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それは突然で必然の日

 ポツリポツリとこぼれだした雫。


 これは何から降ってきている?


 …暖かい雨。


 これは人が流す雨。


 では、それは誰から零れてきている?


 …自分から溢れ出ている。


 自分には無かったはずだった物。


 それがどうして、自分から流れてきているのか。


 これはどうして――。


 ほんの少し前、親しくなった余所者に教えられたことが頭をよぎった。


 『人が涙を流すのは嬉しいときと、悲しいときだよ』


 そう言って笑いかけてくれた人。


 その人は今、何処にいる?


 …もう、自分の前から消えてしまったのか。


 ――否。


 自分が、その人の居る世界から切り離されたのだった。


 ああ。あの人は今どうしているのだろう。


 切り離される少し前に聞いた声が、自分を深い眠りへといざなった。


 『…お前は香月八津の想い人?――…そうか。その額の赤い痣があるということはお前、鬼だったのか。くく…傑作だな。お前は赤い瞳を持つ玖珂の血を引きながらにして憎むべき存在である光を守護する香月の想い人…ねぇ。じゃあ、死んでもらわないとね』


 皮肉気な嘲笑が最後に聞こえた音だった。













 昨晩降った雨が道を濡らし、所々に大小それぞれ大きさの異なる水溜りを作っていた。


 登校中の人々がそれを避けて通る中、ただ一人ずけずけと水溜りに突っ込んでいく物好きが居た。


 皆が振り返るのはその行為が異様だということはさることながら、その者の容姿もまた目を引くほどのものであったからで。


 だが、その人物は赤い髪をみつあみでひとつに結いそれを翻しながら、かつかつとその視線をまるで感じていないように校舎へ入っていった。


 何も知らぬ人々の動揺を残して…――。















 「なぁつぅ〜〜…!覚悟ッ!」


 奈津は急に天井から降ってきた地をはうような声に反応して、さっとその場から飛び退った。


 声というかいわゆる殺気に近いものに反応して、程好い間合いを襲い掛かってきた人物から開け、幼い頃から大人に混じって厳しい修行を叩き込まれてきた故の条件反射で身構えると、左足を一歩引いて攻める態勢に入った。


 だが、それは甘かった。


 目の前の気配を絶っている人物を捉えようと首をめぐらせ、息を吸ったほんの一瞬の隙をつかれ、目の前の人物すらも認識しないうちに、再び飛び退った背後からどろどろとした気配を感じ振り向くと同時に、その手にされていた刀剣が威勢の良い掛け声とともに振り下ろされる。


 「奈津、勘弁なさい!」


 それを何とか持ち前の研ぎ澄まされた俊敏力で回避し、奈津は背を壁につけ、今度こそ何処から来ても対処できるよう構えた。


 すると、


 「「チッ」」


 という二人の舌打ちが同時に聞こえた。


 奈津は額を流れる冷や汗を拭って、構えを解くと目の前の二人を見据えた。


 そして、その二人の全貌を認めるといなや朝から続いている攻撃にうんざりとした風で怒鳴った。


 「もうっ!いい加減にしてくれ!兄さんも、菊乃もここ一応学校だってわかってるの?!ってゆーか、菊乃はなんでそんな刀剣なんか持って来てんの…俺を殺す気か!」


 「これは安物だから大丈夫です。それに鈍刀。いわゆるなまくら刀ですよ。だから、切れてもそんなに痛くありません」


 「いくら鈍らだとしても切れたら痛いに決まってるよ!!」


 菊乃がいけしゃあしゃあとにっこりと笑って言った言葉に反論して、その隣でいまだ殺気を放っている兄に視線を投げかけると奈津は深く嘆息した。


 まだ菊乃のように得物を持ってきていないだけ幾分かマシだが、この兄は本気で実弟を殺そうとはしていないか。


 何も光は香月奈津から吸収する以外の方法を聞きだし殺せとは言っていないのだから、せめてもっとお手柔らかにお願いしたいものだ。


 だから、そんなに殺気を纏わりつかせなくても良いではないか。


 目許を押さえた指の隙間からちらと覗いた再び動きだした影に奈津はぎょっとし、再び逃げに回る。


 八津は体をくねらせて勢いをつけた蹴りを奈津にいれようとし、だが、またもやそれをかわされ、むっと意地になって再び接近してその両手首を隠し持っていた頑丈な太い縄で拘束する。


 これで思う存分、好き放題やれるぞとほくそ笑む当初の目的を忘れ、弟虐めを楽しむ姿は見ていて鬼畜振りを感じる。


 しゅっと拳を腹に食らわせようとしたとき、菊乃が横から割って入ってきてこれ幸いとばかりに手にしていた刀剣を薙ぎ払う。


 だが、それをも体を僅かにひねっただけでかわされ、しっかりと縛っていたはずの縄だけが菊乃の放った一撃を利用して上手い具合に切られていた。


 「くそっ!」


 菊乃は忌々しげに眉根を寄せ、清楚なその外見とは似つかわしくない台詞を吐き捨てると、失敗したが再度攻撃を仕掛けられるよう適当な間合いをさっと開けた。


 両手が自由になった奈津はふぅと息をつき、目の前の同胞二人と対峙する。


 因みに一応言っておくが、ここは学校の校舎内――廊下だ。


 行きかう生徒がちらちらと皆同様に振り返っていくが、そちらに奈津が気をやれば、その僅かな隙をついてでも八津たちが仕掛けてくれるのでそうそう気にしてもいられず、二人から目がはなせない。


