第二〇話 緊急事態
「フォキャアにゃ~~ん! 会いたかったーーーー!」
ヒカルとフォキュア、レオニーの三人はサルーサの件が一旦落ち着いたところで、ギルドから報酬を受け取り、そして宿へと戻ってきた。
フォキュアはレオニーの件もあったので取り敢えず付いてきてくれた形だったのだが、こうして宿に戻ると同時にフォキュアの胸に飛び込んできたのが、猫耳姿のメイドなのである。
「ミャーチュ!? あんたがなんでここにいるのよ!」
そしてフォキュアが驚いたような声を上げる。
どうやらふたりは知り合いのようだ。
「え~とフォキュア。この娘は?」
「ママのお友達?」
ヒカルとレオニーが口々に問いかける。
するとミャーチュが一旦顔を上げ、ママ? と疑問げに三人を交互に見やる。
「ええええぇえええええぇえ! フォキュアにこんなに大きな子が! いつの間に結婚してたの!?」
「ええええええぇえぇぇえ!?」
何故かカウンターから宿屋の女主人の叫びも聞こえてきたりしたが、フォキュアは直ぐ様右手を振り否定を示す。
「違う違う! これには理由があって……」
そしてフォキュアはミャーチュに事の顛末を話し、そしてヒカルとレオニーに彼女を紹介してくれた。
彼女は黒猫族でフォキュアやレオニーと同じ獣人だ。それを証明するのが頭の黒い猫耳と尾から生える同じく黒い尻尾である。
しかし――
(獣人の女の子は皆こんなに可愛いのかな?)
マジマジとミャーチュの顔や肢体を眺めながらそんな事を思ってしまうヒカル。
ただ彼女は可愛いというよりどこか妖艶といった雰囲気がピッタリハマった。
小さな顔に項まである艶やかな黒髪、小柄だがメリハリのきいたボディを有し、胸の大きさはフォキュア以上、ギルドの受付嬢であるバストにも負けないほどであろう。
「……どこみてんのよ」
と、思わず見惚れてしまっていたヒカルに、ジト目でフォキュアが突っ込んできた。
明らかに不機嫌である。
「ヒカルたん、よろしくにゃん」
そしてミャーチュはミャーチュで誘うようなポーズで挨拶してくる。
メイド服は何故か胸元がガバリと開いているため、彼女が前かがみになると零れ落ちそうなたわわな果実が嫌でも目についてしまうのが困りものだ。
「コホン! で! それでどうしたのよ? 確かどこかのメイドとして採用されたんじゃなかったっけ?」
「そう! そうだよフォキュアたん!」
「たんはやめろ!」
唸るように返すフォキュア。
「実は私、アルミスの屋敷でメイドとして勤めてたんだけど~」
「……て! もしかしてアルミスってアルミス・デボラ伯爵の事!? それ領主様じゃない!」
「うん、そうだよ~」
まるでなんてことがないように返答するミャーチュ。
しかし領主の屋敷のメイドとなれば職としてはかなり上等だろう。
「それでね、アルミスの事~ちょっとだけ誘惑したんだけどね」
はぁ~、と溜息を吐くフォキュア。
「あんたまた……」
そして頭を抱え、しかもよりによって領主様って、と呆れたように零した。
「だって領主様ってぐらいだからお金も持ってるし~せがんだら宝石とか色々買ってくれるし~キャハッ!」
こいつはとんでもねぇ! とたじろぐヒカル。
さっきまでの印象から一変、要注意人物として認識する事にする。
しかしそんなヒカルに妖しい笑みを零してくるミャーチュ。
これなら騙されてもいいかもしれない、などと思ってしまうヒカルだ。
「……伯爵様まで手玉に取っちゃうんだから、本当あんたも見境がないというかなんというか」
「え~、でもフォキュアだって知ってるでしょ? 確かに惑乱はさせたけど~身体の関係にまでは至ってないし~」
「パパー身体の関係って~?」
「レオニーにはまだ早い」
ヒカルはパパの顔で言った。
「レオニーちゃんも可愛いから悪女になれる素質ありそうだね!」
「悪女~? レオニー素質あるの~?」
「あの、あまり変なこと教えないでもらいたいのですが……」
思わずヒカルも半眼で彼女に訴える。
