エピローグ
こうして中心と周縁の間にある物語りは終わりを迎える。
我々が眺めたのは円環の上の物語りだ。
愛の対義語は憎しみではなく、無関心であるなどという大層で大仰なことをのたまうつもりは無い。
ただ、うっちゃりによって始まった物語りは、俵のどちら側かに投げ出されなければならない。
永遠に俵の上に留まり続ける力士などかつて存在したことは無いのだ。
仕切り直しによって執り直される相撲はあっても、一回たりとも同じ展開ではありえない。
人生に仕切り直しがないように、物語にも仕切り直しは無い。
一回性によって保障されているものは、投機性でもなければ無理解でも無い。
あるいは始まるかもしれない可能性を包含しながら、彼らは同時に擦れ違う。
擦れ違いながら、無関心でありながらも、彼らはなお無関係ではない。
ここでひとつのありふれた設問を提出してみよう。
――彼らは繋がっていたのか?
無味無臭、無色無音、そして、触れあうことの無いこの世界で。
もしくはそれらに溢れてすべてが落下して消えていくこの世界で。
そうして、最後のうっちゃりと共にこの物語りを終えることとしよう。
俵の上から落ちたのは誰だったのか。
その判断を読者諸氏にゆだねて。




