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(6)

 アスタロトとアーシアは下降時に西風に煽られ、レオアリス達とは大分離れた場所に運ばれていた。


「しまったなぁ、離れちゃった


 歩いたとしたら、雪の森の中というのも考慮すれば一刻は掛かるだろう。


 しかしとにかく、森の中に降りたお陰で、一番の難点だった風が弱まったのが有難い。ひと先ずはほっと息をつき、アスタロトはアーシアの背から降りると労るように長い首をなぜた。


「アーシア、大丈夫?」


 青い鱗から凍る冷たさが指先に伝わる。ただでさえ普段からひんやりしているのに、これでは氷になってしまいそうだと、アスタロトは不安になった。


 アーシアは寒さよりも悔しそうに長い首を垂らした。


「平気です。すみません、僕だけ離れてしまって――力不足です。ハヤテみたいに飛べればいいのに」

「いいの、アーシアはそんな筋肉たっぷり暑苦しくならなくたって。ハヤテもさあ、まだ子供だけど、もしアーシアみたいに人の姿を取れたら、もうワッツ並の筋肉かもよ。それより寒いでしょ、戻りなよ」

「はは。ハヤテはそこまでがっちりしてないですよ。彼は飛ぶのが上手いんです」


 ふるりと身を揺すり、アーシアは少年の姿に戻ると荷物を持ち上げた。


「そういう所はやっぱりレオアリスさんに似てますね」

「へぇー、飛竜同士はそういうの判るの?」


 アスタロトが興味深そうに瞳を見開く。


「とにかく大丈夫、すぐ追い付くから」


 そうは言ったものの、特に根拠がある訳ではない。


 樹々に取り囲まれたこの場所からどちらへ行けばいいかも判らず、意識を凝らしてみても辺りには人や生物の気配すらない。


 気付けばすっかり陽も落ち、森は白い雪の中にぼんやり浮かび上がっている。


 以前、家を飛び出してアーシアと二人、西のカトウシュの森に入った事があったが、カトウシュが纏っていた空気よりもここはずっと重く密度があるように感じられた。


「ここが、あの黒森か――」


 あの、という言葉に込められたのは、畏怖の思いだ。


 辺境に横たわる、深く広大な森。通り抜ける事は不可能と言われ、黒森を横断したという話をアスタロトは聞いた事が無い。


 それでも、この黒森の向こうにも、まだ国があると言うが。


「――やっぱすごいね。樹が迫ってくるみたい」


 カトウシュの樹々は幹を真っ直ぐ空へ伸ばしていたが、この黒森の樹々は枝が方々に腕を伸ばし、太い幹ですら多くは捻れまるで身を捩っているように見える。


 吹き付ける風雪を受け、長い歳月を経る間に捻れていったのか。暗い陰の中に浮かぶ幹や枝葉は恐ろしげな表情をしていた。


 果たして黒森には、暖かい太陽の光が差し込むのだろうか。一切を枝葉に遮られ、昼間でも夜の如く暗いのではないか。


 全ての生物が息を潜め――いや、一切の生命の存在を許さず。


 そう思わせるほど、辺りには生物の気配がない。


 吹雪のせいとは判ってはいるが、風の音と樹々のうねりだけが響く森の中は、息をしているものが世界で自分達二人だけなのではないかと思えた。


 アーシアは樹々を見回しているアスタロトの面に隠した不安を認め、そっと背中に手を当てた。


「本当に深い森ですね」


 その言葉は、アスタロトの瞳に強い光を灯した。


「大丈夫、私がいるよ」


 アーシアがそっと笑みを浮かべる。アスタロトがアーシアを守ろうとしてくれるのは、もうずっと変わらない。


 けれど本当は、アーシアがアスタロトを守れるほど強くなりたいと、ずっとそう願ってきた。


「僕もいます」


 そう言うと、アスタロトはちょっと瞳を見開いてから笑った。


「――うん」

「それに」


 アーシアは樹々を見回し、どこかにあるかもしれない記憶を捜そうとした。


「ここでレオアリスさんが育ったんですよね」


 アスタロトの瞳に、綺麗な炎が踊る。


「そうだ――」


 黒森にもまた生命は満ち、太陽は昇る。


 この森は、彼女の大切な友人が育った場所だ。


