003:天使面接 ―― 不採用
「なにゆえっ!?」
バンッ、と白テーブルに身を乗り出して、俺は声を張り上げた。
対面に座った青年――代表天使ソルが驚きに身を仰け反らせる。
それはもう、絵に描いたようなイケメンだ。
群青色の瞳に同色の髪はキザったらしいウルフカット。 身長はすらりと高く、聖職者のような白い衣服も見事に着こなしている。 JRPGのパッケージでも飾れるであろう超イケメンは、なるほど女性視点ならば確かに天使なのだろうなぁ忌々しいいいっ!
そんな甘ったるいマスクには、ただ今「しまった」と書いてある。
「すまん、言い方が悪かった」
「そういう問題じゃないでしょうがっ! こちとら死亡宣告の上別の身体でいるんですよ!? この状況で“不採用”って、それっ、それって……!」
口に出すことが恐ろしくて言葉に詰まってしまったが、用済みの死者に対する処分なんぞたかが知れている。
それこそ襟首引っ張ってやろうとした所で、頭の上にぽんっと何かが加重した。
「はいはい、天使様。 少し冷静になりましょうねー、みっともないですよー?」
「これが冷静でいられるか! と言うかポニテに寄っ掛かるな!」
「落ち着いてくれたら止めますが、ダメなら解くしかありません」
「んなっ……ひ、卑劣な妖精め……」
怒りに拳を振るわせたが、背に腹は代えられない。
俺は致し方なく身体を引き戻して元の椅子に腰かけた。 イケメンが首を傾げつつも持ち直す。
「本当に悪かった。 先に断っておくが、君の生命の安全は保障する。 その点は安心してくれ」
両手を前になだめるジェスチャーを取りながら、真摯に訴えてくる天使ソル。
どうやら失言は充分自覚しているようだ。 俺もどうにか我慢して興奮を抑え込む。
「しっかり順序立てて説明しよう。 リオ、状況説明はどこまで進めた?」
「お時間がないとのことでしたので、マニュアルA14までといった所です」
「ほとんど説明してないじゃないか。 よく面接まで漕ぎ着けたな」
「それはもう、単じゅ……いえ、心が広い方でしたので」
後で覚えてろよコイツ。
俺が渋面を作ると、ソルは取り繕うように咳払いをひとつ置いて、事務的に説明を始めた。 どうやらガチでマニュアル化されているようだ。
「まず"天使素体"だが、これは人間の肉体ではない。 この世界の"神"に位置する存在が創造した魂の器だ。 ここまではいいな?」
俺ははっきりと首肯で返した。
少しリオからも聞いている話だ。 要はアンドロイドかホムンクルス辺りの存在だと認識している。
意識のある他人の肉体でなかったことは幸いだ。 人様に迷惑をかけるものではない。
「もちろん創られたからには目的がある。 この世界、惑星『レア』に暮らす人々を外敵から守護することだ」
「おぉ……」
ぐっと両手に力が入る。
これは、燃えるシチュエーションになってきたではないか。
「外敵は月を拠点として、地上侵攻を明確な目的とする異形の存在だ。 過去一度としてコミュニケーションには成功していない、正体不明のエイリアンだな。 最近は地上での呼称をもらって“月の魔物”と呼んでいる」
「月の、魔物……!」
いよいよそれらしくなってきた話の内容に、不謹慎ながらドキドキわくわくしてしまう。
「つまり天使は、月から降ってくるその魔物と戦って地上を守ってるわけですね!」
「話が早くて助かる。 その通りだ」
「わかりました! 自分に出来ることなら何でも――」
「必要ない」
決意を持って放つ寸前であった言葉が、まさかの一蹴。
話が繋がっておらず、俺はあからさまに戸惑った。
「ん? あれ……? この身体も天使素体なんですよね?」
「それはその通りなんだが、君の素体は“予備”なんだ」
「……予備?」
「そうだ。 他の天使素体と比較して極端にスペックが低い」
言いつつ彼は、テーブル上のタブレット型デバイスを手に取り目を通す。
元ニートの履歴書を見た店長のような困り顔だ。 雲行きが怪しくなってきた。
「何から説明すべきか……例えば今、俺は君に向かって通信を試みているんだが、受信は確認できているか?」
「すみません。 電波系はちょっと」
彼は少し悲しそうに肩を落とした。
だがまたすぐに持ち直し、「見てもらった方が早いか」と前置いて正面に片手をかざした。
そのまま窓でも拭くように、スッと横に腕を払う。
その動きを追って風を切るような高音が響き、半透明のディスプレイが出現。 今度は俺の方が身を仰け反らせて固まった。
中空に出現したディスプレイに映し出されたのは、美しい青の惑星。 一瞬地球かと思ったが、その地形は大きく異なる。 これがこの世界……惑星レア、か。
「さて、誰がいいかな……」
「ソル様。 ちょうどドーファン様のバディが公転軌道の索敵から戻ってきている時刻ですよ」
「なるほど、確かにおあつらえ向きだ」
頭上と正面でそんなやりとりがされると、映像が瞬時に切り替わった。
遠目に月――これも記憶にある月とはクレーターなどの形状が異なる――を捉えた映像が角度を変え、地表へと向き直った。 先ほどよりも地上に近く、白い雲の海を眼下にする壮観は映画でも見ているかのよう。 そのカメラがまた角度を変えたと思うや動き出し、ややあって進行方向に人影を捉えた。
男女のペアだった。
カメラがぐんぐん接近していくと、彼らの方も気づいて振り向く。
