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限定天使物語  作者: 憂い帯
底辺天使 転落編
6/20

006:追放者への依頼 ―― 三日目の堕天使

 判決後、放り込まれた部屋には既に荷物が用意されていた。

 白テーブルの上に並んでいるのは女性用と思しき衣服一式に、ボロく簡素な麻袋。


 無慈悲に全裸のままだったので、俺はとにかく下着に手を伸ばした。 さほど裸を意識せずに着衣を進められたのは、気が滅入っていたお陰だ。

 パンツは男女の別があるのか疑問なくらい簡素なもので、ブラは紐で締めるチューブトップ。 ゴワゴワするが、肌にぴったりフィットするランジェリーより安心するのはなぜだろう。 衣服はいかにも村人Aっぽい上着とズボン。 それらを腰紐でまとめたら、裸足よりはマシって程度の靴を履く。

 純白のJK制服からよくもまあダウングレードしたものである。 薄幸感がハンパない。 ワンボックスカーには注意しよう。

 それでも髪紐が用意されていたのは僥倖だ。 長髪をポニーテールにまとめると、ようやく人心地がついた。


 ……じっとしていると泣きそうになるので続いて麻袋の中身を検める。

 まず似たような着替えが三着。 続いて小さい革袋……軽く振ってみた所貨幣が詰まっているようだが、どうせ価値なんて分かりゃしない。 袋の一番下にはなぜかまな板が敷かれていた。


 以上だ。


 感想もツッコミも出てこない辺り、相当参っているのが自分でも分かる。

 指示待ちしてても声がかからないので、重い足を引きずるように白い部屋を出た。 すると待っていたかのように白い床に光のラインが出現。


「……あったな、こんなゲーム」


 思い出したタイトルよりもダークな気分で光のラインを追って歩く。


 いよいよだ……微塵も心当たりのない容疑を背負っての放逐だ。

 もちろん減刑には感謝している。 特に助け舟を出してくれた代表天使には感謝してもしきれない。 だがそれでも、組織からハブられるという現実は背中に重く圧し掛かり、思考のベクトルがマイナスから戻って来なかった。 どうしても頭はうな垂れ、何度目になるかも分からない溜め息が力なくこぼれ出る。 やるせない。 やりきれない。 やっぱり泣きそう。


 ……ややあって、ポニーテールが程よい加重を感じ取った。

 この妖精マジでポニテがお気に入りだな。 オシャレストラップ気取りなの?


「さすがにヘコんでますねー、天使ディーナ様?」

「お前に呼ばれるとなんかイラッとする。 あ、やめ、ポニテ引っ張らないで。 ゴメン、ゴメンて」

「まったくもう、せっかくいい名前だと思ってたのに」

「えっ…………そ、そう?」

「私は好きですよ。 優しい響きだと思います」

「ままま、マジ?」


 ネーミングセンスを褒められるのはガチで生まれて初めてのことだ。 ちょっと背中がムズかゆいが、正直悪い気はしない。

 ディーナ……ディーナね。 うん、実はこの名前、ひたすら言い辛いんじゃないかと思い始めていたけれど、案外悪くないのかもしれない。


「口元ニヤついてますよ」

「頭上から覗き込むなっ、割りと驚くんだぞそれ」

「でも、いかにも女性っぽい名前なのはアリなんですか?」

「こんな美少女に男の名前じゃ座りが悪いだろ、アバターのノリだよ。 ちなみに俺の世界で言う遺伝子(DNA)の読みからもじってる。 元の世界じゃもう残せないって皮肉だな」

「……一生の不覚です、センスがあると思ってしまいました」

「ひどい毒舌妖精もいたもんだ」

「失礼、あなたと話しているとついつい目的を忘れそうになりますねー。 実は慰めに来たんです」


 逆さ顔でテヘッとあざとく笑うリオ。 釣られて笑いそうになるのは必死に堪えた。 死んでも口には出さないが、こいつとの駄弁りは心地良く、時間を忘れそうになってしまう。


「……ふん、もう少しマシな慰めネタ持って出直して来い」

「お、言いましたねー? ではとっておきを出しましょう――追放されると思うからいけないんですよ、地上世界を見て回れる自由をもらったって考えた方がよほど建設的じゃないですか?」


 ピタリと足が停まった。


「……詳しく聞いてなかったけど、地上ってどんなトコ?」

「んっと、商人さんたちの話では、人族は毎日モンスターみたいな奴らと戦ってるらしいです」

「マジでかっ!?」


 聞き捨てならない情報にアドレナリンがマッハした!

