014:夜の女子会 ―― 地獄のお風呂回
真新しい宿の一室。
窓辺に寄り添い、夜空を見上げている。 白い月面は今夜も時折ネオンのように瞬いて、天使が魔物を迎撃している様子が見て取れた。
そんな煌めきをぼんやりと眺めていると、天使サイドに思いが巡る。
――結局、副代表たる天使ファームは覚醒したのだろうか? 劣勢であるという戦況はどうなった? 地上に居る身にしたって気になる問題だ。 今度それとなくリオに聞いてみるか……って、敵対容疑が深まるだけだな。 却下。
益体もないことを考えていると、月面を黒く力強い閃光が凪いだ。 それがかの筋肉天使のように思えてしまい、月明かりから身を避ける。
お墓はなくなっていた。 狙ったように真上を町の外壁が横断し、痕跡すらも見当たらなかった。
施工は一ヶ月以上も前であり、どうすることも出来なかった。 ……それと分かってはいても、強面の割にひょうきんなあの笑顔が脳裏を過って胸が痛む。
「気を落とし過ぎだよ。 アンタのせいじゃないでしょ」
スズル姐の気遣うような声が背中を打った。 我ながら結構ヘコんでいるようで、生返事くらいしか出てこない。
多分、心のどこかでは、何とかなると期待していたのだ。
だが、現実はそんなに甘くない。 異世界だろうと変わらないのだ。
「明日さ、墓だった場所の近くに埋めてあげたら?」
「うん……それがいいかも」
「でしょ。 大事なのは気持ちだからね。 ……じゃあ、そろそろアンタも脱ぎな」
「うん……うん?」
訝しんで視線を上げれば、そこにはやたらセクシーな下着姿の――俺はバッと身体ごと背き、今度は意識的に視線を落とした。 一瞬で顔面が爆発寸前まで沸騰する。 上下赤とか似合いすぎだろ!
迂闊だった。 ヘコんでいたせいで意識から外れていたが、宿で取られたのはこの一室のみ。 しかも風呂トイレ完備の大部屋だ。 そうだよなぁ、漢らしく大胆なスズル姐なら、一人ずつの入浴なんて有り得ないよなぁ!
「一応聞くんだけど……一人で入っちゃ、ダメ?」
「落ち込んでる友達をほっとけるわけないでしょ。 ほら早く、背中流してあげるから」
「じ、実は可愛い女の子の裸を見ると、寿命が縮む病気なんだよ」
「バカでも分かるウソ言わない」
マジなのに、ミリほども信じちゃくれなかった。 そりゃそうだが。
「ぶっちゃけ恥ずかしいんですけど!」
「理由になってないね」
「たまには許してよぅ……」
寿命が惜しいのでこちらとて必死だ。 過激なランジェリー姿を視界に入れないよう注意しながら、あの手この手で懇願する。 対するスズル姐は不満そうに鼻を鳴らし、どうせ強引な手段に訴えて…………来なかった。
その代わりにしょげた様子で顔を伏せ、上目遣いで小さくこぼす。
「何よもう……アタシとじゃ、嫌なの?」
秒で敗北した。
この瞬間「あ、俺ってこんな流れで死ぬんだな」と未来を予見したものである。
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足を踏み入れた死地は、クルズの宿より色合い明るく、清潔感のあるバスルームだった。
浴槽も広い。 四、五人くらいは余裕を持って浸かれるサイズはあるだろう。
湯加減も、まあ悪くない。
現実感は、あんまりない。
「やっぱ風呂はいいねー。 心も身体も温まる感じ」
「ハハ、ハ……そういえば、『風呂は命の洗濯だ』って名言があったような」
「おっ、いい格言だね。 じゃあその天使様みたいな魅惑のボディもしっかり洗ってやらないと……」
不穏な気配に思わず視線を向けてしまうと、そこに迫るはワキワキと指躍らせる邪悪な濡れ猫の艶姿!