双方、俺が目覚めた時に着用していたバトルウェアのような装備を身に身を包んでいた。 ……と、思ったが正確には違う。 こちらは追加装甲やオプション装備が驚くほど充実し、デザインもスマートで洗練されている。 まるで何十世代もバージョンアップを重ねたようで、サイバネスティックのレベルが段違いだ。
おまけに腰だめに構えているのが対戦車ライフルかレールガンのごとき大型の重量火器とくれば、もはや天使というより宇宙機動兵器のカテゴリである。
が、問題はそこではないのだ。
真に俺を驚愕させたのは、二人の内の一人。 金髪ショートボブの美女。
彼女は頭部に猫耳カチューシャのような装備を載せているだけの、素顔だったのだ。
宇宙空間、つまり真空のはずだ。
だと言うのに、気品のある美貌はクールそのもの。 無重力でまとまりの悪い髪を不機嫌そうに空いた手で押さえている。
「ソル様? どうしたんですか、観測カメラまで操作して。 音声通信というのも久しぶりですが」
ディスプレイから聞こえた声の主は、カメラに向かって軽く手をかざした男性の方だろう。
こちらはヘルメットを着用しており、柔和な笑みが印象的な白人顔の青年だった。
「少し事情があってな。 音声通話できるのは君くらいなものだから、助かった」
「ははっ。 私からしてみれば、呼吸が出来ないことに不安を覚えない皆の方がよほどおかしいですよ」
言って肩をすくめるメット男ドーファン。
口調から察するに、どうやらこの男も無呼吸上等のようだ。
そんな彼の肩を相方のクール美女が小突いて来た。 どんなコンタクトがあったのか、彼女は急に表情をほころばせてカメラへとにじり寄る。 輝かんばかりの笑顔を浮かべ、手まで振っての猛アピールだ。 誰に向かってのものかは言うまでもないだろう……。
「ソル様、オルレアンが今度お時間頂きたいそうですが」
「の、ようだな。 こっちにも熱烈に届いている」
苦笑のソルは視線を下に向けていた。 見ればディスプレイ下部に新たな文字列が流れて来ている。
俺が学習した『第二言語』ではないらしく読めないが、文字色がピンク色なので内容は察せられた。 ああ腹立つ。
「ファームの転換処理時刻が近いが、現状はどうだ?」
「問題ありません。 月軌道でハイハのチームと合流後、00:30後には地上第一拠点に帰投予定です。 私もファーム様にお世話になりましたから、集中して臨むつもりです」
「一応は病み上がりだろう、あまり無理はするな」
「心配には及びません。 頭がなくなるのは生前含めて三度目ですから、いい加減慣れましたよ」
ドーファンは冗談めかして笑った。
笑いごとじゃねえ……と反射的にツッコミを入れそうになった所で、不意に二人が表情を消す。
それぞれが武器を構えたのと発砲はほぼ同時だ。 金色の熱線が向かうは月の方角。 カメラがパンした時には、既に複数の爆発が遠方に煌めいていた。
「――はい。 こちらでも捕捉しました。 城級が四、船級が二。 恐らく先日の取りこぼしでしょう」
ドーファンの声に被って電圧が上昇するような鳴動音が聴こえてくる。
見れば二人の纏うサイバー装備に回路めいた光のラインが走り、一部武装が駆動、展開していた。 装備が先ほどよりアクティブな戦闘態勢へ移行したようだ。
更に目を瞠ったのは、彼らがその身に纏ったオーラのような輝き。
背部へ流れていく神秘的な光の粒子は、まるで一対の翼のよう――天使が天使たる理由を知る。
「ではソル様。 次の休息には、また武勇伝を聞かせてください」
ドーファンは敬礼めいた手振りをして、美女の方は名残惜しげに手を振って、信じがたい加速力で月へ向かって飛翔し……その姿はあっと言う間に見えなくなった。
そうして月を捉えたディスプレイが音もなく消失。
後に残ったのは「してやったり」な笑みを浮かべたイケメンの顔だけだった。
「どうかな? 天使の職務を見た感想は」
「……思ってたのよりギャラクシー……」
口元が引き攣るのを自覚しつつ、俺はどうにか答えを返した。
想像を絶するとはまさにこのことだ。 この天使素体を扱ってまだ一日だが、それでも宇宙戦闘したりオーラ出したりと、行き過ぎた少年漫画みたいな芸当なんぞ不可能なことは分かる。 すなわち、いきなり役立たずのレッテルを貼られてしまったわけだ。 肩身が狭い所の話ではない。
「これが不採用理由だ。 君の素体スペックでは後方支援すら厳しい」
「うぅ……自分、これでお終いでしょうか? 用無しデッドエンドでしょうか?」
「まあ落ち着いてくれ。 命を取るつもりはないと言っただろう?」
優しい口調でなだめてくれるソル。 割と良い奴かもしれない。 イケメンのくせに。
「それに素体の出力系に慣れていないだけかもしれないぞ? 映像の投影くらい出来るんじゃないのか?」
「そ、そうですかね……? 自信がありません」
「論理的に考える必要はないさ。 ちゃんと意識すれば機能の実行は素体の方でサポートしてくれる。 “面”をイメージして、軽く手を振ってみてくれ」
さっき彼がしたことをやってみろ、と言うわけか。
人前で取るアクションとしては恥ずかしいものがあったが、文句を言っている場合でもなさそうだ。 俺はごくりと喉を鳴らし、手の平を前にして構える。
「面、面をイメージ……」
自分に言い聞かせるようにしてつぶやき、精神を集中。
そして気合と共にカッと目を見開き、窓を拭くような所作で右手を振った!
