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(12)

 角を曲がった先に展開した光景を目の当たりにし、レオアリスは呆然と立ち尽くした。


 いや、唖然として立ち尽くした、と訂正した方がいいか。


「いやー、もう、ほんとカワイイ~! ぬいぐるみみたいだよねぇ~」

「ふわっふわですねぇ、毛並み」

「連れて帰りたい! 連れて帰りたい!」

「さすがに駄目ですよ、野生の動物ですから」


 アスタロトとアーシア、クライフとフレイザーが、広い空間の壁際で何やらこちらに背を向けて、中腰状態で屈み、何かを覗き込んでいる。声の主はアスタロトとアーシアだ。


 周囲は広い空間になっていて、奥の方は三分の一ほどを占める泉があった。白い湯気が上がっているという事は、それも温泉なのだろう。蒸し暑い。


 その温泉の脇にアスタロト達はいた。


「――」


 しかし、とことん(なご)やかだ。


 レオアリスとロットバルトのいる場所からはアスタロト達が何を囲んで和んでいるのか判らないが、レオアリスは嫌な予感を抑えて一度ゆっくり深呼吸した。


 取り敢えず。


「……アースーターロートー……!」

「ひいっ」


 アスタロトはびくりと飛び上がって振り返り、声の主を見つけてほっと胸を撫で下ろした。


「あっ、何だぁ、レオアリスじゃん! びっくりさせるなよもぉ~、地の底からみたいな声響かせちゃってぇ」


 これが――心配して探していた人間に対して掛ける言葉だろうか。びし、とレオアリスの額に血管が浮く。


「何だじゃねぇ!」


 弾む足取りで近付いてくるアスタロトを、レオアリスは容赦無く睨み付けた。


「何」


 怒ってるの、とはさすがにアスタロトも口にしなかった。思い当たる節はある。


 アスタロトはレオアリスの前に来ると、少し殊勝な様子で立ち止まった。


「お前なぁ、ふらふらふらふらふらふらふらふらすんな! 全く、少しは探す方の身になっておとなしくしてろよなぁ、お前、マジで有り得ねぇ」

「……エラそう……今何回ふらふら言った?」

「何だ?」

「――別にっ」


 ぷいと顎を反らし、その拍子にアスタロトの身体の陰になっていたモノが、レオアリスの視界に入った。


 彼女がさっきまでしゃがみ込んでいた壁際の。


 レオアリスはもう一度、呼吸を整えた。


「……何だ、それ」


 口元に涼しげな笑みを浮かべ、極力穏やかに、そっと尋ねる。


 いや、聞かなくても判っている。


 というか、聞きたくない。


 アスタロトは我が意を得たりと瞳を輝かせ、ぱっと半身を向うへ向けた。


 よく見える。フレイザーとアーシアが顔を見合わせ、気まずそうにそっとそれから離れるのも見える。


「かわいいでしょ! 赤ちゃんだよ~。さっき吠えてた獣の子供かな?」

「――」


 そこにいたのは、小さな白い獣が四頭。大人の猫くらいの大きさだ。


 まだ生まれて間が無いのか上手く立ち上がれないようで、温かそうな枯れ草を敷いた寝床に寝そべり、互いにくっつくようにして時折一生懸命鳴き声をあげていた。


 大きめの手足を突っ張るようにうんと伸ばしている姿が、非常に、本当に可愛らしい。