 逆さ妖精を子猫のように引っ掴み、寄り目になるほど押し迫る。


「それって魔王軍討伐系? 迷宮(ダンジョン)攻略系? 実は俺、まったり運営系でもイケる口だよ? そこんトコどうなの、ねえ! ねえっ!?」

「いきなり目を輝かせないで下さい! そこまで詳しく知りませんてば」

「ネタは上がってんだよ詳しく話せっ! 第一話で決闘申し込んでくるお姫様とか、オッドアイのロリ吸血鬼とか、奴隷なのにめっぽう強いケモ耳少女とか! いるだろ実際っ!」

「とんと聞きませんが」

「オワコンみたく言うなあぁあああああああああっ!」

「思ってたより元気そうだな」


 振り向けば、そこには蒼髪のイケメンが出現していた。 つい先刻のサイバー装備ではなく、堅苦しそうな聖職者姿だ。

 何やら口元が少々引き攣っているようにも見えるが、腹の具合でも悪いのだろうか。


「あ、どうも代表。 このたびは大変お世話になりました!」

「そんな爽やかに……追放だぞ? 二、三発は殴られる覚悟でいたんだが」

「滅相もないっ、こうして地に足がついているのはあなたのお陰じゃあないですか。 自分、これから地上世界で頑張っていきますので、期待していてください!」

「ぐるぢい……」


 ミノムシがすすり泣くような声が手の中から聞こえたので、お気にの定位置へ戻してやる。


「そう言ってもらえると助かる。 実は君に頼みごとがあってな……処断した身としては、胃が痛くて仕方がなかった」

「ホントに腹痛でしたか。 クエストなら絶賛受付中ですよ」

「そんな大げさなものじゃないさ。 至極単純に、地上への過度な干渉を控えて欲しい、というお願いだ」


 ……はて? これから生活することになる場所に干渉するなとは妙な話だ。

 すぐには理解できず小首を傾げると、彼はなぜだか視線を外して咳払い。 取り繕うように説明を始めた。


「あー、二百年ほど前にここ第一拠点(ファースト)が墜落した話は聞いたな? それ以来、天使という存在は地上に住む人間にとって現実的なものとなったんだ。 奉納品を見ての通り、畏れとともにひどく崇拝されている。 それだけならいいが、一部の貴族や商人連中は天使に取り入ろうと躍起になっているんだ」


 なるほど、話が見えてきた。

 地上世界の技術水準がどうであれ、天使は生身で宇宙戦争するような超越的な存在だ。 そんな彼らがバックについたら、絶大な利権に繋がることは間違いない。

 墜落という話は初耳だったが、ここでは聞き流しておく。 二百年前といえば最大規模の攻勢があったと聞いた時期に一致する。 いちいち触れることもない。

 話に聞き入る俺に対し、ソルの言葉は熱を増していく。


「断言するが、地上世界のパワーバランスに関わる案件は全て返答を拒否している。 天使の力は、この世界を守るための力だ。 天使の存在を理由に世界を変質させるなんて筋が違う。 絶対に間違っている。 俺は、そう思う」


 胸に響くような、信念の篭った言葉だった。

 不覚にも、カッコイイと思ったものである。


 だが、この男の真なる恐ろしさを知ったのはこの直後のこと。

 己の信じる正義に絶対的な自信を持ちながら、その真っ直ぐな瞳を微かに伏せ、脅えの色を隠すように、一瞬の間を置いて続けた言葉。


「……君もそう思ってくれるなら、嬉しい」


 さすがに赤面したと思う。

 ズルいだろコイツ。 俺が女だったら落ちてたよ? 確実にルート分岐してたよ?

