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過去と現在

 出会いは多分、お互いとも最悪だった。


 第一印象はともかくとして、その出会いは最低で最悪だった。


 だから、まさか自分達がお互いを一番に思いあう関係になるなんて、夢にも思わなかったんだ。


 そう、全く…こんなに困難の多い関係になるなんて思わなかったんだ。


 二人には徹底的な違いがあった。


 狩る側の者と狩られる側の者。


 それは自分達をいずれ引き裂くもの。


 だけれど、それは自分達じゃどうしようもなくて、生まれる前から立たされていた位置で。


 こんな環境さえなければ、自分たちはいたって普通の恋人同士であれただろうに。


 手放したくない者を手放さなければならない。


 僕にはそれが迫られていた――常に、ずっと、周りの者から。


 自分たちを良く思わない者からの中傷はよくあった。


 それはもうネチネチと続き、いつしかそれは日常茶飯事のことになってしまった。


 護らなければならない主と護りたい人。


 主に仕えることを選んだのは自分だ。


 本当に護りたいと思った。


 僕の主は若くして一族の頂点に立つような秘めた力を持つもの。


 周りは大人ばかりで、時々見ていたその人の第一印象は、『笑わない人』。


 幼いながらに僕はそう思った。


 香月家当主の嫁にして桃宮出身の娘の息子ということで、僕は母によく連れられ、桃宮の屋敷に出入りしていたけれど、やはりその人の顔から無表情が消えることはなかった。


 長という立場の人だったから近くに同年の子供がおらず、またそんな子達を近づけさせぬよう計らった大人たちのせいで幼い頃から遊べなかったせいかもしれない。


 とにかく表情がなくて、いつも冷めた目をしたまるで生ける人形のようにも見えた。


 笑ったら、きっときれいだろうに。


 僕はその端整で無表情の顔を見かけるたびに、そんなことを思っていた。

 

 そして、それから数年顔を合わさないうちに彼は見違えるほど変わっていた。


 もともと整っていた顔は一段と磨きがかかっていて、何よりも驚かされたのはその人に表情が付いていたことだった。


 僕を見て、ふわりと笑った彼の顔は思ったとおり綺麗で、自分のことでもないのに、ほんの少ししか言葉だって交わしたこともないのに、僕はどうしてか嬉しかった。


 だから、僕はこの人を側で支えたいと思った。


 単純に、たったそれだけのことで決心がついてしまった。


 まず友達になって心を許してもらえるようになったら、ようやく開花したこの人の花が枯れぬよう、ずっと守りたいと思った。


 それが後に、自分と好きな人を苦しめることになるなんて、思いもしなかったから。


 彼を裏切ることは自分には出来ない。


 あの子を裏切ることも自分には出来ない。


 どちらかひとつを選ぶなんて、きっと多分、僕には出来ない。


 もっと僕が器用な人間だったらよかったのに、とか…そんな風に思ってもしょうがないことで。


 これはそんな単純なことじゃないんだ――…。


 そして、それを思い知ったとき、想定外の冷たく残酷な、血塗れる夜が始まった。

















 それは現世から遠い昔のこと…――。


 自分たちが生まれ変わる前の出来事。


 僕が光を友としてだけでなく主として、側に仕え護りたいと思った日のこと。












 「光っ!」


 「八津…?」


 ついこの間十歳になったばかりの八津がぶんぶんと元気よく笑顔満開で、廊下を歩いていた光に手を振る。


 以前よりも表情が明るくなり、笑顔を見せることが多くなった光は声がしたほうへと視線をめぐらせた。


 その先では親戚で同い年の小柄な少年が庭を探索しているようで、服のあちらこちらが泥等で汚れていた。


 光は笑顔で手を振る八津の姿をその目に捉えると、難しげな表情を笑顔に一変させ、同じく手を振りかえした。


 すると、八津は嬉しそうに頬を染め、更に相好を崩した。


 そして、あっと声を上げると突然がさがさと草木を掻き分けて、光のいる渡り廊下目指し強行突破を図る。


 一応言っておくがここは桃宮本家の屋敷内である。


 桃宮の敷地内に設けられてある広大な庭である。


 では、何故香月の家の八津が、桃宮に仕えている家の子がそんなところで自由に遊べているかといえば…だが。


 その当時香月八津・奈津の母親は桃宮出身の女で、父親は香月家の当主とのことからその息子である八津と奈津は桃宮への出入りを自由に許可されていた。


 まぁ、もっとも桃宮に頻繁に出入りをしていたのは八津だけで(何年かぶりに会った光が笑うようになってから)、その弟の奈津は兄よりも優れていたために次期長としての半ば強制的な教育を受け、兄とは違い個人的な自由はまずなかった。