「へえ、手足がしっかりしてて、でっかくなりそうだなー、……じゃなくて、いや。可愛いとかそんな問題じゃないだろう」


 ロットバルトはクライフ達の方へ歩み寄りつつ、可能な限り落ち着いた話し合いに持ち込もうとしているレオアリスの努力を見守った。


「嘘だぁ、あれがかわいくないっての? お前それって目が変。疲れて余裕がないんじゃないの?」

「そうだなー、無いかも、余裕。色々と」


 クライフとフレイザーは歩み寄るロットバルトに顔を向けた。


 視線を交わし、クライフが親指で洞窟の片側と獣の子供を指し、現状の問題点はそれで確認できたようだ。


「にしても、お前何だその怪我ぁ、情けねぇなぁ」


 わざわざ背中を覗いた訳ではないが、包帯で肩を固めているせいで上着は羽織る程度、隠しようもない。


「大丈夫なの?」


 見咎めたクライフとフレイザーに対して、それは後回しにというように片手で制し、ロットバルトは別の事を尋ねた。


「あなた方が来た方向は?」

「方向? 右だよ、今お前が来た方向」


 クライフは獣の咆哮が響いてきた方を指差した。


「同じか――とすると、まだこの奥の様子は全く判らないという訳ですね」

「そうね……出口があるかどうかも、行ってみないと」


 三人は一旦口を噤んで視線を戻した。


 今の最大の問題は、そこに居るアレだ。


 見つめれば見つめるほど可愛らしい。


 感想はアスタロトが代弁してくれている。


「やっぱ今日は疲れたもんね。レオアリスもあのコ達眺めて疲れを癒しなよ、ホントかわいいんだよー、連れて帰りたくない?」

「まあ落ち着け。良く考えろよ、そいつ等はあの獣の子供だろ?」

「やっぱそう? 私は親は見てないんだけど」

「そう。だから」

「もしかしてすんごく大きくなるとか? でも私飼う自信あるけど」

「いや、そうじゃなく、ここに子供がいるって事はどういう事か判るだろ」


 先ほどの咆哮は、洞窟の中で響いていた。


 そして今、獣の気配は確実にこちらへ向っている。


「今すぐここを離れて」

「あっ見て、お腹空いてるみたい。よーしよし、お前達の母さん早く帰って来ないかねぇ」


 アスタロトは獣の子供達の傍らに駆け寄ってすとんとしゃがみ込み、ほにゃらんと(とろ)けた顔を向けた。


 レオアリスは頭痛を堪えるように額に手を当て、それからふう、と息を吐きだした。


 間に合わなかった。


「――帰って来たみたいだなァ、親」


 ずしん、と足音が鳴り、低い唸り声がした。


 獣の子供達とアスタロトが強制的に作り上げた和やかな空気を一掃するような、身を震わせる響きだ。


 レオアリスは振り返り、声の主と再び向かい合った。


 獣は通路の入り口に立ち、レオアリスとの間は二間ほどしかない。


 母親――おそらく――の姿を見つけ、四頭の子供達が一斉にみぃみぃと鳴き声を立てる。


 目前の怒りに満ちた白い獣と、みぃみぃ鳴いている子供。


「――緊張感ねぇな……」

「そうね、結構深刻に命が危険な状況だと思うけど」


 背後で囁くクライフ達の声はレオアリスにも聞こえていて、全くその通りだと溜息を落とした。


 みぃみぃと子供達が必死に乳をねだる鳴き声と、短い四肢に精一杯力を込めて立ち上がろうとしている姿。


(あ、コケた)


