「アーシア!」


 忽然と消えたアーシアの姿を、蒼白な面のまま探す。


 吹雪く白い雪と、燃え盛る炎――


「アーシア、どこ?!」


 いない、いない、いない。


 アーシアがいなくなってしまった――


 心臓が、ぎゅっと掴まれる。


 怖い。


 混乱と這い上がる恐怖の中で、アスタロトはアーシアの名を呼んだ。


「アーシアぁ!」

「……です」


 微かな声が、返った。


「アーシア!」


 どっと全身の血が体内を駆け巡る。安堵の息を吐き出したものの、アーシアの姿はまだ見えない。


「ここです! ……アスタロト様!」


 アスタロトは忙しなく視線を彷徨(さまよ)わせ、声の洩れて来る場所を探し――、驚いて駆け寄った。


 地面だ。


 正確には地面の下――、雪で覆われた足元に人が一人通れるくらいの縦穴が開いていた。


 確かに雪が滑った跡がある。


「アーシア! そこにいるの?!」


 しゃがみ込んで呼ぶと、暗い穴の底からアーシアの声が上ってきた。


「穴に落ちたみたいです、すみません!」

「大丈夫?! 怪我は?!」


 声は穴の中でぼんやり反響している。下はそれなりの空間がありそうだ。


「ありません――でも、ちょっと出られないみたいで……」

「飛べない?!」

「その穴が、飛竜の姿で出られる大きさじゃないんです」

「判った」

「申し訳ありません。でも、この中は暖かいから、僕はここに暫く居ても平気です、アスタロト様は先にレオアリスさん達と合流して……」


「私も行く」


 躊躇なく言い切ると、アーシアにその言葉が届く前に、アスタロトは暗い穴に飛び降りた。








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