 その奈津も今年の誕生日で八津と共に十歳を迎え、いよいよ本格的な長としての知識を身につけるために桃宮ともっとも近しく、香月と交流の深い親戚宅――華宮に預けられた。


 あの家はいろいろな情報と歴史の真実に溢れており、手っ取り早く長としての知識を身につけるには、それはもうこれ以上適したところはないといっても過言ではないくらいだ。


 それで八津が、兄よりも秀でた弟を疎んだかというと否であるが。


 むしろ逆に、長としての期待に応えなければという一族の重いプレッシャーを背負わずにすんで万々歳と喜んだという。


 そのせいで、今もだが将来的にも面倒ごとを全て弟に背負わせてしまったようで少し申し訳ない気持ちになる。

 

 因みに現世では、つい最近生きていることを知った(幼い頃からいなかったせいで、まるで父親の存在に気づけなかった。)華宮家出身にして前香月当主の娘に婿入りし現香月当主の座にある香月恋が父で、前当主の娘にして前世では八津が姉として慕った香月花美が母である。


 さて、話は戻るが…――。


 八津は丹念に手入れされた庭木を無造作に書き分け草まみれになりながらも、何とかようやく光のいる渡り廊下にたどり着く。


 同世代の子供より体力ある若干小柄な少年は葉っぱや草をたくさん頭につけてやってきて、光は八津と目線をあわすために渡り廊下からよいしょ、と下りることにした。


 「光、光!」


 「ん、何?八津。…あぁ、ほらほらじっとしてて。取ってあげるから」


 目をきらきらさせて何かを言おうと興奮する八津を遮って、光は八津の栗色の頭についている葉を払い落とした。


 八津がその様を黙ってみ、光が全部を払いおわるのを見計らって、


 「ありがと」


 にこっとお礼を口にした。


 「どう致しまして」


 確かに同い年なのに、なんだかいくつか年下の弟みたいだ。


 光はそう思いながら、八津の頭に手を置いたまま優しく撫でた。


 そして、ふと思う。


 少し前までの自分からすれば、有り得ないことをしているな、と。


 これもやはりあの子の――玖珂魅の影響、かな…と同時にそんなことを思った。


 昔を振り返って遠くを見るような目をする光を見上げる八津が、頭に乗せられたままの心地よい手を、だが、なんだか子ども扱いをされているようで頭を振ることで振り払った。


 「光!ぼーっとしてないで、一緒に遊ぼう!」


 その元気で無邪気な声にはっと我に返る光は、自分の手を引く八津に微笑を漏らした。


 己の手をつかむ手が少し冷たくて、濡れていることからして恐らく八津が池の水に手を突っ込んだだろうことが知れた。


 光は微苦笑を浮かべたまま、はしゃぐ八津に身をゆだね好きにさせる。


 「ほらほらっ!こっちにね、大きな池があるんだ。すっごくきれいで…あ!玖珂魅だ」


 八津に手を引かれ、観賞用に庭に設けられた大きな池の前まで来たときだった。


 例の池は見えるが、まだそれほど近づいていないところで急に足を止めた八津は、視界に捉えた自分より若干背の高い少年の名をこれまた光のときと同じく嬉しそうな声で叫び、手をぶんぶんと勢いよく左右に振り、その存在を相手側に示した。