 思わず手を伸ばしたくなるのは人情というものだが――


 触ってはいけない。鉄則だ。


 アスタロトも触らずに立ち上がり、そっと戻ってレオアリスと並び、獣の親を見上げた。


「あのさぁ、レオアリス。私もさすがに気が付いたんだけど」

「何だ?」


 二人とも、視線をじっと獣に据えたままだ。


「やっぱ野生の獣の子供に近寄るのは、良くないよね」

「そうだな」

「ごめん。私が間違ってた」

「いいよ。……ていうか、今ちょっと感動した」


 レオアリスが真面目にそう言ったせいで、アスタロトは面映ゆそうに右手で頬をさすった。


「……それで、どうする?」


 獣は二人の前方で前脚を折って身体を前傾に屈め、今にも飛び掛からんばかりの体勢だ。


 怒りはひしひしと伝わって来る。閑かだった空気もここに来て、漸く本来の、緊張に満ちた様相を帯びた。


 剥き出された牙、力が張り巡らされた四肢。


 飛び掛からないのは、ただ――そこにある存在を恐れ警戒している為で、子供に近付いた事への怒りは変わらない。


 レオアリスにも、アスタロトにも、この獣一体、容易く排除する事はできる。


 だが自らの意志で退かせる事はできないだろう。


 どうする、とアスタロトが尋ねたのは、そういう事だ。


「お前は斬れない。私にも、あんなカワイイ子供達の親を焼くなんて、絶対できないな」

「当然、斬るつもりなんて無い。だからって俺達をこのまま普通に見逃しもしないだろうが……」


 レオアリス達は獣と、獣の子供の間に立っていた。獣は彼等が辿ってきた道を完全に塞いでいる。


 獣の脇を擦り抜けては行けず、かと言って後ろへ――、これ以上一歩でもレオアリス達が子供に近付けば、獣はその瞬間に牙を剥く。


 退くも進むも選び難い、危うい均衡がそこにあった。


 アスタロトが獣を刺激しないよう、余り口を動かさずに呟く。


「――お前、法術使えないの? ほら、眠らせるやつとか」


 法術ならば、この場を最も平穏に収められると思ったのだ。


「すげぇ面倒なやつは一個知ってるけど、術書が無いとな。(そら)で使えるのは攻撃系だけでさ」

「――お前……、私と変わんないな」


 呆れを含んでアスタロトは呟いた。


 フレイザーはレオアリス達の向こうにいる白い獣の姿を見つめた。


 洞窟の通路を塞ぐほどの体格だが、それがこの場所での動きを妨げるほどは期待できないだろう。獣にとっては、開けた前へ出ればいいだけなのだ。


 強靱で鋭い牙を持つ顎は、人一人簡単に噛み砕ける。


(上将とアスタロト様が一番前にいるなんて、失敗だわ)


 しかし彼女達もまた、動けない。一歩でも踏み出せば、それだけで張り詰めた均衡を破りそうだ。


「ロットバルト、何か無い?」


 そっと傍らに囁く。


「こちらに傷付けるつもりはなく、相手はただ見逃すつもりはない。――敵意が無い事を証明して怒りを収められるかでしょうね」

「敵意がって、そりゃ人相手ならそうだけど、言葉も通じねぇ相手にどうやって証明すんだよ」

「方法は無くはない。結果は五分――いや、どうかな」


 独り言のようなのは、ロットバルト自身その方法に納得が行っていないからだとは判る。


「でも、何かあるなら上将に」

「――」


 ロットバルトは黙った。


 全く、(すす)める気にはなれないやり方だからだ。


 しかし口に出すまでもなく、レオアリスはそれに気付いていて、その方法を選ぶだろうとは推測できた。

 斬るつもりが無くこの状況では、取れる手段は限られる。


 誰も置いていかない、と、そう言ったのはただの理想論ではなく、レオアリスの信念だ。


(どちらかというと、性質か)


 意識的にしろ無意識にしろ、その根本の(もと)に動く。


 こういう状況になった以上、斬るという選択肢は当然、あるとロットバルトは考えている。


 冷酷かそうではないか、それは単なる感情であり、互いの命が同じ天秤に載っている限り、感情と手法とは切り離して最善策を取るべきだとも。

 互いに命は一つしかない。穏やかな譲り合いができる問題とは違うからだ。


 レオアリスが手を下すのを厭うなら自分がやってもいいが――、そんな収め方をレオアリスが望む訳もない。


(まあ仕方がない)


 そういう上官のもとに、彼等は半ば好んで付いている。


「で、結局どうすんだ?」

「上将に任せて様子を見ましょう。ただ危険と判断したらいつでも出られる心積もりを。あの二人を護るのを最優先で考えてください」

「それって策か? ひょっとして無策?」

「……個人的には、餌を与えている内に撤退する策を採りたいところですね。ああ、それが一番有効かな」

「餌なんて――」


 どこに、と言い掛けてロットバルトの含みに気付き、クライフはちょっと引き攣りながら頷いた。


「了解した」


 獣は動かず、レオアリス達も動けない。


 時間にしてみればそれほど長い間では無かったが、もう半刻くらいは睨み合っている気になってきて、レオアリスは微かに苦笑を浮かべた。


「――いつまでも睨み合ってたって仕方ない。お互い利害は一致してるんだ。俺達はただここから出て行ければいいんだし、お前の子供はずいぶん腹を減らしてるみたいだしな」


 獣は低く威嚇の声を上げた。

 ピリピリと空気が張り詰める。


「近付いたのは悪かった。怒りを収めてくれ、って言っても無理か」


 口先だけでは信用など得られない。何だってそうだ。


 レオアリスは右手を鳩尾に当てた。すぶりと右手が沈む。

 青白い光が零れ、獣はぴくりと反応した。


「えっ、ちょっと」


 アスタロトが驚いて隣を見つめる。斬るつもりはないと、レオアリスは今さっきそう言ったばかりだ。


 だが剣は既にその姿を現わした。


 アスタロトの深紅の瞳が見開かれる。


「――え……」


 まさか、と思わず呟く。


 レオアリスは右手に剣を提げたまま、左手を鳩尾に当てている。

 更に、もう一本――


 空気が震える。


(二刀――)


 まさか。

 レオアリスが二刀を用いるなど、滅多な状況ではあり得ない。

 アスタロトが知っている限りでは、黒竜と、そしてバインドだ。


(何で……)