 内心で悪態をつきながら、同時に俺は諸手を挙げて降参した。

 代表天使ソルは骨の髄までイケメンだ。 こういう男に心を強く揺さぶられ、多くの天使が彼の仲間として加わった……そんな王道展開が容易に想像できてしまう。 彼のような人物を「主人公」と呼ぶのだろう。

 イケメンが人類の敵であるという認識を覆すつもりはないが、この天使だけは例外にするしかなさそうだ。


「話は分かりました。 過度な干渉を控えるって言うのは、情報や文化面の話ですね。 それなら、天使に関する情報は口外すべきじゃありませんね。 元世界の知識を利用した、文化的な干渉も控えるべき、と」

「ディーナ……」


 彼は子供みたいに無邪気に微笑んだ。 ご期待に添える回答だったらしくて何よりだ。

 そしてこの男のこと。 そのままハグして来るのは明白だったので、俺は機先を制して右手を差し出した。

 案の定、ソルは不服そうに苦笑したが、右手はしっかりと重ねられ、少し痛いくらいの握手を交わした。


「またな」

「はい。 また会いましょう」


 社交辞令なんかじゃない、本当にまた会おうという気持ちが握った手からも伝わってきたのは、気のせいなんかじゃないはずだ。




---




 気分も上々に白い廊下を進み行く。 ポニーテールも飛ぶように軽い。


「あー、そういえば中身男だって説得するの忘れてたかー。 ま、次に会った時でいっか」

「なんだかすっかり元気ですねー」

「ん? 何言ってんだよ、最初からこんなもんだろ」

「……あの、そこはかとなく心配なんですが、あなたホントに一人で生きていけますよね?」

「失敬な。 勤労意欲は上昇中だぞ」

「知らない人についてっちゃだめですよ?」

「大体知らない人だろうが」

「ギャンブルにハマらないように」

「異世界で渋めのガチャもなかろう」

「猛烈に不安です……明日にでも首から値札ぶら下げてる気がして……」

「勝手に奴隷堕ちさせんなや!」


 そんなやり取りをしている間にも、目的地が見えてきた。 廊下の先、右手側から柔らかな陽光が差しこんでいる。

 三日ぶりの屋外、そこは新たなフロンティア! やにわにウキウキしてきた俺は足早に角を曲がり、すぐ手前にあった柱に顔面からぶつかった。

 

「あいったー……曲がり角に立てんなこんなもん!」

「すまん、配慮が足りなかった」


 鼻を押さえて文句を垂れると、返ってきたのは腹に響くバリトンボイス。

 立っていたのは巨人だった。


 二メートルの大台を確実に上回る巨体には目を剥いた。 見上げるばかりの登頂部には粗削りの岩石みたいな渋い顔。 かなり長そうな黒髪をどうやら後ろでまとめている。 ヘアバンドでも巻けばインディアンそのものだ。 肉体の方もその標高を裏切ることなく頑強な筋肉でビルドされており、黒のバトルウェアを隆々と押し上げていた。 格闘ゲームに登場したら画面の半分は埋まりそうな圧倒的存在感だ。


 不意に丸太のような腕がぬっと差し出されて思わず逃げ出しそうになったが、握手を求められていると気付き慌てて応える。 包み込まれるようなハンドシェイクは貴重な体験だと思う。


