005:昏き天使の裁判所 ―― 孤立無援の魔女裁判
スパッ、と目が覚めた。
寝起きの微睡など微塵もない、スッキリ爽快な覚醒だ。
どうやら天使は低血圧とは無縁のようで幸いである。
そして頭の回転も速い。
全裸だった。
「にょおおおおおおぅっ!?」
誰にも聞かれても死にたくなる奇声を上げつつ、俺は反射的に屈み込もうとして身体を丸めた。 ……つもりだったのだが、持ち上がった両脚の膝で胸を隠すという扇情的なポーズになるだけだった。 太ももにマシュマロみたいな感触が押し付けられてムネが騒ぐが、どうやらTSコントをしている場合ではないらしい。
手始めに頭上を見やれば、両の手首が仲良く拘束されている。 縄や鎖なんてありがちなアイテムではなく、白い光が束になったような3D映像っぽい何かが両手首に嵌っており、これがビクともしない。
すぐに諦めて周囲を見回すも、実に見事な漆黒の闇。 空気の流れからかなり広い空間であるのは察せるが、緑色の棒人間すら姿を見せない物寂しさだ。
……何だろうか、この状況。
拘束されていること考えると“虜囚状態”みたいなノリだろうか?
「うーん……。 『くっ、殺せ……!』的な?」
「殺したりはしません」
聞き覚えのある涼やかな声は、文字通り天から舞い降りた。
音もなく俺の眼前、中空で静止したのはウェービーな黒髪をアップに束ねた妙齢の美女。 彼女も例に漏れず、見事なスタイルの身体をサイバネスティックなバトルウェアで着飾っている。 紫紺のドレスを彷彿とさせる装甲のデザインが、知的な美貌によく似合っていた。
カッコイイ天使装備に見惚れつつも、俺は内心こっそり安堵する。
エイリアンに囚われたのかと思ったら、ちゃんと天使がいるではないか。
「はじめまして、でいいのかしら? 天使ディーナ」
紫紺の天使の挨拶は、会釈を交えた上品なものであった。 ……のだが、俺は違和感を察知する。
原因はきっとその目。 行きつけであるコンビニ店員に通ずる、何かを警戒している視線だ。
この手の視線に敏感な俺は、自動的に心の警戒レベルを引き上げる。
「はじめまして……ですかね? どこかでお会いしたような」
「あら、覚えていてくれたのね。 光栄だわ」
言って唇をほころばせるが、やはりどこか空空しい。
「ユーリーよ。 さっきまであなたの診断をしていたの」
「はあ、よろし……診断?」
「覚えていない? 私の名前よりよほど重要な案件なのだけれど」
彼女が右手を軽く横に凪ぐ。 その手の動きを追うように半透明のディスプレイを展開した。
それ自体にはもう驚かされないが、表示された映像には一瞬で目が釘付けにされてしまう。
墨みたいに真っ黒な、左腕――。
光の速度で左を向いた。
ある。
脇、二の腕、手首、指先に至るまで、いかなるフェチも納得の出来栄えで、我が素体の左腕は健在であった。
手首を回し、指先をグーチョキパーと動かすのもお手のもの。
「治療してくれたんですね。 ありがとうございます」
「私は『診断』と言いました。 天使なのだから、腕の一本くらいすぐに自己修復します」
「パねぇな天使素体!」
「……ろくに研修を受けていないというのは本当のようね」
彼女は困ったように軽く首を傾けた。
胸の下で緩く腕を組む仕草が、女医か家庭教師みたいな印象を強くする。 きっとメガネでもかければ超絶似合うことだろう。
「それで、気分はどうかしら? 素体に不調を感じたりは?」
「フィジカル面は異常ありませんが、一つ切迫した問題があります」
「言ってみて」
「服、貸してもらえません?」
「承諾しかねます」
「そこを何とか。 このままじゃおちおち話もできません」
食い下がられるとは思っていなかったのか、形の良い眉が寄せられる。
「あなた、自分の置かれている状況が分かっているの?」
「確かに色々気になりますけど、これでも多感なお年ごろなんです」
「却下します」
「後生ですから! バスタオル一枚で事足りますから!」
こちとら死活問題である。
必死の思いが通じたのか、ユーリーは額に手を当て呆れつつも「まったく……」と降参してくれた。 案外いい人なのかもしれない。
額を離れた指先がエレガントに振られると、スカート型の装甲が一部展開、分離。 見た目には鋭利なクリスタルであるそれは、自律兵器のように動いて俺の周囲を衛星のように回った。 クリスタルから尾を引くように光の帯が舞い、それは一呼吸の間にも俺の身体に巻きつけられて、裸の身体は瞬く間ミイラコスっぽくデコられる。
「これで満足かしら?」
「アリガトウゴザイマス」