 斬ってしまおうと、そういうつもりなのか。


 左手が剣を掴み、白々した(やいば)が現われる。


 二振りの冴えた刄から零れる光が洞窟内を青白い光で満たし、獣の白い毛並みは光を浴びて発光するようだ。


「――っ」


 アスタロトは叩きつける剣気に改めて身を震わせ、そこにある力を思った。足に意識して力を込めていなければ、退いてしまいそうになる。


 見る度に美しさに呑み込まれそうになりながら、身体の奥底に呼び起こされる感覚は――、恐怖だ。


 思わず上擦る呼吸を抑える。

 チリチリと見えない刃が皮膚を撫でている。


 レオアリスは獣へと一歩踏み出した。


 獣は低く唸り緊張に張り詰めた身を屈め――、だが一歩も退りはしなかった。

 緑の双眸が恐怖と怒りを宿して燃え盛る。


(すごい。あの剣を前にして)


 人ならば判る。

 何かの信念の為に、自分以外の大切な何かの為に、確実な死が目の前にあると判っていても、退かない時がある。


 けれど獣は信念に基づいて行動する訳ではない。


(違う……そうじゃない)


 アスタロトは獣の緑の瞳を見つめた。

 そこに宿る光。


(おんなじなんだ)


 逃れ難いはずの、本能的な恐怖を感じながらも――

 退かない。


 子供を守る為に。


 レオアリスは獣の前に立ち、その頭を見上げた。


「――母親か」


 今回の件でシュランに大きく人の手が入り、黒森に入って来る人間は増えた。


 再び目の前にして良く眺めれば、獣の白い毛並みからは艶が失われ、疲労の色が濃い。

 おそらく飲まず食わすで、黒森に入り込む侵入者を追い払うのに体力を削り続けて来たのだろう。


 命を掛けて、どんなものからも我が子を守ろうとするのだ。


 母とは。


「知ってるよ――、俺も」


 覚えている。

 顔は思い出せなくても、あの時自分をあの剣から、力の暴走から守ろうとした温もりを覚えている。

 里を焼き尽くす炎から。


 自らの命を盾に、護ろうと。


(そうか……)


 頭の片隅で何となく、思った。


 剣士とは、斬り裂く為の(つるぎ)だと、自分でもそう思っていた。

 或いは、護る為の剣。


 けれどそれだけでは決して無い。


 盾にだって――なれる。

 意志一つ。

 あの温もりを、覚えている。


 ふ、と獣は緑の瞳に不思議な光を揺らがせた。


 瞳がレオアリスの意識を覗き込むように注がれ、そしてその向こうにいる彼女の大切な子供達に向けられる。


「でも思うんだけどさ――やっぱり、そんな事よりずっと、傍に居たいだろ――、子供は」


 アスタロトはレオアリスをじっと見つめ、喉の奥に競り上がったものを堪えた。


(母様――)


 レオアリスは膝を付き、獣の足元に剣を置いた。


 驚き、そしてレオアリスの意図を理解して、アスタロトはその姿を見守った。


 再び立ち上がり、獣に視線を注いだまま、レオアリスは数歩下がった。


 レオアリスの手から離れた剣が二、三度ゆっくり明滅し、纏っていた光が次第に薄れていく。

 洞窟内を支配していた肌を切る圧迫感が、剣の光と共に消えた。


 静寂が残る。


「――」


 アスタロトも、後方にいるロットバルト達も、呼吸すら忘れて見つめていた。


 傷付けるつもりはないと、言葉では伝わらない代わりに、レオアリスはそんな方法を取った。


 横たえられた無機質な剣。

 それが示す意味は明確だ。

 それでも、獣が怒りを収めなかったら――


 侵入者を噛み砕こうと決めた時、剣を手放したレオアリスはどうなるのだろう。


(いざとなったら、私が……)


 アスタロトは浮かびかけた言葉をぐっと飲み込んだ。

 そんな考えを持つだけで、目の前の状況を裏切るような気がしたからだ。


 それは自分の中にもある、脆く大切なものをも裏切ってしまう気がした。


(大丈夫――)


