第八話 フォキュアと森を抜ける
「それはきっとコックロック山脈の方へ向かったのね。あそこは峻険な岩山がずっと南北に連なっていて普通なら誰も向かおうとしない場所よ」
フォキュアが先頭を歩きながらヒカルにそう説明してくれる。
あの後ヒカルは自分がこの森で迷ってこまってるということにし、彼女との同道を願い出た。
フォキュアはそれを二つ返事で承諾し、今は一緒に森の中を移動している。
彼女の話ではこの森はマガモノというのが多く気性も荒いため人の手などは殆ど入ってないそうだ。
精々森の直前に簡単な街道が伸び、入口近くに看板で危険と書いてあるだけらしい。
なので森の中には道といえるような道はなく、精々そのマガモノや獣が踏み歩いた獣道が目につくぐらいだ。
緑の密も深く樹木も高かったり低かったりと様々。さらにマガモノという化け物が跋扈する地域だけあってか判らないが、樹木もわけのわからない成長を遂げてるのも多い。
上へ伸びる途中で鎌首のように幹が曲がりそのまま畝るように地面に向かって伸びている大樹や、離れた位置の木と木がアーチ状にくっつき合っているもの、幹から無数の棘がスパイクのように飛び出てるものなど、まさしく奇樹といえるようなものがそこかしこに生え連なっているのだ。
おまけに当然足元もあまり良くはない。場所によっては折れた枝が絨毯のように敷き詰められ、また所々で地面から飛び出た根っこに脚を取られそうになる。
更に比較的柔らかな土は、ヒカルの今の靴では歩くのに骨が折れた。
部屋に居た筈なのにこの世界で靴が履かされていたことについては今更ながら疑問を感じたが、まぁそういった細かいことは気にしないほうがいいだろ。
しかしその靴が長年履き続けたボロボロのスニーカーだったのは、せめてそこは新品に変えてほしいと愚痴りたくなる。
そしてただでさえこの世界にきた直後にオークに追い掛け回され泥だらけになっていたスニーカーは、柔らかい土に脚を取られながらそのボロ具合に拍車をかけていった。
「それにしても本当よくそんな格好でこの森をうろちょろ出来たものよね」
木々の間を抜けながら顔を軽く巡らせ、フォキュアからいわれた言葉はこれで二度目になる。
一度目は同道を承諾され、いざ進もうと動き出した直後に怪訝そうに言われていた。
彼女からしたら武器の一本も持たず、こんな危険な森を彷徨っていたのが信じられないといったところだったようだ。
尤もヒカルとて来たくて来たわけでもないが、実は地球で死んだらこの世界に来てました、なんて話をしてまともに取り合ってくれるとも思えない。
どうせ同じ不自然なら、危険な森に何時の間にか迷いこんでしまったのほうがまだいいだろう。
よく無事でいれたわね、という疑問については運が良かったと返す他ない。
そして勿論フォキュアは武器を所持していないという事だけでなく、その着衣しているものにも着目していた。
特にジーンズに関してはこの世界では馴染みのないもので、珍しそうに生地に触れたりもしていたほどである。
ただ――シャツに関してはただただ呆れていた。こんな薄くて破けやすそうな粗悪品どこで掴まされたの? とヒカルが騙されて買わされたぐらいの勢いである。
まぁ尤もいま来ているTシャツは、商店街で安売りしていた五〇〇円の代物なので生地が悪いのは当然ともいえるが。
そしてヒカルはその後も他愛もない話を続けながら彼女について行き森を進む。
丘陵地帯の中に存在するというこの大森林は、中々に急な斜面を登る必要があったりと移動も結構大変だ。
ただ前世に比べるとヒカルは自分の体力が向上しているのが判った。
これはオークに追いかけられている時も感じたが、ゴッキー先生との融合で逞しくなったことも要因としては大きいのだろう。
「ちょっと止まって」
ある程度移動し、視線を上げた先に見える木々の隙間から丘の頂上が見え隠れし始めたその時、彼女が静止の声を上げた。
ヒカルはそれに従い脚を止める。
緊張した雰囲気が彼女の背中から感じられた。細い首をもたげ何かをじっと観察している様子。
「あの梢にリトルグリーンが潜んでるわね――」
フォキュアが囁くような声でいった。
その言葉をヒカルも声を潜め疑問符混じりに繰り返す。
