桃宮の屋敷にて
橙色で明るかった空がどこか寂しげな藍色に染まりつつある頃、八津たち八人衆は八の一族を統べる主で生まれながらの桃宮の長の家に招かれていた。
八の一族とは桃宮を上において御上とする大きな纏まりで元々は一つの一族として栄えていたわけだから、八の一族は皆一応遠い親戚に当たる。
そして、その八の一族とは華宮、香月、水無月、望月、文月、五月、如月、長月で構成されており、こんな形をとるようになってもうゆうに千年くらいは経つだろう。
華宮は八人衆には加わっていないのに、何故八人になるかといえば、香月から選ばれたたった一人の兄を心配するが故にその弟の香月次期当主が八人衆に加えてもらったということで、普通ならば各一族からひとり出すところを香月は双子の両方を出すことになったのだった。
全員が揃うのは現世ではこれが初めてだろうか。
あの終わりの夜に最後まで生き残ったものが何人いて、最後まで誰が残ったのか少なくとも八津は知らない。
鬼数人と菊乃とその他四人を亡くし、人の血に濡れ、暴走の尾を引きかけた光を止めようとあの夜家を出たきり自分は家に戻ることはなかった。
菊乃たちを引いて自分以外で生き残っていた八人衆の奈津が何をしていたのかさえ、自分は憶えていない。
光は人を殺めてしまったのか、自分がどこでいつ何故事切れたのかさえ、記憶から消え失せて今ここにいる。
光がその後を知っているのかも怪しいが、とりえあず、自分たちがこの場に集められたからには光は自分たちに何か言わなければならないことがあるのだろう。
桃宮に仕える女中に案内され奥の間に通された八津含め八人は、それぞれどこか緊張した風情で、強張った表情をしていた。
特に放課後の出来事に居合わせていた八津、奈津、菊乃、玖珂魅は尚更だった。
しばらくして、光が私服に着替えて現れた。
てっきり着物でも着てくるのかとでも思っていた八津は、その洋服を身に纏って現れた主に目を瞬かせ、ちらりと横を見やれば、隣にいる菊乃も同様の反応を示していた。
「光様、そのお召し物も大変よくお似合いでございます!!」
突然立ち上がって何を言うのかと思いきや菊乃は、頬を紅潮させて何故か喜色満面の笑みを浮かべて、光に言った。
恐らく大好きな人の私服を見れて感激しているのだろう。
いくら戦いに身を投じていようとも、やはりその辺は恋する乙女なのだ。
光はその様子に苦笑しながらも、
「ありがとう、菊乃」
菊乃の側に歩み寄ると、するりと頬をなでた。
菊乃がほぅと甘い息を漏らし、先程までの緊張感はどこへ行ったのか…今にも天に昇りそうな幸せ顔をした。
光はそれを認めるとくすりと、ほくそ笑んだ。
これで一体どこの誰が光が菊乃に気がないなんて信じるだろうか。
第一にしてこの人の気は知れない。
菊乃は丸判りだが、その相手の光が菊乃のことをどう思ってるのかだなんて、誰にも判断が付けられない。
少なくとも『特別』ではあるはずなのだが…――。
それをやや呆れた風に見守るのは八津だけだろうか。
――いや、多分違うだろう。
「皆わざわざ悪いね、家まで来てもらって」
「いえ。我々のような身分で桃宮の屋敷にお招き頂けただけで光栄です」
「そう?…まァ、そう思ってもらえてるなら有り難いよ」
文月家から出ている夏目が笑顔で言うのに対して、気を良くしたのか光も同じく返す。
光と八人衆は主従関係を結んだ特別な立場にあるが、それでも八ある一族に属する八津たちは一家臣でもあるため、夏目の言うことは多少大袈裟に聞こえないこともないが八の頂点に座する桃宮宅の招かれることは確かに光栄に値することなのである。
まぁ、前世ではしょっちゅう出入りしていた八津なのだが。
「夏目は相変わらず主様が好きだねェ…お久しぶりです、光」
夏目の隣をいつも独占している夏目より一つ年上で八津たちと同い年の望月明継も、大変な笑顔である。
ただ夏目と違うところは夏目の笑顔は愛らしい少年のもので明継のそれはさわやかな大人のものだということである。
