第一六話 訪れた死
『――行ったか』
ヒカルの首が、離れた位置で転がっているのを感じ取りながら、先生はそう独りごちる。
『ふぅ、それにしても、予定通り見事に死んだな』
更に先生の言葉は続く。
ヒカルの遺骸は黒の装甲を纏ったままぴくりとも動くことはない。
まさに死体の状態であろう。
だからこそ、ギュリアもそれ以上語ることはなく、魔剣を回収し立ち去ったのである。
『結構賭けではあるけど、でも頭はあのままで良かった』
先生は自分と契約し同化したヒカルが死亡したにも拘らず、その言い方にはそれほどの悲愴を感じさせない。
『さて、それでは実行するとするか。あくまで可能性の話で確実とは言えないが、しかし彼が復活出来なければ私も長くはないわけだしな――』
そう言うなり、先生は身体の主導権を己自身に移した。
とは言え、この状態でそこまで派手に動くわけにもいかない。
一応ゴキブリそのものでみれば、生命力が強く、頭と胴体が一旦離れ離れになったとしても再び切断面を合わせれば再生する事が可能だ。
しかし、先生と力を共有してるとはいえ、ヒカルは元はただの人である。
だからあまりのんびりはしていられない。
先生はチャバネゴキブリで創りだした鞭を使用し、ヒカルの頭に巻きつけ胴体にまで引き寄せた。
そして切断面を重ねあわせ、ゴキブリにも協力してもらい、首と頭を癒着させる。
この状態で暫く待てば、後はゴキブリの細胞で自動的に元通りに再生される筈である。
だが、再生するまでは人としての体力の消耗が激しい。
栄養などが確実に足りないため、それは補給する必要がある。
先生は周囲に存在するゴキブリたちに念波で伝令する。
すると一気に大量のゴキブリたちがヒカルの周りに押し寄せた。
ゴキブリは己の身体に溜め込んだ栄養が全て脂肪体に集約されている。
それを分け与え栄養を補充させようというのだ。
更にソレとは別に水分も必要なので、ウスラゴキブリの鞭を伸ばし、近くの川にまで持っていった後、水道管のように中を空洞にさせ水を吸い上げヒカルの身体に吸水させる。
こうしてヒカルを再生させる為の作業は、結局夜明け近くまで続けられた。
やはりゴキブリと同化したとはいっても、ヒカルの身体は人間の部分の方が主である。
だからこそそう簡単にはいかなかったのだが――しかし、太陽が昇り、木洩れ日がヒカルの身を黒光りさせ始めた頃――
「……う、う~ん」
ヒカルは意識を取り戻し頭を振る。
(あれ? 俺どうなったんだっけ? 確か――)
そして首を捻り、覚束ない記憶を必死に絞りだした。
(そうだ! 確かあのギュリアという魔剣持ちに首を刎ねられて――)
『やっと目が覚めたみたいだな』
そこで先生の声が脳裏に響く。
『先生――そうか! 約束通り先生が助けてくれたんですね?』
『そうなるな。結構ギリギリではあったが、助かってよかった。ただ、こんな無茶、やっぱり今後は御免被りたいな』
『というかギリギリだったんですね……』
そういいながら苦笑するヒカル。覚悟は出来ていたつもりだが、やはり実際死んでいたかもしれないと考えると少々恐ろしくもある。
しかし、あの時点では確かにそれしか手がなかったのも事実だろう。
あの時、ヒカルの脳裏に先生が囁いてきた言葉。
――ヒカルはここで死ぬ。
非常な言葉にも思えたが、同時にゴキブリが再生するイメージも流れてきた。
何故こんなまどろっこしい事を? とも思えたが、恐らくはハーデルの時のように念話が相手に聞こえてしまう可能性を考慮したのだろう。
つまり、あの時の危機的状況を回避する手段は、ヒカルが一度死ぬしかないと先生は判断したわけである。
そしてヒカルもその賭けにのった。
だからこそ敢えて首を刎ねろと相手に願ったのだ。