リアクションにも困ると言うもの。
いかなるテクノロジーなのか想像も及ばない。 もうそっち方面の思考は放棄する。
「これ以上不都合はないわね」
「そうですね……初回特典で髪をポニーテールにしてもらえると」
「却下です。 では改めて、天使ディーナ――」
彼女はいったん言葉を切ると、どこか台本の台詞めいた口調でこんなことを言い出した。
「――あなたに“敵対容疑”がかかっています」
……たっぷり七秒間は黙考したものだが、やっぱり理解には及ばなかった。
「なんて?」
「切断されたあなたの左腕から、エク・リプスの反応が検出されました」
あの黒い奴か。
そりゃあ味方じゃないよな。
「現在、危険因子であるとしてあなたを廃除すべき、という意見が多数を占めています」
「はあぁあああああっ!?」
予想の斜め上の上、完全に寝耳に水の話だった。
あれだけ痛い目に遭って、廃除? 理不尽にもほどがある。
「ちょっ、ちょっと待ってください! 自分ド新人ですよ!? この素体で起きたのつい昨日の話ですよ!?」
「正確には三日前ね」
「わぁお、ロングスリーパー。 じゃなくて! 普通に考えて有り得ないでしょう!」
「これは充分な調査を行った上で、公正に決を採った結果です。 これを見て」
ユーリーが軽く掌を押し出すと、ディスプレイが俺の手前まで進み出た。
レポートみたいに文字がまとまっているが、もちろん読めない。 グラフや統計みたいな表も、所々に赤青黄色の数値っぽい記号が見えるだけだ。
「すみません、口頭で教えて頂けますか」
「あら、第一言語も未収得?」
「時間がないとかで飛ばされました」
「それは……ごめんなさい。 簡単に説明すると、システムに異常はありませんでした。 外部からの侵入形跡もなし。 何の前触れもなくあなたの左腕から突然発生した、としか言えない状況ね」
続く言葉を失った。
警戒されてるわけだ。
消去法で原因は俺の素体しかない、と。
……あれ? ひょっとしてこれ、かなりまずいのでは?
俺の方から無実を証明できる材料なんて……。
「天使ディーナ」
自然にうな垂れてしまった顔を上げると、そこには冷厳とした黒い瞳。
容疑を明言した以上、もはや警戒を隠すつもりはないらしい。
「話は終わっていません。 あなたの身に何があったのか、説明を求めます」
……そうか、考えてみれば当たり前の話だ。 弁明を求めるのでもなければ、意識のない内に処分されていたことだろう。
緊張に肩が強張る。 ヘタな言動は厳禁だ。 誠意をもって事実を話すべきだと思った。
こういう場面を嘘やハッタリで誤魔化す奴には、大抵ロクなオチがつかない。
「ええと、カプセルに入ってからでいいですよね? 緊張して、なかなか精神が集中できなくて、カウントが進んで、焦って、それで……そうだ! 声が聞こえました」
「声? 内容は?」
「最初は女の子の声で『私を助けてくれるんですか?』と。 そのすぐ後に、同じ声ですがとんでもなく恨めしい感じで『なぜお前がここにいる?』と」
黒髪の天使はすぐさまディスプレイに視線を走らせた。
二秒もせず顔を上げると、冷たい声で言い放つ。
「記録にはありません。 聞き取れるのはあなたの声だけよ」
「そんな!」
反論を遮るように、音声ファイルが再生される。
『はいっ!?』という間抜けな美声がしたかと思うと、すぐ後に何かが蒸発するような騒音。 続いて絶叫が、この暗闇に響き渡った。
……おかしい。
騒音の方は俺の左腕を切断した光の壁の音だろう、それは分かる。
途轍もなく長く感じた痛苦が二秒にも満たないのも、理解はできる。 時間の遅延が発生したのだ。
問題なのは、間抜けな返事の前にも後にも、少女の声なんて入っていないという事実。
同じ部分がもう一度再生される。
変わらない。 俺がセルフで返事をしてすぐ叫ぶ、イタいだけの音声ファイルだ。
記憶と、記録が一致しない。
気持ち悪さに眩暈がした。
「そんな……だって、本当に聞こえたのに……」
ユーリーがこちらを見据える視線が厳しいものに変わる。
どうして? 誓って嘘なんて吐いてない。
「本当です、信じてください」
反応なし。
「その怒りとか憎悪とかたっぷり含んだ声の後に、急に左腕に激痛が走って、時間が遅延するみたいな感覚に陥ったんです。 それから左腕に、黒い……暗闇みたいな浸食が這い上がってきて、痛くて、怖くて、叫びたくても叫べなくて」
反応なし。
「本当に、死ぬかと思ったんです」
いつしか、頬を涙が伝っていた。
悲しいよりも、苦しかった。
誠実に、事実を訴えているのに、どうして信じてもらえない?
