012:彼女の事情 ―― ファーストキス
面白い子を見つけた。
名前はディーナ。 長い赤髪が印象的な、とんでもない美形の女の子。
本当、天使様って言われても信じるくらい非の打ちどころがない美人で、おまけにスタイルまで抜群。 頭くる。
けれど本人は容姿を鼻にかけてる節は無いみたい。 服はボロいし、振る舞いなんて冴えない男の子みたいだから、その美貌もあんまり目立たない……うん、おかしな子だ。
抜けてる感じはするけれど、この子はいい踏み込みをする。 それまでの怖じ気っぷりが嘘みたいに、何の前触れもなく常軌を逸した疾さを見せるのは、実力を隠したいって気持ちからだと思ってる。
そしてこの子は常識がない。 と言うより、ほとんど無知と言っていいくらいに物を知らない。 何を見ても珍しがって、何にでも興味深そうに目を輝かせる。
確信するまでそう時間はかからなかった。
この子は、外から来たんだ。
すぐにギルドへ情報を流すのが筋だけど、せっかくの手がかりを簡単に手放せるはずがない。 だから近場に用件があるって聞いた時は、同行は当然即断。 相当な実力を持っていることは分かっていたから、慎重に絡め手を選んで、情報を引き出す算段を立てた。
最悪の誤算は、アタシがこの子を気に入っちゃったこと。
不思議な魅力のある子なんだ。 何かって言うと顔を赤くしたり青くしたり、いちいち反応が面白い。 「感情」っていう名前の器から、中身を溢れさせながら歩いてるみたい。 一緒にいると、いくらでもかまってやりたくなる。
一時は考えなしの意気地なしって思ったこともあるけれど、芯は強い。 揺るがない。 多分だけど、「逃げられない」って言い換えても当てはまる。 変な所でアタシと似てて、可笑しかった。
だから、やりづらい。
嫌な気分になるのは分かってたから早く詰めてやろうって思ってたのに……クルズを出て最初の夜は、色々とタイミングが悪かった。 自慢の妹は助けられるわ、結構いいモノは聴かされるわ、もう散々。 さすがに気分が悪すぎて、先送りにする他なかった。
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二日目の夜。
イマリが寝たのを見計らってからテントを出ると、頼んだ通りディーナは火の番を続けていた。 昨晩よりは座り心地のいい倒木に腰かけて、夜空の月を興味深げに眺めてる。 世話の焼ける妹のせいで、見張りはこの子に任せっきりになってたんだ。 これじゃあどっちが護衛なのかわかりゃしない。
「……手ぇ伸ばしても届かないよ?」
控え目に指摘してやると、この子は月へ伸ばしていた手を慌てて引っ込めた。 振り向いた顔は、この暗がりでもはっきり分かるくらいに真っ赤。 人生終わったみたいな顔してる。 面白過ぎでしょ。
「あっ、ちがっ、これはその……一生に一度はやってみたかった奴というか」
「いや好きにやんなって。 アタシも子供の頃は結構やったよ? 天使様の応援」
こんな、誰でも覚えがありそうな話でも、この子は眉を跳ね上げる。 その反応がまた面白かったから、アタシも隣に腰を下ろして輝く月へと手をかざした。 とたんに月を薙ぐ青い閃光。 続いて金や銀の輝きが瞬いて、白い月面を派手に彩る。
「最近大人しいって思ってたけど、今夜はなかなか気合が入っているみたいだね、天使様たち」
「そうなの?」
「そうだよ。 アタシの見立てじゃ『待ち人来る』って所かな」
「ホントに!?」
「ホントホント。 ついでに失せ物は出るし、縁談は調うし、千客万来……は良くないから取り消しね」
からかわれていると気付いてからの、この子の目の色の変わりようったら……思わず吹き出しそうになった。 なまじ顔立ちが整ってるのが余計に笑いを誘う。 鏡見せてやりたいくらい。
綺麗な百面相をもう少し楽しんでやろうと思った所で、ディーナは不意に心配顔を見せた。
「そうだ、イマリは大丈夫?」
ああ、やっぱり引き摺ってたみたい。
