第一九話 欲望と支配
「……どういうつもりだ?」
サルーサの腕を締め上げながら、ヒカルが赤褐色の男を威圧した。
手に持たれたナイフはレオニーに当たる寸前で止められている。
そして、目の前にナイフの尖端を突きつけられたレオニーは、へなへなと床に座り込み。
「ふ、ふぇ、ふぇ~~ん」
ボロボロと泣き出してしまった。
「レオニーちゃん!」
するとフォキュアが駆け寄り、彼女を抱き寄せ頭を撫で宥める。
そして、キッ! と射るような瞳で、サルーサを睨みつけた。
「サルーサ! 一体どういうつもりよ! こんな小さな子にそんなもの振りかざして!」
激昂するフォキュアに眉を顰め、サルーサが口を開いた。
「おいおい、何を怒ってるんだよフォキュア。こんなの本気なわけないだろ? ちょっと躾のなってないガキを脅かしただけさ」
脅かしただって? とヒカルが怪訝に眉を顰める。
ヒカルには判っていた。今の行動が脅しでもなんでもない事を。
サルーサの一撃は本気だった。間違いない。もしヒカルが押さえつけなければ、刃はレオニーの愛らしい顔に風穴をあけていたことだろう。
実際刃が止まったのも紙一重の位置であった。数ミリ動かせばレオニーに届く距離だ。
そして、だからこそレオニーは怖くなって涙したのだ。
そうでなければ、いくら幼いといっても金獅族の彼女がこの程度で泣くわけがない。
「さ、サルーサさん! 今のはいくらなんでもやり過ぎです! もしレオニーちゃんが怪我でもしていたらどうする気だったんですか!」
そして、これには流石のバストも容認できなかったようで、責めるような口調で怒鳴りあげた。
だが、サルーサはバストの事など気にもとめず、ヒカルを睨めつけ、いい加減に放せよ、と悪びれもなく言いのける。
「……フォキュア。レオニーを連れて離れてくれ」
「え?」
と怪訝そうに口にするフォキュア。その胸の中で、ママぁ、ママぁ、とぐずり続けるレオニー。
「……手を放して、もしものことがあったら困る」
「おいおい、馬鹿言うなよ。冗談だっていってんだろが。そんな事するわけがないだろ? いいから放せって」
しかしヒカルは腕の力を強める一方で、外そうとは決してしない。
そして、ただならぬ様子を察し、フォキュアはレオニーを抱き上げ、ヒカルとサルーサのふたりから距離をとった。
「……これから腕を放すが、変な真似をしたら――」
容赦はしない、とそこだけは声を顰め。しかし、ありったけの殺気を込めてサルーサに警告する。
すると彼は肩を竦め。
「全く、随分と肝っ玉の小さな男だ。少しビビり過ぎじゃねぇか?」
なおも挑発の言葉をぶつけてきた。
(こいつ、一体どうしちまったんだ?)
ヒカルは怪訝に思いながらも、ようやくサルーサの腕から手を放した。
すると、褐色の彼はナイフを振り上げ――ヒカルも思わず身構えるが。
「……どうにも俺は随分と嫌われちまったみたいだし、帰るぜ」
ナイフを脇のベルトに戻し、踵を返しギルドを後にした。
「サルーサの奴……一体どうしちゃったのよ……」
「サルーサさん……」
「パパぁ……」
怪訝な顔を見せるフォキュアに心配そうに呟くバスト。
そして、ヒカルに駆け寄りキュッと抱きついてくるレオニー。
そんな三者三様の姿とサルーサの変わりように戸惑うヒカルなのであった。
◇◆◇
勇義士ギルドを出て直ぐ様サルーサは跳躍し、屋根伝いに移動し、人気のないところに降り立った。
はぁ、はぁ、と荒ぶる息を抑え。
そして――
「一体誰だこらぁ! 出てきやがれーーーー!」
目に見えない誰かに向けて叫びあげた。
すると――
『ククッ、そんなに大声出さなくても聞こえてるさ』
それはサルーサの口から発せられたものだが――その表情は今までのサルーサのソレとは違いすぎており、声すら低く殺気めいたものに変化している。
「くっ、くそ! やっぱり俺の身体を勝手に……勝手に利用しやがってるのかーー!」
再びサルーサに戻り声を上げる。
だが、直ぐ様表情が代わり。
『そう喚くな。第一俺様はお前の為を思ってやってやってるんだぞ?』
「俺の、為だと?」
『そうだ。お前はあのフォキュアという娘が好きなのだろ? だったら俺に任せろ。俺の力があればあんな女の一人や二人、お前の望むようにさせてやるよ。だから俺様を、受け入れろ!』
ふざけるな! と更に叫ぶサルーサ。
だが、サルーサの中にいるソレは諦める事なく、いや、寧ろこれをチャンスとさえ思っているようであり。
『サルーサ。お前は本当に今のままでいいのか? さっきだって見ただろ。あんなヒカルとかいう野郎に好き勝手されて悔しくないのか?』
「ヒカ、ル……」
中のソレが思った通り、サルーサはヒカルに対するこだわりが相当に強い。
『そうだ、ヒカルだ。このままじゃお前は絶対にヒカルには勝てない。何せあいつは、あいつはなサルーサ――』
そして、中のソレが話して聞かせた真実に、サルーサは驚愕し。
「あいつが……あいつが黒い悪魔、だ、と?」
『そうだ。そして俺は奴と一度戦ったからよくわかる。今のままのお前じゃ絶対に勝てない。しかし俺と組めば別だ。俺の力があれば、二度目は、ない! さぁ、俺を、受け入れろ!』
グッ! と額を押さえ呻くサルーサ。
だが、決して心は折れてなるものか、と堪え、フラフラになりながらもどこかへと歩き出す。