 しばらくお互いの動向を探って動かずにその場に三人とも縫い付けられていると、五時間目開始のチャイムの校内に響き渡った。


 ゆっくりと諦めがつかない様子だが一応構えを解いた八津と刀を鞘に納めた菊乃が不服そうに――苛立たしげに去っていく後姿を見送って、そこでようやく奈津は一息つき、肩の力を抜いた。


 そして、あの二人とこの展開を作り出した元凶を思い浮かべて、困り果て疲労した表情で奈津はその場にずるずると座り込んだ。


 「はぁ…。本当に厄介だなぁ。…――これじゃ動きづらいよ」


 ぼそりと語尾を濁して、唇を噛み締めた奈津は頭をくしゃくしゃとかきまわした。


 そして、思考を切り替えるように頭を振ると、昨日切って落された『桃宮お泊り一週間コース争奪戦』はまだ続くのかとふと思えば、これから先のことが悔やまれてどっぷりといった大きな吐息を吐き出すのであった。













 八津はちっと悪態をつきながら、先程弟の自由を奪うために使った縄の残りを無造作にポケットに突っ込んでふと騒がしいよそのクラスの教室を何の気兼ねもなく覗いた。


 首を覗かせたあとで、もう始業のチャイムがなっていたなと思い出し、あわてて首を引っ込めようとしたが視界に入った黒板にでかでかと『自習』という文字が書かれてあり、それで騒がしい理由に察しがつき、なら別にここにいても良いかと、自分のところは普通に授業があるのを知っているくせに見知らぬ教室のざわめきにつられ、足を踏み入れた。


 教室内にずらりと並べられた席にはほとんどの生徒が座っておらず、あちらこちらへと動き回っている者が多く目に付いた。


 その中で人一倍盛り上がっているというか賑やかな人盛りの山を見つけ、八津も釣られるようにその輪に割り込んだ。


 その中心――クラスメートに囲まれている人物の一部がちらりと見えて、八津の心臓がどくりとなった。


 どくどくどく…――。


 …まだ、そうだとは断定できない。


 ある期待が胸を包み込んで八津を逸らせるが、まだそうだと断定は出来ないと己自身を落ち着けと宥める。


 ――が。


 「ねぇ!この髪は染めたの?それとも地毛?…なら、ハーフッ!?」


 きゃあきゃあと興味津々な女子達の質問からして、恐らく今話題の中心になっている人物は今日辺りに入ってきた転校生なのだろう。


 相手はどう答えるのだろうと耳を傾けることにする。


 すると、相手は少し苦笑を漏らしたようだった。


 「この髪は地毛だよ。染めてないし、ハーフでもない」


 「………」


 そのやわらかい声音に、八津がピシリと音を立てて固まった。


 自分はこの声を、知っている。


 この人の声を、知っている。


 昔、一番近くに居た、居てくれた人の声。


 自分が落ち込んでいるとき、いつもぶっきらぼうに不器用な慰めをくれた人。


 そして、守ると言って護り切れなかった人の声。


 集まったその人物の特徴を並べ立てて、八津は思案顔をした。


 ――赤い髪、白い肌、吸い込まれるような意志の強そうな黒い瞳。


 瞳の色はあの頃のように赤くはなかったけれど、あれは――。


 答えを待つまでもなく、ポツリと無意識に零れた声はかすれていた。


 「…きょう、や…?」


 思案の結果、どう考えても自分があの少女の声を聞き違えることなど万が一にもありえないし、これだけあの少女と同じ特徴を兼ね添えた者はそうそう居ない。


 八津の記憶の中の、このクラスの話題の中心にいる者の特徴を兼ね添えた少女が脳裏に浮かび上がった。


 途端、はじかれたようにその人物の正面に立つ位置に移動していた。


 急に沸いて出てきた八津に赤い髪の転校生はなんだと、きょとんと見上げてくる。


 八津はしばらくその容姿を凝視して、やがて完全に確信を胸にすると、


 「…京也!」


 感極まった風に、その場に集まっている者など眼中から排除してしまっている様子で声を震わせてその名を呼び、抱きついていた。


 一方、抱きすくめられた転校生は突然のことに驚きはしていたものの、その突飛な行動自体にはさして動揺を見せずに、むしろ慣れている雰囲気を醸し出しながら、目を瞬かせた。


 やがて、苦笑とも微笑ともつかない困った笑みを浮かべると、その背に腕を回し瞳を閉じると懐かしいの人の名をそっと紡いだ。


 「八津…おかえり。そして、ただいま」


 抱きしめるその腕が更に強まった。

 

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