「ダオと言う。 よろしく頼む」

「ご丁寧にどうも、ディーナです。 ……えっと、触れて良かったんでしょうか」

「首領ソルは問題なかったと聞いている」

「……あのぅ、容疑者側から言うのもアレですが、もう少し警戒した方がいいのでは」

「首領が仲間であると認めたならば、同じ天使として礼をもって接するべきであろう」


 さも当然のような返答であった。

 あのイケメンがいかに信頼されているかがよく分かる。


「そしてディーナよ。 出会ったばかりな上に不躾で悪いのだが、お前を仲間と見込んで頼みがある」


 言って背中に手を回し、大事そうに何かを取り出す巨漢の天使。

 広い掌に載っていたのは一つの綺麗なペンダントだった。 よく手入れはされているようだが、かなりの年代ものだ。 五角形にカットされた翡翠色の宝石が僅かに欠けている。


「これをローネット領アルクス村にある、『マール』という人物の墓に供えてやって欲しい」


 ソルに続いてまたまた妙な話が出てきた。 空を飛べるはずの天使が、お届け物の依頼とはこれいかに。 そんな俺の疑問を察したように、リオが解説を挟んできた。


「地上には“融素(ゆうそ)”が満ちているから、普通の天使様は降りられないんですよ」

「あぁ、そういえば言ってたなそんなこと。 何それ、酸素の妹?」

「なぜ妹なのかは言及しませんが、人が生命を維持するのに必要な大気ですね。 天使様が常に発生させている重力場は、この“融素”を霧散させてしまうんです」


 そういった理屈だったのか。

 しかしそうなってくると色々と別の疑問が湧き出してくるが……後回しだ。 今優先すべきはクエストの受諾。 俺は自信たっぷりに「承ります」と答え、ペンダントをそっと拾い上げた。


「助かる。 立場もあって、地上の人間には頼めんのだ」


 ダオは安心したように相好を崩した。 ハイレベルに強面な天使だが、口の端をクイッと持ち上げる彼の笑顔はなかなかどうして陽気で人懐っこく感じる。

 頼みごとができないと言うのは地上への干渉を避けるという件だろう。 かなり徹底しているようだ。


「礼と言ってはなんだが、これは俺からの餞別だ」


 続けてダオが取り出したのは、想定外の物品だった。

 いわゆる、アンティークドール。 黒のゴスロリ衣装に赤毛のそれは、職人魂を感じる精緻な作りで、オークションにでも出品すれば目玉が飛び出る値がつきそうだ。


「……ものすごく高そうなんですが、頂いていいんでしょうか」

「問題ない。 この世界では赤髪は天使の生まれ変わりであり、幸福を呼び込むと伝えられているのだが……お前には、必要なかったかもしれんな」


 俺の頭髪を睥睨しつつ、再び口の端をクイッと上げて笑うダオ。

 こちらも自然に笑みがこぼれた。


「では行くか」


 促され、背を向けた巨体の後へと続く。

 ここはエントランスなどと呼ばれているようだが、イスやテーブルがいくつかあるだけで、すぐ手前が屋外だった。


「うわぁ……」


 思わず感嘆の声が漏れた。

 長く白い橋の向こう、広大な町並みが視界いっぱいに広がったのだ。 真っ白な石造りの建物群が、降り注ぐ陽光を受けて眩いばかりに輝いている。 以前ネットで見たエーゲ海を望む街並みもかくやの純白っぷりだ。 絵画にして部屋に飾ればさぞや高級感を醸し出すに違いない。

 町の端は断崖絶壁で、下には穏やかな海面が広がっている。 天使の拠点が陸に横づけし、一本の白い橋を地上に下ろしている格好だ。


「俺が最初に見た時は、ただの断崖だったが……いつの間にか大きくなったものだ」


 そっけない感想を呟くダオも、表情を見れば嬉しそうに頬を緩めている。 結構笑う人なのかもしれない。


「では、出立するか」

「了解です……って、ストーーップ!!」

「どうした?」

「なにナチュラルに“お姫様抱っこ”しようとしてるんですかっ!」


 危なかった……。 いくらTSしたからと言って、俺にだって矜持(きょうじ)というものがある。 ダオが「また配慮が足りなかったか……」なんてヘコむが、これだけは譲れない。 どうしても抱き上げたいと言うならば、俺より背の低い男の娘を連れてこい。