(全く強情な事だな)
その様子を内側から眺めていたグリーディルが呟いた。
そう、サルーサの中にいるのは、以前ヒカルが倒したハーデルが持っていた魔斧の化身。
以前サルーサが残された魔斧の欠片で指を切った時、サルーサの中に入りこんだのである。
そして、グリーディルは既にサルーサの身体にかなり侵食しており――それでも自分の意識を失わないサルーサには正直言うとグリーディルも少々驚いていた。
だが――
「いたぞサルーサ! やっと見つけたぞ!」
身体を引きずるように歩くサルーサにぶつけられた声。
誰かと彼が振り返ると、そこには以前ギルドで紹介してもらった、ここチャンバーネで騎士団長を務める、ガラムドの姿があった。
◇◆◇
「さぁ! お前が本当にあのハーデルとかいう男を倒したというなら証明してもらおう!」
ガラムドに連れられ、サルーサは騎士が普段訓練に使う広場まで来ていた。
彼が言うには、ハーデルを倒したのがサルーサだという事はまったくもって信用ができないという事であり。
つまりはサルーサが狂言を吐いていると思っているわけである。
尤も、これはあながち間違ってもいないのだが――
「いいか? この鎧と中の藁人形は、お前が倒したというハーデルを想定して用意したものだ」
ふふん、とどこか得意気に語り。
「そしてここからが重要だ。我らは改めてハーデルの遺体を確認しにいったのだが、奴の身体は何かによって無数に穿かれていた。しかし調査によるとサルーサ、貴様の武器はその脇に装着されているナイフのみ。これではどう考えてもこの傷はつかないのだ! つまり我々は貴様が口からでまかせを言っていると踏んでいる! それが違うというなら、実際の遺体についていたのと同じようにやって証明してみせろ!」
ガラムドの命令口調の言葉に、サルーサは戸惑いに眉を顰めた。
何せ彼は本当はハーデルを倒してはいない。それをやったのは別の人間、勝手に中に入り込んでしまったモノの話が本当なら、黒い悪魔の正体であるヒカルだ。
「どうした? やはり出来ないのだな! ほら見ろ貴様など所詮――」
だが、その瞬間だった、ガラムドの視界からサルーサが消え、かと思えば用意していた鎧が中の人形ごと粉微塵に切り刻まれた。
サルーサの両手にはそれぞれ愛用のナイフ。
そして、ゆらゆらと揺れ動きながら振り返り、ガラムドとその周囲に控えている兵をまとめてその視界に収める。
「……こ、これは、こんな馬鹿な、一体、な、何が……いや、しかし駄目だ! 認めんぞ! 私はあの遺体と同じように出来るかと言ったのだ! バラバラにしろなどと言ってはいない!」
「いや、というか……」
「これって十分凄いのでは?」
「てか、人間業じゃねぇ……」
兵士たちから口々に囁かれるは驚愕だったり不安だったり、様々な感情の入り混じった言葉。
そして――
「俺がハーデルを殺した証明? そんなの無理に決まってんだろが。何せ、そもそもやられたのが俺なんだからな」
「は? 何を言っているのだきさ――」
刹那――ガラムドの頭が宙を舞った。
「え?」
「ひっ、ひぃ! き、貴様何を!」
「お前! 気でも狂ったの、ギャア!」
狼狽する兵士達を他所に、サルーサはナイフを振ると同時に風の刃を発生させ、残った兵士たちの身もバラバラに切り刻んでいく。
「カカカァアアァアア! よえぇ! 弱すぎるぞテメェら!」
そして遂には、兵士の暮らす宿舎にまで乗り込み暴れ回り、騎士も含めた数十名を惨殺した。
「……嘘、だ、ろ――」
死屍累々の中心に立ち、サルーサが両目を見開き呟いた。
その表情に浮かぶは後悔の念。
だが、彼の中身が構わず言った。
『一々こんな事でめげてんじゃねぇよ』
「ふ、ふざけるな! てめぇの、全てテメェのせいだろうが!!
『それは違うな。俺が寄生したのは確かだが、そもそも俺が成長する為の糧は寄生した奴の負の感情だ。俺はお前の願望を忠実に再現してるだけだぜ。お前だって判ってんだろ? 本当はあの時だっててめぇはガラムドを殺してやりたいと、そう思っていたはずだ。勿論その部下も纏めてな』
「俺が、殺したい、と?」
『そうだ。いい加減素直になれ。今だってお前は思ってるだろ。ヒカルをフォキュアから引き剥がしたい。始末したい、とな。お前の願い、俺なら叶えることが出来る。さぁ、受け入れろ、俺を! でないと貴様はあの化け物には勝てない! いいのか? てめぇの大事なフォキュアがあの化け物に蹂躙されてもよ!』
「う、うぉおおおおおおぉおおお!」
「……くくっ、そうだそれでいい。てめぇは中でおとなしくしてろ」
サルーサの心を精神の深淵に追いやり、グリーディルはニヤリと口角を吊り上げた。
「さて、これからどうするかな。取り敢えず適当に――」
『グリーディル聞こえるか?』
(!? この声! カース様か!)
『そうだ。久しぶりだな。ふむ、どうやら思いの外、面白いことになってるみたいだな。そこまで肉体を乗っ取ることが出来るとはね』
(あぁ、しかもかなり具合がいい。これはなかなかいい依代だぜ)
『それは良かった。ならばこれからの話だ。私たちは日が落ちると同時にその街に攻め込む。お前はもう一人の仲間と協力して内側から――破壊しろ』
(……へへっ、それは丁度いいな。少し暴れたりないと思ってたんだ。それで仲間ってのは?)
『あぁ、それは――』