「ひぃいっ! だ、だ、ダメっ! ダイレクトアタックだけは許してっ、何でもするからっ!!」
湯舟の隅っこで縮こまる天使に対し、彼女はその魅惑のスレンダーボディを隠そうとすらしない。
こうも赤裸々だと嫌でも――嫌ではないが――視界に入る。 無駄な贅肉のない、素晴らしいスレンダーボディ……胸は、まあ、あんまり……いや、なくはないが……中途半端だ。 中途半端にない。 中途半端姐?
「――アンタ、今見下したよね?」
「してないし! 小っ……なだらかな胸にだって需要はあるから!」
「なだらかって言うな!」
「言い直したのに!?」
「アッタマ来た、半分よこしな!」
「シェアは無理だよ!」
あたかも百合アニメのごとき大胆さで抱きついてくるスズル姐!
ヤ・バ・い・! 俺は異常に心地良い柔肌拘束を悶絶しながら振り解き、湯舟の中を死ぬ気になって逃走した。 ちくしょう、何だこの桃色地獄は。 ただでさえ心臓バクバクなのに更にギアが二速上がった。 ちなみにバスタオルなんて文化はそもそも無いのか、武装は手ぬぐいサイズのタオルのみ。 この猫娘A(憶測)を相手取るには頼りなさすぎる!
「スズル姉、あたしも入っていいかな?」
ここで更なる爆弾発言が飛来した。
天使を殺る気か、この姉妹。
「イマリ? アンタ本気で言ってる?」
歓迎するかと思ったスズル姐だが、その声音には不審の色が滲んでいた。
「……いいよ、大丈夫」
どこか躊躇のある声と一緒に浴室へと踏み入って来たのは、三つ編みを解いてどこか大人っぽく見える巫女少女だ。 華奢な身体はタオルでほとんど隠されてはいるが、俺が思わず目を見開いたのはその手足。
びっしりと、小柄な身体を縛り付けるような紋様が刻まれていた。
彼女が鏡の前に腰かけて長い髪を掻き上げると、俺は更に総毛立つ。 腰も、背中も、恐らくは全身に張り巡らされているであろう黒い紋様。 今は植物のようにも見えるそれは、何かを吸い上げる根のように、心臓の位置へ向かって集束している。
「んー、やっぱり恥ずかしいです。 あんまり見ないでください」
彼女は少し困ったように首を竦めて苦笑するが、俺は愛想笑いすら返せない。
痛ましくて、かける言葉は見当たらない。
「背中、流してあげよっか。 二人でさ」
促され、スズル姐と二人でその小さい背中を流してあげた。
風呂場だったし、少し泣いたのはバレなかったと思いたい。
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「――なんですけど、代償を払って無理に術力を底上げしている証でもあるから、あまりいい顔されないんです」
俺にも分かるように説明しつつ、イマリはイマリでゴスロリ人形の髪を梳いていた。
その背後では、俺とスズル姐が並んで長髪に櫛を通している。 姉妹揃ってクセっ毛で、妹の方は髪も長いので二人がかりでも大苦戦だ。 この世界でもリンスの開発が望まれる。
お風呂上りに、ベッドの上で髪をいじるなんてシチュエーション、よほど女子会じみたノリだと思うが……イマリの髪に混じる白髪を目の前にしていると、そんな気持ちは湧いてこない。
普段は三つ編みの結い方を工夫して、隠していたのだ。 理由に触れるつもりはない。 "代償"なんて更に物騒で、とてもじゃないが拾えなかった。
「んじゃ、今度はディーナの番ね」
「あ、私もやりたい!」
櫛をバトンタッチして背を向ける。 すぐにも「すごい、お人形さんみたいな髪ですね」なんて称賛されて背筋がかゆくなった。
実際、当たらずとも遠からず。 天使素体はリンスいらずだ。
「ディーナさー、何か無口じゃない?」
「え? そ、そう?」
「私のことなら、気にしなくていいですよ」
無茶な要求をしないで欲しい。
気になるに決まっている。 決まっているが。
「うん。 気にしてないよ。 ……嫌なら見せなくても良かったのに」
「友達になりたいって思う人には見せることにしてるんです」
目頭が熱くなることを言ってくれる。
また泣きそうだ。
「友達……でいいですよね?」
「もちろん。 もうそのつもりだったよ」
最後まで言い切る前に、勢いよく背中から抱きつかれた。