表情はほぼ崩れることなくいつ見ても笑顔で、人に好印象を持たせるが、それが裏目に出ることもあり、どこか胡散臭さを漂わせる二枚目な美形だ。
一方の夏目は美少女と間違われるほどの美少年で、小柄な体に小さい顔に整ったパーツ。
大きくくるりとした瞳は紫水晶で、それを縁取るまつげは細かく長い。
さらさらとした髪は深い漆黒で触り心地は最高級のシルクのようだ。
だが、生憎身長の低い彼は頭を触られることを極端に嫌がるので、他人には触れさせないのだが、独り例外がいる。
それが今夏目の隣でニコニコと笑っている明継なのだ。
夏目の性格は素直でなく意地っ張りなのだが、言うことは正論で戦闘における能力も判断力も十分にある。
七百年前に集められた初めの頃は八人衆の同胞にも気を許しはせず、常に気を張り独り殻にこもる傾向が強かったが、長年の明継の苦労でそれは程好く懐柔され、今に至るというわけである。
だから、夏目は明継を一番信頼しているし、心を許している相手で特別な存在だ。
それは生まれ変わった現在も変わっておらず、明継からみた夏目は、気が変わりやすく素直じゃないけど、それでも可愛いと思えてしまう猫のように映っていた。
そのことを夏目が知っているのかどうかは定かではないが、恐らく知らないのであろう。
もし知っていたのなら、夏目は自分を猫扱いする明継に触れられるのを嫌うはずだし、近寄ることさえあからさまに嫌な顔をして見せるからだ。
「こらこら、明継チャン…自分のハニーちゃんが他の男に笑顔向けてるからって、ヤキモチ妬かないよ」
ぼけっとだるそうに両目を眇めて、ゆったりとした口調で明継に言葉を投げかけたのは、同じく八人衆がひとり、樹だ。
彼は如月家から出ていて、光に仕えているが全てを面倒くさいと常に感じている十六歳で、案外図太い神経の持ち主である。
因みに言うと、彼の心の安らぎは甘いものを食べているときで、特に愛しているのはイチゴ牛乳らしい。
背丈は八人衆の中では高いほうで179センチあり、表情はなく、光を例外にそれ以外の人には無愛想。
黒髪黒目と極純粋な日本人の色を宿しており、一見その何にも興味を示さない瞳で無関心のように見えるが、その実色々考えていて物事をよく見定めて常に冷静さを保っている(多分)。
「えー…じゃあ、樹は明継が笑顔を他の人に見せるの、嫌か?」
そう口を挟んだのは、長月家出身のあやめだった。
くるりとした瞳と、ちょっとクセのある茶の髪を持った少女の容姿は一見愛らしいがその実中身は…――少し黒かった。
「はァっ!?ちょ…それ意味わかんな…――」
「あー…ちがうよ、ちがう。全然違うからね、あやめさん。俺はこの人の独占欲を指摘しただけで、俺のは明継への独占欲とかそんな気持ちの悪いもの、微塵にもないよ。くれぐれも誤解しないでね、あやめさん。俺はそっち系の人じゃないからね…明継と同じ危ない世界の住人なんかじゃ絶対ないからね!」
何回も念押しするくらい嫌なのかと、明継は別にそれでいいのだが、人間として何故かかなり微妙な気分にさせられる。
しゅんと項垂れた明継の背を隣に座っていた夏目が何かを察してさすってくれていた。
それを見たあやめは樹にささやく。
「ほーら、見てみなさい。明継ったら、あんなにしょげてるよぉ…キモイよぉ」
「こらこら、あやめ。それ以上、本人目の前にしていったら可哀想だよ…いくら夏目に背をさすられて嬉しそうにしている姿が気持ち悪いからって」
樹が駄目だよと、あやめの口元に人差し指を当てて、だが、その表情は明継を小馬鹿にしたように歪んでいてクスクスと笑う声までも聞こえていた。
そっと、後ろで傍観していた八津、奈津、玖珂魅は樹とあやめのやり取りを見て、心がシンクロしてしまった。
『うわぁ!この二人ってば、前々から好いコンビだとは思ってたけど、まさかここまで好いコンビだったとは。あはっ!気を付けなくちゃ、自分たちまであんなにけちょんけちょんに言われるのはご免かな。ははは…このキ・チ・クコンビめッ★!』
――多少、自分を見失いかけそうだった。
そして、夜は更けていく。