俺が赤面しただけだった。
「なんというか……すまなかった」
涙目になって俯く様子がよほど哀れだったのだろう、ソルが気遣わしげな声をかけてくる。 結構優しい奴かもしれない。 イケメンのくせに。
「こんなはずはないんだがな……ええと、君は何かスキルと言うか、人にない技能を持っていたりしないか? 未来予知が出来たりとか」
「……出来ません」
「戦略指揮に長けていたりは?」
「……長けてません」
「じ、自覚がないだけじゃないのか? 何か人に褒められたことはなかったか?」
元ニートに対してずいぶんな要求をしてくれる。
すぐにでも泣きそうだったが、役立たずのままではいられない。 俺は必死になって過去の記憶を探った。
「んー……あれは小学校の頃、学芸会の時だったでしょうか」
「おっ? 何かあったのか!?」
「演劇で、路傍の石の役を演じました」
「…………」
「『まるで本物の石ころのような存在だった』って褒められたことならあります」
「それは貶されてないだろうか」
「うちの親バカにせんでくれますか!」
「しかも親だったかー」
悲しげに頭を抱える代表天使。
ふん、代表だか大統領だか知らないが、人の親を馬鹿にすることは許さん。 傷心で引き篭もった息子を色々とフォローしてくれたいい親なのだ。
話が泥沼になりかけた所で、頭上からおずおずと声がかかった。
「あのぅ、ソル様? そろそろお時間が……」
「ああ、分かってる。 この話は追い追いするとしよう」
「えっ。 あの、いいんでしょうか? 役立たずなのでは」
「今はとにかく稼働した天使素体が一体でも欲しかったんだ。 細かい説明はまた後でリオから受けてくれ」
「承りました」
頭上で元気に返事をするリオ。
何となく察したが、緊急で天使の頭数を揃えたい状況らしい。
「さて、ここからは少し格式ばった同意確認になる。 俺自身も堅苦しいのは苦手なんだが、我慢して付き合ってくれ」
言ってソルは咳払いを一つ。 姿勢を正して真面目な表情を作った。 その青い視線には何かを見極めようとするような強さがあり、俺は反射的に背筋を伸ばす。 こちらの心構えを待っていたようなタイミングで、ソルは口を開いた。
「この世界は、君にとっては縁もゆかりもない世界だ。 だが、この世界にも確かな人の営みがある。 喜怒哀楽があり、独自の文化があり、生と死がある。 自身の死に直面して間もない君に対して、あえて問おう。 この世界に生きる人々を守る天使――我々の仲間になってくれないだろうか?」
最後は優しげに問いかけて、握手を求めるように手を差し出す天使ソル。
胸の奥に熱が熾り、両瞳が熱く潤むのを感じた。
こんな台詞を聞かされて拒否する奴は地獄に堕ちるべきである。
「やります! やらせてくださいっ!」
俺は思わず腰を浮かせ、大きい掌に両手を重ねた。
彼の方もホッとした笑顔で手を握り返してくる。
「良かった。 代表天使として君の加盟を歓迎しよう。 では、名前と共に宣誓を」
――名前!? しまった、まだ決めていない!
その瞬間、俺の脳内をロングポニーで横髪長めのキャラクターが怒涛の勢いで駈け廻った。 軽く三桁を越えたものだが、どれも名乗るのには畏れ多いと言う結論だけが残る。
結局出てきたのは、閃き任せのそれらしい横文字。
「――はい。 私、“ディーナ”はこの地上を守護する天使になることを、ここに誓います!」
この日から、俺は正式にレアの天使となった。