 「八津と光……?」


 池の水面をただただじっと見つめていた玖珂魅が明るい声に反応し、顔を上げこちらに首をめぐらす。


 そして、視界に友人二人を捉えると、ぶんぶん手を振り笑う八津に苦笑を漏らし、同じように大きく手を振ってやる。


 八津が光を引っ張って、玖珂魅の側まで駆けてきた。


 途中、前を行く八津が転びそうになり、これは血が出るな、と先を予測した玖珂魅が咄嗟に痛そうな顔をする。


 だが、間一髪のところで誘導されていた光が腕を後ろに強く引き、八津は地面との衝突をなんとか免れた。


 「はー…良かった」


 玖珂魅も光同様、胸をほっと撫で下ろした。


 「ふふ…ははは…――ごめんなさい。それからありがとうな、光」


 「本当に八津は危なっかしいなぁ。そんなんじゃあ、しまいには足の骨一本でも折るよ八津」


 光が眉を少し上げてたしなめる。


 そんなふたりはどこからどう見ても兄と弟の図だと、玖珂魅は内心呟いた。
















 「ねー…玖珂魅はさぁ、なんでいつも光と一緒なの?」


 庭を探索中、見つけた池のほとりを三列で歩きながら、八津がふとそんなことを口にした。


 愛らしく首を傾げる様はとても十歳を迎えた男の子にはみえない。


 どちらかというと実際の年齢よりも二つ下の女の子に見える。


 さくさくと歩く姿だって、髪こそ短いものの小柄な体なため十歳の平均身長よりも低く、また表情がころころ変わって見る者に安らぎを与える。


 光を真ん中に挟み左側に居る自分とは正反対の右を行く八津に視線を落とし、この屋敷に来た当初よりかはいつ幾分か目許を和らげた兄のような優しい顔でその問いに答えた。


 「光とね、約束してるんだ。いつか戦うときが来たら、俺が護ってあげるって」


 「――光と約束ね…ずるいぞ、玖珂魅。僕も光と約束する!」


 頬を膨らませて、何歩か前に出る八津に光は足を止め、腰をかがめる。


 「何の約束をするの?」


 「えっと…ぁ!僕も光を守ってあげる」


 にこぉと満面の笑みをたたえ、くるりと振り返るとびしっと人差し指を立てて、八津は高らかに宣言する。


 それに少し目を丸くした光は数秒後、困ったなと、苦笑いを浮かべた。


 「他のにしないか?」


 「ダーメ。玖珂魅だけなんてずるい。そんなのひいきだ、光」


 「う…」


 光が宥めるのに失敗して、苦虫を噛み潰したような顔をした。


 玖珂魅は面白そうに腕を組むと目を眇め、そして正確に光の心境を読み取る。


 別に迷惑ではないのだろうが、ただ巻き込みたくはないのだと思う。


 八津の気持ちは光にとってはとても嬉しいものなはずで、だけど、それを了承してしまえば、きっとこの先辛い道を歩む。


 光はそのことを懸念している。


 この少年を己の住む暗く汚れた世界に、連れて行きたくない。


 一方、玖珂魅はもう光の運命に巻き込まれ、その道に進むことを選んだ。


 だから、もうこの玖珂魅だけでいいのだ。


 道連れにするのは、自分と同じこの哀れな子独りだけで良い。


 玖珂魅はどう返せば良いか困っている光の肩をぽんと、叩いた。


 「…別に――」


 発しようとした言葉を一旦止めて、玖珂魅は真剣な表情をしている八津に目をやる。


 「玖珂魅…――」


 八津の目は本気で、純粋だ。


 まだこの世界にけがされていない子の、力強い目。


 玖珂魅がふっと、笑って八津の頭をくしゃくしゃとかきまわした。


 玖珂魅の中で、小さい頃の自分の泣き声が聞こえる。


 その子はいつも泣いている――あの日から、ずっとずっと。


 力が欲しくて、もう無力は嫌だったんだ。


 そんなことではいざというときに、大事な人たちを護れないから。


 それが悪運が強く独り生き残った玖珂魅の望みだから、自分の明るい未来を壊し、自分を救ってくれた存在の光の側にいることを選んだ。


 戸惑いがちに伸ばされた手を、俺が強くなるために受け入れた。


 玖珂魅は光ににっと笑いかけてから、八津の頭から手を引く際にぽんぽんと叩き、この子はまだ小さいなーと、頭の片隅で思いながら目を細めた。


 「別に…いいんじゃねーの?八津がそうしたいって言うのならさ…八津。お前は光を護ることを今、この場で己自身に真実誓えるか?何者も犠牲に出来るか?それが出来るのなら、八津は今日から俺の同士だ」


