透明なカギ
-虚空が身体を満たす感覚は、さみしさや悲しさといったものでは到底言い尽くせない。それは巷に溢れる一夜限りのSEXや、学校なんかから発生してしまう気の毒な自殺なんかとはまったく別のものなの-
カギアナには幼い時の記憶がない。物心がついた時、カギアナは片田舎の路肩で娼婦をやっていた。
両親はカギアナが生まれて間もなく別れていた。カギアナは母方の祖母に引取られるが、祖母は敬虔で従順な宗教主義者でありながら
極度のアルコール依存者だった。母はそんな祖母に嫌気がさしていた。そして何故かそこには娘のカギアナも含まれていた。
限界に達した母は祖母と娘を捨ててどこかへ行ってしまった。
寒い冬の夜だった。世間はクリスマスという名のもと、おおいに浮かれている。カギアナは絨毯についた赤い染みをただ眺めていた。
カギアナはホテルのベッドに横になっていた。浴室からはシャワーの音が聞こえてくる。
中にいるのは今夜の客だった。この地方のワインを仕入れる仕事をしているらしい。(聞いてもいないのに話し込んできた)
女を買うのは初めてだったらしく、行為まえ避妊具の確認を何度もしていた。そのくせSEXの注文は多く行為も果てるまでに時間がかかった。
まったく。こんなやつの選ぶワインなんか飲みたくないし、見たくもない。
カギアナはタバコに火をつけ天井へ思い切り煙をふいた。
煙は凹凸の少ない天井にあたると滑らかに広がり、そしてどこへともなく消えていった。
シャワーから出てきた男はカギアナの隣に腰をおろした。
事務的に、しかしとても愛らしく微笑むカギアナ。
そしてその笑顔に満足した男はつらつらとまた話しを始めた。ゆっくりとカギアナの背中に手を這わせながら。
カギアナは最悪な感情を押し殺し、甘えるように男の太腿へ頭をもたれかけた。
その青年は突如としてカギアナの前に現れた。
カフェで遅いブランチをとっていたところ、青年はいきなりカギアナへ話しかけてきた。
「君すごく暗い顔してる。けどなんていうか凄く綺麗だね。…なぜだろう」
見上げるとその青年はカギアナのテーブルの脇に立っていた。
青年は学生のような顔立ちで髪を肩まで伸ばしていた。
「そうね。実は最近母が亡くなったの。癌でとても苦しんでいてとても可哀想だった。綺麗なのは母譲りかしらね」
客が客として来ないケースもこの業界では多かった。
少し気を利かせながら邪見に扱うのがカギアナがナンパをされた時に多く使う方法だった。
こうすれば思いやりのある奴だけが残る。面倒くさいのが嫌いな奴はすぐに興味を無くす。あとは残った奴からたっぷり絞りとるだけ。
青年はカギアナを見ていた。カギアナは顔を伏せ、テーブルに俯いてはいたが、感覚として青年の視線を感じとることができた。
「でもね。あまり寂しそうじゃない。君はなんていうか…その……」
カギアナはその青年を見た。青年はカギアナを真っすぐ見つめていた。
青年は全体の印象からだが、目だけが異様に違っていた。瞬きなくカギアナを見定めようとする、その目はカギアナを落ち着かない気持ちにさせた。
「なんていうか、君は十分そのままで綺麗で居れる。でも自分で自分を満たせない」
青年はプルノブという名前で石膏士だった。親と一緒に仕事をしていたが、ゲイだったプルノブは自宅で友人の男性と行為中だったところを母親に見つかり追い出されてしまった。
「実は仕事が決まってこの街に来たんだけど住む場所もお金も何もない。友達も身寄りも居なくて、明日仕事に着ていく服もなくて、なんならお腹も減っていて…」
テーブルのパンから目線を逸らさずにプルノブは話した。
カギアナはプルノブを家へ招いた。
カギアナはプルノブをお風呂へ入れ、食事をさせた。
そして床で眠ると言い張るプルノブをベットで寝かせ、自分は仕事があるからと家を出た。
なぜそうしたかは解らない。プルノブは汚れて傷ついた鳥のような存在で、一種の偽善心が働いたのかもしれない。
カギアナは暗くなった路地を足早に歩いた。
カギアナの心にはプルノブに対する損得や下心や期待心のようなものは微塵もなかった。
あったのはある種、連帯感のような安堵に似た奇妙な感覚だけだった。