昨晩からずっと、イマリとこの子は一言も話してない。 目を合わせもしなかった。 刻呪を見られたのがよほどショックだったんだ。 他の奴に見られた時は分かりやすく激怒して家屋全焼させたくせに……ずいぶんとこの子を気に入ってるみたい。
実はあの時、イマリはすぐに泣き止んでた。 取り乱したのが恥ずかしくて、気まずくて、泣いたふりを続けてただけ。 最後なんかディーナの歌に聴き惚ほれちゃって、ちらちら様子をうかがってたんだけど……まあ、そこまでバラすこともないか。
「イマリはさ、あんまり人と話さないから。 どうやって仲直りしていいか分かってないんだよ。 アレはきっかけ待ちだから、気にしないことだね」
「ホントに!?」
「今度はホント。 飴玉でもくれてやったら?」
「むぅ、プレゼント作戦か……」
軽く唸って腕組みを……なぜか知らないけど途中で止める。 この子時々行動までおかしい。
そして彷徨った手が行き着く先は、決まって結い上げた長い赤髪。 自分で気付いているのか知らないけど、この子は何かと髪を触る。 さも愛おしそうに撫でつける。 こういう所は、やっぱり女の子なんだなって思う。 普段が普段なせいで、すごく可愛らしい。
……あー、ダメダメ。
こんな風に話してたら本題忘れちゃう。 もうさっさと済ませよう、時間は限られてるんだから。
「――そういえばさ、"変異種"斃したのって、アンタだよね?」
特に前振りなんてなしに、世間話の体で切り出した。
ビキッ、なんて音でも立てそうなくらい、ディーナの身体が凍りつく。 ホントにこの子は分かり易い。
「あ、あははっ、はっはっはー、いきなり冗談キッツいなースズル姐は。 何を証拠にそんな」
都合よく言い逃れしようとしてくれたから、取っておいた二本の髪結紐を突き出してやった。 片方は、現場で見つけた方。 もう片方は、この子の髪を結い直してやった時に頂いた方。
思った通り、この子は唖然として真っ青になる。 気の毒だけど、これはまだ本題じゃない。
「まったくアンタは、軽々しく人生終わったみたいな顔しないでよ。 別に突き出したりしないって」
「ふぇ……ほ、ホント!?」
もう何度目かも分からない問い返しだけど、やっぱりいちいち可愛らしい。 ほっぺた突いてやりたくなる。
ああもう、本当にやりづらいったらない。
「バラさない代わりにさ、教えて欲しいことがあるんだよね」
腰の後ろからナイフを抜く時、少しだけ指先が震えているのを自覚した。 珍しく緊張してるみたい。
らしくもない気持ちはすぐに殺して、銀色の刃をディーナの白い首筋に触れ合わせる。 ヒタリ、と。 あっさり、無抵抗に、この子は生殺与奪の権利を明け渡してしまう。 どうせなら抵抗して欲しかった、なんて思う自分を見つけて驚いた。 だから少しの間だけ気持ちを落ち着けてから、要求する。 なるべく冷たく、威嚇するように。
「アンタを口止めしたの"悪魔"でしょう?」
――かつて"悪魔"と呼ばれた悪逆非道な犯罪者がいた。 殺しや略奪を道義に据えているような賊の頭だ。 尋常じゃない強さを持った『加護者』にして『術師』。 どちらの力も規格外れで、二つ名持ちが三人がかかりで瞬殺されたって話も聞く。 この男は強いだけじゃなく頭も回り、散発的に町を襲ってはすぐに姿をくらませる。 ギルドじゃ金貨十枚の賞金首になっていた。
北の修練校を出てから二年、ずっとこいつの足取りを追っているのにその背中すら見えてこない。 元々神出鬼没な賊だったけど、五年以上も姿を見せなければ噂も立つ。 あの強さ、狡猾さで狂獣の胃袋に収まるとは思えない……つまり、『外』に逃れたって噂。
過去、人類生息圏の外からやってきた人間は確かにいた。 記録にも残ってる。 噂の信憑性は高いと思う。 そして『外』から来た奴が、それを隠す理由は限られる……。
だからアタシは、常識知らずなこの子に目を付けた。 勝手な決め打ちは承知の上。 なりふり構っていられる時間はもう残ってないんだ。
「デカい図体に、傷だらけの禿げ頭。 常にいやらしくニヤついて、世界の全てを見下してるような奴だよ。 アタシも本当の名前は知らない。 他の奴らはお頭とか、頭領とか呼んでた」
