感動の再会
それは終わりの夜の始まりを――。
それはその血の根絶を――。
願いはただひとつ。
一族の無念をはらすため。
そして、役者はほぼそろい再び時は満ちようとしている。
あともう少しで悲願が果たせる。
黒い短髪が風に遊ばれながらも、細身の影――黒衣に包まれた総悟はうっそりと笑った。
「…もうすぐ、全てが終わる」
そう、己の目の前にひろがる世界の全てが目の前から消えてなくなる。
あの虚しく残酷な記憶からやっと解放されるのだ。
そのために自分は心と自由を闇の住人に差し出した。
けれど、役目が終わった自分に未来など、いらない。
真実、我が望むのは桃宮との永久の眠りだから。
「玖珂の全てを壊した罪、今度こそその身であがなってもらうぞ…。じわじわと苦しめ、大切なものを失う懐かしい痛みと共に」
「記憶が完全に…五月菊乃が覚醒したその日からずっと、お会いしとうございました」
菊乃は急に飛びついてしまったことの非礼を主の光に深く詫びながら、口元を押さえて涙をこらえた様子で破顔した。
その場に居合わせた八津も玖珂魅も奈津も、そんな菊乃を優しい目で見守っている。
では、少しその心の中を覗いてみよう。
八津の場合…――。
『わー。良かったねぇ、菊乃。いきなり皆の君に飛びつくなんて、その大胆さに感心すら覚えちゃうよ』
玖珂魅の場合…――。
『相変わらず、君が大好きなんだな。あとで、皆に言いふらしてやろう』
奈津の場合…――。
『一応七年ぶりの再会なんだし、俺の兄さんもさ、菊乃みたいに抱きついてくれればいいのに。いや…むしろ、抱きついて欲しい。でも、追いついてきた俺には無反応?…菊乃にはうわー的な反応してるくせに俺には何の表情もくれないの?それってひどいな。弟の俺と七年ぶりの再会なのに。……それってあんまりだよ、兄さん』
『温かい目で見守る』ではなく、やや生暖かい目で見られていた。
ひとりは兄を寵愛していて(一応、次期香月の当主なので兄の八津より上の人)その一方通行に嘆くというなんともな心境で、その対象の八津はこの中では最も温かい目で見守っているのが唯一の救いだろう。
だが、残りの一人は別だった。
思いっきりからかいの種にしようと企んでいる。
そして、そんなことは光も菊乃も当然ながら人の心を読む術を持っている訳でもなく、更に今は約七百年ぶりの感動な再会にあるので知る由もなかったのだった。
光はいまだ頭を下げる菊乃に参ったなと、苦笑する。
菊乃は本当になんて無礼なことをしてしまったのだろうと、本気で消え入りたい気持ちでいっぱいだった。
そんな菊乃の心情を察してか光は、
「いいんだよ。なんせもう長い間顔を合わせてなかったんだしさ、感極まって抱きついてきてくれたこと、嬉しかった。ああ、憶えててくれたんだなって。大切に思われてるんだなって、感じられて。それにね、八津も同じようなことをしてくれたし、ね?」
にこりと、笑って振り向かれた八津は今の今まで傍観者だったのに、急に話を振られて、しかも再会したときのことを持ち出されて固まった。
「…は、い」
「しかも、そのときコイツ寝ぼけててさぁ、すぐに寝てしまったんだよなぁ」
玖珂魅が横から茶化しに来て、八津はぼっと、恥ずかしさから湯気が立つのではないかと不安になるほどに顔を赤くさせる。
「――そ…れ、本当……?」
そう掠れた声を出したのは兄同様時を同じくして固まった奈津だ。
皆がそちらに視線をやれば、信じられないというような表情で頭を抱えている。
「どうしたんだ、奈津?」
八津も不思議に思い、一歩実弟に近づくとこの場の代表として口にする。
その途端、奈津に両肩をがしっと力強く押さえられ爪が肩に食い込み、だが、痛みに顔を顰める余裕もなく、
「…え?」
