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(11)

 アーシアは歩きながら辺りを見回した。アスタロトの創り出した炎が彼等の頭上に浮かびながらずっと付いて来て、洞窟内は充分に明るい。


 自分達を取り囲む土と岩の壁が湿っているのも見て取れた。こもった湿度のせいだ。時折水滴も落ちる様が見れる。


「アスタロト様、さっきよりも温かくなってきましたね。少し蒸し暑いくらいですけど、大丈夫ですか?」

「うん、平気。でも外に向わないで奥に来ちゃったかな、失敗したなぁ」


 レオアリスが怒るだろうな、と大抵いつも、事態がある程度進行してから思うのだが。


 行動に移す時は余りそういうのは関係が無い。


「カイがいてくれたら良かったんだけどねー。私も伝令使持とうかなぁ」

「そうですね。でもそう言えば、アスタロト様は転移の術を使えるじゃあないですか。それで簡単に外に出れるんじゃありませんか?」


 昔、地中に閉じ込められ生死の境に置かれた事のあるアスタロトは、その事を教訓に転移の法術を学び、身に付けていた。


 しかしアスタロトはあっさり首を振った。


「ムリムリ。そんなどこでも行けるほど高位じゃないもん。素人には行き先が良く知ってる場所じゃないと難しいの。右に何があって、左に何があってって、ちゃんと思い描くんだよ。私がまともに行けるのなんて王都の一部くらいだよね」

「そうなんですか」


 アーシアは感心と納得の入り交じった声を出した。


「上の森なんて、どこもかしこも同じような見た目でわかんないし」


 アスタロトもアーシアも、自分達だけ王都に戻るという発想はこれっぽっちも無いから、この話題はそこで終わりだ。


「カイも全く初めての場所には跳べないし、知らない人は探せないって言ってたよ。レオアリスが知ってるか、カイが知ってるか、どっちかじゃないと駄目なんだって。とにかく、そのうち外に出られるよ。こうやってね、左手を壁に当てて歩いてるといいんだって聞いたことある」