 しばし思案し、折衷案としては“おんぶ”が妥当と結論付けた。

 脊柱立筋(せきちゅうりつきん)に跨って、僧帽筋(そうぼうきん)に手を乗せる。 乗り心地は悪くない。


「それでは達者に暮らして下さいね、天使ディーナ様」


 いい加減ポニーテールから離れたリオが、肩の高さに降りてきた。

 コイツとの別れは寂しいが、異世界へ旅立つわけでもないのだ。 きっと、また会う機会もあるだろう。 ……そう信じて心を落ち着かせる。


「世話になったな。 ……手紙くらいは出していいか?」

「いりません」

「別の意味で泣きそうになるわ」

「まあまあ、理由はそのうちわかりますってー」


 何やら含みのある笑顔で手を振り、離れて行く赤妖精。 よくわからん……しんみりするよりいいけどさ。


「話は済んだな。 しっかり掴まっていろ」


 警告とともに、筋肉天使は音もなく地を離れた。 頭では分かっていたつもりだが、実際に人が飛ぶのを体験するのはなり衝撃的である。 驚きの声を上げる間にも高度はぐんぐん増していく。 高所恐怖症でなくて良かったと心底思う。


 外から見て初めて分かったが、天使の拠点は巨大なピラミッドみたいな形をしていた。

 内装と同じく真っ白だ。 いい加減目がチカチカするので、帰って来れたらせめてオフホワイトに塗り直すよう進言しようと心に誓ったものである。




---




「着いたぞ」


 ……俺はそれまで必死にしがみついていた大円筋から、恐る恐る顔を上げた。

 陸地だ。 右手に広大な森林地帯、左手には平原が広がっており、手前に港町らしき町並みが見える。


「しばらく見ない間に、ここも変わったな」

「浸っている所申し訳ないですが、早く降ろして頂けません?」

「む? もう少し先だが、気分でも悪いのか?」

「あまりよろしくありません……」


 さすがに、生でソニックムーブを見るハメになるとは思わなかった。 こうもあっさり音の壁をぶち破られると立派な恐怖体験だ。 まだ耳がキンキンするし、足の震えが収まらない。


「すまん、また配慮に欠けていたようだ」


 爆速天使は、それまでよりは緩やかな速度で高度を下げながら、手前の森林地帯へと近づいていく。


「この森沿いに徒歩で四日ほどの場所にある村だ。 よろしく頼むぞ」

「任されました。 しっかり達成しますので、地面、はよ」

「わかった」


 ぐるんと背中に回ってきた腕が俺の首根っこを掴み、猫みたいに持ち上げた。

 地面……まだ、遠いんですけど?


「では、健闘を祈る」

「え? ちょま――――」


 悲鳴を上げる暇もなく、地上二十メートルほどの高さから森の中へと落っことされた!


 まず背中を打った。 カエルみたいな悲鳴が漏れる。

 次に頭を打った。 気絶しないのが不思議なほどの衝撃に脳が揺れる。

 立て続けバキバキと枝が折れる音が連続し、最後はモロに顔面から地面に叩き付けられた。


「……落ちモノって大変なんだな」


 のっそりと起き上がり、ぺっぺと土を吐きつつぼやく。

 驚くべきことに五体満足だ。 言うほど痛みもなかったし、鼻血すら出ていない。 予備といってもさすがは天使素体、結構なタフネスである。

 見上げれば青い空が人型に切り取られていたが、そこにダオの姿はない。 どうやらここが俺の地上スタート地点らしい。


 汚れた身なりを整えながら、ざっと周囲を見て回す。

 巨大な樹木が無数に居並ぶ深い森。 ずっと無機質な場所にいたこともあって緑の匂いが新鮮だ。 そしてその匂いは、別の世界に来たという事実を強く実感させてくれた。

 「よしっ」と一言気合を入れて麻袋を背負い直す。 上から見えた平原方面へと足を向け、俺は逸る心のままに駆け出した。


 恥ずかしながらドキドキしていた。 この先にどんな冒険が待ち受けているのか、中二な妄想が暴走気味だ。

 まずは、ダオからのおつかいクエストからこなそうと思う。 本格的にこの世界を見て回るのはその後だ。 装備を整え、ギルドで仲間を募り、迷宮を探索したりして……!

