23歳、バーテンダーの場合
少しだけ胸がときめくほどに、蒸し暑い夜だった。
アルコール度数を抑えたカクテルが彼女の口を潤した。
豊かな唇と淡い桜色の口紅に、青みがかった紫色の液体が良く映えた。
彼女は味わってくれただろうか。カクテルの名前は「ブルームーン」淡い紫色のカクテルである。彼女はそこに隠された彼の思いにはきっと永遠に気づかないだろう。
ジンベースのカクテルを彼女がより好むことを青年は知っていた。
本来、酒を口にし続ける彼女たちには出来るだけバーカウンターでは飲ませないようにしている。
だが、青年にとって彼女だけは特別だった。
特に今日は酒が進んでいるように見えた彼女のために、ジンは少しだけ抑えた。
彼女は物足りなく感じたかもしれないが、それでも青年はそれが自分に出来る精一杯だと割り切っていた。
バーテンダーの青年はそんなことを考えながら自嘲とも取れるような薄い微笑を浮かべる。
このキャバクラには、シェイカーを振っている姿を魅せるためだけにバーカウンターが用意されていた。ただ魅せるためだけのお飾りに等しい。
彼の望むキャリアとは無縁の職場に違いなかった。
こんなところでシェイカーを振っているような人間は一人前だとはみなされない。
恩師にも止められた。きちんとしたオーセンティックバーを紹介してやると言われた。
しかし、それでも青年は彼女を間近に見ていられるこのバーカウンターに愛着を覚えていた。
きっかけは、社会勉強だと先輩に連れて行かれたキャバクラだった。
そこに彼女がいて、彼女の気さくな人柄と話術に青年は引き込まれた。
バーテンダーには相応に話術も求められる。人の表情を読むことは青年には少しだけ苦手な分野だった。
最初は勉強のつもりだった。何度か彼女を指名して、あるいは店に入って遠くから彼女を眺めながら不味い酒を口にした。
しかし、それがいつのまにか尊敬に、そして恋愛感情に変わっていた。
青年は多くを望んでいるわけではない。
別に、彼女と一緒になりたいなどと夢を見ているわけでもない。
ただ、彼女の傍に居て、彼女の手助けをしたいのだ。
彼は恋愛の終点が結婚などというものではないと考える。
自分が体現しているような恋の形があっても良いのではないだろうか、と。そしてこのままであればこの終点は自分の思いが消えるまでは永遠に訪れない。
それが引っ込み思案な彼の小さな慰めだった。
同時に、いつかは彼女の視界に映りたいと青年は願う。
彼は自分をまったく意識しない彼女の無関心を少しだけ呪っていた。
そして、もう少しだけ積極的なアプローチの方法は無いものかとも考えてみる。
彼は自らの矛盾する二つの思考を意識してまた独り営業的な微笑みに自嘲的な微笑を混ぜ込む。
珍しくカウンターから離れない客の注文を受けながら、彼はまた彼女のことを視線で追いかける。
どうすれば、彼女の視界に入れるだろうか?
そんなことを思案しながら。