知ってる限りの特徴を並べた所で、ディーナはただただ怯え切って唇を震わせるだけ。 相当なショックを受けているみたい。 無理もないとは思うけど、その調子じゃあ困る。
「ほら、さっさと教えなきゃ首が飛ぶよ。 嘘は無しにしてよね…………トモダチなんでしょ?」
その一言を吐いた時、胸の奥に気持ちの悪い痛みが走った。
もちろん、おくびにも出さない。 ナイフの柄に力を込める。 脅えて濡れる琥珀の両瞳に、じわりと涙が浮かぶ。
さぞ嫌われるだろうし、イマリもきっと悲しむ。 けれどそれで構わない。 どんな手段を尽くしても"悪魔"だけは探し出す。 それだけは決まっていることだから。
「スズル姐……」
震える声で、とうとうディーナが涙を溢れさせた。 突き刺すような胸の痛みは無視する。 そんな心、知ったことじゃない。 欲しいのは答えだけ。 あの"悪魔"が生きているかどうかだけ。
「答えなよ。 死にたいの?」
冷酷に言えたと思う。
落とせる確信があった。
けれど、次の反応は予想を超えていた。
「危ないことを、しようとしているの?」
苦しそうに擦れた声の問い掛けだった。
完全に虚を突かれた。
この子は初めから、脅えてなんかいなかった。
「イマリを残して行っちゃうの?」
純粋な、慈愛に満ちた瞳が迫ってくる。
底の見えない優しさが、こちらの心を呑み込もうと押し寄せてくるみたい。
気が付くと、突きつけたナイフを退いていた。 自分でも信じられない。 このアタシが、気圧された?
まさか……冗談じゃない!
刃で恫喝しておいて、気持ちで負けるなんてどこのザコなの?
頭に血が上る。
気持ちが抑え切れない。
「アンタに言われる筋合いじゃない! あの子だって覚悟はしてる。 何も分かってないクセに、エラそうなこと言うんじゃないよ!」
「わかるよっ!」
信じがたい反撃に息が止まった。
涙声が、泣き叫ぶように訴える。
「少なくとも、二人の絆の強さは分かる。 二人とも、お互い大切で、大好きで、ずっと一緒に居たいんだ! たった一日一緒にいた俺にだって分かるのに、どうしてスズル姉にはわからないんだよっ!」
悲鳴のような痛ましい声に、返す言葉を失う。
ぶつけられた言葉が頭の中で反響して、眩暈がする。
どうしてこんなにショックを受けているのか、理解するのには時間がかかった。
長い間、目を逸らしてきたからだ。
イマリと一緒に生きて行くことは、アタシが"悪魔"を探すことと矛盾する。
アタシは……ずっと逃げてきた。
「お願いだよ、スズル姐……イマリと、一緒にいてあげて」
非難と懇願が綯い交ぜになった瞳が「逃さない」と言っている。
混乱したままの意識が、それを「怖い」と感じ取る。
感情を発露した時のこの子の言葉には、得体の知れない強引さがある。
永遠の愛でも告白されたみたいに、嫌でも心に届いてくる。
――ダメ。 これだけは曲げられない。 絶対に、“悪魔”だけはこの手で――
「……ひっどい顔。 美人が台無しだよ?」
上気した頬の、涙の筋道にそっと触れて、指先で拭ってやった。
戸惑いに揺れる瞳が可愛らしい。
人にはこんなにも心を沸騰させて、積極的に迫るクセに……ホント、スキンシップには弱い子だ。
「ごめんね」
なるべく優しい言葉で、その懇願を断ち切ってやる。
ディーナは悲壮に息を吸い込むけれど、もうどんな言葉も待つ気は無かった。
この熱い瞳に囚われて、戻って来られなくなりそう。
涙に濡れたその美貌を、少しだけ強く引き寄せる。
琥珀の瞳が、驚きに大きく見開かれる。
「でも、アンタのことは好きになったよ」
そっと唇を重ねた。
ディーナの唇は羽のように柔らかくて、少しだけ涙に濡れてしょっぱかった。
ああ……そういえば、アタシも初めてだっけ。
「〆>#*&@※$"~~~~~~~~っ!!」
しばらく放心していたディーナだけれど、急に耳まで真っ赤に染め上げて、変な奇声を上げた。
そのままその場で変な踊りを始めるんだから、ざまぁない。 そっちだって答えを誤魔化したんだから、これでおあいこだ。
……そんな言い訳を盾にして、誤魔化して、また逃げてしまった。
アタシは卑怯者だった。