 おおぅ、素晴らしく妄想が捗る。 これは、今の内に固有スキルの名前くらいは決めておいた方がいいかもしれない。 いいや決めておくべきだ!

 魔法なんかは使えないが、身体能力なら捨てたもんじゃないことがつい先ほど証明された。 前衛だって務まるだろう。 ならばそう、例えば――


「エンジェル・ストライクッ!」



 ――スパァアンッ!



 ポニーテールをかすめて横手の大木に突き刺さったのは、いかにも殺傷能力が高そうな真っ黒い矢だった。 咄嗟に身を捻って躱さなければ、犠牲になっていたのはキューティクルだけでは済まなかったに違いない。


 自分で自分の反射神経に驚くという新体験もそこそこに、俺は「ベタでごめんなさい!」を連呼しながら、手近にあった倒木の陰へと滑り込んだ。

 高鳴る鼓動を押さえようと胸に手を当て、驚きの柔らかさに更に慌てるという奇行を反復してからようやく若干の平静を取り戻す。


「……トラップ?」


 独白の通り、射られた現場に目を凝らせば巧妙に隠されたワイヤートラップを発見。 設置されていたクロスボウは(リム)の部分が金属製の本格的な作りのものだった。

 この森は、何かしら獣の狩場なのだろうか? ……いいや、異世界と言うくらいだし、凶悪なモンスターと言う線だってあり得る。


 そう思うと急に背筋が寒くなった。

 どこからか野犬の遠吠えのような音が聞こえてきたのはそんな時だ。

 恥も外聞もなく、半泣きで駆け出した。




---




 ようやく森を抜けてぶつかった街道“らしき”その道は、岩やら倒木やらがそこかしこに散乱していて田舎道よりよほど酷い、ん百年は人が通っていないと聞いても容易に信じる惨状だった。

 一応、これが森沿いの道なので、四日も進めば目的の村に辿り着くはずだが……さすがにちょっと信じ難い。

 ここで俺は、周辺地域の情報から先に仕入れるべきと判断した。 どこの異世界モノでも、主人公は最初に情報集めを優先していたはずだ。 ということで目的地を変更、上空から見えた港町の方角へと足を向ける。


 まともな街道に合流したのはすぐだった。 固まった土に(わだち)の跡が残っているという程度のあぜ道でも、人の気配を感じられるだけで一安心だ。 左手の不気味な森林地帯からもだいぶ距離が開き、目的の港町も視界に入った所だが……。


「だ、大丈夫なの、コレ……?」


 心配事を吐き出す口が引き攣った。

 町の外周は、三階建てほどの高さの外壁と深い堀によって囲われていた。 造りだけなら要塞っぽいが、壁は所々が大きく崩れ、手前の空堀も数か所が瓦礫で埋まっていて役割を果たしていない。 ぶっちゃけボロボロだ。

 言い知れぬ不安に駆られ、町を目指す歩調は自然に早まった。




---




 まず、“難民”という単語が思い浮かんだ。


 町の入口であろう門からは跳ね橋が下り、その手前には蛇行した長い行列が形成されている。 並んでいるのは、血の滲んだ包帯を巻いている怪我人ばかり。 苦痛に呻く人や泣いている子供の姿が、観光気分だった胸に突き刺さる。