しかし、うふふっ、とどこか男を魅了する笑みに強くは言えなくなってしまった。
「レオニーちゃん。このお姉ちゃんは変態だから言うこと聞いちゃ駄目よ」
「変態? うん判ったよママ~」
「フォキュアたん酷い!」
「たんはヤメろ! てか、だからそれで伯爵家のメイドにまでなっておいて、なんでここにいるの? まさかまた捨ててきたとか? あんたいい加減にしないといずれ消されるよ」
「そう! それなの!」
ミャーチュの意外な反応に、え? と怪訝に声を漏らすフォキュア。
すると――
「それがね。私なんかデボラ夫人に消されそうになってるんだよね~」
◇◆◇
「な、なんだこれは! 一体どうなっているのだ!?」
狼狽するはアルミス・デボラ伯爵。ここチャンバーネに屋敷をもつ領主である。
そして、その屋敷が、今盛大に燃え盛っていた。
原因は屋敷の火ではない、屋敷で仕えさせていたメイドたちが軒並み炎に包まれ絶叫を上げ続けているのだ。
中にはすっかり燻され炭化したものさえいる。彼女たちは皆、生前はだれもが美しい容姿をしていたものだが、今は見る影もない。
そんな中、伯爵に近づく足音。戸惑いながらも伯爵は足音の主を見やる。
「そ、そんなまさか……お前、なのか? でも一体――」
伯爵の戸惑いの色は深みを増すばかりだ。
しかしそれも当然か、何せ今彼の目の前まで近づいてきているのは、かつて彼が愛した美しい妻なのだから――
「どう貴方? 私、綺麗になったでしょ? 昔の、いえ、今や私はかつてよりも更に美しく輝いているわ――」
そういって蠱惑的な笑みを零す。あれだけ脂肪にまみれた身体はすっかり萎み、それでいて出るところはしっかりと出ており、引っ込むところは引っ込んでいる理想のボディを彼女は手にしていた。
だが、それが逆に伯爵の恐怖を煽る。ただ妻が美しくなっただけならこれほど喜ばしい事はないだろう。
だが、今の状況においてはただただ不気味でしかない。
「……まさか、まさかこれはお前がやったのか?」
アルミスは漠然と尋ねた。特に確証があったわけでもない。
しかし、何故かそんな気がしてならなかった。
そして、目の前の妻は、特に誤魔化すような事もせず、そうよ、と首肯した。
「彼女たちには私が本来の姿を取り戻すための糧になってもらったの。だって勿体無いじゃない。美貌はそれに相応しいものが持つべきだもの。所詮貴方ごときに媚びを売ることしか出来ない下女にはそんな資格はないわ」
アルミスはその言葉で確信した。目の前で妖艶な笑みを零す妻は気が触れてしまったのだと。
そうでなければこんな真似……出来るはずがない。
確かにここ最近は問題事をよく起こす妻だったが、ここまでの真似はしてこなかった筈だ。
「判った……きっとお前がこうなったのも私に責任があるのだろう、夫としてその罪を私も背負おう。だから、一緒に――」
「何を勘違いしてるのかしら? 私はあなたに懺悔をしにきたわけじゃない。ただ貴方に後悔して欲しかっただけ。私を裏切った事をね。でも、もういいわ。なんか貴方を見てたらどうでも良くなっちゃったの。私の美しさはこれから更に際立つけど、その隣に貴方はもういらない。だから――」
デボラ夫人の持ちし杖がアルミス伯爵に向けられる。
そして冷たい目で、燃えろ、と言い放つ。
「が、があぁああああああああぁああ!」
その瞬間、伯爵の身が炎に包まれ、数秒の内に消し炭になって崩れ落ちた。
その姿を見ても、デボラには一切の後悔が見られず、寧ろ嬉しそうに微笑み。
「これで煩わしい馬鹿から解放された」
そう言い放った。
「あんたがカースの言っていたデボラかい?」
するとふと後ろから彼女を呼ぶ声。
振り返り、誰よ貴方、と誰何するか。
「あぁ俺はあんたというか、そっちの杖に用があんだよ。なぁジェラシス?」
『あらあら、もしかしてグリーディル? 随分と変化したわね』
「新しい身体を手に入れたからな。てかお前ももう十分だろ? ボスの命令だ。日が落ちたらこの街を潰すぞ。だからさっさと奪えよ」
