思うこと
「ええー!奈津、知ってたの!?だったらど・う・し・て、もっと早くに僕に教えてくれなかったんだよぉ〜!!」
八津の怒号が奈津の頭の上で飛ばされていた。
奈津がうっと、言葉に詰まっているのをいいことに、八津は更に言いたいことを吐き出していく。
「大体奈津はいっつもそうだ。僕より知識が豊富なクセして、僕が悶々と考え込んでいるときに限って何も教えてくれないんだ!いつからそんなに薄情な子になったの、奈津は!お兄ちゃん悲しいっ」
恐らくこの際に乗じて、言いたいことは全ていってしまおうという魂胆らしい。
その証拠に既にもう清算されていてもいいだろう過去のことまで吐き出している。
奈津はおろおろといった様子でようやく口火を切った。
「だって、忘れてたんだ。兄さんとの七年ぶりの再会で、嬉しくってさ。それにほら…兄さんが色々爆発って言うか…しちゃってたしさ」
たじたじとした口調で己の言い分を口にし、ね、ねと上目遣いで見やってくる弟を『うるさい』と一喝して、八津は尚も言葉を紡ぐ。
「たった七年が何ぼのもんじゃい!それくらい俺への愛で乗り切れ。お前よりも俺は京也の方が大事なんだ!」
ああ、それが本心なんだね。
てゆーか、兄さん…一人称『僕』から『俺』にすり替わってるよ。
本性は『俺』なんだね。
自分との再会を喜んでくれていないことは薄々感づいてはいたけれど、やっぱりそうなんだね兄さん。
だけどさ…何もそこまではっきり断言してくれちゃわなくってもさ…良かったんじゃない?
なんてゆーかさ、兄さんの本音を聞けてすっきりって思えないくらいに悲しんですけど。
でも、ちょっと嬉しい言葉も混じってたって事だけが唯一の救いかな。
兄さんが『俺への愛で乗り切れ』って言ったということは、兄さんは一応自分が弟に愛されてるってことは自覚してるんだ。
本当に乗り切れるとは思ってたんだよ、七年前は。
でもね、離れてる分愛おしさが込み上げてきてさ。
結果、こうなっちゃったわけなんだよね。
奈津が涙を流しながら遠い目をしているのに、それに気づいているのかどうか…八津が奈津の胸倉をやおらつかんでガシガシと揺すり始めるというなんともな光景を目の当たりにし、傍観者でいることを徹底した玖珂魅。
今、下手に揶揄を入れて自分に火の粉が飛んできたりでもすれば、たまったもんじゃない。
そう考えた上での賢明な判断だった。
「ほら、ほら…。もういいんじゃないか、八津」
そう言って、八津を諭しにかかったのは珍しくも無表情な樹だった。
これは余分だが、樹の背中にはその首に腕を回したあやめが上機嫌でぶら下がっている。
「樹…。でもさ、だって…」
いまだ言いたいことがあるのか、不貞腐れた様子で口ごもる八津に樹は珍しくも無表情を破って、ふわりと微笑んだ。
「しょうがないことなんだよ、八津。許しておやり。奈津はね、君があまりにも鬼に肩入れするから拗ねてただけなんだからさ…嫉妬しちゃってただけなんだからさ。方法を知ってても訊かれるまで言わなくてもいいとか思う男なんだからさ。ね、奈津。少し可愛い兄さんに意地悪してみたかったんだよね?」
悪意なんて全然表れていない…感じられない神々しい笑顔――だが、その周りには面白いなーという悪意に近いものがダダ漏れで樹は涙目の奈津へ手を差し出す。
奈津は樹とその背にぶら下がるあやめの性分を知りながらもその手を取って、肩を揺する八津の手から逃れた。
「……おーお。怖いぞ、その笑顔」
八津達から二メートルほど離れたところで、完全に自己防衛のために傍観している玖珂魅は、ポツリと呟いた。
「あれは自分も言う気だな。それにしてもなんだ…珍しい。玖珂魅は何も言わないのか?」
変だなと、いった顔つきで夏目が玖珂魅を顧みた。
「ああ。今の八津はこえーもん。軽はずみな言動で怒らせでもしたら、奈津から怒りの矛先が俺にかわるだろーが」