これくらいのスキンシップならさすがに慣れてき……ん? この妹、姉よりも将来性が――。
「ったく、イマリはすぐ抱きつくよね」
「おまいう」
「だってスズル姉よりも柔らかい部分が大きいし」
「うっわ。 ちょっとディーナ、妹が反抗期なんだけど」
「ちょ、一緒になって抱きついて来ないでよ! うわわっ、イマリ! それ枕じゃない!」
「今夜は良く眠れそうです……」
予告通りいい感じに枕にされたので、その晩も一睡もできなかった。
ついでに言うと寝息もかなりヤバかった。 商業で通用するクオリティだ。 ……保存できなかったのが残念でならない。
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翌朝。 朝食もそこそこに、すぐに町へと繰り出した。
まだ早朝と言える時間だが、既に多くの作業員が土木作業を開始している。
今朝は旧い建造物の取壊しや、廃棄物の移送作業が中心のようだ。
昨日までは通れた道も、大きい石造の群れが道を塞いでいることがあり、何度か迂回を余儀なくされた。
ここまで何度か見かけたが、ずいぶんと石像が多い村だったようだ。 まだ形がしっかり残っており、プレートの文字が読める像もあった。
なになに? 鉱人の英雄“ダオ” 一級神石発掘を記念して。
「………………ダオ?」
二度見した。
駆け寄った。
ガン見した。
似ている。
両手に拳大の石塊を抱え上げたポーズの英雄は、体格からしてかの筋肉天使そのものだ。 何より、石像になってさえ分かるあの特徴的な笑顔が完全に一致する! この流れでたまたま同名のそっくりさんってオチもあるまい。 あの人、まさかの地元出身天使かよ。
「この人! この人の関係者のお墓なんだよ!」
一人テンションを上げる俺に対して、駆け寄ってきた姉妹がさすがに不審な表情を見せるが構ってはいられない。 希望が出てきたような気がするのだ。
「ホントに? 年代からして二百年以上前だよ?」
「むしろ間違いない。 この村の出身者かな? 英雄のお墓なら、簡単に壊すなんて考えられないんだけど……」
「もし本当にその英雄様の縁者なら、お墓も当時の鉱山内かもしれません」
ぽつりと言ったイマリの言葉に瞠目する。
「マジ!? どうして!?」
「名を上げた人のお墓は、その人の縁のある場所に建てられるものなんです」
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すぐに聞き込みを開始したが、そこはさすが英雄様だった。 宿や酒場を中心に聞いて回れば、みるみる内に情報が浮き彫りになっていく。
鉱人の英雄ダオ。
彼が掘れば必ず珍しい鉱石が見つかる。 率いるチームの士気は常に最高。 膨大な富を得ながらもその身は常に現場にあったと言う。
不自然なくらい情報が出てくると思ったら、吟遊詩人の歌になっているそうだ。 さすがに尾ひれが付いているとは思うが、この村の直下に息づく地下大鉱脈を発見したという事実はさすがに揺るがないだろう。
いきなり状況が変わった。
彼の墓がまだあるなのら、関係者であろう『マール』なる人物の墓だって近くにある線が濃厚だ。 危うい所でのクエストアップデート。 当時の地下鉱脈の入口も、すぐに当たりを付けることが出来た。
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「……邪魔」
「……邪魔ねー」
「……邪魔ですね」
三者三様、厳しい現実に文句をぶつけたものである。
当時の地下鉱脈は当然ながらとっくの昔に封鎖され、今では大型滑車装置の一部が確認できるのみとなっていた。
そして現在、その直上。
大そうな豚小屋が建っている。
「とりあえず、壊そっか」
「言うと思ったけどいきなり物理はどうかと思うよ」
「スズル姉、乱暴すぎ! ……あっ、でもよく燃えそうですよね?」
「なに“ひらめいた”みたいないい顔してんの? 褒めないよ?」
この仕上がりでツッコミ不在だった姉妹の過去を憂いながら、俺は続く手段を思案する。
「……やっぱりここは正攻法で、直談判しかないかな」