ユーリーは、何かを言葉にしようと口を開き、しかし躊躇した様子で押し黙った。
指先を艶やかな唇に差し当て、苦しげな面持ちで眉根を寄せる。 応答を決めかねているように見えた。
「様子はどうだ」
そこで新たに降って来たのは、代表天使ソル。
ユーリーが少しスライドして場所を譲るとその空間に静止した。
彼も秀逸なデザインのバトルウェア姿だが、今ばかりは目にも入らない。
「ソル様、直接来て頂かなくても……前線はよろしいのですか?」
「俺の性格は知ってるだろう。 前線は問題ない。 アガトの新型デコイがいい仕事をしてくれた」
彼はお小言を流しつつ、俺の方を見るやその蒼い双眸を大きく見開いた。
かと思うと素早く片手を後ろへ回し、流れるようにすぐ傍まで接近する。
「ソル様!」
背後からの厳しい制止を意にもせず、俺の頬を優しく拭う。 頬に感じる柔らかい感触は、取り出された白いハンカチだ。 男に涙を拭かれる惨めさから反射的に顔を背けようとするが、馴れた手つきで顎に手を添え優しく上向けにされてしまう。 手慣れ過ぎだ、憎たらしい。
ドキリとした。
俺自身の名誉の為に言わせてもらうが、恋愛的な感情の昂ぶりではない。
目に入ったソルの表情が、あまりにも悲しげで、痛ましくて、強く胸を打ったのだ。
ハンカチが必要なのはどっちなのか、分かりやしない。
「……ありがとうございます」
他に伝えるべき言葉はあったはずだが、お礼くらいしか出てこなかった。
ソルは「いや」と、これも苦しそうに短く答え、すぐに離れる。
ユーリーの横へと戻ると、彼も手元にディスプレイを出現させた。 もう痛切な表情は消えている。
横手で非難がましく溜息を吐くのはユーリー。
「自重して頂かないと困ります。 今の戦況であなたに何かあったらこの惑星は――」
「泣いている女の子を放っておくことはできない」
言葉を最後まで聞かず、断言。 どこか有無を言わせぬ雰囲気に目元をヒクつかせるユーリー。
彼女には悪いが、俺も少しだけ気分が晴れた。
あと女の子ではないので、この危機を脱したらコイツにはしっかり言い聞かせてやるつもりだ。
「ディーナ、俺からも質問したいことがある」
「なんでしょう」
「リオから話を聞いた。 死亡前後の記憶の方はどうだ?」
「記憶? 何か関係があるんですか?」
「元の世界での死亡から、魂が天使素体へ転換されるまでの間で、君自身が自覚する記憶の空白はそこだけだろう? 今の容疑に関連する事象が絡むとしたら他に思い当たらない」
ハッとして、今度はこちらが目を見開く。
なるほど、道理である。
死亡して天使素体へ入るまでの間に、俺の魂に何か細工がされた可能性がある、と。
光明が見えた気がして、俺は必死になって記憶の糸を辿った。
――親戚のお姉さんが紹介してくれた配達のバイト初日。 上司は気難しそうなおっさんだったが、やる気は認めてくれていたと思う。 少し丈の余る配達員の制服に身を包み、原付バイクに乗って一件目の配達へいざ出発。
いきなり道に迷った。 スマホの地図は時々妙に分かりづらくなるのだ。 アレ何とかならないだろうか?