 やがて出口に辿り着くまで、どれだけ時間が掛かるのかは判らないが。


 しかし当面、アスタロトには無視し難い問題があった。


 ぐぐう、とお腹が鳴る。洞窟内では良く響いた。


 暖かい場所に来た事で身体はすっかり安心し、本能に忠実に従っていた。


「うう――お腹空いたぁ」


 アスタロトは俯きがちに溜息を落とした。昼食を食べたのはもう六刻は前で、すっかりお腹はぺったんこだ。


「はぁ、ホントなら今頃、宿で美味しいご飯食べてたのになぁ……何が出たかなぁ」


 それを見て、アーシアがにこりと笑みを向ける。


「お菓子がありますよ。待ってくださいね」

「ホント?! エライ、アーシア」


 アーシアは背負っていた鞄を下ろし、中から更に袋に入ったお菓子を取り出した。


 宿でお茶を淹れた時に出そうと思っていた焼き菓子だ。館の菓子職人が作って持たせてくれた。


「あとは果物と――ちゃんと全員分ありますから」


 アスタロトが遠慮しないよう先回りしてそう言うと、アスタロトはキラキラと嬉しそうに瞳を輝かせた。


 けれど手を伸ばして受け取る前に、ふとアスタロトは思い直して手を止めた。


 アーシアが首を傾げる。


「アスタロト様? どうかしましたか?」

「――やっぱりいいや、我慢する。皆食べてないのは同じだし、私だけ食べたら悪いもんな」


 アスタロトは苦汁に眉を寄せながらも、きっぱりそう言って首を振った。


 こうなった責任は、アスタロト自身強く感じている。


「――判りました」


 アーシアはアスタロトを見つめたが、無理に勧める事はなくにっこりと笑ってまたお菓子をしまい込んだ。代わりに水筒を取り出す。


「せめてお水だけでも」

「うん、ありがとう」


 アーシアから水筒を受け取り、一口、口に含んだ。


 ふはぁ、と一息ついた時だ。


 ふいに、音が聞こえた。


 水の流れる音と――声。


 と言っても人の話し声ではなく、動物の鳴き声だ。小さな鳴き声だが、喉を鳴らして何かを呼んでいるようだった。


 アスタロトとアーシアは顔を見合せた。


「――まさか、さっきの……」


 洞窟は三間ほど先で左に大きく曲っていて、声はその先から聞こえてくる。


 アスタロトは息を殺し、足音を立てないようにしてゆっくりと曲がり角に近付き、息を潜めたままそっと覗き込んだ。


 視線が捉えた光景に、アスタロトは深紅の瞳を驚きに見開いた。


「うわぁ……」







「アスタロト様ー! いますかー!」


 わんわんわん、と余韻を引き、クライフの声は洞窟の壁に跳ね返りながら闇の中に溶けた。


「カイ、もうちょいゆっくり行ってくれ、足元がでこぼこしてて歩きにくいからよ」


 カイは言われたとおり翼を反しクライフ達の正面まで戻ると、再び急かすように前へ進んでいく。


 レオアリス達の状況が気になるがカイには特に変わった様子は無く、無事だと、今はそう信じてクライフ達はアスタロトを追っていた。


 手灯の小さな灯りがゆらゆらと揺れる。お互いを照らすのがやっとの灯りではあるものの、暗い道を行くのに充分役立った。


「アスタロト様ー! アーシアー!」


 フレイザーは何度か繰り返し呼んでから、前を歩くクライフに話し掛けた。


「一体どうなってるのかしらね、ここは。暖かいのはいいけど、出口はあるのかしら」


 先ほどの場所よりも湿気が増してきて、少し汗ばんだ額を押える。


 剥き出しの壁は硬い土で、所々岩や木の根が飛び出している。まさに人の手の入らない地面の下、という様相だ。


「無かったら問題よねぇ」


 と言いながらどことなくのんびりした口調なのは、この程度で動じるほど柔ではないという他に、やはりこの中が暖かいせいがあるかもしれない。


 あの吹き付ける吹雪と凍る寒さの中にいた時の緊張感は、気温の上昇と一緒に薄れている。


「けどやっぱ雪が無いのは助かるよなぁ。全然違うぜ。出口が見つかってもあんま外に出たくねぇよ。また外に出る位なら一生歩き回ってた方がマシな位だ」


 クライフが冗談めかして笑う。


「さすがにそれは冗談じゃないわ、せめて時々休みたい」


 フレイザーも笑って肩を竦め、それからクライフの背中を見つめた。


 こうしてまじまじと彼の姿を眺める事は、もしかしたら初めてかもしれない。


 身長はフレイザーより手のひら一つ分くらい高く、顔を真っ直ぐ見る為には少し見上げなくてはいけない。


 いつもふざけてばかりいるが、こうして任務の時の姿はそれなりに――、そう、それなりに見栄えがする。


 フレイザーは何となく、普段の彼女とは違う、そっと抑えた声で言った。


「――クライフ、さっきはありがとう」

「何が?」


 飛び降りる時抱き止めてないけどなぁ、とクライフは心の中で呟いた。やっとけば良かったとまだちょっと引きずっていたのだが、多分そんな事をしようものならフレイザーの容赦無い張り手が飛んだだろうから、仕方ない。


 フレイザーはくすりと笑った。


「雪。歩き易いようにしてくれたでしょ」

「あー、ああ?! いやぁ、ありゃその」


 ばれていたのかと、顔を赤くして口籠もり、視線をあちこちに彷徨わせる。さりげなくやったつもりだったのだが。


「何つうか……」

「本当に、助かったわ」


 フレイザーの声は柔らかい丸みを帯びて感じられて、引き寄せられるように振り返りかけ、クライフは咄嗟に抑えた。何となく。


「……いやまあ、役に立って良かったよ。つっても俺だけじゃなくて、ロットバルトにも手伝わせたけどな」


 そう言いつつ照れ隠しに頭を掻いた。洞窟の暗がりが血の昇った顔を隠してくれてちょうどいい。


 フレイザーはそんなクライフの様子に、いつもとは少し違った表情を浮かべた。


 柔らかな――眩しいものを見るような。


「いっつもふざけてばかりいるけど、本当は優しいわよね、貴方って」

「え」


 思わず足を止め、クライフは振り返った。フレイザーも立ち止まる。


「――そ、そうかぁ?」

「そう思うわ」


(うおー、まずい!)