 その事は、アスタロトの中で膨らみかけていた不安を消してくれた。


「――レオアリス」


 零れる吐息さえ押さえてそっと名を呼んでみると、胸の奥の方に温かい塊が生まれる。すっと息を吸い込んでも、冷えない塊。


 そのまま、大きな声で呼んだ。


「レオアリスー! いるー?!」


 声はあっという間に雪に吸い込まれてしまう。


 ただ。


 吹雪のせいではなく、黒森が枝を揺らした気がした。


「――」


 そう思ったというだけだ。しかしアスタロトは黒森を見上げた。


「ねぇ、レオアリスがどこにいるか知らない? ずっとこの森の傍に住んでたんだ、覚えてるでしょ?」


 別に答えを期待していた訳ではなく、何となく。


「アスタロト様?」

「だって絶対あいつ、子供の頃黒森(ここ)で遊んでたぞ。そんな奴あんまいないだろうから、覚えてるかなーっ……て……、……ふぁっくしゅ! 寒いっ」


 アーシアは荷物から毛布を取り出すとアスタロトの肩にかけた。


「それで……」

「――何も変わらないね」


 それはそうだ、と二人は顔を見交わせて笑った。


 森との会話など、高等法術だ。単純な単語のやり取り程度でも、かなり体力と精神力を消耗するのだと、以前レオアリスが言っていた。


 そんな事を思い出し――アスタロトとアーシアは、ふと懐かしむような、それでいて気持ちが引き締まったような顔になった。


 あの時、カトウシュの森で、レオアリスはアスタロトとアーシアを助けてくれた。


 もう四年近く前の思い出が、昨日の事のように脳裏に浮かぶ。


 何となく暖かい、胸の詰まるような気持ちになるのは、懐かしいせいだろうか。


 会いたい、と思った。


 顔を見たらきっと、安心する。


「早くレオアリスさんと合流したいですね」


 アーシアに考えていた事が伝わってしまったような気がして、アスタロトは落ち着かなく瞬きを繰り返した。


「そ、そう?」


 ただアーシアには含みは無かったようだ。


「そうですよ。やっぱり一番、この森との付き合い方を知ってると思いますし、頼りになります」

「ま、まあそうだよね」


 言葉を濁したアスタロトを見て、アーシアは殊更まじめな顔になった。


「こんな状況だと、あのカトゥシュの森を思い出しますね。最初はアスタロト様が拗ねてしまって、どうなる事かと思いました」

「拗ねてなんかいないよ」


 アスタロトが唇を尖らせる。


「……あの時、アスタロト様がレオアリスさんと会えて良かったなぁって、僕いつもすごく思うんです」


 もしあの時会えていなかったら、今はとても違った状況にいただろうから。


「――うん」


 アスタロトの頬に、この雪にも負けずに乗っかった色を見て、アーシアは微笑みを浮かべた。


 その笑みは少し寂しそうな硝子色をしていたが、アーシアはすぐにそれを隠した。


「きっと捜してますよ、早く合流しなきゃ」


 アスタロトが胸の前で腕を組む。


「うん。とにかく、これはさぁ、黙って待ってる訳には行かないよね」

「そうですね」

「いっつも助けられる側じゃ納得できないし。こっちからレオアリス達を見つけてやるみたいな気持ちで臨まなきゃ」


 多分今のアスタロトの言葉を聞いたらレオアリスは力一杯止めたと思うが――アスタロトはそもそもただ待っている性格ではない。


 そしてアーシアはそんなアスタロトを心から敬愛していた。


 要は未だ、ほんのちょっとばかり、世間知らずな二人組だった。


「よーし、行こう! 降りた時こっち向いてたから、こっちかな」

「はい!」


 アスタロトは勇ましく歩き出したが、単なる勘だ。残念ながら。


 しかし何故か、アスタロトの足取りには迷いはなく、更に残念ながら、方向は大体合っていた。


 ただし、レオアリス達が降りた場所にではなく、村がある方向に。


 そうして二人の姿は吹雪の幕の中にあっという間に飲み込まれていった。








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