 「うん!僕は誓えるよ。一生、光を護る」


 「く、玖珂魅っ!!」


 なんでそんなことを…と、言いたいことが丸わかりな光を、玖珂魅は肩を竦めて茶化した。


 「別に良いじゃないか、光。こいつが自分で決めたことなんだからさ…頼りにしてみよーぜ、な?」


 「……」


 光が返答につまり、きらきらと期待に満ちた目で自分を見上げる八津を振り返る。


 「…真剣なのは解る。僕としてもそう言ってくれるのはとても嬉しい。だけど、君は…八津はきっとこの先後悔するよ。僕を護るってことはそういう事なんだ。だから、簡単に選んじゃいけない。もう誰も、巻き込まない…」


 「光…僕は光を困らせてる?迷惑、か?…僕は今ここで簡単に決めたりなんかしてない」


 「え…?」


 「光はさ、四・五年くらい前まで今みたいに笑わなかったよね…?いつ見ても難しい顔だったりとかほとんど無表情。だけど、玖珂魅が来てからよく笑うようになった。僕ね、初めて光が笑ったときに思ったんだ。ずっと笑顔で居られるように、側で守りたいって思った。今もそれは変わらないよ、光。 だから、君が駄目って言っても僕は勝手についてくからね!」


 「……はぁ」


 「諦めて観念しろ、光。こんなに熱心な奴、そうは居ないぞ」


 「ね、ね!いいでしょ、光!!僕、武術も勉強も頑張るから!」


 「――わかった。けど、辛くなったらいつ約束破ってもいいからね。そのときは僕に言ってよ?」


 「大丈夫、大丈夫。そんな時、一生来ないからさ!」


 「…君って子は何でそう…――」


 『明るいのかなぁ』と口の中で小さくつぶやくだけで八津達の耳には届かなかった。





 こうして僕――八津は光を護る事を許された。


 光にも、己自身にも決して破ることはないのだと、一生僕はこの人に御仕えして行くのだと約束し、誓いを立てた。


 だけど、当時光が僕をたしなめるために使った『簡単に物事を決めてしまうと後悔するよ』と言う言葉はまるで言霊のようにその数年後、現実となってしまった。


 単純な動機でおのが進む道を選んだ幼少時の決意は、固いものであったにもかかわらず、やはり浅はかな子供の考えであったのだということを嘲笑うかのように辛い現実はやってくる。








 


 「八津…」


 ぐっと抱きすくめられたまま、我にかえった京也は困った風に眉を下げて自分を放そうとしない八津の名を呟いた。


 だが、八津は黙ったまま、京也の言わんとしている事を聞き入れてくれない。


 京也も京也で放してくれと表面上では言っているものの、本音は行動に表れていて背に腕を回したままである。


 ちなみに今は自習となっていて先生こそ居ないが一応授業中で教室には生徒が居る。


 その生徒達は若干引いた目で八津と京也を見ていた。


 それは何故かというと…――。


 「ねぇ…緋桜君とその人はどういう関係なの…?」


 ひとりの少女がクラス代表として意を決して恐る恐るといったていで、京也に問いかけてきた。


 「え…こ、恋――」


 異様な目で見られていることに首を傾げつつも、さも当たり前のように『恋人』と言いかけて、だが京也は今の自分の姿を見下ろしてハッとあることを思い出した。


 少しでも恋人である八津に近づきたくて、近くに感じたくて自分は同じ高校に入るのに性別を偽って男として編入していたことを――。


 だから、今現在、京也の身を包んでいる制服は女物ではなく男物だった。


 「…しばらくぶりに会った友達…?」


 恋人と本当のことを言いかけたのを誤魔化すために曖昧な笑みを作って口にすると、京也の思いを露知らず、また、京也の制服がおかしいことに気づかない八津が誤魔化しを無に返すようなことを言った。