「この森に昔から暮らしてる小人よ。マガモノとは違うんだけど、自分たち以外の種族は一切認めず、私達をみつけると問答無用で襲いかかってくるの」
更に彼女は、独特の言語で話すから会話でのコミュニケーションも無理だ、と付け加えた。
「見たところ吹き矢を持って待ち伏せを狙ってる感じね。私達が通りがかった時に一気に襲い掛かってくる可能性が高いかも。他にも何人か潜んでる可能性があるし厄介ね」
その言葉に流石は勇義士というだけあるなと感心した。何せ言われてもヒカルにはさっぱりその存在が確認できない。
ましてや吹き矢を持っているということまで認識したのである。
「でもだったらどうする? ここを避けて迂回するとか?」
因みに歩いている内にヒカルのしゃべり方は大分砕けたものに変わっていた。
まぁそれも彼女が、変な敬語は止めて、と言ってきたからだが。
「それはあまり得策じゃないわね。いま進んでる道はこの森でもまだなだらかな方で、外れるとなると緑も更に濃くなるしマガモノも増える。それにあそこに潜んでる時点で周囲からも見張られてる可能性は高い」
ヒカルは肩を竦めて返す。話だけ聞くぶんには八方ふさがりだ。
「ねぇ、ところで貴方は戦える?」
問いかけがヒカルの身に降ってきた。どうやら場合によっては戦闘も避けられないといった状況らしい。
「武器さえあれば」
ヒカルの返しに、そう、と応えるとフォキュアが吊るした鞘と一緒になっているもう一つの小さな入れ物のカバーを外し、一本のナイフを取り出した。
「こんなのしかないけど、勿論基本的には私が相手をするようにはするけどね」
そういってナイフを持った手を後ろに流してくる。これを使えということなのだろう。
ヒカルは、ありがとう、とお礼を述べそのナイフを受け取った。
柄が木製のもので鍔が短い。全長は四〇センチ程で刀身の方が大分長いタイプ、刃は先端のみ両刃で残りは片刃だ。
これは取り回しがよく日常的には使いやすそうだ。ただ戦闘となると心もとない気もする。
「さて後はどうするかだけど……梢の連中は間違いなくこっちに気づいてるし、仕方ない一気に駆けて私が斬りこむからサポートお願いしていい?」
「でもそれだと流石に君が危なくないかな?」
「馬鹿にして欲しくないわね。こうみえても結構場数はこなしてるつもりよ。勇義士ランクだって中級だしね」
と、言われてもヒカルにはその凄さが理解できない。ただ名称のイメージでいくと中堅どころといったところか。
しかしだからといって、敵がいると判ってて少なくとも見た目には可愛らしい少女を特攻させるのは気が引ける。
『先生いい手はないかな』
『変身すればいいだろ』
もしかしてまだ読むのに集中してるかも、と思いつつもゴッキー先生に質問するが、応えは返ってきたもののひどく素っ気ないものだった。
『いや、それができたら苦労しないし――』
すると、ふぅ、という先生の溜め息。
『仕方ないなぁヒカ太くんは』
『誰がヒカ太くんだ!』
思わず念で突っ込んだ。同時に、このゴッキーあのネコ型ロボットが出る漫画も記憶で見たなと察する。
『だったら上手く周囲のゴキブリに命令してなんとかしてみるんだな。ゴキブリの力をフルで発揮するにはあの姿が一番だが、補助的な事なら遠隔で操作しても使い方次第で役立つはずだ』
その先生の説明でヒカルの脳裏にピンッ! と何かが閃く。
そして、先生ありがとう! とお礼を述べた後、少女に尋ねる。
「そのリトルグリーンというのはどの辺りに?」
フォキュアが顎を使って位置を示してくれた。指などを使うと相手に気づいてることがバレると思ったのだろう。
とはいえそれでも位置は大体知ることが出来た。彼女の示した位置には他よりも頭一つ抜きん出た喬木が見えたからだ。
ただヒカルが目視できないあたり、上ではなく他の梢や葉に紛れることが出来る位置に潜んでいると考えられる。
とはいえ大体の位置がわかれば十分でもあった。ゴキブリの触覚の鋭さがあれば後は其々の判断でなんとかしてくれるだろう。
そもそも位置を指定しなくてもなんとか出来る可能性もないでもないが、初めての試みなのでそこはある程度慎重に――
「じゃあいくわよ」
「待って!」
ヒカルが彼女が動こうとするのを言葉で止めた。軽く振り返ったフォキュアの眉が怪訝そうに顰められる。
「何? もしかして自信なくした? あまりここでボヤボヤしてると向こうから動き出すかも――」