と、唇に乾いた笑みを乗せて目を見開く事しか出来ない。
そして、肩をぶるぶると震わせる弟はぬっと八津に顔を近づかせ詰め寄った。
これにはさすがに兄とはいえど、無意識に体を後ろに引いてしまったようだった。
…ついでに気持ちも。
菊乃たちはその様子を呆然と見ているだけで、どうやら奈津が何かにショックを受けているらしいことはこの様子からしてなんとなく察せられたが、果たして何に対してそんなに感情を丸出しにしているのかが解らない。
光はそんな奈津を凝視していると、あることに気づいてしまう。
それは、出来ることなら気づきたくはなかったものだ。
ただどろどろと、奈津の背後には怪しい不穏な暗雲が立ち込めているように見えるのは自分の気のせいだろうかと、光はちらりと横に居る菊乃たちに一瞥を投げかければ、他の二人もそれが見えてしまっているようでごくりと三人は息を飲み、あくまでも傍観者であることを決め込む。
菊乃なんかもう、申し訳ないという思いすら遠く彼方に追いやられてしまっているようだ。
だが、八津はその暗雲にあれだけ近づいているというのに気づかないのか、それとも既にもう達観してしまっているのか…平然とした雰囲気で奈津に接していた。
「奈津、調子悪いのか?」
両肩をつかんだきり、何も喋ろうとしない奈津を心配そうに見る八津のその瞳は弟を慈しむ兄のものだ。
小刻みに揺れている肩にそっと触れたそのとき、奈津は震えた声を出した。
「…兄さん、光の君には菊乃と同じようなことしたくせに、どうして俺には何もないの?俺も抱きつかれたかった!!」
初めのほうは震えを帯びた悲しそうな声で、途中からはただの叶わなかった願望だ。
嫉妬心から歪められた顔は会話とそぐわないものの、十分に切なげで八津には効果抜群だったらしい。
奈津はひどいよと、首を横に振って目尻に涙まで浮かべて、八津に縋りつく姿はおよそ17歳の青年の姿とはかけ離れており、駄々をこねる小さい子供のように見えないこともない。
「そうか…僕が悪かったよ、奈津。光とは七百年ぶりの再会でさすがの僕も感極まっちゃったけど、奈津とはたったの七年だったからそこまで行かなくて、ごめんな」
奈津はその瞬間、八津の肩の上にあった腕からふと力が抜けるのを感じた。
『たったの七年』…――。
確かに七百という長いときに比べれば七年なんて可愛らしいものだが、それは余りにも…あまりだろう。
少なくとも兄とは違って弟は兄との再会を楽しみにしていたのだから、もっとその辺を考えて、兄としてはその想いを組んでやるべきだろうに、何やら辛辣なそれはないだろうて…。
そう思うのは甘いだろうか。
八津は無邪気な笑みを口元にたたえて、弟を見上げた。
涙を見せれば抱きしめてくれるだろうかと、しつこいかもしれないが…少しだけ期待していたのに、それをも虚しくも見事に裏切られ、奈津は自分が甘かったのだと反省したのだった。
確信犯なのか、はたまた無自覚で弟を落ち込ませたのかは判らないが、急に項垂れたその頭に腕を伸ばして撫でてやった。
奈津は予想だにしなかったその行動に軽く驚きの表情を見せるが、すぐに相好を甘く蕩けさせた。
――が。
それはまだ早かった。
「ったく…僕より勝手に身長高くなりやがって。誰がいつ、僕より高くなっていいって言ったよ?」
げんなりと嫌そうに顔を潜ませた八津に、奈津の笑顔は凍りついた。
――人の話はちゃんと最後まで聞きましょう。
理不尽だ――…!!!
「正確には、抱きついたじゃなくて泣いたってのが正解なんだけどなぁ…」
「…聞こえてないよ、玖珂魅。奈津は昔から本当八津一筋だよねェ」
その声を拾ったのは、本当に届いて欲しかった人ではなく菊乃だけだったという。
兄の八津との七年ぶりの再会は、弟の奈津をただズーんと切なくさせた。