 「何言ってんの…?京也と僕は恋人同士じゃん!!何?――あの時約束守れなかったからそんな事言う――っ!?」


 その瞬間、最後まで言い終わるギリギリのタイミングで八津の体がいきなり吹っ飛んだ。


 生憎と肝心なところは声を大にして叫んでいたため、それは最終手段に出てももはや手遅れだったかもしれなかったが。


 京也は実力行使に出た――恋人相手にためらった自分の甘さに馬鹿だったと、眉を寄せながら。


 皆が皆信じられないと目を瞠る最中、ぽきぽきと、ただひとり平然とした顔で指をならす京也が教室の中央に立っていた。


 その様子からして、どうやら八津を吹っ飛ばしたのは京也らしいことが言わずとも知れ、皆がこえーと内心で呟き、ごくりと生唾を飲む。


 その京也は周りの空気を凍らせたまま、吹っ飛ばされた拍子にいくつもの机を倒し、何が起こったのか事の理解が間に合わず、間抜けにも床に転がっている八津にゆっくりと歩み寄るとにっこりと凄絶に笑った。


 「俺たちが恋人同士なわけないだろ、ん?男同士でそんな事あるわけないもんな。ささっと目を覚ませよ、この馬鹿がっ!」


 胸倉をやおらつかみあげて罵り=フォローをいれる。


 一方の八津とは言うと、ぞんざいに扱われる理由がわからなくて目を瞬かせて久しぶりに会った恋人のこの仕打ちに泣きそうになっていた。


 自分が何したって言うんだ…!


 その眼が訴えている言葉に気づいた京也が苛立たしげに目を細めて、チッと舌打ちをする。


 「う…き、京也…?何で怒ってんの…――?」


 なんで判らないかなぁ、この男は!


 眉間に皺を寄せたまま、仕方なく嘆息した京也は八津の耳元でみんなには気づかれないように声を潜めてぼそりと囁いた。


 「八津…私の着ているものは男物だ。よく見て、そして今を察しろ」


 「え…――わ!僕と同じ…京也、男だったのっ!?」


 「馬鹿ッ!大声出してそんなこと言うな。私は女だ。説明は後だ、私と話を合わせろ。でないとお前とは別れる」


 冷ややかに耳元で囁かれて、八津の胸はすっと冷えた。


 それだけはごめんだと、心臓がバクバクと鳴り出し、背を冷や汗が伝う。

 

 八津はこくこくと無我夢中で頷くと、京也はよしと再び先ほどと同じ勢いで八津の胸倉をつかみなおした。


 剣のさす眼差しは正直言って美人な分様になっていてとても怖い。


 だが、別れるのは嫌なのですごみながらも京也に応えて、八津も同じくキっと睨み返せばそれはどこかどう見ても完璧な睨みあい。

 

 周囲の二人の関係についての疑いの眼も若干緩み、皆が皆どうすれば良いのか…と、はらはら見守る中、そこへ八津の時同様、教室へ戻る途中偶然と通りかかって騒ぎにひょこりと顔をのぞかせた奈津が二人を見つけて、血の気の失せた青い顔であわてて割って入った。


 「何兄さんってば京也さんと見つめ合ってんの!?俺は許さないよ、認めないよ絶対!ましてやけっこn…」


 どうやら熱烈に見つめ合っているように奈津の目には映ったらしい――大分濁った目だ。


 「奈津は黙ってろ。でないとお前の可愛い兄さんの首が飛ぶぞ。てか、こいつ絶望してどうにかなるから下がってろ」


 『結婚』と言いかけたのをギッとすごい目でねめつけられたので、奈津は本能的に兄の危機を察し何とかぎりぎりのところで言葉を飲み込んだ。  


 京也がよし、と頷いて奈津は無意識のうちにほっと息をついていた。


 だが、奈津の乱入で更にざわつきだした教室内…――京也はもう何か取り返しのつかないような気がして八津の胸倉をばっと放すと、頭をくしゃくしゃとかき回して俯きながら、


 「……悪い、俺もう帰るわ…」


 どんよりと、疲れた風に肩を落として一言言い放つと、教室をのろのろとした足取りで去った。 


 「えっ!ちょ…京也待ってよ!僕を置いてかないでー!!」


 「に、兄さん…!ちょっとどこ行くんだよっ!?授業出ないのっ?」


 その後をばたばたと京也を追って我を取り戻した八津が出て行き、そして、その後をまた奈津があわあわと出て行った。


 「……な、なんだったんだ、あいつら…」


 結局何もはっきりとしないまま締まりなく、オチなく終わった一連の騒ぎに残されたクラスメイト達はただ首をかしげるのだった。


 まぁ、何はともあれクラスメイトを混乱の渦に陥れた嵐が去った後の教室は、とても静かなものだった。

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