 気持ちが急速に冷えていく。 立ち止まったままの足がなかなか動いてくれない。 自分の存在がひどく場違いに感じられ、心が竦んでいるようだ。


 ……引き返そうか。 そんな優柔不断が頭をもたげた時だった。

 カーン、カーン、カーン、とけたたましい鐘音が壁の上から鳴り響いた。

 空襲でなければ火事だろうかと思ったが、居並ぶ人々が一斉に森の方へと首を向けるものだから、俺も釣られてそれに倣う。


 距離にして四、五百メートルあるだろう、深い森の奥から勢いよく跳び出して来たのは、一匹の狼だ。

 でかい。 人間の大人を優に越えるサイズはある。


「ウェロウだ! 森から来るぞっ!」


 誰かが叫んだ。

 それを口火にしたかのように恐怖の叫びや喚きが伝播し、あっと言う間にパニック状態に陥った。

 それほど脅威なのだろうかともう一度振り返って……ぎょっとする。


 問題は数だった。

 二匹……八匹……二十、五十、まだまだ出てくる。

 緑豊かな草原が瞬く間にも灰色に染まり、波にも見えて襲い来る。


 難民たちは家財も荷物も放り出して狭い入り口門へと殺到した。

 「助けてくれ!」「邪魔だどけ!」「子供がいるの!」

 聞こえてくるのは必死な怒号と悲愴の叫び。 まるでパニック映画のワンシーンを前にしているようで現実感が湧いてこない。


 ウェロウと呼ばれた巨大狼。 その群れから大きく先行した二匹が威嚇するような咆哮を上げる。

 肩が竦み上がり、お陰で意識が現実に引き戻された。 俺も慌てて入口門へと駆け寄るが……遅すぎた、人が多すぎる。 跳ね橋は半ばから人が殺到し、寿司詰め状態で入り込める余地がない。 揉みくちゃにされ、弾き出される人が後を絶たない中、ドンッと大きく突き飛ばされて倒れ込んだのは……金髪の、小さな女の子。


 反射的に目で追ったその子の後ろ。


 先行した一匹目が、いつの間にかすぐ近くまで迫っていた。


 獰猛にギラつく視線の先、「お母さん」と泣き叫んだ女の子。


 巨大な狼が橋の床を蹴り、その鋭い牙を――




 ――へし折る勢いで蹴り飛ばしてやった。


 そいつは「キャン」と子犬みたいな鳴き声を残して堀の下へと吹っ飛んだ。


 足に感じた肉の感触に怖気立ち、その場で腰を抜かしながらも女の子だけは胸の中に抱き寄せる。

 身体が勝手に動いた。 異世界で幼女が死ぬような惨劇は、思考以前の全否定だったのだろうか? アホな検討をしている間に、二番手の狼が牙を剥いて迫る。


 あ、終わった。

 結局二度目の人生もろくなもんじゃなかっ――



 ――ズダンッ!



 物騒な打撃音に引っ張られ、その狼は二センチ手前で地に伏せた。


「いい踏み込みだったね、今の」


 狼めがけて降ってきたのは人間だった。


 スレンダーな体躯を包む、やたら露出度の高い皮鎧。 活発そうな茶髪のショートヘアは、くるりと振り向き現れた快活な笑顔によく映えていた。 人懐っこい猫みたいだ……ひと目見て、最初にそんな感想が浮かんだ。

 彼女は俺と目を合わせるなり、驚いたように目を見開いて、ニカッと八重歯を見せて笑う。


「うわぁ、すっごい美人。 ここらじゃ見かけない赤毛だけど、どっから来たの? 別嬪さん?」


 ぐったりとした狼の頭の上で器用に屈みこむお姉さん。

 こんな状況なのに、くりっとした瞳に覗き込まれて胸が騒いだ。

 まるでナンパでも始めようかというノリだが、そのしなやかな右腕には肉厚のナイフが握られ、左腕には小型のボウガンが装着されている。 こんな“武器”を間近で見るのも初めてのことだ。


 動揺が連続するが、本当にそんな場合ではない。

 先行していた二匹の後には、まだ三桁を越えようかという獣の群れが迫っているのだ。


「う、後ろ!」


 どうにかそれだけ訴えると、彼女はつまらなそうに首だけで背後を一瞥した。


「ああ、先陣切ってくるのは大抵が無能なザコだから、いつも担当はあっちなの」


 ピッと一本立った指先を追えば、門の上に立つ小柄な人影に目が留まる。


 巫女服のような厚手の衣装に身を包んだ小柄な少女。

 その手に携えられているのは、身の丈を越える銀色の杖。

 未だに続く恐慌を切り裂くように、その銀杖がタンッと強く床を叩いた。


「――集えっ、涼やかなる止水(しすい)の軍勢!」


 謳うような呼びかけに応え、少女の頭上に無数の氷槍が“出現”した。

 驚愕に息を呑む。


「彼の地を穢すは ()を厭う蒙昧なる気焔

 其は死水の竜尾と成りて 盲目の激情に沈黙の鉄槌を下さん」


 朗々と紡がれる詠唱が指令(コマンド)そのものであるかのように、百にも達する氷槍は等間隔に整列し、順次鋭角に傾いでは各自に対敵を照準していく。 まるで連装型ミサイルの装填だ。