「はぁ? 何よそれ? 街を潰すって……それに奪うって、ぎぃ!?」
その瞬間、デボラが髪と顔を掻き毟り、呻き声を上げる。
白目をむき、涎をだらし無く垂れ流し、そして――
「全く。もう少し遊んでからにしようと思ったのに」
颯爽と立ち上がり、髪をかきあげながらそういった。
その見た目は全く変化がないが、口調は明らかに変化していた。
「ふん、嫉妬に狂った女に取り入るとは相変わらずだなてめぇは」
「それが私だもの。今更ね」
妖艶な笑みを浮かべそう返し。
「それで夜になったら行動開始?」
「あぁ、そうだ。まぁ俺はどっちにしろやることは決まってるけどな」
「へぇ、それは?」
「ヒカルって野郎を殺る。この俺を一度破壊しやがったあの野郎は許しておけねぇからな。お前は適当に暴れておけよ」
「いやよ。私も折角だからここで彼女が取り逃がしたのを狙うわ。黒猫族の女よ。美しい物を壊すのって堪らないもの」
いい趣味してやがるぜ、とグリーディルが口角を吊り上げ――
「それじゃあ、日が落ちたら、行動開始だ!」
言ってふたりは屋敷を後にした。
◇◆◇
ギラドルが屋敷の執務室に篭もり、報告書をまとめていると、妻が部屋までやってきて、部下が来ていると告げてきた。
比較的平和なこの街では、わざわざ屋敷に戻ったギラドルに部下が会いに来ることなど先ずない。
にも関わらず、しかも大層慌てた様子で取り次いで欲しいと言われたとの事で、ただならぬ物を察し、ギラドルは部下の下へ急いだが。
「ギラドル兵長大変です! りょ、領主様の屋敷が何者かによって焼かれ、更に騎士団のほぼ全員が惨殺、更に街に向けて盗賊及びマガモノが大挙して迫ってきています!」
「……は?」
ギラドルは思わず眉を顰めて間の抜けた声を発した。
その一つ一つの内容が大事すぎて、どれから確認すればいいのかわからないのだ。
「ちょ、ちょっと待て。それは全て本当なのか?」
「こんな事で嘘なんて付きません! とにかく大変なのです! 現場を指揮するものがいなければ……このままではこの街は壊滅します!」
「あ、あぁそうだな。とにかく攻めてきているのはどれぐらいいるのだ?」
「はい、見張りの兵の話ではその総数凡そ一万とのことです」
ギラドルは驚愕のあまりその身が固まってしまう。
思考が全く追いつかない。
それも当然だろう。この比較的安穏とした地であるチャンバーネにおいて、一万もの脅威が迫ることなどそもそも前代未聞なのだ。
「と、とにかく騎士団に、て、騎士団は殺されてしまっているのか……くそ! なんだってこんな時に!」
「どういたしますか?」
ギラドルは思わず眉を顰める。訊くだけでなく自分でも考えろ! と思わず声を荒げそうになるが、話のとおりであれば領主に頼るわけにもいかず、現状立場として最も責任があるのはギラドルをおいて他にはいない。
自分が指揮を取らねばこの街が終わるのだ。その重厚に押し潰されそうになりながらも、必死に頭を振り絞る。
「すぐに対応できる兵はどれぐらいだ?」
「はい……精々一〇〇程度かと」
最悪だ、と天を仰ぎたくなる。一〇〇〇〇を相手するのにこちらの戦力が一〇〇名ではお話にならない。
「……今すぐ勇義士ギルドに急げ! 緊急依頼として戦力を保管するんだ! それと兵以外にも戦えそうなものには武器を持たせろ! 街の住人には緊急警報を発し、非戦闘員は安全な場所に避難させるんだ! 急げ! 時間との勝負だぞ!」
「は、はい! 承知致しました!」
言って部下が駈け出した。
その姿を眺めながら嘆息するギラドル。
そんな彼の背中に、貴方、と不安そうな妻の声。
「……そんな顔するな。大丈夫だ、街には腕利きの勇義士がいる。それに私も出る。ただお前は屋敷に鍵を掛け地下に避難していろ。子どもたちと一緒にな――」
そう妻に告げると、ギラドルは壁に掛けてある愛用の剣を腰に帯せ、屋敷を後にした。
「全く、ままならないものだな……」
歩きながらも独りごちるその瞳には、不安と決意の両方が滲んでいた――