 平静を装ってはみたが、実際内心はめちゃくちゃ狼狽えていた。頭に血が昇り、鼓動も自分で判るほど早い。


 優しい、とか、そんな事を、しかもこんなに改まってフレイザーから言われた事など、今まで無い。


(落ち着け落ち着け落ち着け――)


 ふっと――、瞬間的に訪れた静寂に引かれたように、二人は暗闇の中で向き合った。


 フレイザーの翡翠の瞳が、今は真っ直ぐクライフに向けられている。


 暗闇だってその綺麗な色は判る。


 意志の強い眼差し――、けれどどこか、いつもとは違う色のような気がした。はっきりは言えないが。


「――」


 改めて考えれば、今はフレイザーと二人きりだ。


 こんな状況でなければ、クライフはかなり浮かれていたに違いない。


 クライフとフレイザーは同期の入隊で、入隊したのは八年前――お互い十七歳、今のレオアリスの年齢の頃だった。初めて彼女を見た瞬間、好みだと思った。


 フレイザーは入隊当初から周囲からの注目も高かった。今でも女が軍に入るのは珍しいが、それだけではなく、剣技も何も他より飛び抜けていたからだ。


 彼女に見くびられないように、ちょっとばかり頑張ってきたのは事実だ。


 いつも冗談めかして誘っては、ほとんど冗談で躱されていたし、自分自身見込みがあるとは思ってはいなかった。


 それに最近になって何となく、フレイザーは好きな相手がいるのだと、気付いてしまった。


(さすがにあの人にゃ、俺じゃ適わねぇし)


 気付いてからは、なるべく諦めようとしてきたが、そう簡単に想いが変わる訳もない。


 しかも、はっきりと言葉で振られた訳ではないから尚更だ。


(いっそ告ってすっぱり振られるかな)


 そう心の中で呟いてみると、それはものすごく重要に思えてきた。


 せめて、気持ちくらい伝えてもいいんじゃないか。


 叶わなくても。


 今なら――いや、今しかない。


 口に出さずに後で後悔するより、本気で伝えてみて、それで振られた方がすっきりする。


(よし――)


 クライフはぐっと拳を固めた。


 こんな機会は今だけだ。


「その、フレイザー……、俺は」

「――何?」


 フレイザーはじっと、クライフを見つめている。


 クライフが言おうとしている言葉を待つように。


 おそらくフレイザーも、今クライフが何を言おうとしているのか察しがついている。


 そしてそれを遮ろうとする素振りは無かったから。


 どくりと鼓動が鳴った。


 叶わない、か――?


 全く?


「――俺は」


 クライフの精一杯の覚悟を遮り、突然鼓膜を突き破るような雄叫びが響いた。


「! 奴だ」

「後ろよ!」


 二人は同時に暗闇の先を睨んだ。咆哮は後方から響いて来ている。


「クライフ」

「ああ、中だったな。……まずいぜこりゃ」


 獣がクライフ達を追ってここまで来たのか。


「行こう。早いとこアスタロト様達を見つけねえと、このままじゃじり貧だぜ。フレイザー、灯り持って前行ってくれ」

「――判ったわ」


 先ほどまでの空気はするりと消え、もう欠片も見当たらない。多分もう、あの奇跡のような時間は訪れないだろう。


 ただクライフは少し、あの獣に感謝してしまった。


(あー、危なかったぜ。絶望するとこだった)