 獣は低く唸りながら、レオアリスに視線を注いでいる。


 洞窟内にその唸り声だけが響く。


 瞬き一つの間が、永遠に感じられた。


 やがて、獣はレオアリスの瞳を覗き込むように鼻先を近付けた。


 鋭い牙の並ぶ顎を開き――


 べろん、と大きな舌で頬を舐めた。


「っと」


 頭で柔らかくレオアリスを押し退けるようにして、その横をすり抜ける。アスタロト達に緑の穏やかな瞳を向け、子供達の待つ所まで歩き、どさりと横たわった。


 みぃみぃと鳴き声を立て、子供達は上手く歩けないながらも母親の傍に寄ると、乳を探り当てて飲み始めた。








 アスタロトはもう一度、獣の母子がいる方を振り返った。


 洞窟の奥は静かだ。とても。暗い洞窟に穏やかさすら感じるのは、多分アスタロトの(いだ)く想いのせいだろう。


 少し前を歩くレオアリスに追い付く為、足を早める。

 並んで、隣にある横顔を見た。


 たくさん、言いたい事があるのだが


「――お前、やる事無茶苦茶だな」


 口に出してはそう言った。


「そうか? 無事済んだじゃないか」


 平然とした答えに、頬を膨らませる。

 あんな危険な事をして、本当に無事済んだから良かったようなものの、無事じゃ済まなかった場合の事は何か考えていたのだろうか。


「じゃあ聞くけど、勝算は確実にあったの?」

「――勝算か、それを言われると厳しいんだよな」


 考え込んでいる。アスタロトはぴたり、と足を止め、湧き起こる思いの丈を籠めて指を突き付けた。


「……お前は、私のコト色々言う資格はない!」

「そんな事ないだろう」

「あるあるーっ!」


 きぃっとアスタロトは髪を振り乱した。


 その様子を不思議なものでも見るような興味深そうな瞳で眺め、それからレオアリスは前方を指差した。

 冷たい外気が流れてくる。


「出口みたいだぜ、ほら」


 先導していたカイが出口を示して円を描くように飛んでいる。


「――やったぁ! 今度こそ温泉だよね!」


 アスタロトはぱっと瞳を輝かせ、元気良く外へと駆け出した。


 白く口を開けた出口が近付く。今はもう夜になっていて、洞窟の中と外はそれほど明るさが変わらないが、外の方が明るく見えるのは積もった雪のせいだ。


 ぼんやりと森の姿が浮かび上がっている。


「温泉~!」


 積もった雪の中に駆け出し、途端に身を包んだ冷気に足を止める。


 アスタロトは爪先から頭のてっぺんまで、あっという間に震え上がった。


「寒ッ! 戻る! 中戻る! さっき温泉あったし」

「待て待て。戻ったら今度こそ食われるぞ。二度も許しちゃくれないって。ちょっとの間だから我慢しろよ」


 くるりと向きを変えたアスタロトの腕を、追い付いてきたレオアリスが押さえる。


「いい。こんな寒くちゃ死んじゃうよ~! どうせ死ぬんならあそこのあったかい温泉に浸かりながら死ぬ! 本望だもん!」


 今は吹雪いてこそいないものの、深々と雪が舞い落ちていて、骨まで凍りそうなほど寒い。


 黒森に来た時は次第に身体が慣らされていたからまだ良かったが、洞窟の暖かさから急にこんな寒さの中に放り出されては、もう根性とか我慢とか、そんな精神論は投げ捨ててしまいたい。


「吹雪いてないんだからそんなに寒くないじゃないか」

「『そんなに』……? お前と体感温度の話はしたくない」


 感覚が違い過ぎる。


「何だそりゃ。――まあ考えてみろよ、あそこは温泉だけだけど、シュランに行けば温泉も食事もあるぜ? いいのか、せっかくの豪華な飯を食わなくても。楽しみにしてたんだろ」

「――」


 アスタロトはきょろきょろと、洞窟と白く冷たい雪景色とを見比べた。

 食事、と聞けば、急速にそれまで忘れていた空腹感が甦る。


 寒さ、対、空腹。


「――シュランに行く」


 レオアリスはにやりと笑った。


「だよなぁ。……そうだカイ、ハヤテ達を呼んでくれ。待機してるはずだから」

「しかし、ここはどこなんスかね~。シュランは近いんスかね~」


 レオアリス達に並んで洞窟の出口に立ったクライフ達も、身体を抱え込み閉口した様子で辺りを見回した。


 アスタロトほどではないが、このまま洞窟に(とど)まっていたい気持ちは良く判る。


「マジ寒ィ。ロットバルト、お前上羽織っただけで平気かよ」

「いや、この中で四半刻も歩いたら死にますね」

「あら、見て、あそこ」


 フレイザーが指差した方向、樹々の間にチラチラと揺れるものがある。


「灯りだわ」


 ほっと肩の力を抜くような、そんな温もり感じられる、柔らかい光だった。


 近付いていけば、灯りは一つではなく、二つ、三つと樹々の隙間に灯り出した。







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