 やがて発射態勢を整えた氷槍群を従え、少女は優雅にも見える所作で銀杖を振り上げる。


「無我の狂熱を恥じて平伏せ! ―― 氷尾輝(ヒビキ)ッ!!」


 結ばれた詠唱と共に、振り下ろされる銀杖。 同時、氷槍のミサイル郡は全弾一斉発射された。 シャンパンの栓を抜いたみたいな爽快音を三桁重ね、流麗なまでの白い尾を引き狼の軍勢へと降り注ぐ。 その光景はまるで流星群だ。


 ドガガガガガガガッ!!


 道路工事の地ならしみたいな震動と騒音が数十秒も続いただろうか。

 一瞬にしてたちこめた白い靄が晴れた後には……林立した氷柱と同じ数だけ獣の墓標が建っていた。


 圧倒的な殲滅力。

 憧れを持っていた超常的な現象に興奮を禁じ得ず、俺は擦れた声で「すごい」とばかり繰り返してしまう。


「なかなか見事なもんでしょ? ちなみにあれ、アタシの自慢の妹ね」


 お姉さんは誇らしげに笑ってからすっくと立ち上がった。

 そのまま狼上からひょいと降りるや、後ろ蹴りで軽々蹴り飛ばしてのける。 まだ息があったらしいそいつは「キャン」と鳴き声を残して堀の下へと姿を消した。


 圧倒されっぱなしの俺を置いてけぼりに、危険な状況はまだ続いている。

 色めき立って足を停めていた後発のウェロウが、凍てついた仲間の墓標をかき分けて進撃を再開したのだ。


 それを咎めるかのように、再びタンッと床を打つ銀杖の音。

 見上げればまた氷の槍が出現しつつある。

 あの女の子、こんな大魔法を連発するのか?


「こりゃあ負けてらんないね。 じゃあ別嬪さん、また後でね」


 彼女は気軽な様子でヒラヒラと片手を振って、ウェロウの群れ目がけて駆け出した。


 それはもう、見惚れるようなロケットスタートだった。

 チーターもかくやの加速力であっという間に巨大狼の群れへと突っ込むお姉さん。

 狼たちは嬉々として彼女の、露出の割にはあまり焼けていない素肌に殺到する。


 俺は悲鳴を上げそうになった――が、彼女、それこそ獣のような体捌きで、前後左右から襲い来る爪牙を優々と掻い潜り、ナイフの一本で狼どもの首を次々に斬り落とし始めた。

 強い。 細身の女性がモンスターを苦も無く処理していく様は、バトルアニメでも目の当たりにしているようだ。


「オラオラさっさと進め! またあの姉妹に全部持ってかれちまうぞっ!」


 背中から聞こえた怒声に、はっとして我に返る。

 声の主は重々しい甲冑で身を固めた大男だ。 凶悪なフレイルを片手にドスドスと足音を響かせて、すぐ真横を通り過ぎていく。

 見ればさっきまでの混乱は収まって、橋の上に留まっているのは俺くらいなものだった。

 

 大男の背中を追うように、長い槍を手にした軽装の若者が、両手に短剣を構えた女性が、さらに続けて数十名の武装集団が……入口門から現れてはウェロウの群れへと突撃していく。


 襲撃の混乱は一変。

 そこからは一方的で、圧倒的な殺戮劇の開幕だった。


 様々な武器が、巨大な獣を斬り、突き、薙ぎ、叩き潰す。

 半ば逃げるように突破してきた数匹も、空から降り注ぐ氷槍によって漏れなく射抜かれ、墓標を追加するばかり。


 俺の異世界地上初日は、こんな動乱で幕を開けた。

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