かなりの時間右往左往した気がする。 さっさと交番なりで道を聞けば良かったのだと今でも思うが、高いテンションが自己解決を望んで止まらない。
……ここからだ。 ここから先がまるで思い出せない、モヤッとした霧の中。 馴染みあるド忘れの感覚。
もう何度目だ? ループしてたって埒が明かない。 それなら逆から辿って、空白に一番近い記憶は――
「記憶の方ははっきりしませんが……夢を見ました」
ソルとユーリーが顔を見合せる。
「変な夢でした。 カプセルで起きる直前です。 夢なんだから変なのも当たり前かもしれませんが、何もない所でコップに水が溜まっていく……そんな夢です」
「それなら俺も見た。 懐かしいな……折れてしまった聖剣を打ち直してもらう夢だった。 ユーリー、君も見ただろう?」
「お二人ほど特徴ある内容ではありませんが、見た記憶はあります。 確か、閉架の蔵書を移送する作業でしたか。 ありきたりな夢です。 それとこれと、何か関係があるのですか?」
「魂の転換時は最初に夢を見る、というのは俺たち天使の間では通説だ。 これはディーナが正常な天使である証明にならないか?」
「……いいえ、弱いです。 彼女の素体に異常がないことは既に繰り返し確認しています。 我々の知らない、セキュリティホールのようなものの存在を否定できなければ、反証には足りません」
「そんな無茶な!」
思わず声を上げた俺に、キッと鋭い視線が刺さる。
こういう視線には弱い俺は、あっさり心が挫けてしまう。
「今しているのは、そういう話です」
「だって、そんなの……」
できっこない――その一言を寸での所で飲み込んだ。
出来なきゃ有罪確定なのだ。
再び必死になって記憶を辿る……が、無理。 どうしたって思い出せない。
言葉のないまま視線を戻せば、代表天使の苦しげな視線にぶつかった。
続く言葉も重々しいものだ。
「ユーリー、最悪のケースを想定した場合、拠点の安全を確保する最善の対応は?」
「分析の終了した敵個体と同様の処置――」
ここで彼女は右手の指先を足元へ。
漆黒の闇の底へと向けて言うのだった。
「――圧縮空間への投棄処分最適かと」
「んなっ!?」
突然物騒な中二言語が飛び出して、背中からぶわっと汗が噴き出した。
まだどこかで現実を甘く見ていた。 夢気分が抜けておらず、当事者意識が欠落していた。
周囲の暗闇が、またぞろ浸食してくるような恐怖に心の底から戦慄する。
もはや冷静さを保つことが出来ず、俺はめちゃくちゃに言葉を並べ立てた。 そうせずにはいられなかった。
「ちょ、まっ、待って、ホントに待って下さい! 別に空が飛べなくたって、オーラがスパークしなくたって、この素体は正常です! 記憶だってショックで一時的に飛んでるだけで、どうせトラックに轢かれたとかに決まって」
「天使ディーナ!」
ユーリーは、学級崩壊にキレた教師よろしく盛大に怒気を発した。
「あなたも天使なら、みっともない文句を並べ立てずに対案の一つも提示して見せなさい!」
「っ……!」
ガツンと来る一言だった。
『天使なら』――これは効いた。 この世界を守護する天使になると、誓ったばかりではないか。 その誓約を立てた本人の前で醜態を晒すなんて真似、裏切り行為もいいとこだ。
甘えるな、ニートは先週付けで卒業したはずだ。
考えろ、虚空を漂った挙句に考えるのを止めるなんて展開、まっぴらだろう。
今ある知識と条件で、何としてでも切り抜けろ!
無罪放免……が、条件的に不可能なのは明白だ。
減刑、という話でもない。
ならせめて、執行猶予がつく条件は残っていないか?
これくらいなら、交渉してみる余地はあるかもしれない。
「……あの、発生原因そのものは特定されていないんですよね?」
「残念ながら、ね」
「なら、結論を出すのを保留することは出来ませんか? 今後の調査で原因が特定された時、自分がいないと困ることもあるかもしれません」
「それは……」
ユーリーが初めて答えあぐねた。
行けるか?
「この素体は極端に弱いんですよね? 今だってこの拘束は解けません。 狭い牢獄にぶち込まれても文句は言いませんから、せめてしばらく様子を見てくれないでしょうか?」
「……いいえ、残念ながら許容できません。 事情があって、あなたをこの拠点内に留めておくこと自体が危険視されているの」
「なら、他の拠点は?」
「無理ね。 第二拠点は最前線。 ある意味この第一拠点よりも近づけさせられない」
「いや、悪くないアイディアだ」
割って入ったのはソルだった。
その口元には隠し切れない笑みが浮かんでいる。
「ユーリー、このスキャン結果だが、ディーナの素体からは重力子の波が僅かも発生していない。 これは確かか?」
「三度のフルスキャンで同じ結果です」
「なら、“融素”の霧散も発生しないな?」
「彼女の素体に限定するのであれば、確かに…………ソル様? まさかとは思いますが」
「問題はないだろう。 代表の権限をもって、裁定を下す」
それ以上は口を挟ませることなく、代表天使は俺へと告げた。
厳かに。
「天使ディーナ、君を地上追放処分とする」