 振られるのは怖い。当たり前だ。


 フレイザーはそんなクライフの様子にほんの僅か物言いたげな視線を投げ――、けれど何も言わずに前を向いて歩き出した。


 咆哮はもう止んでいて、しんとした静けさが戻っている。


 獣がどこにいるのか、今自分達がどんな状況にあるのか、余計不安にさせられる静けさだ。

 そうして暫く急ぎ足で歩いていた時、不意にカイが空中で止まり、フレイザーは思わず顔をぶつけそうになった。


「カイ? 急いで……」


 言葉の途中で、フレイザーの目の前からカイの姿が消えた。


「カイ?!」

「おい……っ」


 (くう)に手を伸ばしかけ、二人は気が付いて顔を見合せた。


「ひょっとして、上将が呼んだのか」


 カイがクライフ達に何の素振りも見せず消えたのは、おそらくそういう事なのだろう。フレイザーは頷いて胸を撫で下ろした。


「ご無事だったのね、良かった」

「ああ――本当にな」

「どうしよう、上将達と合流する?」

「って言ってもカイがいなくちゃ上将達がどこに居るかは全く判んねぇからな。カイが案内しようとしてた道をこのまま辿った方がいいと思うぜ」

「そうね、そうしましょう――待って」


 歩き出そうとしたクライフをフレイザーが片手を上げて止め、人差し指を唇に宛てた。


「音がする」


 クライフは口をつぐみ、耳を澄ました。


「前からだな」


 先ほど咆哮が響いた後方ではなく、彼等が向かっていた前方から。


 少し風が吹いていた。


「水の音だわ」


 この地下に川でもあるのか、水が流れる小さな音が聞こえている。


 それから、ごそごそと、何かが動き回る音。


「何だ――、まさか、もう一頭いるのか」


 クライフがフレイザーの前に出ようとした時、前方の暗がりから何か黒い塊のようなものが飛び出し、二人の行く手を阻んだ。







 壁に反響して洞窟内を埋め尽くしていた咆哮が消える前に、レオアリスは元いた場所に戻った。


 咆哮が長く響いていたのか、少し距離があったのかはどっちもどっちだ。壁に凭れて座っていたロットバルトの姿を認め、足早に近寄る。


「ロットバルト、議論は後だ、悪いが動いてもらうぜ」


 先ほどの議論を蒸し返される前に、突き付けるように口を開いた。


「俺は誰も置いて行かない」


 我ながら単純な答えだとは思う。答えにもなっていないかもしれない。ロットバルトもやはりそう感じただろう。


「理想論的ですが――」


 そう言った。当然の反応だ。


 レオアリスは右手を差し伸べながら、悪びれずに答えた。


「そう努力するんだよ。大体理想なんて、掲げるから意味があるんだろ」


 半分くらいハッタリだ。巧く論破する言葉など思いつかなかったから、ただ気持ちのままに口にしただけだ。


 が、ロットバルトは一度レオアリスの顔を眺め、普段と変わらない笑みを浮かべた。


「その通りです」

「――ん?」

「この際少し楽をしようと思っていたんですが、残念だな」


 (うそぶ)くように笑って、差し出された手を左手で掴むと立ち上がった。


「左をあんまり」

「この通り充分動きますよ。元々擦り傷ですし、師団の薬師(くすし)が調合する薬は優秀ですしね。負傷で人員を失うより、傷薬一つに予算を注ぎ込む方が費用対効果は高いと考えているんでしょう」

「――口悪いなぁ」


 レオアリスは呆れたように言って、やはりもう少しだけ追及してみた。


「……俺は結構、さっき言われた事は気にしてたんだが……あれは本気で言ってるんじゃ無かったのか」

「当然、冗談で言った訳ではありませんよ。ただし私の考えとしては、ですが」

「? じゃあ俺の考えと違うんだろ?」

「違う事自体に問題は無いんですよ」


 今回は議論を仕掛け、認識を促すにはいい機会だったというだけで、あの考え方一つを押しつけるつもりは、実はロットバルトにも無い。


 レオアリスの出す答えはやはり彼らしいものだった。


 それが最善とは言い切れず、また一軍の将としては少し危ういが、補佐できない範囲では全くない。


 むしろ多くの隊士の命を預かる者として、好ましい資質だろう。


 ロットバルトの横顔をまじまじと眺め、レオアリスは少しばかり眉をしかめて溜息をついた。


 考えがあっての事だとは判る。


「――まあいいけど、お前の考えてる事は判りにくいんだよなぁ」

「そうですか? しかし私も、貴方が考える事がそっくり判る訳でもない。推測する必要はいつだってありますよ」

「推測?」

「日頃の言動などや先ほどのような議論から、応時の際に取るだろう対応をある程度予測しておく事は必要でしょう。想定があるのと無いのとでは差が出ますからね。無論一つの想定のみに固執するのも好ましくありませんが」


 レオアリスはロットバルトの意図を理解して――呆れた。


「――あれは全部わざとか……」


(こいつは)


 全て布石だ。数手先を見据えて状況を整えていく。


 自分が怪我を負った事も単なる一つの要素に過ぎず、常に盤上の駒を動かすように、物事を考えているのかもしれない。


 真面目に悩んだのが何だったのか――


(ああ、違う)