両目を閉じてそれだけは勘弁だと、肩をすくめる玖珂魅に夏目はやや驚いたような表情を見せた。
「…なんだよ。その意外そうな顔は」
唖然とした顔で玖珂魅を凝視していた夏目を見て、玖珂魅は半眼で不服を声に出した。
すると、夏目ははっと我に返ったような素振りを見せて、すまないと一言述べた。
そこまでを微笑ましげに黙って見守っていた明継だが、言葉の足りない夏目に代わって腑に落ちない顔をしている玖珂魅に夏目の表情のわけを紐解いてやる。
「玖珂魅、夏目はね、驚いてるんだよ」
明継の言葉に玖珂魅は「はぁ?」と目を丸くする。
そして、一つため息を吐き出すと、
「そんなのこいつの顔見てたら普通に分かるって」
「うん。だからね、夏目は君が成長したなって、感心してるんじゃないかな?」
ね?と、見られて夏目は図星だったのか、さして照れるようなことでもないだろうに少し頬を朱色に染め、「ふんッ!」とそっぽをむいた。
「べ、別にただ単に昔に比べたら学習能力がついたなぁって、思っただけだ…!」
「ほら、夏目もああ言ってるでしょう。夏目、それを人は成長したって言うんだよ」
「…そう、か?」
「そうだよ」
明継の言葉に夏目は首をかしげながらも頷き、玖珂魅は心外なと両目を眇めた。
一方の光は、既に蚊帳の外だなと苦笑しつつ、自分に仕える忠実で騒がしい七人を楽しそうに、それと同時に羨ましげな眼差しで見ていた。
唯一輪に加わらず、光の側に控えていた心配そうな面持ちの菊乃が、寂しげな表情の主を気遣う思いからそっと声をかけた。
「あの、光様…」
菊乃の遠慮がちな声音に気づいた光が、ふわりと笑んで菊乃に視線を落す。
すると、憂いに満ちた表情を一掃した菊乃はくすぐったそうに首をすくめて、人の良い笑顔を浮かべた主を真っ直ぐに見つめ返した。
「光様はお寂しいのですか?…無礼なことは承知しております。ですが、私は知りたいのです。ですから、光様…恐縮ながらもお聞かせ願えますでしょうか?」
改まった堅い口調で真剣な眼差しで自分を見つめる少女に、光は驚いたように目を瞠り、次いで息を呑んだ。
「…君は鋭いね」
そう一言零して、光は口元を引き締め、破顔した。
菊乃はうなじをすべる冷たいものを感じながらも、ここで引くわけには行かないのだと気持ちを引き締める。
このお方のことだから、上手にはぐらかそうとそれ以上追求できないような笑顔で、『そんなことないよ』というはずだ。
そして、そこで自分が『そうですか』と引き下がれば、このお方はきっとほっと胸をなでおろし、またおのれを闇の中へと隠す。
寂しいお人だ。
本当に人を寂しくさせるのが、得意なお人だ。
周りがどれだけ貴方を大切に想っているのかを知っている上で、自分達を華麗に欺く。
それに気づくことが出来なければ、もう何も要らないとさえ、思われているのかもしれない。
周りを大切に想うからこその雲隠れ。
けれど、己を隠して他に触れさせないで他に交わって生きるのは難しく、そして苦しい。
それが、その人の心を孤独にし、視界を奪うのだ。
何を告げれば良いのか。
何も知られたくはないと、このお方は思われているのだろうか。
菊乃は無言になった主から視線を逸らしたいくらいに気まずくなりつつあっても、その視線を逸らそうとはしない。
いま逸らせば、きっと自分は楽になるだろうけど、後の後悔に苛まれる。
それに、全てを独りで抱え込もうとしているこのお方を傷付けることになるだろう。
それだけはしたくないのだ。
もう、自分はこのお方を悲しませたくはないのだ。
だけれど、今この人を困らせているのは自分なのは明らかだった。
それでも、引き下がることを好としたくない。
それ故にいくら気まずい空気が流れようとも、こうも粘って答えを待っている。
「――…光様、私は貴方の本心を聞きたいのです」