先生の判断では、最悪胴体でもなんとかしなければという思いはあったようだが、やはり出来るだけ切断面は狭い方がよいし内臓の損傷を再生させるのは厳しい。
何より、切られた面はゴキブリの力でコーティングするわけだが、流石に胴体ではバレる可能性が高い。
首であれば、まだ夜の闇が支配する時間だったこともあって、誤魔化すことは可能だ。
そしてその作戦は見事にハマり、あのギュリアという魔剣持ちの獣人は立ち去ってくれた。
穴の中で倒した相手の持っていた魔器も持って行かれてしまったが命あっての物種だろう。
『とにかく助かったんだからそれでいいだろ』
『なんか先生軽いっすね……』
下手すれば二度目の死を迎えていたヒカルからしたら、わりと深刻な話ではあったのだが、先生の態度は思いのほかあっさりしている。
『ところでヒカル……眠い』
『え?』
『ヒカルの代わりにかなり動いたからな……ここまでの眠気は久しぶりかもしれない。恐らく暫く反応出来ないと思うが、あまり無茶はして、くれる、な、よ――』
「ちょ! 先生! 先生!?」
思わず声を大にして呼びかけるが、その時には既に先生の反応はなくなってしまっていた。
どうやらかなり無茶をさせたのは確かなようだ。
はぁ、仕方ないなぁ、と頭を掻くような仕草をしつつ、今後の対応を考える。
取り敢えずは、とヒカルは件の穴の近くで倒れていた男の遺体に目を向けた。
瘴気を発生させる要因の一つだった男である。そしてその瘴気のおかげでウルフェンというマガモノも生み出されてしまっていた。
一応その障害は取り除いた事になるのだろうが……しかしあの魔器は持って行かれてしまった。
これではそもそもどう説明して良いか、いやそれ以前に、いまだ瘴気は穴の中で渦巻いているわけで、そうなるとヒカルが単身乗り込んで倒したというのも無理がある。
(この辺の事を上手くごまかさないとなぁ。それにもう朝だしあまりのんびりも……)
そんな事を考えながら頭を悩ませていたその時、ガサゴソと枝と葉の擦れある音が耳に届く。
その瞬間思わずヒカルは身構えてしまっていた。
もしかして、あの男が戻ってきたのか? とその身を強ばらせる。
だが――
「え?」
(て、フォキュア!?)
そう、ひょっこりと顔を出したのは、あのギュリアと同じ狐耳を持つ少女フォキュア、それに一拍遅れてレオニーも姿を見せたのである――
◇◆◇
「休んでないと、メッ!」
フォキュアはレオニーが扉の前からどいてくれない姿を認め、いよいよ観念したように肩を竦めた。
(ヒカルの事は心配だけど、確かにね……)
改めて自分の右肩に目を向けるフォキュア。
あの後すぐに村長の家に連れて行かれ、切り傷などに効果がある薬草を調合した薬を傷口に塗布され包帯を巻かれた。
村長曰く、かなり傷は深く、これ以上いっていたら剣が握れなくなってもおかしくなかった、との事で、そこまで楽観視出来るものではなかったのだ。
戦闘中こそ目の前の戦いに集中していた為、どこか感覚が麻痺していたような状態だったが、治療を受けてからすぐにズキズキと痛み出したこともあり、確かにこの状態で下手に出て行っても返って邪魔になってしまう可能性が高い。
それに――フォキュアはなんだかんだいってもヒカルの事は信頼している。
レオニーの件一つとっても、たった一人で盗賊を退治し、そして金獅族という希少種の彼女を助けたのだ。
母親に関しては残念な事をしたと思うが、確実に最初にあった時よりも腕も上げている。
それは一緒にウルフェンを相手にした時の動きでもはっきりと感じ取ることが出来た。
ただ、正直いうと成長が早すぎる気もするフォキュアでもあるが――
「…………」
「あ、あれ? レオニーちゃんどうかした?」
思考に耽っていると、いつの間にかレオニーがフォキュアの右肩近くによってきて、ジーっとその包帯の巻かれた部分を見つめていた。