忠告するように言ってくるフォキュア。だがその時には既にヒカルの命令が周囲に届いていた。
刹那――辺り一帯からガサゴソという音が響きだし、遠目に見えていた喬木の幹に黒い縞々が浮かび上がりそれが一気に梢まで上昇する。
「グギェ!?」
怪鳥のような声に、え? とフォキュアが顔を巡らせ、リトルグリーンが潜んでるという梢に視線を戻した。
そしてその時には更に連続で悲鳴が響き、終いには黒く染まった巨大な固まりが木の上から落下する。
その姿はヒカルにも確認することが出来た。
ただ殺せてはいないだろう。
ゴキブリの一匹一匹の力はそこまで優れているものではない。
ヒカルのいた世界より丈夫という利点はあるが、それだけだ。
だから出来たのは精々梢に潜む敵にまとわりついて怯ませろという事ぐらいである。
だがその結果、枝の上から落とせたのは上出来といえるだろう。
しかし、どうやらそのおかげで他の仲間が慌ただしく動き始めたのを周囲の葉擦れの音で理解できた。
しかしゴキブリの力で怯ますぐらいは十分可能なのを知り、ヒカルは更なる指令をゴキブリたちに送る。
「何? 一体何が起きてるの?」
フォキュアはその場で立ち尽くし狼狽した声を発した。
困惑の様子も感じられるが、その間に周囲に集まりだしたゴキブリが活動を始め、四方八方から恐らくリトルグリーンの物と思われる悲鳴が合唱のように響きだす。
『先生! ゴキブリから相手の数とか伝わってない?』
『……勿論来てるさ。なるほどやるなヒカル。さて相手の数だが、リトルグリーンは梢から落ちた一匹の他はその落ちた奴の周りに三匹、ヒカルとあの喬木のちょうど中間辺りの左右に二匹ずついるよ』
なるほど、とヒカルは頷き、心でありがとうと先生にお礼を言った後彼女の背中に情報を伝える。
「さっきの木の手前、あの位置で左右に二匹ずつ。そして今落ちたリトルグリーンの近くに仲間が三匹いる!」
「え? どうしてそれが?」
「俺耳には自信があるんだ。それよりも今相手はパニックに陥ってる。この間に片付けてしまおう!」
フォキュアは完全に納得してるわけでもなさそうだったが、コクリと頷き、そして草木茂る坂を駆け上がった。
かなり俊敏な動きだ。狐耳のイメージ通り野生動物の動きにも匹敵する。
だがヒカルも負けてはいられない。後を必死に追いながら、そして最初潜んでる地点で声を張り上げる。
「ここの連中は俺がやる! フォキュアは前の連中を!」
そういうが早いかヒカルは右の茂みに飛び込み、地面でバタバタ暴れまわる黒く染まったリトルグリーンの喉に刃を突きつけた。
ゴキブリはヒカルの動きを感知しており、刃が振り下ろされた瞬間には相手の身から素早く離れていた。
その為、右手で握りしめたナイフの刃は淀みなく喉に喰い込み、その命を容赦なく奪ったのだ。
だが命を奪ったことに躊躇ってる暇はない。それに覚悟なら既にオークで済ましている。
ヒカルは果てた薄緑色の小人から刃を抜き、もう一匹の辛うじて直立を続け踊るように身を捩らせている相手に向かって大きく踏み込んだ。
同時にゴキブリが弾けるように剥がれ、驚愕に見開かれた大きな目が肉薄したヒカルを捉えた。
リトルグリーンの手には簡素な片手斧が握られていて、ピクリとそれを握る腕が反応したが、その時には逆手にもったヒカルのナイフが脳天に突き刺さっていた。
小人というだけあってリトルグリーンの上背は一二〇センチあるかないかといった程度のものだ。
ヒカルから見れば自然と相手の上から振り下ろす形となる。
その為、彼女から借りた短いナイフを活かすなら、この場合は順手よりは逆手の方がいいだろうとヒカルは咄嗟に考え行動に移したのだ。
そしてそれが結果的に功を奏した。逆手に持ち替えたため、あまり振り上げる必要もなく攻撃に移れた為、リトルグリーンに攻撃をさせる暇を与えなかったのである。
ヒカルは絶命したもう一匹のリトルグリーンには一瞥もくれず、今度は反対側の茂みに飛び込んでいった。
その時、遠くから別の群れの悲鳴が耳にぶつかる。明らかに彼女の声ではない。
どうやら向こうの心配をする必要はなさそうだと思いつつも、やはり同じようにゴキブリの強襲に慌てふためく相手へ、ヒカルは次々と刃を突き立てていくのだった――