 今だから、真剣に考えられたのだ。いざそうした場面に直面して、咄嗟に考えられる事は少ない。


 かと言って、怪我をした時くらいもっと違う考え方をしろ、とやはり腹は立つが。


「さて、どちらに向いますか。先ほどの咆哮は良く位置を掴めなかった」

「俺もだ、かなり反響したからな……まずカイを戻して状況を聞こう。――カイ」


 レオアリスが呼ぶと、まるですぐ隣に控えていたかのように、カイが中空に姿を現して彼の肩に降り立った。


 カイが黒い嘴を広げクワァ、と鳴く。その言葉の意味を汲み取り、レオアリスは肩を落とした。


「どうしました?」

「合流できてないらしい。……まだ」


 最後の「まだ」に力が込められていて、レオアリスの思いの丈が伺える。そしてしみじみ溜息をついた。


「何でじっとしてないんだろうな……」


 ロットバルトの蒼い瞳にはちらりと微妙な光が過ったが、感想は控えた。


 賢明だ。物事には口を出すべき事と口を出すべきではない事とがある。


 そもそも性格だから諦めるしかない、と現実を指摘しても始まらない。


「――クライフ中将達の現在地は?」

「地下にいるらしいな。どっちも怪我は無いみたいだから、それで満足するか……。とにかく行こう。場所は判る。洞窟内で動きが制限されてる分、地上より合流しやすいかもな」


 一番はじっとしててくれるのがいいんだが、と虚しく付け加え、レオアリスはカイを追って洞窟の奥へ足を向けた。


 先ほどレオアリスが確認に行った方向だ。カイはあの別れ道の左側を選んで進んだ。


「大丈夫か?」


 少し歩く速度が早いかもしれないと、レオアリスは歩きながら後ろを確認するように振り返った。


「歩くのと、頭を使う分には全く」


 と言いつつ、ロットバルトはもう一つ付け加えた。


「考えてみれば最近、参謀官という職務の範囲が曖昧になっているように感じますね」

「――」

「まあそもそも、大将の職務範囲からして曖昧ですが」

「――」


 レオアリスは立ち止まり、口元に少々自棄気味の笑みを刷いた。


「細かい事をあんまり気にするなよ。ガッチリ型にはめ過ぎて問題の押し付け合いなんてつまらないだろ?」

「それは一理ありますね。境界を引き過ぎて結果、境界が曖昧になる事は少なくない」

「――」


 レオアリスはまた意外そうにロットバルトの顔を眺め、ああそうか、と心の中で呟いた。


 元々ロットバルトは議論する事には積極的で、根拠や理由を示している相手の意見を否定する事はない。


 ただし、自分なりの視点を持っていなければ容赦なくやり込められるが。


(面白いかもな、案外――)


 そういうやり取りができるのは、考えてみれば結構、心が弾む。


 誰かの受け売りや固定観念など受動的にではなく、能動的に物事を考えるという事だ。


 再び、洞窟が鳴った。


 打ち寄せる波のように咆哮が走り、二人の足元を打ち抜け、全身を叩く。


 先程よりも強い怒りに満ちた気配が近付いてくるのが判る。後方からだ。


 地上はまた吹雪いているのだろうかと、頭の片隅で思った。


「まずいな……本当に、蛇の巣穴に手を突っ込んじまったかもしれない。手どころじゃないか」


 ここはほぼ間違いなく、あの獣の巣穴だ。


 この一連の出来事の理由が巣穴を守る為だとしたら、子供がいる可能性が高い。


 子供がいた場合、獣は普段以上に緊張し、侵入者を阻もうと当然必死になるはずだ。


「可能な限り近付かずにここを出たいですね」


 子供には。


「ああ。下手に近寄ったら親が収まらないからな。本当は出口があれば今すぐにでも出るべきだ」


 ここはあの獣の棲み(すみか)、守っている大切な場所であり、ここでは完全に、レオアリス達は歓迎されざる侵入者だ。


 獣が追い払おうとするのは当然の行動なのだ。


「急ぎましょう、追いつかれると厄介だ。とは言っても、さすがに獣の足には敵わないとは思いますが」


 ロットバルトの言葉を容れて、歩く速度を少し速めた。道はまだずっと、緩やかに左右に曲りながら進んでいる。


 暫く進んだ辺りで、カイは声をあげてレオアリスに思考を伝えた。


「アスタロト達の気配だ、すぐ――」


 近い。もうすぐそこに、アスタロト達がいる。獣が追い付くにはまだ少し猶予がある。


 漸く――、と、レオアリスは息を吐いた。


「間に合った」


 道は大きく左へ曲っている。水の流れる音が聞こえ、曲がり角に近付くにつれて次第に大きくなった。


 そして、人の声。


「アスタロト――」


 曲った瞬間に飛び込んできた光景に、レオアリスは驚いて立ち尽くした。








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