「い、痛い?」
潤んだ瞳で心配そうに聞いてくる。どうやらレオニーは自分のせいで怪我を負わせてしまったと、申し訳ない気持ちでいっぱいのようだ。
「……ふふっ、大丈夫よ。それにレオニーちゃんは気にしなくたっていいの。それよりレオニーちゃんが無事で本当に良かった」
心配を掛けないようにと柔らかい笑みを浮かべ、フォキュアはフードの中に手を伸ばし、金色の髪の毛を優しく撫でた。
「さて、じゃあもう遅いし眠ろうか? きっと朝起きたらパパも戻ってきてるし」
フォキュアがそう告げると、うん、とレオニーが顎を引き、そして、横になったフォキュアの左側に寄り添ってきた。
「え? レオニーちゃん?」
「……パパに言われたもん。だから」
ギュッとフォキュアの左腕を抱きしめながら、上目遣いでのこのセリフ。
フォキュアの母性本能が擽られるのも仕方のない事であり。
「そう、判った! じゃあ一緒に寝よ!」
どこかウズウズした表情で、フォキュアもレオニーの小さな身体に寄り添うようにして、横になる。
「……ママ」
「え、え? マ、ママ!?」
「……パパと、ママ、駄目? レオニーじゃ……いや?」
フォキュアの頬がみるみるうちに紅く染まる。急にそんな事を言われても返答に困るが――しかしレオニーの気持ちもよくわかる。
フォキュアは本当のママでは当然ないが、しかし身を挺して彼女を守ったその姿に生前のママを重ねてしまったのだろう。
だから、フォキュアは少し迷ったが――
「……うん、判った。いいよ、私が今日からレオニーちゃんのママだね」
フォキュアの返事に、パァッと花の咲いたような笑顔を見せ、ママっ! ママっ! とレオニーが抱きついてきた。
その姿を微笑ましい気持ちで眺めながら、その身を抱き寄せる。
(それに愛人さんよりはいいもんね)
そんな事を思いながら、ファキュアとレオニーは眠りにつく。
だが――それから数時間後、鶏鳴と、暁方に吹き込む風にフォキュアが目覚めた時、そこにはまだヒカルの姿がなかった。
(まだ戻ってない? 流石に遅いわね)
レオニーをそっと布団の端に寄せ、起き上がった後、一考する。
肩をみやる、まだ多少の傷みはあるが、それでもかなりマシになっている。
中々効き目の高い薬だったようだ。
本調子とは言えないが、これであれば両手で持てば剣も振れる。
ゆっくりと立ち上がり、脇に置いてあった愛用の小剣を腰に吊るす。
その時――
「ママ?」
「あ、起こしちゃった?」
苦笑しながら応えるが、するとレオニーはきょろきょろとあたりを見回し。
「……パパ戻ってな、い?」
「――うん。あ、でも大丈夫だよ。これから私がちょっと様子を見に行くから。怪我もほら! もうすっかり大丈夫だしね」
剣を振るポーズをみせながら、大丈夫だよ、とアピールするフォキュアだが、レオニーは心配そうな表情を崩さない。
尤も今はフォキュアの事だけではなく、ヒカルの事も心配なのだろう思うが。
「レオニーも……」
「え?」
「レオニーもママと探しに行く!」
蹶然し、揺るぎない瞳でフォキュアに告げる。
その姿に一瞬迷うフォキュアである。
ただ、最初はレオニーには留守番させる形がいいかとも考えたが、彼女は一度盗賊に攫われかけている。
そんなレオニーを一人取り残すのはやはり酷というものだろう。
何より、金獅族であることは知られるわけには行かない以上、レオニーを一人にさせるのはリスクしかない。
「……判ったわ。でも私の傍を絶対離れないこと。それだけは守ってね。お願い」
真剣な目でレオニーに伝える。それに彼女も力強く頷いてみせた。
「よし! それじゃあ一緒にパパを探しに行こう!」
そう言うと、フォキュアはレオニーを連れて、まだ薄っすらと残っている残り香を頼りに――件の森へと向かったのだった。