「オーケー、じゃあ早速乗り込もっか」
「そこでなぜ拳を鳴らす。 スズル姐は待っててよ」
「そうそう。 スズル姉はすぐカッとなるんだから」
「イマリも待機。 というか姉妹で目の敵にされてるんだから、一人で行くよ」
そもそもこれから臨むのは、実に二百年ぶりのお墓詣りなのだ。
イレギュラーな手段で出向いては英霊に顔向けできまい。
「アタシはおススメしないかなー。 絶対イヤらしいことされるよ? 賭けてもいいね」
「大丈夫、考えがあるんだ。 絶対成功するから、お昼ご飯は豪勢にいこう!」
その後一度宿に戻り、荷物を持って豚の館たるコテージを訪問した。
……少し後になって思ったが、最後の発言はフラグだったかもしれない。
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「――なるほど、話は分かった」
豚……貴族ブードは仕事そっちのけで俺の交渉に応じてくれた。
それどころか、このコテージに詰めていた他の従業員は全員引き払い、男らしくマンツートンで話し合いの場を設けてくれたのだ。 もう豚とか失礼だな、今からオークに昇格だ。
「それで? 坑道へ降りる為にこのコテージを適当に移設して欲しいというわけだな?」
「はい。 可能でしょうか?」
「出来ないことはないが……ワシも、レンザルグから中継地開発を急かされている忙しい身でなぁ。 個人としては協力してやりたいのだが……なぁ?」
状況が有利なクズによくある愉悦の表情で、俺の胸元をちらちらと覗き見るオーク。
いっそ清々しいほど分かりやすいゲスである。
「まあ、お前の態度次第では考えてやらんことも……」
「コテージの移設にかかる費用はいかほどでしょうか」
耳障りなダミ声を遮って、俺は金銭交渉へとステージを移した。
ブードの顔が一瞬の間固まり、少しだけ真面目な表情になる。
「金で解決できると? 銀貨の一枚や二枚で済むとは思っていないだろうな?」
「金貨を出します」
「見え透いた嘘を」
更に言葉を続ける前に、俺は荷物の中から金貨を一枚取り出し、テーブルの上に据え置いた。
さすがに顔色を変えるブード。 脈ありか?
「……ふん。 東の大陸金貨、初年度版とはな。 こんな用件で差し出せるはずがない。 間違いなく偽物だろう、すぐに分かるぞ?」
「どうぞ、ご自由に検分を」
疑ってかかるのは当然だろうが、人が神に奉納する金貨がまさか偽物であるはずがない。 手に取ったブードも険しい表情を見せている。
「……どうせ偽物だろうが、預かっておいてやろう」
「では、コテージの移設はお願いできますね?」
「金貨が本物だったら考えなくもないが……」
ブードは言いながら立ち上がり、テーブルを回り込んできた。
背が低いせいで顔が近いのが迷惑だ。
「ワシとしては、もう少し誠意を見せて欲しいものだな」
ポニーテールに触られた。
キレそう。
「艶のある美しい赤髪だ……ディーナよ、ワシの元で働く気はないか? もしその気があるなら、この髪を毎日別の花で飾ってやろう」
「申し訳ありません。 私の故郷では花は飾るより、お届けするものと相場が決まっておりまして」
……はて? なぜか、そんな言葉が口をついて出た。
花を、お届け。 なんでまた?
――思い……出した! そういえば配達途中だったのは花束だ!
生前の記憶喪失は、やっぱりただのド忘れだったのだ。
一度思い出すと連鎖的に記憶の空白が埋まっていく。 これがピリッと背筋が痺れるほどに気持ち良い。
そうそう、お届け先はセレブの高級マンションだった。 スマホの地図が分かりづらくて、かなり遅れてしまったのだ。 どうしてWebの地図って時々猛烈に分かりづらくなるのだろうか、あれはガチでイラつく。
「……ん? 何の音だ?」
耳元の濁声に記憶の遡行が邪魔された。
……確かに妙な音がする。 戦闘機が低空飛行を披露する動画を見たことがあるが、“キュィイーーーン”というあのカッコイイ音に似ていなくもない。
でもどうしてそんな音が
――ヅガァンッ!!
爆発のような轟音と共に、室内のあらゆる調度品が跳ね上がり、次の瞬間には自由落下が始まった。